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イヴリンの話

番外編としてイヴリンについて少し。

彼女の消息は不明ですが、どうやってここまで来たかの足取りの方ですね。

全話中一番長いです。

もちろん、読まなくても大丈夫です。


 イヴリンは、マーレイ侯爵家の長女だった。

 いずれは当主になる兄と違い、嫁ぎ先を見つけて家を出ていく立場にある。

 結婚相手の理想はあるかと父に聞かれた時、イヴリンは『公爵家か侯爵家の嫡子』とだけ答えた。実家よりも家格が低い家に嫁ぐことは全く頭になかった。どれだけ裕福な商家であろうと、平民の家へ嫁ぐなんて考えられない。

 現当主である父親は不承不承であったが納得し、イヴリンがまだ少女であった頃には希望通りの縁談を見つけてきてくれた。

 その相手が、ガディエンス侯爵家の嫡子であるウィルフレッドだった。

 彼はイヴリンが見てきた殿方の中で群を抜いて大きく、そして顔が怖かった。顔合わせの当日、イヴリンはあまりの恐ろしさに彼を直視できなかったくらいだ。父には叱られたが、彼も怖かったらしい。イヴリンは唇を尖らせた。


 「あんなに顔が怖い人と結婚なんて無理!」

 「だが、こんなによい相手は他にいないぞ。お前の希望通りの侯爵家の嫡子だし、王家のおぼえもめでたいから、いずれは王太子殿下の側近になるかもしれないんだぞ」


 魅力的な肩書だが、夫としてはどうなのか。確かに振る舞いは紳士的だったけど、二人きりになってもほとんど会話なんてなかったし、やっぱり顔が怖い。でも、王家のおぼえもめでたいとなると、もしかしたら将来は公爵になることもあり得るかも……。

 考えた末に、イヴリンは正式にウィルと婚約することにした。

 自分の役目は、ガディエンス侯爵家に嫁いで跡継ぎを生むこと。その後は自分の好きなようにしよう。だから婚約者との交流も、特に必要はない。

 イヴリンは割り切ることにしたのだった。婚約者からお茶でもどうですか、といった手紙が来ても断っていたし、会うのが難しいなら文通をしたらどうだという父の提案も断った。お互いに利益を求めての結婚なのだから、仲を深める必要はないと考えていたのだ。

 その考えが変わったのは、イヴリンの誕生日にウィルからプレゼントが届いた時だった。中身はネックレスだったのだが、シンプルなデザインにも関わらず、イヴリンが持っている宝飾品のどれよりも高価な石がついている。どんなにおねだりしても絶対に買ってもらえないような品に、イヴリンは感動した。

 

 ――同じ侯爵家なのに、こんなに違うなんて!

 

 目立った功績のないマーレイ家よりも、王家にも注目されているガディエンス家の方が裕福で将来が有望である事を身をもって体験したイヴリンに、もう結婚への迷いはなかった。


 「見て、見てお母様! とっても素敵なネックレス!」

 「まぁまぁ、素敵な物をいただいたわね。ちゃんとお礼の手紙を書くのよ」

 「え――……」


 面倒に思ってむくれるイヴリンだが、母はそんな彼女を苦笑して窘める。


 「駄目よイヴリン。もらってばかりじゃなく、お礼の気持ちを示さないと。次に続けてほしいなら尚更よ」


 面倒だと思いながらも、母のいう事に一理あると思ったイヴリンは、初めてペンを手にとり、ウィルへの手紙を書いた。誕生日を祝ってくれた礼と、とても嬉しかったこと、来年も楽しみにしていることをしたためた。

 彼女の手紙は誰かが検閲することなく、そのままガディエンス侯爵家へ届けられた。それを読んだウィルが何を思ったかなど、イヴリンは知らない。

 

 この後、誕生日だけでなく定期的に贈り物が届き、イヴリンはその度に礼の手紙を書いた。逆に言えば、それ以外にアクションを起こすことはなかった。これが、婚約者二人の唯一の交流だったのである。イヴリンの方は、贈り物どころかウィルの誕生日すら知らない。

 しかし年月が経つと、茶会や夜会など、婚約者の同伴を求められることが多くなった。イヴリンはウィルと並んで歩く自分の姿が想像できなくて、ほとんどを断ってやり過ごしていた。どうしても欠席できないものは仕方なく同伴をお願いしたが、二人の間に会話らしい会話はなく、挨拶が終わったら早めに解散するようなことが多かった。

 イヴリンは、この頃になってようやく自分と婚約者の関係があまりよいものではないと気付いた。今までは他と比べる機会がなかったし関心がなかったのだが、夜会などに出るとどうして他所に目が行く。自分がそう感じるのだから、ウィルもある程度感じているだろう。そして焦りを覚えた。


 ――婚約解消なんて言われたらどうしよう。また一から婚約者を探すなんて冗談じゃない!


