第三話 5
今日の授業は、「戸塚隊の活躍について」だった。
「作治郎教授の最初の大発見は、一九七四年の南マルカタのコム・アル・サマック、魚の丘遺跡の彩色階段である。エジプト考古学史上初の発見だった。この彩色階段は、紀元前一三五〇年の第十八王朝アメンヘテプ三世の王位更新祭を行った祭場である。その後、アメンヘテプ三世のマルカタ王宮や家臣の墓などを発掘した。初めて発掘したのがアメンヘテプ三世に関するものだったので、後にアメンヘテプ三世の墓に行ってみたのだそうだが、砂に埋まり、物凄く荒れていたので修復をした。墓の中には壁画があり、ユネスコと共同で修復し、今では鮮やかな壁画を見ることができる。
その後、一九八四年には、ルクソールの貴族の谷、クルナ村で二百体以上のミイラを発見するが、すべて盗掘後に捨てられたミイラで、身元が判明していない。作治郎教授は、一体一体ミイラを棺に納め、再び丁寧に埋葬したそうだ。
工学部の時雄教授が人工衛星や電磁波地中レーダーの研究をしているのは、みんなもご存じの通りだが、作治郎教授は、時雄教授がハイテク研究に携わるずっと前の一九九二年に電磁波地中レーダーを使い、アブシール南丘陵遺跡を発見している。そして、一九九六年、世界で初めて人工衛星で発掘場所を選定し、遺構を見つけた。ダハシュール北地区のトゥーム・チャペル、つまり、小型ピラミッド付き神殿型の貴族の墓である。その墓は、ツタンカーメン王の側近イパイの墓だった。
翌年の一九九七年には、ツタンカーメン王とアンケセナーメンの銘の入った指輪がそれぞれ発見される。ツタンカーメンの墓以外で見つかったツタンカーメンとアンケセナーメンの指輪をセットで持っているのは、世界でも戸塚隊だけである。そして、トゥーム・チャペルの小型ピラミッドの先端に置かれていたキャップストーンも発見した。
ちなみに、アンケセナーメンとは「アメンの輝く星」と言う意味。随分ロマンティックで綺麗な名前だね。アンケセナーメンは、ツタンカーメンより二歳年上の姉さん女房だったことは、有名な話である。
ちょっと、話が逸れたが、一九九八年には、そのさらに下の層、地下一六メートルの層から、ラムセス二世時代の高官メスの石棺を発見する。長さ約三メートル、重さ五トンの大型石棺だった。
そして、二〇〇五年、ダハシュール北遺跡で行政官セヌウのミイラ、かの有名な『青のミイラ』を発見する」
スクリーンに、青のミイラの写真を映すと、生徒達は一斉に「おお!」と声を上げた。
「先生! この時も、エジプトにいらっしゃったんですか?」
「うん、いたんだよ。初めて未盗掘の墓を探し当てたから、もうみんな興奮してたよ。完璧な形で発見されるということは、歴史的にもとても重要なことなんだ。どの年代のどんな肩書のどんな名前の人間の墓か分かるということだからね。木棺には、『行政官セヌウ、声正しき者』と書かれていた。軍の将軍のような地位にあった人物のようだ。およそ三千八百年前の中王国時代のもので、未盗掘、完全ミイラで発見されたものの中で、最も古く貴重なものであることが分かった。
ミイラの場合は必ずマスクを被る。何故マスクを被るのかと言うと、人間が死ぬと魂があの世に行き、再び戻って来ると古代エジプト人は考え、あの世から帰って来た魂が自分の体に戻る時、顔が分かるようにデスマスクを作り、それを元にマスクを作った。マスクに青が多いのは、空をイメージしていると思われる。魂は空を登り、あの世に行く。青は復活再生の色と言われている。
また、青は水をイメージしているとも思われる。エジプトは数千年の昔から、青を合成して作っていた。天然鉱物に青もあるが、大量に手に入れることは難しい。だから、エジプトでは、青は合成されたと考えられる。何故青がそんなに尊重されたのかというと、エジプト人は砂漠の民であり、水、オアシス、ナイル川に憧れた。その憧れは、つまりエジプシャンブルーを作るという発明に繋がった」
僕の授業で、居眠りをしている生徒は一人もいない。聞くところによると、他の授業では、生徒が居眠りばかりしていて困っているそうである。これも、エジプト文明そのものが、魅力とロマンに溢れている証なのかもしれない。