タキシードには似合わないカスタムと、幼馴染みと契約者 1
「萌亜の、萌亜のドクロちゃんがっ……!」
「名前付けてたんだな」
ドクロマークがあるのでドクロちゃんという安直な名前のギターの無残なボディを抱きかかえて、萌亜は先輩のお母さんが慌てて様子を見に来たくらい取り乱していました。
萌亜のギターはビグスビーアームの部分は割れてしまっていて、弦を保てない状態になってしまっていました。塗装も少し剥がれています。ふかふかの絨毯の上なのに運悪くテーブルの足下に落ちてしまったのです。
つい一月前に買ったばかりの7万円の品が壊れたとあって、萌亜は大号泣といった言葉が相応しいくらい涙しました。
「そんなに泣くな。ストラップが取れるなんてよくあることだ。それに音が出ないわけじゃないだろ。塗装が剥がれただけだしアームも応急処置が……まあ俺でも泣くか」
「うぅぅ……これ直らないんですかぁ……?」
「直せるが、前にも言ったがリフィニッシュするしかない。安くても5万くらいかかるから、そのギターなら新しいのを買った方がいい」
「そんなぁ」
悲嘆に暮れる萌亜は、ようやく先輩が一回落としてからは必ずストラップロック付けるようにしているということの意味を理解しました。別に落とさないのでいらないと思っていましたが、経験してみないとその重要性に気づけないんですね人は。
「……丁度良い、と言ったら萌亜のギターに悪いが」
先輩はベッドの端に立てかけてあった、寄り道して楽器店から回収してきたハードケースを萌亜に手渡してきます。
「なんです……?」
萌亜はギターをそっと傍らに置くと、受け取ったハードケースを女の子座りしている膝の上に置いて開きました。
「これって……」
入っていたのはあの黒いレスポール・カスタム、ではなくて。パステルピンク色にリフィニッシュされた、まるで萌亜の為にカスタムされたみたいなレスポール・カスタムでした。
「それ使え」
「でも、これはせんぱいので、それに貰っていいお値段じゃ……」
「別にやる訳じゃない。可哀想だから貸してやるだけだ。ピンクになってるのは……まあたまたまだ」
ギターをリフィニッシュに出した時期から考えても、明らかに萌亜の為に色を変えてくれたのに、先輩は萌亜から目を逸らしてそれを否定してきました。でも先輩は前にピンクが好きだって言っていましたし、本当に偶然なのかも知れませんけど。それでも、萌亜が泣いているから、大切にしてるギターを貸してくれると言った先輩に、萌亜は嬉しくてまた泣き出しそうになってしまいます。
「ありがとうです……せんぱい♪」
しかしと、萌亜はチラリと傍らかに置かれた自分のギターに目をやります。この一月の間、短くも楽しい日々を過ごしてきた、先輩の部屋に入る口実になってくれた、可愛い可愛い自分の相棒に。
萌亜のギターのドクロちゃんは塗装剥げもあってかなんだか悲しそうに見えて、まるで自分が捨てられるのを悟ったペットのようでした。
「……でも、萌亜ドクロちゃんに愛着があります。そう簡単に他のギターに変えられません」
「は? いや、そっちの方がいい音出るからな。それにギブソンだぞ。一流ブランドだ」
「関係ありません! 萌亜は、萌亜はドクロちゃんを裏切ることなんてできません!」
「おいおい……」
先輩はカッコつけたのに失敗したときみたいな困り顔になって、それからしばし頭を抱えて考え込むと、急に部屋の引き出しを開けて代えの弦を持ってきました。
「萌亜。ギターの弦、買ってから代えてないだろ。もう一月だ。張り替えた方が良い」
「そうなんですか?」
「いや、俺は切れたとき以外は錆びない限り放置する。月一で代えた方が良いとかいうやつもいるがな」
「ならどうして萌亜のは代えるんですか?」
「あぁー……よく練習してるからな。沢山練習すればそれだけ弦の摩耗も速くなる。もう大分伸びきってそうだし、錆びてるんじゃ、ないか? ついでに張り替え方を見て覚えられるだろうしな」
