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カラポン・ザ・ストーリー  作者: 鈍行彗星
1『カラポン・ザ・ストーリー』
7/21

4『イエリー・マナヤ ~後編』

8/12再編しました。

4『イエリー・マナヤ ~後編』



「これいいよね! うん、これ、これ決定!!」

「………」

 遠くでは、桂の着せ替え人形と化したイエリーがチラチラとこちらを見ている。良さそうな服を見つけては、イエリーに押し当ててキャーキャーと騒いでいた。

「うーん、このブラック・ペッパー・コーラは失敗だったな」

 俺はというと、スタンバイモードという奴だ。店の入口正面向かいにある花壇のベンチに座り、一息ついている。

 ここのグランシャリオは女性物コーナーが圧倒的に広いせいもあって、男が一人でぼんやりつっ立ってるには、あまりにも浮いてしまうのだ。桂もイエリーに付きっきりだし。 

(ま、桂に任せてりゃ失敗はないよな………ん?)

 桂が、手招きしてる? あまり顔がよく見えないが、随分大振りで腕を振っているようだ。

「試着するから運ぶの手伝って!」

「うわっ、もうこんなに選んでたのか」

 机の上に置かれた買い物カゴには、シャツ、スカート、ズボン、下着に至るまで、様々な衣類がハンガーごと収まっていた。しかも、カゴは床にもう1つあって、同じぐらいの量が詰められていた。

「イエリーは何でも似合いそうな気がするんだもん、全部試してみたくなっちゃった」

「予算考えろよ予算………ていうか、」

 カゴの隙間から、カラフルな紐がこぼれ出ていた。引っ張り出してみると、案の定、虹色ビキニが出てきた。…水着まで買うのか?

「も、もう夏なんだしさ! いいじゃない、そーいう季節だよ、これから!」

「イエリーはロボットだから水はダメだろ………」

 あっ! という顔の後に、『チッ』と舌打ちしたのを俺は見逃さなかった。こいつ…自分の買い物も相当カゴに入れてるんじゃないだろうか。

「防水加工が施されているので、短時間の水中活動は可能になっています」

「ほら、ほらあ! イエリーだって欲しいって言ってるって! 買い、買い! 試着しよ、ね、イエリー!」

 欲しいとは言ってないだろ…とツッコむ隙すら無い内に、桂はイエリーの手を引いて試着室の方へ走っていってしまった。イエリーがチラリと俺の方を見ていた。

「へいへい…ただいまお持ち致しますよ、お嬢さ、ま…!?」

 いったいどれだけ詰め込んだんだ? そう思うぐらい、2つのカゴはとてもつもなく重かった。 …プラスチックの取っ手が、妙に柔らかく曲がっているように見えて、折れるんじゃないかと思ったほどだ。

(これじゃあ桂には運べなかっただろうけど………俺だってキツいわ、バカ!)

 しかも後で全部持って帰るんだよな………誰が持つんだって、決まってるよな………はぁ。


――――――


「ほんとゴメン、ゴメン! ほんっ、とに今日はゴメンぼたんちゃん!!」

「だから、もういいからっ。早く行ってきなさいよ、荷物見といてあげるから」

 小雪は持っていた紙袋やカバンを花壇前のベンチに置くと、いそいそと店のレジに向かっていった。グランシャリオのスタンプカードを、会計時に受け取り忘れていたことに気が付いたのだ。

(ま、気が付いただけマシよね。もうすぐいっぱいになるって覚えてなかったら、帰るまで気付かなかったんでしょうけど)

 ぼたんはベンチに座ると、小雪がバラバラと置いていった荷物を自分の方に寄せた。自分はカバンに入りきってしまう程度の小物ぐらいしか買っていなかったが、小雪は水着以外にも色々な物を買っていた。

 ビーチサンダル、サンバイザー、サンオイル、そしてうきわ…。

「うきわってのが雪らしいのよね………それにしても、夏休みに海にでも行くつもりなのかしら」

 もう一つ大きな紙袋があったが、そっちは何が入っているかわからなかった。ぼたんが本屋であまりにも立ち読みに夢中になってしまって、その間に小雪が一人で買い物をしてきた時に買ってきた物らしい。中には更に紙袋で包まれた何かが入っていて、確認することはできなかった。

