第四話 8
念願が叶って、豊子は戸塚大学の講師になり、一月が経った。
「えー、今日の講義は、『死者の書』についてです。死者の書という名前は有名だけど、それは十九世紀のドイツのエジプト考古学者カール・リヒャルト・レプシウスが名付けたものです。死者の書は、直訳すると『日のもと出現の書』になります。死者の書は、パピルスに書かれた副葬品で、新王国時代以降に作られた葬礼文書であり、エジプト人が作った概念が書かれてあります。それは、キリスト教やユダヤ教、イスラム教も踏襲しているものです。
具体的に何が書かれてあるかというと、死者が冥界を通過する時の注意点や魂の保存や保護をする方法などの祈祷文や呪文です。もっと具体的に言うと、ミイラにしてお墓に入れる時、この世からあの世に行って、あの世でどうやって暮らすかなんてことも書かれてあります。あの世は、青空のようなところに浮かんでいると考えられていて、あの世の絵も青い運河で囲まれています。あの世に行って何をするかと言うと、農業などの色々な仕事。それと、あの世でしてはいけない生活の規範。例えば、人を殺してはいけないとか、嘘を吐いてはいけないとか、人の物を取ってはいけないとか、悪口を言ってはいけないとか……。
この世で死んでからあの世に行くまでの七十日間のスケジュールが書かれてあって、七十日経つと冥界の王のオシリスの所に行き、この世からあの世に行っていいかの裁判が行われます。その時に、四十二のしてはいけないことをきちんと守ったかどうかが調べられます。その後、天秤の儀式といって、死んだ人の心臓と「法」「真理」「正義」を司るとされる女神マアトの羽が天秤にかけられ、心臓のほうが重いと嘘を吐いたことがばれて、地獄に落とされるの。個人的な意見だけど、結局、この五千年間、人間がして良いことと悪いことは何も変わっていないってことに、私はびっくりします。
ちなみに、あの世や神様に関することは、すべて聖刻文字のヒエログリフで書かれていて、この後、少し崩した神官文字のヒエラティック、民衆文字のデモティックが出てきます。
さっき出て来た四十二のしてはいけないことだけれど、死者の書の一二五章に書かれてあって、何故四十二かというと、エジプトは日本でいう県にあたる四十二のノモスという地域に別れていて、その四十二のノモスが一つずつしてはいけないことを提案しているということだそうです。要するに、モラルを説いたということです」
豊子は、死者の書の講義が一番好きだった。死者の書の一二五章こそ、エジプトの良心と言えると思っていた。