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幻の国  作者: 紫草 友紀子


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第五十一話 倭国王万歳

 倭国王帥鳴の夫人が初めて亡くなったのは、もう三十年以上前のことだった。

 彼には部族たちの長の娘をはじめとして、十二人の妻がいたが、最初に亡くしたのは第十三王子帥大の母であった。


 彼女は帥大を産み落とすと同時に、息を引き取ったのだ。


 帥鳴が自分の容姿と美に関して、異常なこだわりを持ちだしたのはその頃である。その頃から彼は、倭国の女たちが到底知らないような美容法を実践しだし、自らの肌と髪を磨き上げ、適度な運動をし、到底実年齢には見えぬほどに若さを保っていた。

 人々はその行動にも若さにも驚きを隠せなかったが、王の権力が強まった今、改めてその姿を見ると、不思議と神秘的に感じられ、自然に畏敬の念を持たずにはいられなくなっていた。


 今や倭国、半島、出雲に及ぶ絶大な権力を持ち、男の特徴と、女の美しさを兼ね備えた不老の王は、もはや人ではないのでは無いかとすら思わせる。


 王の務めである葬祭の帰り、葬儀用の白い衣と弔い用の化粧(白粉と朱を唇と目尻に塗ったもの)をした倭国王帥鳴を乗せた輿の脇道には、白衣の遺族たちがひれ伏していた。風に翻る衣やなびく黒髪、そして背筋を伸ばしてまぶたを閉じた倭国王の姿は、王でもあり巫女のようである。


 あたりにはまだあちこちで銅鐸の音が響き渡っており、その様はまだ儀式が続いているようだった。


 この音が鳴ってる間は、この世とあの世がつながっているのだ。

 そこに少年の甲高い声が響いたのは、もう太陽がもっとも高くなろうとしていたその時である。


「王様――」


  物を乞うように少年は輿の前に飛び出した。すぐに護衛の者たちが矛で構えたが、相手のまだ細く頼りない姿と声を確認して、いくらか力を抜いた。

 薄汚れた顔の少年は、美豆良(みずら)を結ってはいなかった。


「生口の子どもが王様に何のようだ。あっちへ行け、無礼者」


  護衛の中で唯一雉の羽のついた兜を被り、毛並みの美しい馬に乗って前に出たのは、第三王子の帥響の息子であるワカタだった。


 ワカタは相手の姿を下から上へと眺めると、この少年が脅威では無いが汚らしいと判断し、追い払うように少年の顔の前で矛先を払った。しかし少年は怯むことなく、鋭い眼差しをワカタに向けた。


「違うよ。おいらはもう生口じゃねえよ。父ちゃんが戦で死んじゃったけど、その功績でおいらや母ちゃんは下戸にしてもらえたんだ。それでおいら、王様にお礼が言いたかったんだ」


 少年の言葉に興味を持ったのか、あるいはその瞳が尋常で無いほどにひたむきに輝いていたからなのか、帥鳴は怒り出すワカタに押さえるように掌で合図して制止した。


「小僧、父を亡くして気の毒に。私を恨むか」


 王が直接自分に声をかけてくれたことに、少年は震えて跪いた。


「い、いいえ、とんでもありません。確かに父ちゃんが死んじゃったのは悲しいけど、おかげで生口の身分から抜け出すことが出来ました。おいらの家族はずっと生口で、王様が決まりを変えてくれなかったら、ずっとそのままでした。でも、王様のおかげで、功績のあった者は出世が出来ることになって、残された家族にもそれが引き告げられることになって、本当に感謝しているんです。おいらだけじゃありません。みんな、王様に感謝しているんです」


 少年は叫ぶように言うと、涙を流してひれ伏した。先ほどからずっとひれ伏している者たちの中にも、肩をふるわせて泣いている者がある。恐らく、この少年と同じような身の上の者たちだろう。


 帥鳴は長い睫の瞳を細め、うむと頷く。


「お前も成長した暁には、この倭国のために尽くすが良い。お前の髪が伸びて、美豆良を結えるようになったら、王宮に来い。私の目の前で、結わせてやろう」

 信じられない栄誉に少年が歓喜し、拳を握りしめてまた号泣すると、帥鳴は輿を進ませた。


「倭国、倭国王万歳!」

 どこかからかはじまった小さな声は、集まり熱気を帯びて夏の雨のように響き渡りだし、遠ざかる王の輿を見送るのだった。


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