レスポールにはマーシャルを、映画にはポップコーンを 2
大型アンプを使い始めた頃に貰ったピンク色のイヤーモニター、というか耳を守るノイズキャンセルの方がメインのイヤホンを付けて、今日も大音量で演奏を始める。
メタルを弾くこともあった以前のバンドで一度三日くらい耳がおかしくなってしまったことがあって、それから必ず付けているという先輩の教訓のもと、萌亜、眞友ちゃん、レムレ先輩にそれぞれピンク・オレンジ・ブルーのカラーのものを先輩がくれたのです。
「し、神夜……萌亜とマスキング、してる。低音も、出し過ぎで……桃花鳥の音域とも、被る」
「そうだよシンヤ。ツヅちゃんいないんだから、PAの調整効かないからね」
「エフェクターが好きに使えん……この曲調じゃ仕方ないが」
音とは不思議なもので、周波数帯が被ると互いに打ち消し合ってしまうんだそうです。だからそれぞれの楽器で電波みたいに使っていい周波数帯が決まっていて、音作りはその中でするのだとか。
「せんぱいだけで弾いてるときはよく聞こえるのに、バンドって難しいですね」
「ソロの時以外はバンドの音に縛られるのがリードギターってものさ。イングヴェイくらい上手かったらそれも無視できるんだろうが、あれはもはやバンドじゃないしな」
そうごちる先輩は、オシャレ紐が襟から腰にかけて付いてる黒シャツにジッパーがデザインで付けられているスキニーと、柄物の黒いシアーシャツを羽織っていて今日もとってもかっこいいです。先輩ってたまに白が入りますけど基本的に黒い服装ばっかりですね。モノクロ人間です。
「はぁ、いつものことながらえもちゃん重いですね。よっこいしょっと」
萌亜は女の子にはつらい重量物であるレスポールのギターを肩からストラップを外してスタンドに置くと、軽く両腕を上げてのびをします。そうしたら未明ちゃんと音域の振り分けなどについて見直していた先輩に目を鋭くして睨まれてしまいました。
「おい、まだ一時間しか練習してないだろ。サボるな」
「もう今日はお休みにしましょうよ~。萌亜手も喉もくたくたです~」
「萌亜ちゃん、昨日もそう言って皆でケーキ食べ始めちゃったよ?」
「あれは美味しいケーキを持ってきたレムレ先輩に責任があります!」
確かに昨日は一時間半くらいしか練習しないでお茶しながらの雑談タイムを満喫してしまいましたが、そんな日が二日続いても良いと思うのです。
「エレン先輩に責任を転嫁するな」
「そんなこと言っちゃって~、せんぱいだってリラックスしてたじゃないですか♪」
「そりゃ自分の家の自分の部屋でケーキ食べればな。むしろお前がリラックスしすぎなんだよ」
「これだけ毎日来てるともう第二の我が家ですよ♪ ねえともちゃん♪」
「それは図々しいよ萌亜ちゃん……分からなくもないけど」
「つまみ出すぞお前ら」
眞友ちゃんが同意したことが意外だったのか若干困惑してはいましたが、二人揃って半眼で睨まれてしまいます。先輩って垂れ目なのに睨み顔が本当に怖いです。
「ふむ。シン、休息を取った方が良いのは確かだと思うよ。朝比奈君の声が、今日はいつもより細い。これだけ連日の練習だ、喉を休めるのも大事なことさ」
白の七分袖のボータイブラウスにレザーのショートパンツスタイルという最近ようやく見慣れてきた私服姿のレムレ先輩がそう言うと、先輩は萌亜の方を見直して確認します。
「そうなのか萌亜」
「言われてみればくらいですけど、ちょっとだけ喉の奥がかゆいような?」
白の姫ブラウスにシャンデリア柄のアクシーズのスカートを合わせた姫かわスタイルの萌亜が喉に手を当てると、先輩は微かに眉をひそめました。
「エレン先輩はこの中で誰よりも耳が良い。大事を取って、今日は演奏だけにするか」
「えぇ~、演奏はするんですか~。休むならちゃんと休みましょうよ!」
「遊びたいだけだろお前。曲数多いんだから仕方ないだろ、多くしたのも萌亜だしな」
その通りなので反論も出来ません。
