第二話 6
「さて、授業も終わったことだし、時雄の部屋でお茶でも飲むか」と彼の研究室を訪れたら、時雄はいつになく真剣にパソコン画面を眺め、画像をどんどん拡大したかと思うと、突然「おお!」と叫んだ。
「なんだ? 何か発見したのか?」
「大発見だよ!」
近寄って覗いてみると、砂漠の真ん中に四角い枠があった。確かに、どう見ても、人工的なものにしか見えない。
「おい! ここには絶対何かある! お前、今すぐエジプトに行け!」
「俺に言わずに、親父に言えよ」
「またそれか」
時雄は、そう言いながら「今日のヤツはとっておきだからな」とコーヒーを淹れてくれた。
一口すすってみると、確かに、今日のコーヒーはいつものコーヒーと違い、まろやかでコクがあった。
「このコーヒー、滅茶苦茶高いから心して飲め。東京だと、一杯八千円するところもあるらしい」
「はぁ?」
「しかし、お前、いつまでそうやって燻ぶってる気だよ。お前の妹は、お前と違って人生を謳歌してるぞ」
「え? さっき、荘子に会ったばっかりだが、いつもの荘子だったぞ。荘子が何かやらかしたのか」
「コピ・ルアクって知ってるか?」
「知ってるような知らないような……」
コピはおそらくコーヒーのことだろうから、当てずっぽうで、「もしかして、このコーヒーのことか?」と言ったら、時雄は「当たり!」と言った。
「ジャコウネコの糞コーヒーだよ」
僕は、それを聞いて、口に含んでいたコーヒーをぶっと噴き出した。
「汚ねぇな! お前さぁ、もったいないことをするなよ」
「でも、まさかの猫の糞コーヒーとは……」
「安心しろ。きっちり洗ってるそうだから」
「問題はそこじゃない。さっき、野良猫に家の中を引っ掻き回されて散々な目に合ったから、猫は嫌いなんだよ。何が八千円だ! 俺は絶対八千円も払わないぞ!」
「でも、美味いだろ?」
「……」
「この間、ちょっと留守にするからと言って、荘子が出かけて行ったんだが、全然帰って来ないので心配してたら、五日後にケロッと帰って来て、『インドネシアに行って来た』と言うんだよ。その時の土産なんだよ。バリ島に行ってたらしい」
「なんでまた?」
「旅行に行く前に、インドネシアの映画を見てたから、それに感化されたんだろうな」
「昔から突拍子もないことをするヤツだと思ってたが、年を取ったら落ち着くかと思ったのに、ますます自由度が増してるな。アイツ、しょっちゅう家に来てるし、通訳の仕事もやってるんだろ? いつそんな時間があるんだよ」
「まあ、子育てが一段落したしな。今は詩織がいるオーストラリアに移住するために、色々準備してるんだとさ。インドネシアで詩織と会ってたらしいよ」
詩織とは、今年二十二歳になる彼らの一人娘で、現在、オーストラリアの大学に留学している。
「おい、ちょっと待て! 今、オーストラリアに移住すると言ったな?」
「うん、それがどうかした?」
「アイツ、いつも家に来ては、この屋敷は子孫の私達が守らなきゃいけないんだとかなんとか、ぎゃあぎゃあ喚いてるんだよ! オーストラリアに移住って、屋敷を守る気なんかアイツには最初から無かったってことじゃないか」
「まぁまぁ、そう言うなって。屋敷じゃなくて、お前が心配だから帰ってるんだと思うよ」
「……」
「『インドネシアには遺跡も世界遺産もいっぱいあるし、兄貴はエジプト文明から卒業して、インドネシアに住めばいいのに。そしたら、オーストラリアから近いじゃん』とかなんとか言ってたよ」
「冗談じゃない! なに、勝手なことを言ってるんだ!」
僕だって、自分自身のことをいつまでも立ち直れない情けないヤツだと思っている。でも、立ち直るということは、豊子と隼のことを忘れろということなのではないか? 豊子は、僕以上に才能があって、人間的にも優れた非の打ちどころのない人だった。豊子によく似た隼も、僕よりも随分優しい子だった。そんな二人を忘れることなど到底できない話だった。