二親等とか四親等とか、そんな問題 3
華宵ちゃんに曲は半日で覚えてくると言われて練習は火曜日からになって、放課後にようやく新制プラスアルファ(仮)のメンバーである萌亜、眞友ちゃん、レムレ先輩、綴ちゃん、華宵ちゃんが揃いました。
「萌亜、初めてのスタジオです♪」
「それでもバンドマン? まあお兄ちゃんの家の方が環境良いから仕方ないけど。華宵も来たことないし」
「スネアとスティックしか持ってこれないだなんて、ドラマーには不便だね」
「エレンさん。調整は綴がします。昨日、月虹君の家で普段使っているというドラムセットを拝見しました」
「88鍵のシンセサイザーって借りられるんだったかな」
綴ちゃん以外は初めての練習スタジオ。今日も朝から先輩には逢えませんでしたが、流石にまた練習のためだけにお家を借りるのは気が引けるのと先輩がいないのに華宵ちゃんを本当のご両親がいる家に上げるのはどうなんだという気遣いもあって、唯一の経験者の綴ちゃんにお願いして予約を取って貰ったんです。
「ここは綴の父方の姉が経営しているスタジオです。学割と親戚割引を使って借りましたが、人数の問題で広い部屋が必要だったので1時間三千円になります」
「たっ、高いです! バンドマンって練習にそんなにお金かかるんですか?! 三時間いるので九千円です!?」
「安い方だけど。本来六千円の部屋半額にして貰ってるんだから文句言うんじゃないわよ。あと五人で割り勘だから、一人千八百円よ」
「おぉう、リーズナブルです」
「追加のアンプやシンバル、キーボードは無料にして頂きました。既に設置済みですのでご安心ください」
「神夜先輩のお家の環境って、凄く恵まれてたのかな」
眞友ちゃんの言うとおりです。高い機材だらけでしたし、何よりドラムやキーボードは毎回運搬していたら練習始める前にヘトヘトになっちゃいます。先輩のエフェクターボードなんて運ぶのに車が必須ですし。
リハーサルスタジオはとっても綺麗で、内装は白で統一されていました。綴ちゃんの親戚だというお姉さんに二階の十二畳ほどある部屋に案内して貰い、白いフローリングの部屋で各自セッティングを始めます。
「朝比奈さん、真空管の方使っていいから。華宵はリターン刺しするからJCでもいいし」
「JC? 女子中学生です?」
「ジャズ・コーラスよ! そんなことも知らないの貴方」
「真空管の方が音が良いってことはせんぱいから教わりました。あと萌亜でいいですよかよちゃん♪」
「じゃあ……萌亜さん。あと、別にスタックアンプでも良いのはあるわよ。華宵のなんてデジタルだし」
「この緑のですか?」
萌亜は華宵ちゃんが重そうにカートで運んできたラックケースを見ます。
「Kemperも知らない? それお兄ちゃんから貰ったの、下のフラクタルと一緒にね。その時にお兄ちゃんのボグナーの設定をプロファイリングしたリグも一緒に入れて貰ったから、アンプの音はかなり似てるわよ。ハイブリッドノットみたいな特殊なエフェクターを使う曲はフラクタルだけじゃ難しいけど、お兄ちゃんのボードを完全再現するのとか無理だし」
確かにあの超巨大システムをもう一つ用意するのは大変そうです。それに既製品だけじゃないって言っていました。
「それで、なにやるの?」
ラックから足下のエフェクターボードを経由して伸びるシールドをギターに差した華宵ちゃんが、準備万端と言わんばかりにギターを肩から下げるとそう訪ねた。
「萌亜、この曲やってみたいんです♪ なんか音が沢山あって楽しそうです♪」
昼ちゃんから送って貰ったライブ映像の中に入っているハイブリッドノットの曲をスマートフォンでならして、昨日聞いて凄く気に入ったそれを皆に共有する。未明ちゃんに頼んでスコアはもう用意して貰っていた。譜面のタイトルを見るに『ロッキン・ホース・ヴァレリーナ』という曲名らしいそれは、まるで音程がバレリーナの如く踊るような、ピッチが上下する不思議な曲でした。
しかしその映像を見た皆の反応は芳しくなくて、特にレムレ先輩や眞友ちゃんは音を聞きながらも困惑しているようでした。