萌亜は仕方なく下ろしたばかりのギターを肩にかけ直そうとしますが、片方だけ肩が露出しているオーバーサイズのシャツを着たトキちゃんが防音室を出て行くのを見て、自分も行っておこうと思い直した。
「お手洗いお借りしま~す♪」
「いまトキが行ったから一階の使え」
「はいです♪」
各階に一つずつトイレがある先輩のお家は、二階に先輩のお部屋と防音室、いまは留学中でいないというお兄さんのお部屋があって、三階にはお父様の趣味部屋と空き部屋、一階はリビングと夫婦の寝室になっています。とても広いので移動が大変です。
「あれ?」
リビングで録画のドラマを見ていたお母様とガンプラを作っていた甚平姿のダンディなお父様に挨拶をしてから一階のトイレを使わせて貰って、自前のハンカチで手を拭きながら出ると、ふと階段の下に更に階段があることに気付きます。
「地下室ですかね?」
そういえばギターを始めた頃に先輩とビデオ通話をしていましたが、その時は夜だからと地下室でギターを弾いていました。きっとこの先がそうなのでしょう。
無断で見に行くのもアレなので、萌亜はお母様に許可をとって地下室を見せて貰うことにしました。
「いいわよ。神夜も、近いうちに皆で映画が見たいって言っていたことだし」
「映画ですか?」
「ふっ。ハーレム息子を呼んでくるといい。セッティングはしておいてやろう」
ニッパーを放り出して地下室に行ってしまったお父様の言葉に萌亜はハテナマークを浮かべてしまいますが、言われたとおり二階の防音室に戻ってお父様の言葉を先輩に伝えました。
「ああ、うちの地下室は二つあって、一つがホームシアターになってるんだが。言ってなかったか」
「聴いてませんよ! それなら皆で映画三昧出来たじゃないですか!」
「お前らが帰った後にトキと見てたりはした」
「トキちゃーん!」
家が徒歩数分の距離にあるからと毎回先輩に送られるのが最後だとは知っていましたが、まさかそんなことをしていたなんて。
「ボクとシンヤの秘密の幼馴染みタイムなんだ。邪魔しないでよねモエア」
「秘密だったのか」
「秘密だったのォ!」
頬を膨らませて怒るトキちゃんには悪いですが、今後は萌亜も入れて貰いますよ幼馴染みタイムに。
「父さんが準備してくれるんだ。練習は切り上げて、皆で映画見るか。丁度見てなかったサブスクの映画もあったしな」
「やった~です♪」
萌亜は飛び上がって喜びます。今日は練習に気が乗らなかったのもそうですが、皆で映画を見れるのが嬉しいです。
皆で先輩のお父様が投映機を準備してくださっている地下室へと降りていって、大きなソファや小さな冷蔵庫、更には家庭用のポップコーンメーカーまで揃っているホームシアターに、初めて入った萌亜や眞友ちゃんは驚くばかりです。
先輩はサブスクが見られるファイヤースティックとは別にお父様が用意してくださった映画のDVDのタイトルを見ていました。
「父さんが置いていったDVDとブルーレイは。ナインスゲート、ラストオブモヒカン、トレインスポッティング、ムトゥ、スタウォーズのエピソード4とドクタースリープだが……いやドクタースリープ置いてくならシャイニングも置いていってくれよ父さん」
溜息交じりに愚痴る先輩に、眞友ちゃんが映画のパッケージを見ながら訪ねます。
「神夜先輩。もう見る映画は決まってるんですか?」
「クリス・ヘムズワースのアクション映画かリメイクされた西部戦線」
「え~、それなら萌亜マーベルがみたいです」
「それもいいな。てっきり萌亜は恋愛映画を見たがるかと思ったが」
「ホラー、が……いい。それか、ムカデ人間……ミッド・サマー」
「またそれ見せて初見の反応楽しもうとしてるな未明……」
「ボクはリトル・メーメイドとかメリダが見たいなァ。皆で見るなら名作アニメだよ」
「僕はそうだな。シンの言うサブスクリプションとやらに入っているのかは分からないけれど、レ・ミゼラブルがいいな。なくとも、ミュージカル映画は好きだよ」
