第三話 3
エジプトのサッカラのナイル川乗船場から、黒木猛はフェルッカに一人乗り込んだ。ギザに行くつもりだった。帆船フェルッカでのナイル川のクルーズは、観光客に人気がある。気持ちの良いナイルの風を肌で感じながら見る水辺のヤシの木や広大な砂漠の風景は、外国人観光客にとっては、まるで夢の世界だろう。けれども、黒木猛にとっては、非日常ではなく、嫌と言うほど見ている日常の光景だった。
黒木猛は、妹の豊子が亡くなってからというもの、暇さえあればフェルッカに乗り込み、ルクソールからナイル川河口までの間を何度も下ったり上ったりした。豊子と隼は、ルクソールからフェルッカでケナに向かう途中、船同士の衝突事故で亡くなった。
黒木猛は、何故妹が亡くなったのか、納得できずにいた。神隠しにあったように忽然と消えてしまったとしか思えなかったのである。だから、今もフェルッカに乗り、妹の痕跡を探し続けている。血の繋がった兄だから当然とはいえ、夫である緑川蘇生介が、日本に逃げ帰ったままでいることが、黒木猛は許せずにいた。
何故、豊子でなく、お前が死ななかったんだ!
お前は俺に、必ず豊子を幸せにすると言ったではないか!
その結果がこれなのか!
あの日、黒木猛は蘇生介にそう叫んだ。
蘇生介は、ただ、「私もそう思います。豊子でなく、私が死ねば良かったと思います」と言って項垂れた。
それなのに、自分もアイツも生き続けた。
「でも、それももうすぐ終わりだ」と黒木猛は呟いた。