夫婦の初夜
遂に侯爵が登場します。
前話もそうでしたが、半日=十二時間というより、半日=朝から昼、昼から夜みたいな感覚で使っています。
侯爵様は、深夜になって帰ってきた。
私が部屋に通されてから侯爵様がお戻りになるまでの半日、私の部屋に誰かが声をかけに来ることはなく。つまり私は夕食も提供されていない。侯爵様の帰りを待っているつもりだったが、さすがにお腹は空いたし、軽食でも頂こうと部屋を出ると、まぁ突き刺さる視線。適当な使用人に声をかけると、あからさまに嫌な顔。食事の話をすると、盛大なため息を吐いてから面倒くさそうに去っていき。かなーり待たされた後、出てきたのは賄いの残りのような冷めたスープと小さなパンだった。侯爵様の夕食の予定がないなら、私の分がなくても仕方ないよね、うん。
いやおかしいよ。別に豪勢な食事を期待していたわけではない。でも私は嫁いできた身なのだ。こっそり侵入したわけではない。何で誰も「お食事どうされますか」とか聞きに来ないの。お茶とかも出されなかったし。いいけどね。でもそれなら水差し頂戴って言って嫌な顔しないでよね。
半日足らずの間に言いたい事は山ほどたまり、私はこっそり部屋を出て廊下をうろついていた。
これまでの仕打ちから見て、侯爵様がお戻りになっても絶対誰も知らせてくれないだろうから、些細な変化も逃すまいと部屋を出てずっと待機していたのだ。案の定、侯爵様の帰宅に使用人たちがざわめき、お出迎えの為に玄関へ向かう様子を見ても、誰も私の部屋へ報せには来ない。知ってた。
私は急いで玄関へ向かった。使用人達は皆玄関へ向かったらしく、誰も私を咎める者はいない。いいんだか悪いんだか不明だが、誰も見ていないことをいいことにずんずんと進んでいく。やがて廊下の壁が途切れ、吹き抜けの玄関ホールを見下ろせるようになる。向かう先、使用人に出迎えられている人を見つけた。
「侯爵様」
気が付くと、私は声を張り上げていた。玄関ホールに集まっていた人達が、一斉に私を振り返る。
うっ、恥ずかしい。淑女がする事ではないが、この屋敷も淑女にすることではない事をしているのでおあいこだ。何だこの理論。
私を見つめる視線に一切好意的なものはないが、慣れたものだ。私は駆け降りるようにして階段を降り、玄関ホールへ降り立った。使用人に囲まれた、ひときわ大きな人物――侯爵様の真正面に立つ。
この人が、私の旦那様。
(……でかい)
第一印象、でかい。これしか浮かばない。私は同世代と比べても平均的な身長をしているはずだが、見上げるほどに大きい。侯爵様はこれまで見たどんな男性よりもでかかった。
それだけではない、侯爵様は鍛えていることが一目で分かる立派な体躯をしていた。背がでかいのもそうだが、もう存在がでかい。圧倒的な存在感だ。そして見上げた先にある顔は、右半分にひどい怪我を負ったことが窺える傷跡があった。目は見えているのだろうか。心配になるほどの傷跡だ。しかし無事な方の左半分の顔は目鼻立ちが整っていて、傷を負う前はさぞ美丈夫だっただろうことが分かる。だが眼光が鋭すぎて怖い。台無し。眉間に皺が寄り、周囲全てを威嚇しているかのようだ。
熊のような大男とは誰が言い出したのか、熊というより狼のような印象を受けた。手負いの狼。
総評して、でかい手負いの狼というのが、私が初対面の夫、ウィルフレッド・ガディエンス侯爵に抱いた感想である。
とりあえず、笑顔で挨拶。
「お初にお目にかかります。ユリシス・メルデンでございます。侯爵様の妻として、嫁いでまいりました」
「……話には聞いていた。今日だったか」
低い声は、怒っていたり驚いていたりはしていない。
「そういえばそうだっけ」みたいな感覚。私が嫁いでくるという事は伝わっていたけど、日にちまでは意識していなかったということか。何だ、怒っていいのか?
「つきましては、ぜひお話したい事がありまして。お時間いただけますか?」
表情筋を頑張らせて、笑顔を保ったまま提案する。すかさず非難の声が飛んだ。
「侯爵様はお疲れなのです――」
候爵様に最も近い位置で、他の使用人達よりも一歩前に出ている。執事長と思われる男だった。明らかにムッとしているが、侯爵様が手を振って黙らせた。
「いいだろう。私も話しておきたいことがある」
おや、意外。使用人がこんななだけで、侯爵様はまともそうだ。よい関係が築けるかも。
「私の部屋で話そう。皆は下がってよい」
侯爵様は皆を下がらせると、私にはついてくるように言った。エスコートはなし。
……いいけどね! 私は侯爵様の後を必死に追った。歩幅が違うので本当に必死。くそ、間違ってかかと踏んでやりたい。でも届かない。何でそんなに足が長いのよ!
足元だけを見て歩いていたからどこをどう歩いたのかよく分からなかったが、侯爵様が足を止める頃には、私はすごく疲れていた。息を整えながらちょっと辺りを見回したけど、私の部屋とは全然違う場所みたい。もしかして、侯爵様の部屋から一番遠い客室に通されたのかも。
「どうぞ」
侯爵様に促され、お邪魔する。私が通された客室よりはるかに広く立派だった。当たり前だけど。調度品はごてごてしていないけど、良いものだと分かる品。いい趣味をしている。
「掛けてくれ」
侯爵様に促され、私は失礼してソファへ腰かけた。ふわふわすぎてバランスをとるのが難しい。これをベッドにして寝たいくらいだわ。
全身に力を入れて座っている私とは対照的に、侯爵様は無造作に腰を下ろしたまま動かない。体幹がしっかりしていて羨ましい。
「まず、君に話しておきたい事がある」
「はい、どうぞ」
私は頷いて、侯爵様に先を譲った。私の話は、侯爵様の話を聞いた後で構わない。そう思っての判断だった。しかし――。
「単刀直入に言わせてもらう。これは契約結婚だ。君を愛するつもりはない」
ここから次の話にかけてを書きたかったので、正直このあたりで満足し始めています。
頑張ります。