「バスドラムやスネアドラムの音も曲中に変わっている。どうなっているんだいこれは?」
「これ、キーボードどうなってるのかな? 来生会長、何か踏んでる?」
「降魔さんのドラムセットは電子ドラムやサンプリングパットが組み込まれてるハイブリッドドラムです。来生さんの踏んでいるエフェクターはワーミーです。ピッチをコントロールするエフェクターですね。来生さんのボードは綴が作らせて頂きましたが、同じものを用意するとなると相応の予算が必要になります」
それを聞いて絶対高いので萌亜はもう諦めました。眞友ちゃんにあのボンボンバンドの金銭感覚で大金を使わせる訳にはいきません。
「やっぱり変態バンドなんですねハイブリッドノットって。せんぱいらしいですけど、コピーする側としては大変です」
「うん。大人しくプラスアルファの曲をやった方がいいかな」
眞友ちゃんにもそう言われてしまって、萌亜はDJが出してくれる音が多くて出来ないと思っていた『ラムネ色の夏』を練習することにしました。クリップチューナーでチューニングを終えてコードをジャランと鳴らして、いざ演奏開始となって、そこまできた萌亜はようやく失念してしまっていたことに気が付くのです。
「って、あぁ!」
「どうしたの? 萌亜ちゃん」
「べ、ベースがいません!」
「あっ」
眞友ちゃんもしまったと無声音で言ったみたいに口をぽっかりと開けていて、レムレ先輩は肩をすくめていました。先輩によると確かベースっていないと凄く困るらしく、更に言えばトキちゃんはピック弾きで音がハッキリしていて目立つフレーズを弾くので、プラスアルファとハイブリッドノットの楽曲にベースがいないのは致命的でした。
「なに、だから華宵のこと呼んだんじゃないの?」
どうしましょうと呆然とする萌亜たちに、華宵ちゃんが何が問題なのだろうかとでも言うみたいに首を傾げた。
「どういうことです?」
「お兄ちゃんからトキお姉ちゃんのベースパートをギターで弾けるかって言われてたから、今朝借りてきたけど。エレハモのベースナイン」
人差し指で示してくれた足下のエフェクターボードを見ればそこには幾つかのコンパクトエフェクターが並べられていて、萌亜にはどれがそのベースナインなのかは分かりませんしそれでベースがいない問題が解決するのかも分かりませんでした。
「これ、ギターの音をベースにしてくれるエフェクターなの。お兄ちゃんが『アースクエイカー』って曲でトキお姉ちゃんとベース二重奏やる時に使ってたやつ」
「そんなのあるんです?」
ギターとベースの音って全然違うのに、アコースティック・シミュレーターといいエフェクターってなんでもありますね。
「ぁっ、でもリードギターどうしましょう」
萌亜じゃ先輩のパートもギターソロも弾けません。
「華宵がベースとリードギター、両方やるから。普段はベースに徹するけど、お兄ちゃんのソロも弾いてあげる。どうせ弾けないでしょ、萌亜さんには」
「曲によっては綴が足りない音を出します。プラスアルファの曲は繰り返しが多いのでルーパーを多用しても問題ないでしょう。そのオンオフも綴が担当します。朝比奈さんは、どうか歌とリズムギターに集中してください」
「ありがとうです♪ かよちゃん♪ 綴ちゃん♪」
新しいメンバーである二人がそれぞれ足りないものを補ってくれてプラスアルファはようやく演奏することが出来るようになり、この段階までこれるのかすら不安だった萌亜は嬉しくなってしまいました。
「では、始めようか。1、2、3、4」
レムレ先輩がカツンカツンとスティックを鳴らして、練習が始まる。綴ちゃんに言われた通りに自分のギターと歌唱に集中して、自分でもちょっと笑ってしまうくらい真剣に練習した。
夏休みの時よりもずっと前向きに取り組めるのは、今回は明確な理由があるから。勿論文化祭の時もちゃんと練習していたけど、あれは先輩と一緒に居る口実みたいなもので、文化祭でのライブっていう目標だってなんだかふわふわしたものだった。でも今回は違う。たどり着かないと行けない目標と、場所があるから。
恋する乙女は、そのためだったら何にだって全力以上になれるのだ。