「あー、何か飲みたいかも………自販機………何あの広告、ブラック・ペッパー・コー…」


 突然、ぼたんは視界が真っ暗になって、ドキっとした。な、なに…? と、声を出そうとした瞬間、聞きなれた声が顔の真後ろぐらいから聞こえてきた。

「だーれだ!」

「その声………もしかして、」

 ぼたんがその人物の名前を口にすると、当人は嬉しそうな声を上げ、視界を解放してくれた。と、ほぼ同時くらいに、小雪がレジの方から戻ってくるのが目に入った。

「お待たせぼたんちゃーん、聞いて聞い………あれぇー!? えー、何で何で?」

 小雪もまた、その人物の姿を見て大いに驚いていた。『彼女』はそんな小雪を見ると、更に嬉しそうな声を上げて、両手を広げて小雪にぎゅっと抱きついた。驚いた小雪は、今返してもらってきたばかりのスタンプカードを手から離してしまっていた。

「うっぷぷ」

「ほら、雪、カード落とした。………それにしても偶然ですね、林檎先輩。先輩もお買い物ですか?」

 小雪の頭に顔を埋めていた林檎はぼたんに振り向き、上機嫌な笑顔で『ウン!』と答えたかと思うと、次には口をとんがらせて、ぷくーっと頬を膨らませていた。

「ホントはカラポンと来たかったんだけどねー、お家お邪魔したら出かけてるって。ぶー、つまんないじゃん」

(ああやっぱりさっきそこで見た人、林檎先輩だったんだ…見間違いじゃなかった)

「あ…でもでも、私さっき……」

 小雪は林檎の腕から解放されると、ぼたんからカードを受け取り、2度、3度、深呼吸した。よっぽど圧迫されていたのだろう、と、ぼたんは思った。

「…そう、カラポン先輩、見たんですよ! 試着室の所にいるの…たぶんそうだと思います」

「えっ、ホントホント、カラポンいるの? やったッ! どこどこ、教えて雪ちゃん! ぷにちゃんも行こっ!」

「ぷ、ぷにちゃんはやめてくださいってばぁ…」


―――――



「どう? ねぇ、どうどう?」

「んー、いいんじゃね?」

 先に試着室から出てきたのは桂の方だった。やっぱりお前の買い物が混ざって………なんてツッコミさえ、もうする気にもならない。

「ちゃんと見てよぉ。ノースリーブって腕が太く見えるっていうから嫌だったけど、実際着てみると涼しくっていいよね! 下の所がフリルになってて可愛いし、これは決まりかな~」

「…右のワキんとこ、毛が一本伸びてんぞ」

 バッ! と音がするほどの勢いで、桂は中の鏡に振り返った。ワキを押さえて隠すあたりが滑稽で可愛い。

「見ないでよ!」

「ちゃんと見て、って言ったからだろ」

 シャーッ! と乱暴にカーテンが閉められて、数秒としない内に元のシャツを着た桂が出てきた。

「トイレ行ってくる!」

「このタイミングで?」

 今更のことだが、どうも俺の一言二言がいちいち気に触るらしく、カバンを拾うと『バカ!』の一言と、鋭い拳を俺の腹にぶつけていった。試着室の中を見てみると、さっきのタンクトップが脱ぎ捨てられたかのような状態でカゴの一番上に重ねられていた。波打ったような黒い毛が一本、フリルにくっついていた。

「ったくガサツだよなあいつは………イエリー、着替え終わったか?」

 隣で同じく試着をしてるはずのイエリーに声を掛けてみたのだが、試着室からは返事が帰ってこない。着替えの衣擦れの音さえ聞こえなかった。

「イエリー? サイズが合わなかったのか?」

「………」

 あ、もしかして。………ふと、思い当たる節があって、俺は左右を見回した。近くには、誰もいないようだ。

「…イエリー、入っても大丈夫か?」

「…どうぞ、マスターカラポン」

 もう一度左右を見渡して、誰もこちらを見てないことを確認。俺は小さくカーテンを開け、素早く試着室の中へと入り、カーテンを閉めた――――。


―――――


「あっ…試着室、入っちゃった」

「うん、見えたよ。アレ、カラポンだね、間違いない」

 小雪、ぼたん、林檎の三人は、試着室から見て正面方向の通路を通ってきた。壁際の試着室までは、およそ10mほど離れた所にいた。

「試着室の前で待ち構えて、脅かしちゃおっかな~♪」

「あ、ズルい! …じゃなかった。そんなことしちゃ、カラポン先輩がかわいそうですよ~」

(どうでもいい…)