「全員の間を取ってドラえもんの映画を見よう」
「なんでです?!」
妙にドラえもんを推されましたが先輩の要求は多数決で却下され、また暗い映画は辞めようという事になったのでアクションも楽しめる探偵もの、ロバート・ダウニー・ジュニアが主演のシャーロック・ホームズを見ることになりました。ちなみに、先輩はホームズならカンバーバッチが演じるドラマが一番好きらしいです。
地下室で映画を見るのに慣れているトキちゃんは手際よくポップコーンメーカーでキャラメルポップコーンを作り、未明ちゃんは小型冷蔵庫の中から好物のメダルチョコを取り出していました。
「……はむ」
未明ちゃんはアルミを剥がさずにそのまま口に放り込み、後でアルミだけ吐き出すという独特な食べ方をします。美味しいのでしょうかアレ。
先輩もレムレ先輩も一枚貰って、こちらは普通にアルミを剥がしてから食べているのを眺めていたら、萌亜は気付いてしまいます。この映画鑑賞に潜む戦いに。
「せんぱ~い♪ ほら、真ん中に座ってください♪ コーラ持ってきますので♪」
そうして先輩を座らせたも萌亜は急いで冷蔵庫に入っているコーラをコップについで隣に座ろうとしますが、トキちゃんの鋭い視線が萌亜を捉え、更には萌亜が座ろうとしていた場所に未明ちゃんがスルリと入り込んできます。
「ぐぬぬっ、やっぱり考えることは同じですか」
「当たり前だよモエア。シンヤの隣は、二人分しかないんだ!」
「なにやってんだお前ら……」
先輩は呆れ顔ですが、これは譲れぬ戦いなのです。そう、一緒に映画を見るときに、誰が隣に座れるのかという。
「ふむ。確かに、シンの隣の席という需要は五人分であるのに、そこに座れるのは二人だけだ」
「レムレ先輩も隣が良いんですか?!」
「別に僕はどの席でも構わないのだけれど、賞品というものは隣人の芝生のようなものさ。なに、面白そうだからね。奪い合いには参加するとも」
「えっと……私も、隣がいいかなぁって、思ったり」
眞友ちゃんも気まずそうに目をそらしながら控えめに手を上げていて、トキちゃんと未明ちゃんだけだと思っていた敵が二人も増えてしまいました。
そうして恋する乙女たちの負けられない戦いが勃発、するはずだったのですが若干耳を赤くしている先輩がそれを妨害します。
「待てお前ら。俺の隣だぞ、決める権利は俺にあるんじゃないのか」
「えぇ! 辞めてくださいせんぱいそれで選ばれなかったら萌亜死んじゃいます!」
「あ、アタシも……しっ、死にたくなる」
「よしジャンケンで決めろ」
先輩は自分で選択したときの被害を恐れ公平なジャンケンを提案してくれますが、やはり思うところがあったのか「やっぱり待て」と再び自身に注目を集めました。
気まずそうに萌亜から目をそらす先輩は不自然にエレン先輩を横目に見ながら言います。
「いくら毎日会っているとはいえ、女子に挟まれるという状態に俺が微かにも緊張しないとでも思っているのか。正直嬉しいし願ったりな状況ではあるが、映画に集中できないだろ」
「萌亜が押し当てる胸の感触にでも集中していてください♪」
「んなセコいことするくらいなら直接揉むんだよ!」
パンクで厳つい見た目の割にシャイな先輩は女の子に囲まれる状況を危惧しているようで、平気で人の頭を撫でたりするくせに自分が似たようなことをされるのは恥ずかしいようです。
そんな先輩の動揺を知ってか知らずか、未明ちゃんが萌亜の袖口を引っ張ってきます。
「五人はむり、だけど……四人までなら、だっ大丈夫な方法が、ある……」
「なんです未明ちゃん?」
「神夜の、膝の上……二人まで……の、乗っけてくれる」
確かに、未明ちゃんはよく猫のように先輩の膝の上でお菓子を与えられたりして可愛がられています。正直羨ましさでハンカチを噛みちぎってしまいそうですが、その時にしれっと混じると萌亜が膝に乗っても退かそうとしないので有効活用させて貰っています。
