それから、これから
本編完結です。
ここまでお付き合いいただきありがとうございます。
それから。
ガディエンス家の使用人達は、解雇、降格、減給など……ほぼ全員が何かしらの処分を受けることになった。この処分に異議があれば聞くと言っても、誰も異を唱えなかった。甘んじて受け、心を入れ替えて勤めたいということらしい。
解雇されたのは、数人の上級使用人達だ。上役であることを盾に取り、下級の使用人へいじめや脅迫まがいの事をしていた。彼らがいなくなって仕事がしやすくなるところもあるかもしれないが、その穴を埋めるのは大変なはずだ。悪いと思っているのなら、その分めいいっぱい働いてもらおう。
また、言われるまで私も気付かなかったのだが、私宛に少なからず届いていた手紙は、全て使用人達が隠していたらしい。実家にいる時は手紙が届いた事なんてなかったけど、侯爵家の妻となった私への挨拶やお茶会へのお誘いなどが来ていたようだけど、全て私の元へは届かなかった。それでもさすがに捨てる度胸はなかったらしい。
おかげで私は、予想外に謝罪の手紙を書く作業に追われてしまった。『今更
』みたいにならないか心配だったけど、そこはウィル様もお力添えしてくれるようだったから、何とかなるかもしれない。
他にも、解雇した使用人達の紹介状を用意したり、新たに使用人の募集を検討したり。とにかくやることはたくさんあった。
そんな感じで、ウィル様の三日間の休暇はあっという間に終わりを迎えるのだった。
「ウィル様、全然休暇じゃなかったですね」
休暇最終日の夜、ウィル様の部屋で食後のお茶を頂きながら、休暇前より疲れたように見えるウィル様を見て思わず言ってしまった。
ウィル様が休暇を取ったのは私が嫁いできてから初めてだったはずだが、互いに忙しすぎて、用事がある時以外は食事の時しか顔を合わせることが出来ていなかった。私は明日も引き続きお手紙を書いたり家の事を勉強したりだけど、ウィル様は仕事へ行くのだ。この三日間で溜まったお仕事が待つ城へ。
休暇中は家の仕事をして、休暇が明けてまた仕事へ。
ちょっと可哀想。精神的にも疲れているだろうから、尚更。
「まぁ、そうだな。だが今回は仕方がない。その為の休暇だったから」
「普段の休みはもっとゆっくりできているんですか?」
「休みは滅多にないが……多少は、まぁ」
何とも歯切れが悪い。ほとんど休みが取れていなかったんだなということが分かってしまった。確かに、王太子殿下の直属で働いているのなら忙しいだろうけど……。
「お休みはきちんと取ってくださいね。ウィル様、疲れていると顔が怖くなりがちです」
「うっ……気を付ける」
ウィル様がしょんぼりとお茶を飲み、ふと私の方を見た。
「怒っていなければ怖くないのか? 常日頃から、怖いと言われているが」
そう言われて、ウィル様のお顔をじっと見る。傷侯爵の由来の一つでもある右顔面の傷は前髪で隠れ始めており、左は鋭い目つきではあるものの、初めて相対した時に比べて随分と柔らかい。
「そうですね。むしろ……」
「むしろ?」
続けようとした言葉に気付いてハッとした。
「何でもないです」
「何でもなくはないだろう」
「本当に何でもないです」
しらばっくれながら、私はある事を思い出した。
エディ様をお招きしたあの日、彼にも同じようなことを聞かれたのだ。
『そういえば、ユリシス。君はウィルの顔が怖くないのだって?』
友人であることを強調する為、私達は互いに名前を呼び合うようにしていたが、ぎこちなさが残る私と違い、エディ様は本当に長年の友人のように気軽に私を呼んだ。
『怖くないというか……まぁ、そうですね。傷は痛ましいですし、目つきが鋭いしとても大きいから、威圧感というか圧迫感というかは感じますけど』
『なるほどね。「傷侯爵」とまで呼ばれて、国王陛下でさえちょっと引いたあの傷を、痛ましいで済ませるのか。面白い子だね。――そういえば、ウィルは傷侯爵の他に熊みたいとかも言われてるんだっけ。そっちはどう?』
