虚構的ストーリー
夜。吹雪に閉ざされたとあるコテージ。そこで殺人事件が起きた。
現場に偶然居合わせた探偵が告げた「犯人はこの中にいる」友人同士の集まりだっただけに信じがたいという感情、恐れと疑念が全員の身体を覆った。
そして……
「……ねえ、どうしたの? 一度、あの探偵さん抜きで集まろうだなんて」
「正直、勘弁してもらいたいね。あの探偵にしつこくアリバイを聞かれて今日はもう限界。さっさと自分の部屋で寝たいよ。あんなことがあったしな」
「な、なあ。彼は自分の妻を殺されたんだぞ……もう少し、思いやりを。え、えっとほら、元気出しなよ」
「出せるかよ。せめて犯人が捕まりゃあ……あ、まさかあの探偵が犯人とか」
まさかぁ、と笑う四人。しかし、彼らをこの部屋に集めたその男はくすりとも笑わず、皆が自然と黙るまで待ち、言った。
「……実は聞いてほしいことがあるんだ」
「え、待って。なに? なんなの? なんか怖いわ……え、もしかして犯人に心当たりが?」
「心当たりも何も、あの探偵が言うにはこの中に犯人がいるんだろ? 失礼な話だよな。あんなの迎え入れなきゃよかったんだ。道に迷ってしまい、なんて無視してさ」
「そ、そういうわけにはいかないだろう、この吹雪だし。でも、だからこそ他に侵入者はなし。このコテージには僕たちとあの探偵さんしかいなくて、その探偵の彼が違うとなると必然的にこの中に、と」
「自首を促そうってわけか。まあ、俺じゃないから他の三人か」
と、一人が冗談めかして言い、他の三人がおいおいと笑って流すが、どこか険悪な空気が漂ったその時、彼が言った。
「いや、実は犯人はおれなんだ」
「……え?」
「は……?」
「ん?」
「いや、ん?」
「妻を殺害した犯人はおれなんだ。ああ、でもおれは妻が殺される前、常に他の誰かと一緒にいたっていうアリバイがあったな。トリックは簡単だ。みんな知ってのとおり、あいつは女優くずれだ。だからおれはこう持ち掛けた。みんなを驚かせてやろうって。つまり死んだふりのドッキリだな。実際に死んでいるかどうか脈をとって確認するのは夫であり医者であるおれなのは自然な流れだから問題なかった。そうだろ? まあ、あの男が実は探偵だったのは驚いた。『犯人はこの中にいるんじゃないか?』って、まったく、肝を冷やした。でもやると決められた以上、仕方がなかった。『このまま妻をここに放置しておくなんてかわいそうだ』と言って運び込んだ空き部屋で実際に殺した。つまり、あの時点では死んでいなかったわけだ。ああ、動機は妻の浮気だ。おれは離婚すると言ったんだが妻は応じず、むしろこっちがDVしただのなんだのでっちあげて、私のいうことを聞かないとあなたを破滅させてやると、あいつご自慢の演技力で悲劇の妻を演じてみせるとか、そうのたまったからで――」
「いやいやいや、ちょっと!」
「すげー語るじゃん……」
「えっと……なんで? 自首?」
「まだあの探偵が真相を暴くとは決まっていないのに、え、こっちが言うのも変な話だが諦めたのか?」
戸惑う一同。彼は大きく息を吐き、言った。本題はここからなんだ、と。
「ここは……ミステリー小説の世界なんだ」
「え……ん?」
「……ああーっと、そうか、お前疲れてるんだな。ちょっと休めよ。ワインでも取ってくるか?」
「違う。じゃあ聞きたいんだが、なあ、君はどこの大学出身だ? 学部は? 血液型は? これまで付き合った人数は? 幼い頃の思い出は?」
「な、なによ。矢継ぎ早に……」
「頭に浮かばないだろう。そこまで練られていないんだ。君という人物の設定がね。なぜなら君は、いや我々は所詮脇役だからだ。ほら、言えるのは名前くらいだろう?」
「い、いや、私は、新戸静香はK大学の……」
「K大学ってどこだ? アルファベットが頭につく大学って何だ? 他のみんなはどうだ? 浮かぶか? 今すぐに言ってくれよ。できないよな。胸と頭にぽっかり穴が空いているだろう。それこそが証拠! 虚構だ! この世界は虚構なんだ!」