「確かにです♪ 天才ですか未明ちゃん♪」
「乗る相手によっては心臓が持たないぞ……」
先輩は想像でもしてしまったのか既に顔が赤いですが、これで最も価値の高い席がお膝になりました。なんとしても萌亜が先輩の膝の上を勝ち取って見せます。
一方で観念したのか先輩はトキちゃんの方に目を向けていて。
「もはや俺にはどうにも出来ない……せめて勝てよトキ お前なら緊張しない。あと未明もな、方膝くらい軽いお前じゃないと二時間も座っていられない可能性がある」
「えェー……それはそれで複雑な気持ちだけど、シンヤの膝の上は渡さないよ!」
「がっ、頑張る……」
トキちゃんも未明ちゃんも気合い充分なことが伝わってきますが、萌亜や眞友ちゃんは先ほどの先輩の言葉であることに気がつきました。
「どうしよう萌亜ちゃん……私、最近ちょっと体重が」
「萌亜も……昨日はママのオムライスおかわりしちゃいました」
勝ったら二時間も先輩のお膝の上に居座れるのですが、見方を変えれば二時間も先輩に体重を支えられると言うことです。最初は良くても、時間が経ってきて方膝だけ重いなんて思われたくありません。比較対象が軽そうな未明ちゃんやレムレ先輩だった場合は尚更です。
眞友ちゃんも萌亜と考えは同じなようで、二人で先輩の隣の席を狙うことにしました。膝の上は魅力的ですが、それは先輩も言っていたように軽い未明ちゃんに譲りましょう。
「考えようによっては、負けるのは一人ですか……」
萌亜にとっての敗北とは先輩と密着できないただ一人になることです。皆での相談の結果勝った順番にどこに座るのかを選択できるということになりましたが、この中に膝の上でも隣でもない席を選ぶ人はいないでしょう。というかいたらこんなことになっていません。
「ジャンケンか。ふむ、神話研究会にかつてあって雀拳部の資料を見たことがあるけれど、それぞれの手の確立はグーが35%、チョキが31.7%、パーが33.3%であるらしいね」
「そんな部活もあったんです? というか心理戦は辞めてください萌亜ババ抜き弱いんです!」
グーが一番確率が高いって事はパーを出せば良いんです? でもそれはレムレ先輩の作戦でチョキを出してくるかも知れません。なら萌亜はグーを出せば、でもレムレ先輩が普通に勝つ確率の高いパーを出してきたらどうしましょう?
「行くよ皆、最初はグー!」
そうこう考えているうちにトキちゃんが掛け声を始めてしまって、萌亜も急いでグーを作ってソファの前で輪になっている皆の中心に手を出します。
「はへ?」
「アッ、メイちゃんズルい!」
「えっと……いいんですか、これ?」
「ほう」
萌亜、トキちゃん、眞友ちゃん、レムレ先輩は最初はグーでちゃんと握った拳を出したのですが、未明ちゃんだけは唯一パーを出していました。
「ヒフフッ……しっ神夜、戦法……」
「ほら、未明。膝にこい」
「えぇ! ありなんですかそんなの!? それじゃあ最初はパーじゃないですか!?」
未明ちゃんが勝ったことにしてお膝の上に招いている先輩に萌亜が抗議すると、先輩は方膝に未明ちゃんを迎えながらに持論を展開します。
「最初はグーは本来全員がグーを出すことによってアイコになり、仕切り直す準備段階のようなものだ。しかしそこで他の手を出してはいけないという決まりはない。そして、それは俺が多用する手だ」
「ずるですよそれ~!」
「子供の頃からよくそれやるよねシンヤ、負けたくないときに屁理屈交えて」
「ふむ。禁止する明確なルールを決めていなかったこちらの失態かな。降魔君の勝ちは認められるべきだろうね」
トキちゃんもレムレ先輩も未明ちゃんの最初はパーに寛容なようで、萌亜も眞友ちゃんも納得いきませんでしたが多数決みたいなのでここは諦めることにしました。
「次は負けません! あと最初はグーもなしです! じゃんけんぽん!」
勢いに任せて萌亜が言い放つと、皆も慌てて手を出してきます。
