二度目の話し合い
一区切りです。
「……はい?」
奇しくも、私は昨夜と全く同じ事を言っていた。意識したわけではない。勝手に漏れたのだ。だって、私は何を謝られているんだろう?
「えっと……何に対しての謝罪なのか、伺ってもよいでしょうか」
はっきり聞いてみた。うだうだ考えるより聞いた方が早い。この人には、遠慮する必要をあまり感じなくなったので。侯爵様が顔を上げる。
「……私の、昨夜のあなたへの態度だ。あれから色々考えて……謝罪しなければと思ったのだ」
「……続けてもらっていいですか」
「あ、ああ。……昨日、あなたが出て行ってから、一晩考えたんだ」
「一晩!? 寝てないんですか?」
「気が付いたら朝だった……」
なんと。今朝、クマができている気がするとは思っていたけど、本当に寝ていないとは……。
「確かに私は、自分のことばかりであなたの事を全く考えていなかった。あなたにはっきりと言われるまで思い至ることもなく、自分の主張を押し付けるだけだった……」
その通りですね、とはさすがに返しづらい。本当にその通りなんだけど。
「あなたに謝罪しなければならないとは思ったのだが、あんな別れ方をした以上、どのように話をすればいいのか悩んでしまい……」
なるほど。朝食に誘われたのはそういう理由だったのか。しかし中々話が切り出せないまま時間だけが過ぎていったと。
「恥ずかしい話だが、職場の上司にも相談したんだ。そうしたら『絶対に謝った方がいい。一緒に食事をした後でお茶に誘って話せばいい』とアドバイスを受けた。だができれば先延ばしせず、夕食の席で話が出来ればよかったんだが……」
結局はお茶の時間――つまり現在まで引き延ばしになってしまったという事だ。上司の言う通りになっている。
しかし職場の上司に相談したって……どこまで話したんだろう。私がはしたなくもテーブルを叩いた事や、偉そうな口をきいたことも話してしまったのか。確かめたいけど、知らない方がいい気もするので触れないでおこう。
「それでは侯爵様は上司に言われて謝ろうとしたのではなく、自分で謝ろうと考えてくれたということですか?」
「も、もちろんそうだ! 私が悪いという事は分かっている!」
侯爵様は大慌てで否定した。私が何を疑っているのか分かったらしい。この様子だと、嘘じゃなさそう。ということは、あの話し合い……話し合いというかお互いの主張をぶつけ合っただけだけど、あの場は意味があったということだ。そして侯爵様が謝罪してくれたのなら、私も謝罪しなければならない。私は背筋を伸ばして頭を下げた。
「私も、申し訳ありませんでした。侯爵様に対してあってはならない態度や言葉遣いをしたうえ、最初に話し合いを持ちかけておきながら、あなたの話を聞くことを拒否しました」
「そ……れは……」
侯爵は、まさか自分が謝られるとは思っていなかったようで、驚いたように何度か瞬きをすると、そのまま項垂れた。
「あなたが謝ることはない。全て私の態度が招いた事だろう。あなたは話し合いを申し出てくれたのに、私の方が拒否したのだ。……そう取られて当然の態度を見せた」
「侯爵様……」
(何となく思っていたけど……この人、見かけによらず結構うじうじ悩むタイプなのね。いや、見かけで判断したら駄目だったわ)
とてもそうには見えないけど、繊細な人なのだろう。私なんかよりもずっと。
もしかしたら、侯爵様は侯爵様で結構苦労してきたのかもしれないと、私は初めて思った。顔が怖いからという理由であれこれ憶測を立てられて、怪物か何かのように恐れられて。謂れのない噂に傷ついたこともあるかもしれない。この人は確かに戦争で武功を立てられるほど強い人だが、心も強靭であるとは限らない。
私は首を振って思考を切り替えた。
「もうよしましょう。お互いの非を認め、謝罪しあったのならもうお互い様だったという話で終わりです。もっと建設的な話をした方がいいと思います」
「建設的……?」
「はい。私達、もっとお互いに歩み寄れるみたいですから。今後の事を一緒に考えましょう」
「今後というと、これからの結婚生活についてという事だろうか」
「えっ……ええ。そうなりますね」