揶揄うようなエディ様の言葉に、私は驚いて首を振った。
『傷なんて、ウィル様が気にしないならどうでもいいですよ。それから熊を連想することはありませんでした。どちらかというと、手負いの狼みたいだなって』
『あぁ――分かるかも。言い得て妙だ。君は人を見る目があるね』
『そうでしょうか? でも今は、狼じゃないんですよ』
『へぇ? 今は何なの? 教えてよ』
ぜひ聞きたいと身を乗り出すエディ様。私は少し悩んだけど、ウィル様には秘密にしてほしいと前置きしてから、こっそりと囁いた。
『……犬です。ウィル様、元々可愛いなって思う事がちょくちょくあったんですけど、今は本当に、懐いた犬みたいに可愛いって思う事がたくさんあって』
もう狼には見えないかも、と呟くとエディ様は爆笑していた。
絶対に秘密にしてほしいと念押ししたのに、帰り際、危うく漏らすところだったわよね、あの人。
「ユリシス?」
名前を呼ばれて、思考が引き戻される。首を傾げて私を見つめるウィル様に、笑い返した。
「確かにウィル様のお顔は怖いかもしれませんが、かっこいいですよ」
「かっこいい?」
「はい。私はかっこいいと思います」
嘘ではない。ウィル様のお顔が左半分しか無事ではなくても、元々素敵な方だったのだろうと分かるくらいにかっこいい。
ただ、かっこいいと思っているのと同じくらい、可愛いと思っているけどそれは言わなくていい事である。
「……そうか」
「ええ!」
にっこり笑って肯定すると、ウィル様が顔を背けた。照れている時のしぐさである。可愛い。
「……あなたは」
「はい!」
「あなたは、可愛いな」
ほんのりと頬を染めて、はにかむように笑った顔でそう告げられた。
私は不覚にも言葉に詰まってしまった。可愛いと言われたことに反応してしまったこともそうだけど、だけど……。
(ウィル様の方が可愛い!)
喉まで出かかった言葉を何とか呑み込んだ。そうすると、今度は可愛いと言われた事実の方に赤面してしまう。
「……私の事を可愛いというのは、ウィル様くらいですよ」
「それはよかった」
(何がいいの!?)
よく分からない。自分の目が曇っているかもとか思わないんだろうか。
でも、ウィル様を可愛いというのも私だけみたいだから、私の目も曇っているのか?
(……ないわ。ウィル様は、間違いなく可愛い。異論は認めない。……でも、それを誰かに知ってほしいとかは、別に思わないわね。……あれ、そういうことかな)
結論が出た。ウィル様の可愛さは私が知っていればいい。なのでウィル様がいう私の可愛さとやらも、ウィル様だけが知っていればいいとかそういうことなのだろうか。だから「それはよかった」なのかな?
……何で真面目に考えちゃったんだ。恥ずかしさが増した。
不覚にも真っ赤になって俯く私を、ウィル様が揶揄うように覗き込んでくる。
「ユリシス? 照れているのか?」
「! て、照れていません! ウィル様こそ、照れていたでしょう! 可愛く誤魔化そうとして!」
「か、可愛く!? 何を言っているんだ!?」
しまった墓穴!
恥ずかしさのあまり余計なことまで口走ってしまった。私は飲みかけのお茶を惜しむことなく素早く立ち上がり、
「今日はこれで失礼します!」
逃げるように――いや実際にウィル様の部屋から逃げ出した。
「あ、ユリシス!?」
ウィル様の呼び止めるような声が聞こえたけど、今は無理!
自分の部屋へ逃げ帰る途中、「奥様!?」なんて声も聞こえたけど、応える余裕がないまま、自分の部屋を目指して走る。ええ、走ってます。
取り残されたウィル様が、本当は隣の部屋――当主の妻である侯爵夫人の部屋への引っ越しを打診しようとしていた事なんて、この時の私には知る由もなく。
真っ赤になった頬を抑えながら、自室へ逃げ込むのだった。
ようやく終わりました。ありがとうございました。
あと二本ほどおまけを追加す予定です。