「ふいぃ~、疲れましたぁ~」
「お疲れ様、萌亜ちゃん。流石に、三時間ずっとは疲れちゃったかな。喉、大事にしてね」
「ありがとうですともちゃん♪」
透明な容器に柄の付いたオシャレな水筒を萌亜にくれて、リハーサルスタジオでは飲食が出来なかったので萌亜はその麦茶で三時間ぶりに喉を潤します。
皆機材を片付けて撤収の準備を終えているのですが、一番荷物が多いのにお兄ちゃんから貰ったものだから触らないでと片付けを手伝わせてくれない華宵ちゃんが、ラックケースをカートに載せてからやや不服そうな表情で皆の方に振り向きました。
「ねえ、予選ライブってたった二曲しか出来ないんでしょ。演奏のクオリティも大事だけど、その二曲の中で何かインパクトがないと大学生なんかもいる中で残るは無理だよ。ラムネもマザーグースもフューチャー・シューズも良い曲だったけど、華宵にはあの曲でそれが出来るとは思わない」
「うーん、そう言われたらそうかもです」
「でも時間もないし、どうしたらいいのかな」
改善点などを話し合おうかとも考えますが、練習中も殆ど最低限の応答しかしなかった綴ちゃんがふるふると首を振る。
「綴は良かったと思っています。それに今から審査員に印象的な突飛な曲を練習するよりは堅実だと考えます」
「僕も東雲君の意見に賛成だよ。問題は時間だからね。それに印象で言えば、リードギターとベースを両方やる妹君がいる時点でそれなりに強いのではないのかい?」
「バンド編成で評価が変わるほど、甘い世界じゃないと思うけど」
弾くだけで精一杯の萌亜や眞友ちゃんと違って余裕のあるメンバーにはそれぞれに意見があって、若干の対立が起きてしまいました。でも萌亜にはそれが、皆がこんな突拍子もないライブに真剣に挑んでくれている証だって思えたから、何だか嬉しかったです。
「萌亜さん。明日までに今日ミスしたところ直してね。ノーミスが最低ラインだから」
「えぇ~、明日ですか? せんぱいだってミスするのに萌亜にノーミスなんて無理ですよ」
「お兄ちゃんは雰囲気で弾いてるから良いの」
それは兄妹贔屓ではないでしょうか。でも萌亜がこの中で一番下手なのは確かなので、帰ってからも練習しましょう。
リハーサルスタジオを出ればレムレ先輩と華宵ちゃんは車でお迎えが来ていました。華宵ちゃんなんかはまだ中学生なのにこんな時間まで付き合わせちゃって申し訳ないです。萌亜は庶民なので眞友ちゃんと二人で徒歩で帰路につくのですが、帰り道も考えるのはライブのことばかりでした。
「インパクト、インパクトですか……う~むです」
ハイブリッドノットの曲が出来ればそれでもう印象に残りそうですけど、機材と技術の問題で萌亜たちには出来ないですし。どうしたらいいのでしょう。先輩に相談したいですけど昨日は帰ってきたのが夜中の一時みたいで、今日もまだこの時間ではお家に帰っていないでしょうから電話に出てくれるかも分かりません。
「せんぱいなら、どんなライブをしたんでしょうか」
先輩なら、先輩がいるプラスアルファなら。先輩がいるハイブリッドノットだったなら、インパクトなんてものに困ることもないだろうし、予選ライブだなんて颯爽と勝ち抜いてしまったに違いありません。そういう人だから、ハイ・エンドなんていう凄いバンドのメンバーとして選ばれてしまったのです。
「今日起きれてたら、神夜先輩にライブの秘訣とか訊いてみようかな」
「どういうことです?」
眞友ちゃんの呟きに萌亜が反応すると、眞友ちゃんは思い出したかのように手をぶんぶんとふって無実を訴えるように慌てる。
「あっ、ぁっ、ごめんね萌亜ちゃん! 違うの! 言ってなかったよね。お姉ちゃんも帰り遅いでしょ? だから神夜先輩がお姉ちゃんを家まで送ってくれてて、その時まで起きていられてたらちょっとはお話出来るかなって」
「せんぱいのそういう紳士的なところは好きですけど、他の女の子にしていると分かると複雑な気持ちです……」
「あはは……なんかごめんね」
