第四話 10
今日の僕の授業は、死者の書についてだった。死者の書の講義をしていると、また豊子との思い出が蘇った。彼女は、死者の書について語る時、いつも以上に目をキラキラさせていた。
学生の頃から、何度もエジプトの戸塚隊の発掘に加わり、その度にカイロのエジプト考古学博物館にも行ったのに、講師になって改めてじっくり死者の書を見たら感動した、と語っていた。
「なんなんでしょうね。何かこう視界がパーッと開けたというか、私はエジプト文明のこういうところが好きなんだなと再確認したんですよ」
「そうなんだろうな。あの一二五章の罪の否定告白のところが好きなんじゃないの?」
「わっ、びっくりした! 緑川先生、私のことを良く分かってるじゃないですか!」
「いや、俺も死者の書で、一二五章が好きだから、言ってみたまでなんだけど」
「気が合いますね。要するに、人は模範的で道徳的であるべき、と説いてるところが好きなんですよね?」
「まぁ、そうだね。俺もそうありたいと思うけれど、なかなか」
「それは、私もそうです」
そんな話を僕の研究室でした後、豊子は土産だと言って、僕にオシリスが描かれたマグカップをくれた。どうやら、このマグカップでコーヒーを飲めということらしい。僕は、彼女がお土産をくれたということだけで、内心舞い上がっていた。それなのに、後日、豊子の研究室を訪れた際、彼女がイシスのマグカップでコーヒーを飲んでいたのを目の当たりにしたのだ! その時の感動といったら半端なかった! エジプト神話では、オシリスとイシスは夫婦で、あのマグカップはどう考えてもペアなのである! 荘子には「さっさと豊ちゃんをものにしないと誰かに取られるわよ」と何度もたきつけられていたが、正直な話、荘子の言葉ではなく、あのマグカップが、僕が豊子に告白する引き金になったのだった。