最終話 4
ケナの遺族に案内された家の主人は、サイードという四十過ぎの男性だった。二十年前の事故が起きた日、彼はたまたまルクソールにいたのだと言う。
「あの日、私は、通っていた大学が長期休暇に入ったので、ルクソールの友人の家に遊びに行っていました。ナイル川沿いに彼の家はありましたから、庭に出て川を眺めながら、たわいもない話を彼としていたのです。あの日は朝から晴れていましたし、砂嵐が起こる気配も全く無かったのを覚えています。だから、急に突風が起こるなんて誰も想像していなかったと思います。でも、夕方から急に風が強くなって、看板や折れた木の枝など、色々なものが飛んできたのでびっくりしました。庭に出ていたので、慌てて部屋の中に入ろうとしたのですが、友人が突然『大変だ! 人が流されている!』と叫んだのです。友人は急いで家からロープを持ち出して来て、二人でロープを持って流されて行く人を追いかけました。でも、どんなに懸命に走っても、流されて行くスピードがあまりにも速すぎて追いつけないんです。流されていたのは、アジア人の女性と子供でしたから、おそらくあなたの奥様とお子さんだろうと思います」
「そうでしたか……」
「奥様は、最初はお子さんと一緒に砕けた船体の切れ端につかまって流されていたのです。でも、私達の姿を見つけて、必死で川縁まで泳ぎ、お子さんだけを切れ端につかまらせて、奥様は手を離したんです。切れ端が、あまりにも小さく不安定だったからだと思います。彼女は、子供だけでも助かって欲しいと思っていたに違いありません。その後、しばらくして、奥様の姿は見えなくなりました。
それなのに、結局、私達は、お子さんを助けることができなかったんです! お子さんは、無残にも下流に流されて行ってしまいました……。
私は、今でも奥様とお子さんのあの姿を思い出すと、泣けて仕方がありません。もっと早く気付けなかったのか、何か他に方法はなかったのか、ずっと自問自答するばかりです。本当に本当に申し訳ありませんでした」
サイードは、涙ながらに僕にそう話した。僕は涙を流しながら「ありがとう」と何度も何度も口にし、彼の体を抱擁し背中を撫でた。