第四話 4
「お母さん、これ、なあに?」
八歳の豊子は、母の首にかかっている不思議な形のネックレスを指さして言った。楕円形のそのネックレスは、キラキラと金色に輝いていた。
「ああ、これ? カルトゥーシュというお守りなのよ。豊子のお父さんがくれたの。ここにね、良子ってエジプトの文字で書かれているの」
「ふーん」
豊子に父はおらず、母と二人暮らしだった。
「豊子も欲しい?」
「うん」
「これ、豊子にあげたいけれど、良子って書いてあるから豊子のお守りにならないの。豊子は大きくなって素敵な男の人に巡り合えたら、その人に作って貰いなさい。でも、このお守りは、エジプトでしか手に入らないのよ」
「どうして?」
「エジプトでしか作ってはいけない決まりなの」
「そうなんだ。じゃあ、豊子も大人になって、エジプトに行って、結婚する人に作って貰う!」
「うん、それがいいわ。豊子はどんな人と結婚するのかなぁ。楽しみだなぁ」
その会話がきっかけになって、母は豊子に、ツタンカーメンの秘密という児童向けの本を買い与えた。エジプトの王家の谷というところに、三千二百年もの間、誰にも見つからずに、黄金の宝と王様のミイラが眠っていたなんて凄いと豊子は思った。エジプトには、まだまだ宝が眠っているかもしれない。私も大きくなったらエジプトに宝探しに行きたい。そして、宝を見つけて、お母さんといつまでもいつまでも幸せに暮らすんだと豊子は思った。
母は、朝から晩まで懸命に働いているのに、生活は貧しかった。けれども、母は優しい人だった。いつも自分を後回しにし、豊子を慈しんだ。ご飯を食べる時も、母のおかずは、豊子よりいつも少なかった。
「お母さん、もっといっぱい食べて。豊子はこんなにいらない」
「ありがとう。でも、お母さんはお腹いっぱいなのよ。いいから、豊子が食べなさい」
同じような会話を毎日の食事の度に繰り返した。豊子はその度に、小さな胸を痛めた。
そんな優しい母が病にかかり、まだ三十二歳という若さで亡くなった時、豊子は絶望の淵に落とされた。豊子は一週間泣き続けた。親戚の家をたらい回しにされたが、結局、豊子は、児童養護施設に預けられた。
温かいご飯と温かい布団があり、優しい先生たちがいて、何も心配がないはずなのに、豊子は大人になってから子供の頃のことを思い出すと、この養護施設で過ごした時のことが一番胸を苦しめた。自分は、ひとりぼっちになってしまったのだと否が応でも自覚させられた。母のような無条件で甘えられる人が誰もいなかった。いつも周りの子供達に気を遣い、先生達には遠慮した。そして、これから自分はどうなってしまうのだろう?と不安に怯えていた。
しかし、転機は二年後に突然やってきた。自分の父は亡くなっていると思っていたのに、父が豊子を迎えに来たのである。
「豊子! 今まで迎えに来られなくて悪かった! 見つかって良かった! お父さんを許してくれ……」
父は、そう言って、豊子を抱きしめて涙した。そして、豊子の首にかかっていた母の形見のカルトゥーシュを見て、「間違いない。これは、私が良子にプレゼントしたものだ」と言った。