 適齢期を間近に控えた今、ウィル以上に条件の合う相手が、誰とも婚約せず余っているなんて考えられない。何が何でもウィルと結婚しなければ。

 そう考えたイヴリンは、ウィルとの親交を深めることを考えたが、やはり二の足を踏む。顔は怖いし会話もない婚約者、魅力はその地位と財力。一緒にお茶をしたいとか、そんなことは考えられなかった。それでもどうにか関係を改善しなければと考えた結果、彼女はウィルの家へ突撃することにした。

 事前の約束を取り付けずに訪問したものだから、当然にウィルは留守にしていた。しかしイヴリンがウィルの婚約者だと知ると、使用人達は喜び歓迎してくれたのだ。大いに歓迎されて帰路に就いたイヴリンは、馬車の中で閃いた。


(そっか。ウィルが留守の時にくればいいんだわ。ウィルと顔を合わせる必要なく、使用人達と仲良くなっておけば嫁いだ後も安心だもの)


 我ながら名案である。

 自画自賛したイヴリンは、早速その作戦を実行し、それは結果的に成功した。

 どうしても予定が合わなくてと言いながらウィルがいない時を見計らって訪ねていき、使用人達と交流する。使用人の中には、会いたくても会えない婚約者の元へ足繫く通う姿に感動する者もいれば、さすがに妙ではないかと首を傾げる者もいたが、後者はすぐにいなくなった。大義名分ができたからである。

 ウィルが、戦地へと赴くことになったのだ。彼は王家へ忠誠を誓った侯爵家として、病で療養中の父に代わり軍を率いて出征していった。

 イヴリンはこれ幸いと主のいない屋敷へ出かけていき、次期侯爵夫人として使用人達を励ました。使用人達は以前にも増してイヴリンを歓迎し、感謝していた。

 イヴリンがすっかりいい気になっていた頃、運命の出会い――当時はそう思っていた――が訪れた。子爵家の三男、ゴードンと出会ったのである。

 ゴードンは、イヴリンがこれまでの人生で感じた事のないときめきや、求められることの喜びを教えてくれた。顔立ちもそれなりによく、体を鍛えたことなどなさそうな吹けば飛ぶような細身はいかにも貴族の放蕩息子と言った体だったが、イヴリンにはそれすら好ましく思えた。

 婚約者を持つイヴリンと、子爵家の三男という低い身分のゴードン。許されざる恋という燃料を投下されて、二人の愛はますます燃え上がった。

 婚約者であるウィルの不在と、娘を甘やかし放任していたマーレイ家。そして同じく末息子に甘かったゴードンの実家。様々な事情が絡み合い、イヴリンとゴードンは長きに渡り不倫のような関係を続けていたが、終戦の報せが二人の幸せに終わりを告げる。

 婚約者のウィルが戦功を挙げて帰還することは喜ばしい事のはずなのに、イヴリンは大いに困っていた。

 ゴードンと愛し合っている今、ウィルと結婚することなんて考えられない。しかも、彼は顔にひどい傷を負い、以前にも増して恐ろしい形相になっているという。とてもじゃないが、面と向かって会う気すら起きない。

 イヴリンはゴードンへ泣きついた。自分を連れて逃げてほしい、と。

 恋は盲目。彼なら自分の為に何でもしてくれると思ったのだ。そしてゴードンはあろうことかこれを了承し、二人は持てるだけの金を持って逃げ出した。ここで初めて、二人の実家である両家はとんでもない不倫関係を知ることになる。

 イヴリンは知る由もないが、戦争から帰還して間もないウィルへ、マーレイ侯爵とその夫人、次期当主である兄は平謝りしていた。イヴリンを勘当すると宣言して婚約の破棄に応じ、賠償金も支払った。そして今にも死にそうな顔をしたゴードンの父もすっ飛んできてウィルへと土下座し、ゴードンの勘当、それからできるだけの慰謝料を支払った。

 ウィルは、自分にも非があったと認めて金銭の支払いをそれほど求めなかった。彼女と自身の関係の希薄性は、自身の責任でもあると認めたからだ。同時に、元々なかった結婚へ対する意欲は完全に失われた。顔の醜い傷は国王や王妃ですら顔を引きつらせるものだったのだ。この先、伴侶が自身の隣に並ぶ未来が想像できなかった。

 そしてイヴリンとの婚約は事情があって解消されたと使用人達へ説明した。彼らは大層残念がり、惜しむ声も多かったが、ウィルは「決まった事だ」と繰り返すだけだった。


 さて、恋人ゴードンと手を取り合って逃げ出したイヴリンだが、その逃避行はあっけなく終わった。資金が尽きたのである。

 持てるだけの金や宝飾品を持ち出し、売るには惜しいものまで金に換えたが、それらはすぐになくなった。二人は、互いを求めあうことはしても、二人で生きていく術を探そうとしなかったのだ。要は働かなかった。そして贅を惜しまない。食って寝てだけを繰り返していたはずなのに、逃亡資金はあっという間になくなり、二人は困窮した。

 金の切れ目が縁の切れ目とはこのことか、愛し合っていたはずの二人は喧嘩が絶えなくなり、関係は悪化。そしてある朝イヴリンが目覚めると、傍らの男はいなくなっていた。イヴリンはこれに憤慨したが、恋の熱はすっかり冷めていたので、むしろすっきりさえしていた。