 小雪の一言が火を付けたのか、林檎は洋服掛けの陰にしゃがみ込むと、試着室の方を盗み見た。すると今度は、一列奥の洋服掛けの陰に素早く移動して、やはり同じようにしゃがんで試着室の方を覗き込んでいた。

「…何やってんですか林檎先輩」

「しっ! ぷにちゃん、今は作戦行動中だよ。隠密活動中は、通信を最小限にするように」

 通信って………と、ぼたんが呆れていると、いつの間にか林檎の隣で、小雪が同じようにしゃがみこんで、洋服の隙間から試着室の方を覗き込んでいた。その表情はいつになく真剣だ。

「雪まで………」

「ぷにちゃ………じゃなかった、ぼたんちゃんも早くしゃがんで! 見つかっちゃうよ!!」

 そんなことをする方がよっぽど怪しい………と、茶々を入れられる雰囲気ではなかった。二人がほったらかした荷物を回収して、ぼたんは渋々小雪の後ろにしゃがみこんだ。スカートも気をつけないといけない。

(ていうかさっき、カーテンが閉まってる試着室に入ってなかったっけ? この辺だって女性物ばっかだし………中に誰かもう一人いるのかな? 彼女とか…)

「え? 何か言った、ぼたんちゃん?」

 シーっ、と、林檎が指を立てる。小雪もぼたんも、同じように指を立てて『しーっ』と真似た。ぼたんは、なんだか恥ずかしくて、しかもウンザリしてきた。

「…後でプチシューdeパパ、ビッグサイズって言ったのっ」

「ひぇぇ、もうお金無いよぉ…」



―――――


「やっぱりな…」

「何がやっぱり、なのでしょうか」

 やっぱり、…着替えてなかったんだもん。足元に置かれたカゴはそのままで、一切手をつけた様子も無い。

 なにしろ今着てる服だって、俺が着替えさせなければどれ一つ正しく身に着けることができなかった。そんな彼女が、初めて見る洋服の試着なんて、できるわけがなかったのだ。

「着替え方、わからなかったんだろう? せっかく桂が色々選んでくれたんだ。どれか、着てみたいのはあるか…イデッ!」

 カゴの中の洋服を手に取ろうとして、俺は試着室の壁にしたたかに尻をぶつけた。あたり前だが、試着室っていうのは一人で着替えるための個室であって、とにかく狭い。隣に響いてしまっただろうか?

「………こちら側へ。カゴを入口側に置けば、空間が確保できます」

「お、おう………でも、そしたら…」

 真ん中にあったカゴが向きを変えて入口側へ、そして入口側にいた俺が鏡の方へ。…当然、イエリーは鏡側にいたので、鏡の前には二人がいることになる。

「………」

「…狭い、よな、やっぱ」

 密着。腰が、肩が、それから脚が触れているのを感じる。何をやってるんだ、俺………。

「ま、まあとにかくだ。服っていうのは、体とのサイズが合わないと、何かと面倒なことになる。それでまず、一度その服に着替えてみることで、サイズが合っているかどうかを確認する、それが試着ってもんだ。

 あとは自分に似合ってるかどうかとか、上と下の組み合わせがいいかとか………まぁとにかく、試しに着る。そう、だから試着」

「この洋服を試しに着る。つまり、私の体へ試験的に身につければよろしいのですね」

 おおっ、なんだか今回のイエリーは理解が早いぞ。…でも、何で俺が入ってくるまで試着してなかったんだ?

