謝罪
侯爵さまがもじもじしっぱなしです。次辺りまでだと思います。
夜になると、侯爵様が帰宅された。昨日と比べるとかなり早い。
当たり前に昼ごはんがなかった私は、やっぱり水だけで夜まで凌いでいたので、これ幸いと侯爵様のお出迎えにいった。
「おかえりなさいませ」
「あ、あぁ……」
遅れて現れた私に、侯爵様が分かりやすくうろたえた。こんなに大きい体が分かりやすくびくつくのだから、なんだか面白い……と思ってしまうのは私の性格が悪いのかしら。
「侯爵様、今朝のお話の続きはどうしますか?」
「あ!? あ、あぁ……そうだな。じゃあ、夕食の席で……大丈夫か?」
「もちろんです」
よし、夕食確保。この流れを期待してわざわざ出てきたんだもの。使用人達が慌てているのは、私の分が用意されていないからだろう。いいのよ、今から頑張ってちょうだい。
侯爵様が自室に下がり、私も自室へ戻る。この隙に着替えをする。今朝は不意打ちだったけど、夕食は予測していたから、晩餐の為の衣装に着替える準備をしてあったのだ。別に晩餐に招待されたわけじゃないけど、侯爵様や使用人達を「あっ」と言わせたくて。まぁ手伝いの侍女がいないので、自分でできる範囲だけど。
着替えが終わった頃に、夕食の支度が出来たと使用人が声をかけに来た。靴も履き替えてから部屋の扉を開けると、そこに立っていたのはこれまで私を呼びに来ていた使用人とは違う女性だった。私と同世代、もしくは年下かもしれない。おどおどした初々しさから、まだ使用人として勤めて日が浅いのかも。彼女は目を白黒させて私を頭のてっぺんからつま先まで眺めた。うーん、無遠慮。この子が女性でなければ不快感しかなかったよ。
「何か?」
「あっ!? も、申し訳ありません。あまりにもお綺麗だったので……」
お綺麗!? 初めて言われた。ちょっと照れる……。
「あ、ありがとう。一応夕食の席に招待された形だから、着替えてみたの。一人でやったから、髪とかはもう適当だけどね」
「そう、なんですね。……申し訳ありません。私は髪結いが得意でないので……」
問題なのはこの子が髪結い苦手な事ではないんだけど、言っても仕方がないので黙る。しかし、この子は私に対してあまり嫌悪感を抱いていないらしい。使用人の全員に嫌われているわけではないのかな? それならちゃんと探せば、私に味方してくれる人もいるのかしら?
「ねぇ、あなたお名前は?」
「は!? はい、私、ノノです!」
ノノさんか。覚えておこう。
「ノノさん、よろしくね。私はユリシスよ」
「は、はい! よろしくお願いします、奥様……!」
奥様。……そうか。私、奥様だったわね。誰にもそう呼ばれないし、そんな扱いも受けてないから、ちょっと忘れてた。
「ありがとう。……ノノは私を迎えに来てくれたのよね? もしかして、侯爵様をお待たせしているのかしら?」
私が指摘すると、ノノは真っ青になった。
「そそそ、そうでした! 私、奥様をお迎えに来たんです!」
「じゃあ行きましょう。これ以上お待たせしたら悪いわ」
「はい! ではこちらへ……」
食堂へは今朝も行ったから場所は分かるけど、お迎えが来たのだから一緒に行く。
部屋を出ると、ノノは一言も口を利かなかった。使用人としては当たり前なのだけど、どこか委縮しているようにも見える。……おそらく、他の使用人の目を気にしているのだろう。この家の使用人の全てが私を嫌っているわけではないけど、嫌っている人の方が多いのは明らかだ。多分、私と親しいように見られるのは都合がよくないのだろう。私も、今は彼女を守る地盤を持っていないから、仲よくしようとは思わない。我が身可愛さでいいよ。
食堂へ入ると、侯爵様は今朝と同じ場所に座っていた。そして同じように、私の入室に気付くと席を立つ。しかしここからは違った。今朝はホッとしたようだった侯爵様が、今はポカンと口を開けて私を凝視している。怖い顔がちょっと間抜けに見えていいかもしれない。
「侯爵様、お待たせして申し訳ありません」
私が声をかけると、凝視したまま固まっていた侯爵様がようやく動き出した。
「あ、あぁ……すまない。その、昨日や今朝と随分違うので……」
随分違う、ね。「綺麗」とかではないのね。ふーん。別にいいけどね。
「昨日も今朝も、突然のことで準備ができていなかったので。失礼がないよう着替えてきたのです」
「そうか……」
「はい。お見苦しくはなかったですか?」
「そ、んなことはない」
何で詰まったんだろう。お見苦しかったかしら。というかこの人、今朝から私と話す時いつももごもごしていない? 何なの?