「おや、僕の一人勝ちかな? この人数で一度もアイコにならないとは、今日の僕は幸運に恵まれているようだね」
皆がパーでレムレ先輩だけがチョキで、一人勝ちしたレムレ先輩は悠々と先輩の元まで歩みを進めます。
「ぐぬぬ、たま負けてしまいました……それで、レムレ先輩はどこに座りたいんです?」
【サブヒロイン(意中)】であるレムレ先輩にはあまり先輩に密着して欲しくありません。先輩が明らかに他の子より意識してますし。
出来れば先輩の膝の上はトキちゃんに譲ってしまいたい萌亜がそう訪ねると、レムレ先輩は少し考えるようなそぶりを見せてから、手を後ろで組んで不適な笑みを浮かべました。
「そうだな。シンの隣で映画を見るというのも魅力的だけれど、膝の上に座るだなんて、これを逃せばそう出来る経験ではなさそうだ」
軽く眼を細めたレムレ先輩は既に左膝に未明ちゃんが座っているので、空いている先輩の右膝を舐めるように見て、今度は妖艶という言葉が似合うくらい色っぽく笑いました。
「いいかな? シン」
「ぁ、ええっと……どうぞ」
先輩も先輩でレムレ先輩が今から自分の膝の上に乗ると自覚して緊張しているのか、しどろもどろになってしまっています。萌亜の時はうっとうしそうにするのに、この差はなんなんでしょう。未明ちゃんもそんな先輩の反応を見てかレムレ先輩を半眼で睨んでいます。
「僕は臀部の脂肪が少なくてね、女の子らしい感触を与えてあげられなくて心苦しいよ。痛くはないかい、シン」
そっと先輩の膝を両股で挟むように腰を下ろしたレムレ先輩はおもむろに先輩に寄りかかって、耳元にそんなことを囁きました。
「はっ、はい。平気です。未明で慣れてるので」
「フフっ……実はね、少しだけ降魔君を羨ましいと思っていたんだよ。いつでもこうして君の膝に座れるだなんて、一度経験してしまうと、なんだか嫉妬してしまうな」
体型に不相応に大人な雰囲気のレムレ先輩と珍しくたじろいでる先輩との会話に皆顔を真っ赤にしていて、なんだかいけないものを見ているような気さえしてきました。
「しっ神夜……アタシと、反応違う」
隈の濃い双眸を険しくしてご立腹なことを表明しだした未明ちゃんが後頭部で先輩への頭突きを始めて、なんとかその場の妖しい雰囲気を壊してくれました。
「さっ、さあ次です次! 今度は勝ちます!」
「そっそうだね。うん、ジャンケンしよう!」
「エレン会長、シンヤのこと狙ってないって思ってたのにィ」
残った三人でのジャンケンはグー・チョキ・チョキと三度もアイコが続き、しかし愚直に三連続でチョキを出し続けた眞友ちゃんが勝ちました。
「やったっ……」
軽く肩がはねるくらい喜ぶ眞友ちゃんはチラリと横目で先輩の方を見て、その後萌亜に「ごめんね?」と小さく言うとそそくさと先輩の右隣に座りに行きました。
「ぐぬぬぬっ、ついに最後まで残ってしまいましたか。負けませんよトキちゃん! いつも幼馴染みタイムとやらでせんぱいの隣で映画見れてたんですから、今日くらい萌亜に譲ってください!」
「それはfoolish question(愚問)ってやつだよモエア。モエアはそう言われて譲るっていうの?」
「絶対譲りません!」
「それが答えだsilly!」
犬と猿の睨み合いのようにいがみ合う萌亜とトキちゃんは互いに拳を握り、先輩の呆れた視線のもと負けられない戦いに挑むのです。
「ボクはグーを出すよ!」
「うっ、卑怯ですよ心理戦なんて!」
「ジャンケンポン!」
「あぁっ!」
早口言葉みたいに素早く言うトキちゃんに萌亜は考える暇も無くて、それでも直ぐに出さなくてはいけなかったために手をグーの形で固まったまま出してしまいます。
そしてトキちゃんの手は。
「あれ? これ萌亜の勝ちです?」
「アアアァッ! モエアなら信じると思ったのにィ……!」