なんだか間の悪い話し方をする先輩の様子が気になりますが、張り替えてくれるというのなら文句はないので萌亜はギターを先輩に手渡します。
「分かりました♪ じゃあお願いします♪」
「特別に今回は俺の弦をくれてやる。ザ・定番のERNIE BALLのスーパー・スリンキーだ。ちゃんとライトゲージだぞ」
また専門単語が出てきたのでよく分かりませんが、鷹みたいな鳥が描かれているピンクの小袋から弦を取り出すと、萌亜のギターの弦をニッパーで切ってから張り替え始めました。
「その弦って、高いんです?」
「普通のだ。ニッケルだしな。買ったばっかりの頃は弦交換が面倒だからって理由で長持ちするELIXIRにしてたんだが、直ぐに弦を切るからな俺は。金の無駄だと気付いた。それでペイジも使ってたしってことで、普通の弦にしたんだ。思い返すと、一回だけDRのネオンとか使っていた痛い頃が懐かしいな」
恥ずかしい思い出でもあるのか苦笑いした先輩は、それでも萌亜を話ながらに弦を交換し終えます。
「ありがとうです♪ 新品の弦、なんだか弾きやすそうです♪」
「貼り方覚えたか?」
「あ……」
ずっと先輩の顔を眺めていたので弦を交換するところぜんぜん見てませんでした。
「えぇっと……切れたら、また交換してくれませんか?」
「構わないが、俺のところに来るくらいなら店でやって貰った方がいいだろ」
「いいんです♪ せんぱいにしてもらいたいんです♪」
言われて気恥ずかしそうに目を逸らした先輩は、さっそく弾こうとストラップを肩にかけようとした萌亜を止めます。
「待てよ。そのギターボディが傷んでるな」
「そりゃあ落としましたからね」
「弦と同じだ。代えた方がいい」
「そうなんですか?」
「そうじゃないがそうなんだ」
「? まあ、分かりました?」
また萌亜がギターを渡すと、今度はギターから弦を外して、あのギブソンのピンクのギターにその弦を張り替えました。
「交換できたぞ」
「わぁ♪ 新品みたいですね♪ ありがとうですせんぱい♪」
「……テセウスの船作戦、まさか成功するとは。どんだけ馬鹿なんだこいつ」
貰ったギターを抱きしめる萌亜に先輩が呆れ顔でぼそりと呟いたので、萌亜はまた部活の時みたいな思考実験かなにかかと小首を傾げます。こうすると先輩は勝手に説明してくれるんです。話したがり屋さんなんですね。
「アテネの人々はギリシャ神話の英雄テセウスの船を保存していたんだが、船は年々劣化していく。その度に朽ちた木材を新しいものに交換していたんだが、やがて全ての木材が入れ替えられてな。それははたして同じテセウスの船なのだろうか、っていうお爺さんの古い斧みたいな話だ」
「なるほどです……って! これドクロちゃんじゃないです!?」
「やっと気付いたのか……」
ギターを凝視して驚愕する萌亜に先輩は「お前の考えた方次第でそれはドクロちゃんだ」と訳の分からないことを言っていますが、なんですかドクロ2世とでも考えればいいんですか。
「いいからそれ使え。あげた俺の立場がないだろ。あとストラップ、シャーラーのロックつけてやったぞ。そのギターはもうストラップピン交換してあるから付く」
これで余程のことが無い限り落ちることはないと、萌亜はロックのための金具が付けられたストラップを受け取ってギターに付けます。
「最初のギターは、まあ練習用にでもしろ。フレットが減りにくくなっていいかもしだしな」
「はい♪ これ、大事にしますね♪ ロックも付きましたし、もう落としません♪」
証明してみせるようにピョンピョン跳ぶ萌亜は、先輩に向かってパステルピンクのレスポールを掲げてみせます。
「似合いますか? 名前はエモい音をだすギターで、えもちゃんです♪」
「萌亜のギターがえもって、ややこしい命名するな。ああ、あと」
先輩は少しだけ迷った仕草を見せてから、萌亜に微かに笑いかけてくれて。
「似合ってるよ」