「着衣に関するドライバは、マスターカラポンにより、既にインストールされました。しかし、脱着ドライバはまだインストールされていないため、着衣することができません。脱着ドライバのインストールを」

 ああ………つまり、服を着る方法は家でのアレで覚えたけど、脱ぎ方がわからないってわけか。

「…アナログな方法でいいのか? その…つまり、俺がイエリーの服を脱がしてあげればいいんだろう?」

 コクリと、頷き肯定するイエリー。その表情が恥じらいに溢れていて、ほのかに頬をピンク色に染めていたなら、俺はどんなに発狂していたことだろうか…! もちろん、イエリーは相変わらずの仏頂面で、頬も白く生命感の無い白磁色のままだった。

「よし…じゃあまずはイエリー、胸についているボタンを外すんだ。…そんな引っ張ったらボタンが外れちゃう………って、そういう意味の外すじゃなくってな。こうやって、穴を押さえながら、ボタンをななめにして………」


―――――


「あったまきちゃうなー、もうっ。毛なんか無かったしっ!」

 トイレから戻ってきた桂は、小箱をカバンにしまいながら不機嫌に歩いていた。トイレから、というよりも、ワキのケアから戻ってきたというのが正しい。

「むー、なかなか出てこないじゃん!」

「時々カーテンが動いてますから、中にいるのは間違いないはずなんですけど…」

「男のくせに着替えるの遅すぎ………」

 どこからか、ヒソヒソと会話が聞こえてくるのに桂は気付いた。試着室から見て、正面の洋服掛け辺りにしゃがみ込んでいる人の足が見えた。痺れているのか、時々小さく足踏みするように動いていた。

「…覗き? まさかね………イエリー、着替え終わった? …んっ」

 カーテンを少し開くと、桂にはズボンをちょうど脱いでいる最中のイエリーの後姿が目に入った。なぜか後ろからは、『ひゃあ』という声が聞こえた。

「あ、ごめん。まだ着替え中だったんだね。私ももうちょい試着するから、着替えたら一回見せてよね」

 シャっ、と、カーテンを閉める桂。隣の試着室に戻り、自分の試着の続きを始めた。

(そういえば拓にぃはどこに行ったんだろう? 荷物ほったらかしじゃない………あれ、このタンクトップ、こんな畳み方だったっけ?)


―――――


「………あ、あぶねぇ…殺されるかと思った」

 恐ろしく見計らったかのようなタイミングだった。、まさに今、屈みこんだ状態でズボンをずり落としている最中に、天からお声が掛かった。逆に言えば、このタイミングじゃなかったら確実に見つかっていただろう。心臓がバクバクと激しくドラムを打っているような気がした。

「マスターカラポン」

「あ、あぁ………後は、足を交互に持ち上げて、ズボンを外せばいい。」

 …まぁしかし、桂も言ってたけど、トランクスってのはシュールだったかもしれないな…。罪悪感というか、なんだか見ていてかわいそうになってきた。

「そういえば下着もあいつ選んでくれたのかな………なんか女子の洋服が詰まったカゴを漁るのって、見栄えがいいもんじゃないよな…」

 そうこう独り言を呟いている内に、それはカゴの中から出てきた。ブラジャーとパンツ………ハンガーに収まったそれを持ち上げて、思わず唾を飲み込んでしまった。

 シャツ状になった………タグにインナーと書いてあった………肌着も出てきて、下着だけでも実はかなりの数が入っていたことに気付かされた。

「それは?」

「………肌に直接着る服だ。これは家に帰ってからにしよう」

 だいたいの大きさは合っているだろうし、会計の時にまた外したりしないといけないから、時間が掛かるだろう。

 何より、桂が戻ってきてしまった以上、なんとしても桂が着替え終わるまでに俺が試着室を出ないといけない。早くイエリーに一通りの試着を完成させなければ…!

「イエリー。このスカートを穿いてみるんだ。そう、さっきのズボンみたいに正面のボタンを外して…」

「やってみます………」

 しかし、ハンガーから外すのだけでもたついてしまっている。結局、俺がまたそのスカートを受け取って、足を通して持ち上げることとなってしまったのだった。

「…おし、OK!」

『あれー、拓にぃ、戻ってきたの? どこ行ってたのよ、ちゃんと荷物見ててよねー』

 思わず声が大きくなってしまい、慌てて口を塞ぐ俺。着替えの終わったイエリーは、鏡ではなくそんな俺の様子をじっと見ていた。

「…桂に見つかる前に一旦外へ出よう。イエリーも、一回桂に見てもらおうな」

「わかりました」

 カーテンを少し開け、桂がまだ試着室に入っているのと、左右に誰もいないことを確認する。よし…、今なら大丈夫だ。

「よし、出るぞ!」

 俺は勢いよくカーテンを開けて、中に隠しておいた靴を床に落とす。靴に軽く足を入れて、俺は試着室の中のイエリーに手を伸ばす。イエリーはそれに気が付くと、自然に俺の手を握り返してきたのだった――――。