「もういい、やめて!」
静まり返る一同。荒ぶる彼の呼吸音、そして涙を呑む音が部屋に溶けていく。
「彼女は、彼女は殺されたんだ……この世界によって……」
「ま、待てよ。俺は信じられないぞ。俺は、三宮茂というこの人間は確かに存在するじゃないか!」
「強がるのはもういい。もうわかっているだろう? それにあまり時間がない。もしかすると、本来ならばもう二、三人、殺されていたところかもしれないが、おれがこうして話している以上それは起こりえない。で、あればあの探偵は朝までにこの事件を解決するだろう。まったく、本来なら名もなき殺人鬼が妻を殺し、吹雪の中を逃走したと見せかけるところだったのに、まさか名探偵が居合わせるとは、はっ、おれもツイてな……違う。危ない、油断するとすぐこれだ。ミステリーの世界に引き戻されそうになる」
「だからそんなの、お前の現実逃避……クソッ! ああ、脳が気持ち悪ぃ……お前はどっちなんだよ。この話、信じるのか? なあ」
「僕は……志野哲也という人間は確かにここに存在しているとそう感じるよ。でも……その一方でどこか、ははは、まるで自分が死んだことに気づいていない幽霊のような、そんな気分になってくる。……彼の話、本当なのかもしれない。信じたくはないけどね。君はどうだい?」
「俺は……妹がいる気がする。ははは、気だとさ。いるならハッキリとわかるはずなのにな。不思議だなぁ。こうやって妹のことを思っているとぼんやりとあぶり出されるように頭の中に浮かんでくるんだよ。ああ、ほら。歳は十八らしい。今大学生だ。俺は、郷田隆介は何歳だ? ああ、三十代前半か。みんなもそうだな。高校時代の友人だもんな」
「そんなの、当たり前、あ、うぅ……」
「もう十分だろう。おれだって信じたくなかった。おれが、妻が、そしておれたちのこの関係も何もかもすべて、ディナーのように用意されたものだなんて。……でも、気づけた。もしかすると、ここには数多あるミステリー小説のその虚構感。違和感の残滓が寄り集まっているのかもしれない。使い捨てにされた登場人物たちの無念が、彼らが教えてくれたのかも」
「……わかったよ、お前の主張は」
「三宮くん、本気なの……? 本気で彼のこと信じるつもり? ふふふっ、私ね実は気づいちゃったことがあるの。犯人が誰かについて多分、重大なこと……ああ、これね、ミステリーの世界に引き戻される感覚って。怖い……」
「ははは、次殺されるのって多分、君だったね」
「で、どうするんだ? 探偵に話して説得するのか? 事件を解決しないでくれって」
「いや、それはおそらく無理じゃないか? 今思い返すとあの探偵、危ない目をしていたぞ」
「それは多分、今まで死体を見過ぎたからじゃないかしら……」
「主役が脇役の言うことに聞く耳持つかな……事件に関係する話以外に」
「ああ、無理だろうな。しかし事件が解決したらあの探偵はどうなるんだ」
「この世界とともに消えるか、あるいはシリーズものなら他へ行くか」
「もし消えちゃうのなら説得できないかしら?」
「無理だってば。事件を解決するためだけに生まれた存在なんだよ。もはや彼が殺人鬼に思えてきた」
「クソッ、こんなところにいられるかよ! おれは部屋に戻る……いや、なんでだよ。ああ、クソッ、この感覚か」
頭を抱える一同。重たい空気が漂う中、彼が口を開いた。
「……おれに、一つだけ考えがあるんだ」
そして、本来ならば多くの人間が待ち望んだであろう、その時が訪れた。
「皆さん。こんな夜明け前に集まっていただき申し訳ありません。ですが……知りたいでしょう? 誰が彼女を殺したかを。昨晩、ひとりひとりアリバイを確かめ、そして私はある人物に疑念を抱きました。完璧……すぎるとね。まるでこのコテージを覆う雪のように真っ白だぁ……。目覚めを確信していたはずが、今や永遠の眠りについてしまった白雪姫を殺した犯人は、あな――ぐっ、な、皆さん、何を!? どういう、あ、あ、犯人は――」
