第二話 11
小早川愛との電話を切った後、自分で作った簡単な夕飯を食べながら、テレビのニュースを見ていたら、今日の深夜に、台風が東京上空を通過すると告げていた。フランス窓の段ボールを見て、風で飛んでいくかもしれないなと思ったけれど、どうしようもないなとため息を吐いた。窓が壊れたのが書斎じゃなくて居間で良かったとつくづく思った。
普段はニュース以外、滅多にテレビは見ないのだが、白鳥作治郎名誉教授が、発掘調査の資金集めにテレビの特集番組に出演するというので、チャンネルを合わせて見ていた。すると、しばらくして玄関の呼び鈴が鳴った。
「やっと家政婦が来たか」
僕は、ソファーから腰を上げて、玄関に向かった。
しかし、思ったより台風の速度は速かったようで、家中の窓がガタガタと唸りを上げ始め、玄関扉のノブを回した途端、外側に引っ張られるようにドアはバンッと開いた。そして、開いたドアの向こうには、雨合羽を着ているにも関わらず、頭からつま先まで濡れ鼠になっている大小二人の人間が立っていた。
「あのぉ、どちら様で」
「わわ私、と、と、東京トータルケケケアサポートから、ごごご紹介にあず、あずあずかりました家政婦の一条美豊というものです。こここの度は、お電話いたいただき、あ、ありがとう、ごございました。こ、これは、こ今回のけけけ契約内容を書いた書類です。お、おお読みになってサインしていい頂けましましたら、さささ幸いです」
美豊は、ものすごく時間をかけて、小早川愛に書いてもらったメモを見ながら、言葉を発した。
「はぁ? それは分かったけど、この子はなに?」
「私の子供です」
「そうじゃなくて、何故今一緒にいるの?」
「私が母親だからです」
「あのね、住み込み希望だと言ってたよね? 子供が一緒だなんて小早川さんから一言も聞いてないんだけど」
「そ、そうですか……」
「今、小早川さんに電話してみるから、待ってて」
僕は慌てて居間に飛び込むと、小早川愛に電話した。
「だって、緑川先生は誰でもいいから早く寄こせとおっしゃったじゃないですか? 彼女しかうちの会社は派遣できる者がいなかったんです。彼女はまだ二十代で体力はあるし、真面目で良い子です。こんな優良物件は他にはありません。緑川先生のお宅は広いし、お部屋が余ってしょうがないとおっしゃってましたよね? 小さな子供が一人くらい増えたって、何も問題はないんじゃないですか?」
「でも、いくらなんでもコブツキを送ってくるなんて、酷すぎだろ。送り返すから、違う家政婦を寄こしたまえ!」
「そんな人、いません。さようなら」
小早川愛はそう言うと、いきなりガチャンと電話を切った。
「はぁ? なんだ、今の?」
いつの間にか、大小二人の人間は居間に上がり込んでいて、さっきの電話の内容を聞いていた。二人とも、物凄く不安そうな顔をしている。
「しかし、さっきから思ってたんだが、君、どこかで会わなかったっけ? なんだか見たことあるような気がするんだが」
僕がそう言うと、彼女は僕の顔をマジマジと見つめ、突然「あーっ! 思い出したーっ!」と叫んだ。
「私、あなたと会いましたよっ! 歌舞伎町でっ! 私のことを汚らわしいと言ったじゃないですかっ!」
「え?」
「ほら、公園の前で!」
「あーーーーっ!!!!」
「思い出しましたか?」
「うん……。でも、君には子供がいるんじゃないか! なんであんなところに立ってたんだ!」
「お金が欲しかったから! だって、東京の人は、誰も私を雇ってくれないんだもの!」
「子供がいるのに売春だなんて世も末だ! とにかく、俺は君には用はない! 帰ってくれ!」
僕がそう言うと、その若い女子は泣きそうになった。それを見て、「ママをいじめないで!」と幼い男の子は叫んだ。
その時、フランス窓に貼り付けた段ボールが風で吹っ飛び、窓のそばに立っていた僕をめがけて、荒れ狂った風と冷たい雨が襲った。僕はバケツの水を被ったように、全身びっしょりになり、寒さにブルブルと震えた。
「しようがない、今日はもう、さっさと風呂に入って寝なさい……」
気付けば、二人にそう声をかけていた。
第三話に続く