―――――


「あ」

「あ…」

「………え?」

 小雪は驚きのあまり立ち上がろうとしたが、足が痺れて尻餅をついてしまった。ぼたんが慌てて小雪を支えた。

「バカっ、見つかっちゃうでしょ!?」

「ご、ごめん…でも………」

 あらためて試着室の方を見る二人。

 唐突にカーテンが開いたかと思うと、拓二が中から靴を投げ出して、慌ただしく足を突っ込んでいた。そして………

「………あの子、誰か知ってる?」

 そう聴いたのは、林檎だった。誰に問いかけてるのか、目線はカラポンに手を引かれて出てきた人物に釘付けだった。

「…知りません」

「わわ、私も知らないです」

 林檎だけは、最初と同じ洋服掛けの陰にしゃがんだままだった。ハンガー掛けの銀色パイプを握りしめ、彼女の表情を伺うことはできない。

「そう………」

 拓二と、もう一人の少女は、床に降りるやいなや、いきなり抱きつき合って、さらに3人を驚かせた。遠目に見ていても、今のは拓二の方からとわかる、と、ぼたんは思った。

「ていうか―――」

「あたしも知らないじゃん」

 フッと立ち上がる林檎。もうその位置からは、姿は隠れていない―――――。


―――――



「ご、ごめんイエリー。足が…」

「お怪我はありませんか、マスターカラポン」

 靴をちゃんと履いていなかったせいで段差を踏み違えた俺は、前のめりになる形でイエリーに倒れてしまった。

 俺自身、バランスを崩していたせいもあって、イエリーに支えを求め、強く肩を掴んだのがいけなかったのかもしれない。だけど、まさかイエリーまで俺を強く掴んでくるとは思わなくて、一瞬思考が滞ってしまったのだ。

「あなたに怪我をされるわけにはいきません。私は、マスターカラポンの身体警護も、マスタースジマンに依頼されているのです」

「そ…そう、なのか…わかった、ありがとう。わかったから…そろそろ、離してもらえないか?」

 誰かに見られる前に、誰かに見られる前に…具体的には唐林桂に『何抱き合ってんの!』とか言われない内に………。

「何抱き合っちゃってんですかぁ、先輩!!」

「うわほらまた面倒くさいことになっちまった…って、」

 先輩? え、誰よ今の声…? 俺はイエリーの手を解いて恐る恐る後ろを振り返ると、なんと、私服姿の小雪ちゃんが両手を胸に当てて立っていたのだ。

「こ、小雪ちゃん…!? 何でここに?!」

「そんなことより説明してくださいよ!! 浮気ですかっ、不倫ですかっ、誰なんですかその子、カラポン先輩の何なんですか!?」

「雪、ちょっと落ち着きなって、声デカいから、ちょっと!」

 どこから出てきたのか、やはり私服姿のぼたんちゃんが現れて、小雪ちゃんを後ろから押さえつけていた。それでも小雪ちゃんは収まらないらしく、振り切って俺の腕を取って掴んで来たのだ。