頭にはハイ・エンドの女性メンバーが浮かんできてしまう。眞遊お姉ちゃんを筆頭になんだか凄い理由で先輩の事が好きなポーラルちゃんと、見るからに先輩が好きそうなアブノーマルなオーラを纏っているカリギュラさん。従兄妹のポーラルちゃんとホワイト君がいるので危ないことにはならないと思っていますけど、あの摂午って人も危険な匂いがするんですよね。
その日は十二時過ぎのメッセージでしか先輩とお話出来なくて、夜はずっとギターを練習していました。隣の部屋の萌瑠も今回ばかりは萌亜の真剣さが伝わってくるのか騒音だなんだと注意してくることもなくて、パジャマ姿でギターを引き続けた萌亜はそのまま寝落ちしてしまいました。
「ふあぁ……ねむねむです」
「ちゃんと寝ないとダメだよ、萌亜ちゃん」
「今日の練習で同じところミスしたらかよちゃんが怖いんです」
プラスアルファは夏休みで時間もあったので和気藹々と練習していたのですが、今回は時間もなくて音に煩い華宵ちゃんがいるので今までになかったプレッシャーがあります。萌亜みたいな人間はプレッシャーがないと真面目になれないので丁度いいんですけどね。
「あっ、萌亜ちゃん萌亜ちゃん。ほら、あそこ」
「なんです?」
眞友ちゃんが肩を突いてきてそのまま指さしてくれた方向を見ると。
「くあぁ……ねっむいな」
渡り廊下の日陰で欠伸をする先輩が見えて、萌亜は一瞬で眠気に重くなっていた瞼を持ち上げると昼ちゃんとトキちゃんと怠そうに雑談している先輩の方に駆けていきました。
「せんぱ~い♪」
「ァッ、モエアじゃん」
「夕ヶ御ちゃんもいるんだぁ。あれ、未明ちゃんは?」
「めいちゃんなら次の体育サボるらしいので昼休みの段階から保健室に逃げました。そっちこそ眞遊お姉ちゃんはどうしたんです? 同じクラスなんですよね」
「眞遊ちゃんなら、放課後はずっと神夜君と一緒だよねぇってことでハブったかなぁ」
「昼、仲良くしろ」
「はぁーい」
腹黒な昼ちゃんに注意してから再び柵に寄りかかって欠伸をかみ殺す先輩は、身体も怠そうですし相当お疲れみたいでした。レコーディングってそんなに大変なのでしょうか。
「せんぱい随分と眠そうですね。大丈夫です?」
「摂午の奴、自分がクレイジーって認める音出さないと帰してくれないからな」
「クレイジーって、せんぱいの音っていっつもクレイジーじゃないですか」
変なエフェクターいっぱい掛かってて偶に本当にギターの音なのかって疑いたくなっちゃうくらいです。
「アイツの言うクレイジーは最高とか至高って意味なんだよ。一緒に弾いてるのがあのクリス・シャラメだからな……俺のリテイクの多さときらたシャラメの十倍じゃ効かない。本当に、なんで俺なんか選んだんだ摂午は」
海外のプロギタリストと自分を比較してしまって相当に落ち込んでいるのか、先輩はらしくない大きな溜息を吐き出しました。先輩でもネガティブになることなんてあるんだなって驚きましたけど、自分では気付けないみたいなので萌亜が教えてあげることにします。
「そんなのせんぱいの音が、一緒にバンドしたくなるくらい素敵なものだからですよ♪」
二日も逢えていなかった分の笑顔もプレゼントすれば、先輩も片方だけ口角を上げてニヒルに笑ってくれました。
「悪いな……時間取れなくて」
「一月後にはまた毎日逢えるようにしてみせます♪」
「相変わらず強気だな。華宵とは上手くやれてるか?」
「このまま仲良くなってお義姉ちゃんと呼ばれて見せます♪」
「カヨイとも仲良くなったのモエア? あそこまでのブラコンにどうやって取り入ったのさ」
「本当さぁ、私なんて未だに睨まれるのに」
華宵ちゃんのお兄ちゃん好きはハイブリッドノットの中でも有名だったらしく、二人はそもそもプラスアルファに華宵ちゃんが入ったこと自体に驚いているようでした。
「綴は……いや、萌亜なら平気か」
綴ちゃんについて訊こうとして、けれど辞めた先輩は何か考え事をしているみたいでしたけど、それを訊く前に昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴ってしまった。今日はもう逢えそうになりので、訊くのはまた後日になってしまいそうでした。メールで訊くようなことでもなさそうですからね。