「……」
「……はっ、すまない。座ってくれ。食事を始めよう」
「はい」
今度は私が促す前に戻ってきてくれたわ。安心して座る。今日もお昼抜きみたいなものだから、たっぷり食べさせてもらうわよ。
食事はやっぱりおいしい。何だかんだ、侯爵家よね。態度は悪くても腕は確かだわ。
食事に夢中になっている間、二人の間に会話はなかったけど、食べることに忙しくて無言は気にならなかった。おかしいな? と思ったのは、食事が終わった頃である。満腹になっていた私は、割と気が緩んでいた。軽い気持ちで侯爵様に話しかける。
「侯爵様、お話の方をお聞きしてませんでしたね」
「! あ、あぁ。それなんだが、私の部屋で話そう」
「え?」
「駄目だろうか?」
「そんなことはありませんけど……」
では、どうして食事を一緒にと言われたのだろう。私はありがたかったけど、侯爵様が食事を終わってから私を呼び出してもよかったのでは?
一応夫婦だから、とかいう考えは、私の頭にない。
「いえ、何でもありません。大丈夫ですよ」
「よかった。では行こうか」
侯爵様が立ち上がり、私は後に続く。昨日と全く同じ流れだけど、一つ違う事がある。私が、昨日よりも動きにくい格好をしている事である。普段履かないような高いヒールでは、昨日よりも侯爵様に追い付くのは絶望的だ。食後のいい運動どころの話ではない。とにかく必死に歩いて、ようやく到着する頃には、侯爵様が自分の部屋の前で私を待ってるという妙なことになった。侯爵様は何とも言えない表情で私を見ているし。悪かったわね、足が遅くて。
「……すまない」
「? 何がですか」
「いや……」
歯切れ悪いわね。本当に何なんだろう。この方、最初の威勢はどこへ行ったの?
侯爵様は昨日と同じようにソファを勧めてくれた。遠慮なく座る。でも今度は、座る前からバランスを考えて腰かけた。あー、やっと足を休められる。侯爵様も私の向かいへ腰を下ろした。ここまで昨日の再現のようだけど、今日は何を話すつもりなんだろう。
「……」
「……」
昨日はもったいぶることなく話し始めたのに、今日は沈黙。気まずいんだけど。
「侯爵様? お話というのは?」
「……少し待ってくれ」
「?」
首を傾げていると、ノックの音が聞こえてきた。あら、と思っていると、ワゴンを押した使用人が入室してきた。ワゴンにはお茶とお菓子の用意がされている。あら、あら、あら。
お茶を持ってきたのは、ノノさんでも最初に案内を務めた女性でもない、見た事ない女性だったが、彼女は私を睨むことも侯爵に媚を売ることもせず、淡々とお茶の用意を進めて、終わると静かに退室していった。使用人の鑑みたいな人ね。
「……どうぞ。お茶を飲みながら話そう」
「あ、ありがとうございます……」
何だ、どうした。昨日からは考えれないくらい気を遣われている。ちょっと怪しいくらいだけど、厚意はありがたくいただこう。お菓子もおいしそうだし。
お茶を一口飲むと、やっぱりおいしかった。お菓子にも手を伸ばす。おいしい。おかしいな、さっきまで満腹だと思ったのに。どんどん入るぞ。
「その……」
「あ、はい」
お茶とお菓子にほぼ意識が向いていた私は、ちょっと慌てて侯爵様へ意識を向けた。侯爵様は指を組んだまま、お茶にもお菓子にも口をつけていない。何と言う事だ。私はティーカップをソーサーへ戻し、膝の上に手を置いて背筋を伸ばす。「聞いてますよ」という姿勢だ。それを確認されたわけではないが、侯爵様が指を解いて私を見つめる。その目が、これまでとは違う気がした。それを示すかのように、彼は頭を下げた。
「――すまなかった」
ユリシスが着替えたのは、ちょっと自分の印象を変える為です。
舐められているな、と思ったのでちょっと気張ってみた感じです。
侯爵は固まっていましたが、使用人達もちょっと驚いていました。