第二話 8
荘子と時雄は仲良くキッチンに立ち、夕飯の支度をしていた。
荘子は、インドネシアで購入したスパイスやソースをずらりとキッチンカウンターの上に並べ、それらを使ってインドネシア料理を作っていた。愛犬のアレックスも料理の匂いに鼻をクンクンさせながら辺りをウロウロしていた。
「ナシゴレンは鉄板でしょ。ありきたりだけど、簡単にできて美味しいし」
荘子は、ケチャップマニスという甘いソースを入れて、具材とご飯をフライパンで炒めていた。その横で、時雄は荘子に言われた通り、香辛料を合わせたタレで下味をつけた鶏肉を串に突き刺して焼いていた。勿論、アレックス用の鶏肉は、何も味をつけていないものだった。
「それねぇ、サテと呼ばれるインドネシア風焼き鳥で、焼き上がったら、ピーナッツソースを付けて食べるの」
「ふーん、荘子の今のマイブームはインドネシアってところか」
「うん、まぁね」
「あ、詩織ね、パパが誕生日祝いに買ってくれた真珠のネックレス、凄く喜んでたわよ」
「それは良かったけど、たまには日本に帰って来いって話だよ」
「まぁ、今のところは無理だよね。向こうでボーイフレンドができたばっかりみたいだし」
「なにいっ?」
「まぁ、いいじゃない。一生行かず後家も親は心配でしょ」
「それはそうだが……。でも、どうして急にインドネシアに行ったんだよ」
「ちょっと急に思い出したことがあったのよ」
「何を?」
「二十八年前の約束」
「はぁ? なにそれ?」
「バリアンって知ってる? インドネシアのバリ島のシャーマンみたいな人のことなんだけど」
「あ、なんか聞いたことがある」
「二十八年前に豊ちゃんとバリ島に釣り旅行した時に、興味本位で自分の人生をバリアンの女性に見て貰ったことがあったのよ」
「へー、それでどうだったんだ」
「私の人生は、ごく平凡だけど幸せだと彼女は言ってたわ。でも、豊ちゃんの人生は、西の国で大変な目に合うと言って、その女性が慌ててたんだよ。そのことをこの間思い出して、彼女の予言は当たってたんだ!と急に恐くなったの。それと同時に、二つ目の不幸が二十八年後に起きるから、二十八年後にあなたはもう一度私を訪ねなさい、その時に予言が降りてくるから、話してあげると豊ちゃんに言ったの」
「え? 豊子ちゃんは亡くなったのに?」
「うん。だから、私が代わりに会いに行ったわけ」
「その人、何歳くらいの人? ちゃんと会えたの?」
「うん、それが会えたんだよ。彼女、今年八十二歳になると言ってた。しかも、私のことを覚えててくれてたの! もうすぐあなたに会えるんじゃないかと思ってたと言ってたわ」
「よっぽど印象に残ってたんだな。それで、二つ目の不幸ってなんだったんだよ」
「東の国で二人の人間が争う。それを止められるのはイシスだけ、だって」
「なんだそれ? イシスって、エジプト神話に出てくる女神のことじゃないか」
「私もイシスって何ですか?と訊いてみたんだけど、『私にはわからない、イシスという音が聞こえるだけだから』と言ったの」
「なんだか、漠然としすぎてるな。本当なのかよ、その話」
「でも、一つ目の予言は当たってたんだし……」
「二人の人間というのは、すぐに思い浮かぶけど」
「兄貴と黒木猛さん?」
「うん。でも、アイツらの喧嘩って、そんなに大げさなものじゃないと思うんだよな」
「確かに……。豊ちゃんのお葬式以来、あの二人は、一度も顔を合わせてないみたいだしね」
「そうだよ、大体接触する機会自体がないんだよ。豊子ちゃんがイシスというなら分かるよ。実際、二人の仲を取り持ってたし。でも、彼女はもうこの世にいない……」
愛犬のアレックスは焼き上がった鶏肉を貰ってご満悦のようだったが、荘子と時雄の胸中のわだかまりは、その後も消えることはなかった。