萌亜がパーを出すと予想してチョキを出してしまったトキちゃんは涙目で恨み言を言いました。まったくもう、萌亜を馬鹿だと侮ったのが敗因ですよ。考え無しに出しただけですけど。
「せんぱ~い♪ 左隣頂きま~す♪」
「はぁ……なんだこの感情は。嬉しいし幸せな体験ではあるんだが……それを素直に認めるのが癪だ」
「映画楽しみですね~♪ 二時間もせんぱいの横顔が見れます♪」
「映画を見ろ」
萌亜は映画を見たいのもありますが、映画を見ている先輩が見たいのです。薄暗い中スクリーンの光で見える白い顔は、きっといつもと違った趣のある先輩に間違いなしです。
こてんっと先輩の肩に頭を置き、同じく左側のレムレ先輩が邪魔ですが、隣を勝ち取ったことを喜びます。なので目をつむってこの状況に浸っていると、それはそれは大きくて早い鼓動が聞こえてきました。
「せんぱい、心臓の音凄いですね……」
最初は自分の鼓動かと思いましたが、これ先輩です。
「この状況でBPMを保てる奴がいるか! なんでお前ら全員違う種類の良い匂いがするんだ!」
「えぇ~♪ 萌亜どんな匂いなんです~♪」
「あの……それ、私も気になります」
「ふむ。僕もシンの感想が訊きたいな」
「も、もっと……かいでいい」
萌亜がふわふわしたピンク色の髪を押しつけると、考えることは同じなのか未明ちゃんも後頭部をぐりぐりと先輩の顔に押しつけていました。
けれど先輩の視線は唯一この中に入れていない子のところにあって。
「シンヤ~、ボクだけ端っこなんてヤダよォ」
「……これ以上どうしろというんだ」
困り顔の先輩と泣き出しそうなトキちゃんを見ていると罪悪感が芽生えますが、ジャンケンは公平なんです。譲りませんよ萌亜は。
「今日は映画たくさん見ましょう♪」
「二本目からは膝無しの横並びで頼む……」
先輩のご要望は、鼓動が落ち着かなくて先輩の心臓が心配な皆の了承もありすんなりと通りました。またトキちゃんが可哀想だったのもあるのでしょう。
それにしても、やっぱり薄暗い場所で見る先輩も素敵です。
「はぁぁ……今日も顔が良いです❤」
深い深い甘い溜息を吐いて、萌亜は先輩の横顔を堪能するのです。
「ぁっ」
不意に反対側にいた潤んだ瞳でぼーっと先輩を眺めている眞友ちゃんと目が合ってしまって、なんだか二人とも気まずくなって目をそらしました。
まったく、罪な人ですね。
もし女の子の心を奪ってしまうのが罪なら、先輩は極悪人ですよ。
でもいつか、そんな悪い人を捕まえたい。手錠をかけて、わたしという檻の中に閉じ込めてしまうのだ。
「やはり、映画にはポップコーンだな。レスポールとマーシャルくらい相性が良い」
そんななんの意味も無いのだろう些細や呟きにも、萌亜の心は不安に揺らいでしまいます。
ポップコーンは映画の最高のお供ですけど、萌亜は、先輩の最良の相手になれるんでしょうか。眞友ちゃんのように器量の良い方じゃなくて、トキちゃんみたいに長い時間を共にしていなくて、未明ちゃんみたいに音楽の趣味も合っていなくて、レムレ先輩みたいに頭が良いわけでもない。
唯一勝っていると、負けていないと思えるのは、ただ貴方への想いだけ。
それで充分だと思える時もあるし、ぜんぜん足りないって考えてしまう時もある。
色とりどりのヒロインたちが貴方を好きすぎるから、それだけじゃ勝てないって分かっているけど。
「他に……なにかあるでしょうか」
貴方に好きになって貰えるところが、萌亜にあるのでしょうか。
ぽつりと零れた疑問に、きっと萌亜の心の内なんて知らない先輩は気恥ずかしそうに。
「そんな目で見るなよ……恥ずいだろ。映画を見ろ」
そう言って、先輩ばかり見てしまう萌亜を咎めるのです。
「……見てますよ。今だって、目に写してます♪」
不安になってばっかりだ。
けどそれでもいいって、あの頃を覚えている萌亜は言えるのです。
視線に気付いてくれるくらいには、近くにいれているのだから。
瞳に、貴方を写せているのだから。
わたしの人生っていう映画における、輝ける主人公を。