 しかし問題は、この後の事だった。ゴードンがいなくなった以上、ここにいる意味はない。イヴリンは迷うことなく実家へ戻った。しかし待っていたのは一族揃っての凄まじい説教。既に勘当しているから二度と帰ってくるなと放り出されてしまった。誤解だと訴えても取り付く島もない。

 当てもなく街を彷徨う事になり困ったイヴリンは、運よくとある貴族の男の目に留まり、愛人として別邸へ迎えられることになった。

 侯爵家よりも低い爵位の家で、愛人。抵抗がなかったと言えば噓になるが、今後の生活の心配をしなくてよくなることの方が重要だったので甘んじて受け入れた。それに男はどうも、正妻に内緒でこっそりとイヴリンを囲っているようで、あまり頻繁には訪れない。基本的には自由に寛いで、お金の心配せずに好きな物を好きなだけ買っていいという夢のような生活だった。イヴリンは自分の幸運を喜び毎日を怠惰に過ごしていた。

 しかし夢は長続きしないもの、ある時男が青い顔でやってきてイヴリンに告げた。『正妻にばれそうだ、ばれたら私も君も殺されてしまうから近々出ていってほしい』。これを聞いたイヴリンは納得がいかず怒りを覚えたが、男の生傷の多さにぞっとして頷いた。手切れ金はたんまり貰えるが、それでもこんなことを繰り返す度胸はない。一所(ひとところ)に落ち着きたいが、実家は入れてもらえそうにない。

 いよいよ困り果てたイヴリンが耳にしたのが、「傷侯爵が結婚する」というものだった。傷侯爵というのが、ウィルへつけられた蔑称のようなものであることは知っていた。そこに「婚約者に逃げられた」という意味も込められていることは知らず、顔の傷を指すものだと思っていたが。

 噂では、傷侯爵は結婚相手を探しているが見つからず、遂には金で解決して、どこぞの伯爵令嬢が嫁ぐことになったという。それこそ、名前が噂になって届かないくらい、無名の伯爵家。

 自分よりも格下の伯爵家の女が、あの、イヴリンの家同然の侯爵家で、ふんぞり返って女主人として振舞う。

 それが許せないと思うと同時に、そこは自分の居場所だと強く思う。


 ――ガディエンス家へ行こう。元々嫁ぐ予定だったから、第二の実家のようなもの。どこかの格下の女が嫁ぐより、元々嫁ぐ予定だった私が戻ってきた方が、ウィルも使用人も喜ぶに決まっているわ。


 イヴリンは自身の思い付きを早速実行するため、ガディエンス侯爵家へ手紙を出した。ウィル宛ではない、ガディエンス侯爵家である。ウィルではなく、使用人達に読んでほしかったからだ。

 かつてウィルを裏切って婚約破棄したと思われているかもしれないがそんなことはない事、男に騙されて連れ去られたこと、軟禁されていたが何とか逃げ出し、身を隠している事。そして早くウィルの元へ戻りたいと言った事を書き記した。

 やがて返事が届くと、それは執事長のカーソンからだった。イヴリンがホッとして返事を読むと、『イヴリンを信じていた。旦那様は無理やり決められた結婚に大変心を痛めている、助けてほしい』と言ったことがしたためられていた。

 イヴリンは大いに安堵した。使用人達が婚約破棄の騒動をあまり詳しく知らないらしいこと、ウィルが手紙を読んでいないらしいことに。

 ウィルは使用人達に甘い。というか、全幅の信頼を置いている。つまり使用人達にうまく取り入り、彼らが外堀を埋めてくれれば、一度は破棄された婚約でも、ウィルは考え直し、最終的には頷くだろう。新たな結婚相手に不満を抱いているらしいところも、イヴリンには都合がよい。


 「よかった。これで、今後の心配をする必要はなくなるわね」


 ウィルと顔を突き合わせての生活に不安は残るが、彼は仕事で家を空けることがほとんどだ。当初の予定通り、自身の義務を果たしたら、好きにすればいい。それなら文句も言えないはず。


 「そうだわ。ウィルがくれたプレゼントのネックレス。お金に換えてしまったから、同じものを探して買わないと。イヤリングも揃えたいわね」


 訪れぬ将来に思いを馳せるイヴリンは、幸福な未来を信じて疑わない少女のようであった。


お読みいただきありがとうございました。

イヴリンはウィルと向き合う事はしなかったし、使用人達へも嘘をついていました。

使用人達はその嘘を信じてイヴリンを迎えた被害者…かもしれませんが、彼らは彼らの理想を追い求めてしまい冷静に考えれば「おかしい」「本当にそうか?」と思うようなことを無意識に見ないようにしていました。ウィルへ黙ってイヴリンを招いたのも、驚かせたいと思ったわけではないです。どこかで「言えば反対される」と思っていたんでしょうね。

ウィルは使用人達へ婚約破棄の理由を語っていないので、想像力を働かせる余地もありました。

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