初めて、面と向かって褒めてくれました。
バンドを始めると宣言したものの、萌亜の発案なので先輩が積極的に動いてくれるとも思えません。なのでメンバーは自分で探そうと、まったく音楽をやっている人に伝手がない萌亜は頭を捻っていました。
「う~むです」
「どうしたの? 萌亜ちゃん。似合わない難しい顔して」
朝の登校中に眞友ちゃんに話し掛けられた萌亜は、無いと思っていた伝手が目の前にいたことに気付いて眞友ちゃんの両手を握りました。
「ともちゃん。ピアノやってますよね?」
「うん。そうだね。でも、それがどうかしたの?」
「萌亜知ってるんです。ピアノのいるバンドもいます! まずは1人確保です♪」
「それってキーボードのこと?」
説明の足りない萌亜のせいで理解が追いついていないようなので、萌亜はバンドを組むことになったいきさつというか思いつきを説明します。
「なんだか面白そうだね」
「ですよね♪ ともちゃん、入ってくれませんか?」
「私でよければぜんぜん良いよ。でも今って、人はどのくらいいるの? 萌亜ちゃんと神夜先輩だけ?」
「そうですね。これから集めます。まあ適当に友達に声かければすぐ集まりますよね♪」
「でも萌亜ちゃんの友達って、私だけだよね?」
「あっ……」
盲点でした。萌亜は友達が少ないだろことか1人しかいません。こんな準ボッチがどうしたらバンドメンバーなんて集められるんでしょうか。
しかし友達とは言えなくても関係のある先輩ならいます。楽器を弾けるのかは分かりませんが、何も出来なくても萌亜のように練習すれば良いんですし誘うだけ誘いましょう。
「レムレ先輩! バンドやりましょう!」
「うん。いいよ」
「いいんですか!?」
まさかの即答に動揺してしまった萌亜は、それでも了承してくれて良かったと安堵します。 でも会室で優雅にティーカップを傾けているレムレ先輩は、やはり楽器をやっているようには見えません。いえむしろピアノとかヴァイオリンは弾いていそうなのですが、バンドに必要なギターやベースなどを嗜んでいなさそうなんです。
「レムレ先輩って、なにか楽器経験とかありますか?」
「ないね」
「やっぱりです」
「でも、うん。僕はなんでも弾けると思うよ。だから余ったパートを言ってくれたらそれをやろうかな」
「えぇー、レムレ先輩音楽を軽く見すぎじゃないですか? コードを覚えるって大変なんですよ?」
「じゃあ証明しようか。朝日奈君、そのギター、少し貸してくれないかな?」
先輩から貰った大切なギターですが、先輩もレムレ先輩の自信が気になったそうで貸してやれと言われたので渋々ですがレムレ先輩にえもちゃんを手渡します。
レムレ先輩は座ってギターを構えたまま何度かフレットを押さえて音を出すと、いつもの不敵な笑みを浮かべて頷きました。
「うん、だいたい分かったよ」
なにかを弾こうとするレムレ先輩に、萌亜はピックを渡すのを忘れてしまったと鞄を取ろうとしましたが、レムレ先輩はそのまま、手弾きでアンプにも繋げていないエレキギターを弾き始めてしまいます。
弾き始めた曲は萌亜でも直ぐにクラッシック音楽だと理解できるものでしたが、また萌亜でも直ぐに理解できるくらい、演奏中は口を閉じるのを忘れてしまったくらいに上手でした。
「す、凄いです……ほんとにやったことないんです?」
正直先輩より上手かったです。
「うん、ないよ。けれど楽器なんてどれも同じさ。7種類の音を違った方法で奏でるだけだからね」
絶対この人絶対音感とか持ってます。なんて萌亜が驚いていると、隣で先輩と眞友ちゃんも萌亜とそう変わらない反応を見せていました。
「モーツァルトのレクイエムをエレキで弾くとかありか……さすがエレン先輩」
「あはは……ほんとに何者なんですかね、エレンさんって」
神話研究会最大の謎であるレムレ先輩の謎がまた深まりましたが、萌亜は案外すんなりバンドメンバーが集まりそうだなと喜んでいました。