「犯人は……おれだよ。一ノ瀬信二だ。そして」
「新戸静香」
「三宮茂」
「志野哲也」
「郷田隆介」
「我々が犯人だ」
事件が解決すればこの世界は用済みになる。何も残らない。だから……あの探偵を殺すんだ。
一ノ瀬はあの後、そう言った。探偵、つまり主人公は作者の分身だ。それが死ねばこの物語もまさに迷宮入り。つまり、我々はこの世界に永遠に存在することができるんだ。消耗品のまま、目の前であの探偵に滔々と推理を披露され、悦に浸る様をただ見ているだけか。
それに対する彼らの答えはこうであった。
新戸、三宮、志野、郷田は探偵が一ノ瀬を指さすのと合図に一斉に飛び掛かり、探偵の体を抑えた。そこへ一ノ瀬が妻を殺すのに使用した包丁を構え、探偵の胸の中に飛び込む。
骨にあたった感覚がし、一ノ瀬は一度包丁を引いた。血が探偵の服から滲み、刃先についた血が赤いカーペットの上に落ち、色を濃くした。
探偵とそれを抑える彼らは崩れ落ちるように床に尻をつけた。
そこへ包丁を振りかざす一ノ瀬。その腕を新戸が掴む。
まさか、ここにきてやめろと? そう思った一ノ瀬は目を見開き、新戸を見つめたが、新戸はただ一言「貸して」
一ノ瀬は素直に包丁を渡した。それはその後の行動が手に取るようにわかっていたからに他ならない。
「やめ、ゴホッ、やめろ!」
新戸は探偵の喉目掛けて包丁を振り下ろした。すると、ケーキに蝋燭を挿すようにすんなりと突き刺さった。そして震える新戸が手を離すと包丁はピタッと直立。探偵は目を剥き、やや寄り目になってそれを見つめた。
他の二人と一緒に探偵を押さえている三宮が後ろから包丁の柄を掴む。三宮はググッと力を込め、メリメリと肉を引き裂きながら抉るようにして包丁を探偵の体から抜いた。すると探偵はまるで溺れるようにゴボゴボと喉を鳴らし、ヒーッヒーッと叫んだ。目には涙を浮かべ、未だ自分の身に起きていることが信じられないようであった。
志野が無言で三宮に手を伸ばす。三宮は包丁を手渡し、探偵を押さえることに集中する。
志野が探偵の前に回り込み、そして暴れる探偵の足を自分の膝で押さえつけ、狙いを定めると両手で握った包丁をその胸に突き立てた。
体重をかけ、グググッと前のめりになり、やがて探偵の体に肘をつき、覆いかぶさるようにしてバランスを取る。
その肩を郷田が叩く。もう探偵を押さえる必要はなさそうだ、彼はそう判断した。
志野が探偵からどくと、探偵の口からヒューと息が漏れた。肘で肺を圧迫していたのだろう。探偵はほんのわずかに安らぎを得た。
包丁を受け取った郷田はどっぷりと血にまみれた刃を眺め、そして変に力がかかったためか歪んでいることに気づいた。
が、もうどうでもよかった。自分でも驚くほど冷静であり、抵抗感は抱いていなかった。これは多分、儀式のようなものだ。そう禍々しいものではないやつの。彼はそう思った。
そして郷田は包丁を再び探偵の喉に突き刺し、胸へ下るように切り裂いていった。
床に大の字になり息絶えた探偵。彼のシャツは色濃い赤に染まりそれはズボンにまで広がっていた。部屋には血の香りとわずかに刺激のある、恐らく探偵が漏らしたのだろう尿の匂いがした。
探偵の遺体を見下ろす彼ら五人は今一度自分の名前を口にした。血液型も。生年月日も。そしてその場に座り込むと土の中から芽が顔を出すように、ぽつぽつと話を始めた。それはまず近況報告から始まり、大学、高校、さらにその思い出話は幼少期まで遡った。
やがて、部屋に朝日が差し込むと彼らはドアを開け外に出た。
晴れた空の下、輝く白い世界。まるで初めて目にする光景かのように、穢れ無き雪を踏みしめた彼らは、はしゃぎ、笑い合い、そして悟った。
ああ、主人公は我々だったのだ、と。