結婚生活、と改めて言われると不思議とむず痒い。夫婦の語らいとかではなく、役割分担をしようという話なのになぜ……私に結婚したという自覚がないからだろうか。結婚式とかの、結婚を自覚するようなイベントがなかったからかな。やりたいとも思わないけど。
「ぜひ、話し合おう。――私の事は、ウィルと呼んでくれ」
名前どころか愛称で呼ぶことを許されてしまった。
「では、私のこともユリシスと呼んでくれて構いません」
「ああ。……ユリシス」
「え、はい」
どうぞとは言ったけど、急に呼ばれて驚いてしまった。心の準備ができていなかったので、不覚にもどきりとする。
「君は、私から目を逸らさないな。私の事が恐ろしくないのか」
「はい?」
「私は……人を委縮させやすい。体が大きいこともそうだが、顔が怖いと誰にでも言われる。戦争での傷跡で、より恐れられるようになった。昔からガディエンス家に使えてくれている使用人達や、本当に近しい人達は気にするな、逆に利用しろと言ってくれた……軍人としては見るだけで相手が委縮してくれるのは助かるが、日常的には少し……疲れる」
「ああ……そういうことですか」
侯爵様……ウィル様の言いたい事は分かった。
やっぱりウィル様は、自分の顔が怖いことを気にしているんだ。顔だけでなく、でかいことも。軍人としては恵まれた体躯、威圧を与えられる顔だけど、本人は誰にも彼にも怖がられることが嫌なんだ。
「確かに気になることはあります。……ウィ、ウィル様の右目は見えているんですか?」
よし、呼べたぞ。ちょっとどもったけど呼べた。
ウィル様はそんなことを聞かれるとは思わなかったと言わんばかりに目を見開き、そっと右目に手を伸ばした。左目の視線が、私から逸らされる。
「……正直、ほとんど見えない」
「そうなんですね……」
やっぱりそうなんだ……。あれだけひどい傷だから、そうじゃないかと思っていたけど。
「隠そうとかは考えないんですか?」
「……やはり見苦しいか?」
「そうではなく。見えづらいなら、いっそ隠した方が見やすいと聞いた事があります。……確かに死角であることを周囲に知らせてしまう危険もありますが、日常的に不自由していたら同じことです」
「うぅむ……」
「前髪を伸ばして隠すだけでも違うと思いますよ。……無理強いをしたいわけではないので、ウィル様がお困りでないならいいんです。その傷はあなたが戦いを生き延びたことの証なので、恥じたり、なかったことにする必要はありません」
「……そんな風に言ってくれる女性がいるとは思わなかった」
「何か仰いましたか?」
ウィル様が何か呟いたように思ったのだけど、聞き返してもウィル様は緩く首を振った。何でもないとのこと。でも絶対何か言ったような……気になるじゃんか……。
「――すまない。話が脱線してしまった。君の言う通り話し合おう」
「……はい」
もう先程の話を続ける気はないようだ。それなら食い下がっても仕方ない。私はおとなしく引き下がった。確かに、そろそろちゃんと話をしないと深夜になってしまう。私はともかく、ウィル様は明日もお仕事なのだから、あまり夜更かしさせては申し訳ない。
私はティーカップに手を伸ばし、軽く持ち上げてウィル様に視線を向ける。ウィル様は今回も私の意図をきちんと理解してくれて、同じようにティーカップを手に取った。
「「乾杯」」
グラスではなくティーカップで、私達は夫婦になって初めて乾杯をした。紅茶はおいしく、お菓子は甘い。対面に座るウィル様の表情も、どこか柔らかい。昨日はお茶もお菓子もなかったし、ウィル様は不機嫌にさえ見えた。
(……もしかしたら、うまくやっていけるかもしれない)
結婚を告げられた一昨日と、嫁いできた昨日。全てがどうでもよくなっていた。でもウィル様は、私が言った事を真摯に受け止め、改めて話し合いの場を設けてくれたのだ。
ウィル様はでかいし顔も怖いしちょっと突っ走りやすい傾向もあるけど、ちょっと気弱なところもあって繊細で……可愛い人だ。
昨夜、散々むかっ腹を立てた事を少しだけ忘れて、これからの結婚生活に少しだけ希望が見えてきたと感じたのだった。
ここで終わってもいいかなとおもったのですけど、もうちょっとだけ続きます。