「ほんとに何でも出来ます?」
「うん。1人で弾ける楽器ならね」
「そうですか。えーと、バンドに必要なのってギターとベースとドラムと、あとキーボードですから。レムレ先輩はベースかドラムですね」
「萌亜ちゃん。ドラムやってる人の方が見つけるの難しそうじゃない?」
「確かにです。レムレ先輩、萌亜のバンドのドラムやってください!」
「うん。いいよ」
なんというか、意外と頼みを断らない人なんですね。萌亜が勝手に敵視していただけで良い先輩なのかもしれません。
「ありがとうです♪ これで後はベースだけですね♪」
本当はこのまま神話研究会のメンバーで揃えたいですけど、会員はこの四人しかいないのでこれ以上は頼みようがありません。最後が一番難しそうです。萌亜これ以上お友達いませんし、眞友ちゃんも仲の良いクラスメートに聴いてくれましたが、楽器経験者はいなかったみたいです。またお悩みモードに入ろうとした萌亜でしたが、唸り始める前に先輩が口を開きました。
「萌亜。ベースだが、心当たりがある」
「ほんとですか♪ あっ、そうですよね♪ せんぱいって意外と友達多い人でしたもんね♪」
「意外とは余計だ。俺は中学からやってるから、音楽友達くらいいるんだよ」
もうバンド結成が目前です。1日で終わっちゃうかもですねメンバー集め。
「ちなみに、どんな人なんです? あとこの学校ですよね?」
「ああ。俺と同じ学年で、小学校低学年から一緒なんだ。だからまあ、俺の――」
次の言葉に、萌亜は本当にその子を誘うのか、考えを改めようかと迷うことになります。
「――幼馴染みってやつだな」
こんなの、嫌な予感しかしません。
だって幼馴染みなんて、主人公のこと好きに決まってるじゃないですか。
これ以上ライバルが増えても困る。けれど一応は頭の上の表示を見てから考えようと、高校は休みがちだという先輩の幼馴染みの家に行くことにしました。
放課後に眞友ちゃんと萌亜と先輩でその子の家を尋ねるのですが。
「また、大きいですね」
「ほんとだね、萌亜ちゃん」
先輩の家から徒歩2分くらいのところにある、kureと掘られた銀のプレートの付いた大きな門構えの家は、周囲に萌亜がお家が五つは入ってしまいそうな防風林があって、家までの道は左右に水が張ってあり至る所に桃色の薔薇が咲いていました。そこを抜けるとプールまで付いている真新しいコンクリートとガラス張りの建物が見えてきます。
「なにぼけっとしてる。行くぞ」
まるで自分の家みたいにずんずんと進んでいく先輩に、萌亜と眞友ちゃんは顔を合わせて苦笑いしました。
「お金持ちのお友達はお金持ちてことですね」
「ここ、高級住宅街だからね」
友達である先輩の顔パスでオートロックらしい扉が開くと、先輩は直ぐに二階に上がっていきます。家の中は物が少なくて、でも光沢だけを描いたような絵画やガラスの四角形が重なり合ったみたいな器とかが飾られています。
先輩はともかくとして人様のお家に無断であがっていいものかと二人して玄関で戸惑っていると、一階のフローリングの廊下の奥から、桃色がかった金髪の女の子が現れて、先輩が階段を上がる脚を止めました。
「シンヤ……放課後に来てくれるなんて、珍しいね」
まるでパジャマみたいに下着とサイズが大きめの白いワイシャツだけを着ている金髪の少女は、その雲のない空みたいに澄んだ青い瞳を、涙で潤ませていた。
「でも、なんで知らない女の子連れてきてるの? ボクの気持ち知ってて、なのかな……」
「桃花鳥……」
色々とあった様子の2人ですが、萌亜は先輩の見境なさに溜め息を付きたい気分でした。だってやっぱり、この子の表示、【サブヒロイン】なんですもん。
トキの話は短編として出している『Can you answer my question ボクの質問に答えてよ』に。
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