「こ、小雪ちゃん…!?」

「最低ですよ先輩! 私………林檎先輩っていう彼女がいるのに、何でこんなことするんですか!? 見損ないましたよっ、ガッカリですよ、カラポン先輩!!」

 ど、どうしたらいい? 小雪ちゃんに誤解だと説明したくても、この様子じゃ簡単には納得しないだろう。

 …かと言って、イエリーがロボットだということをバラしてしまっていいのだろうか。そりゃ、隠し通すよりかは遥かに楽だろうけれど………。

「うるさいな~。何やってんのさっきから」

 全部会話が聞こえていたのだろう。桂が試着室から、怪訝そうな顔をして出てきて、その場にいた全員の視線が桂に集中した。

「あっ! まだ浮気相手を隠してたんですね! しかもこんな小さい子!!」

「いや、だから違うんだって! 話を聞いてくれ小雪ちゃん!」

「ハァ…? 浮気って………もしかして、修羅場ってる?」

 露骨にニヤニヤしやがって…ムカつくな! 俺は軽くげんこつを落として、桂の両肩を掴み、自分の前へと持ってきた。

「痛い!」

「紹介しよう、二人とも! コイツは俺の妹、唐林桂! ちょっと生意気、チョイ生・五年生、おうし座のA型、あだ名はカラオケ! 好きなパンツは白地に黒のハート柄!!」

 あぁ、あと何を言おう。もうネタが無くなってきた。

「ちょ、バカッ、クソ兄ぃ! いい加減なこと言わないで!!」

「うるせーチョイ生! というわけで、コイツは俺の妹! そっちはいとこ! なぁーんもやらしいこと無し! これで納得・オーケィ小雪ちゃん?」

 …だったなら、良かったんだけど。への字口を強く引き締めた小雪ちゃんは、まだ不機嫌そうな上目で俺を睨み上げていた。

「じゃあ何で抱き合ったりしてたんですか」

「それは~…転んだだけさ。抱き合ってるように見えたかもしれないけど…」

 これは本当だしな。闇雲に嘘を増やすのはよくないだろうから、正直に答えた。

「じゃあ何で試着室に二人で入ってたんですか!? おかしいじゃないですか、女の子が着替えてる所に入り込むなんて!」

 げっ、そんな所から見てたのか…?

「そんなことしてたの? うわ、やらしー、どうりで見あたらないと思った」

「うるせぃ、お前は黙ってろ! それはだな小雪ちゃん………それは…」

 どう切り抜けたらいい…? 俺は助けを懇願するように、無意識にイエリーに目を向けていた。当の本人はというと、よくわからないといった感じの顔で、包帯を巻いた腕を掴んで立っていた。包帯を巻いた…?

「そ、そう、腕!」

 俺は思わず叫んでいた。そして、頭に次々とひらめいた“設定”を、思いつくまま披露していた。

「彼女は両腕に火傷をしちゃってて、自由に腕を使うことができないんだ。ほら、見てごらん、両方グルグル巻きだろう? だから服を着替えるのだってとっても大変なんだ。

 だけど今日は、久々にいとこの桂の所に遊びにこれたからね、買い物にはどうしても行きたいと言ってさ、この洋服も桂が選んでくれたんだ。桂の奴は身勝手だからさ、自分で選んだ服の試着に夢中になっちゃってて、彼女をほったらかしにしちゃってたんだ。で、着替えられないからって、彼女が中から………俺に声を掛けてきて、ね?」

 …ダメだ。話せば話すほど、ボロが増えてる気がしてきた。案の定、小雪ちゃんの顔はとても納得しているようには見えなかった。

「…だから、試着室に入って着替えを手伝ったって言うんですかぁ?」

「…そう」

 イエリーを見る小雪ちゃん。その顔は、とても今日、初めて会う人に対して向ける顔をしていなかった。

「あなた、お名前は?」

「い、『イエリ・マナヤ』って言うんだ」

「先輩には聞いてませんっ」

 拒絶された…。その後ろでは、ぼたんちゃんがヤレヤレと両手を挙げていた。

「イエリさん。さっきからあなた、何にも喋ってないじゃないですか。あなたが説明してくれなきゃ、私、何にも本当のことがわかりません。唐林先輩が言ったことは本当なんですか? あなたの口から説明してください!」

 とうとう小雪ちゃんは、イエリーにまで詰め寄り始めてしまった。本当にあの、いつもあわあわしてた小雪ちゃんなのだろうか…? そう思うぐらい、今の彼女は驚くほどに堂々としていた。

 そしてイエリー………。彼女は、何と答えるのだろうか。やはりその顔に、表情は何一つ浮かんではいなかった。

「何を、説明すればよろしいのでしょうか」

「事実をありのままに。試着室の中で、あなたと唐林先輩が何をしていたのかを教えてくださいっ」

 イエリーがチラリと目だけで俺を見た。命令を求めているのか、あるいは小雪ちゃんに正直に答えていいか許可を求めているのか、それは伝わらない。

(もう何でもいい………イエリーに任せる…!)

 果たして俺のテレパシーは伝わるだろうか。俺は、全ての意味を込めて、ゆっくりとイエリーに頷いた。彼女も、小さく首を動かしていた。

「私は………」

「私は?」

 桂も俺も、そしてぼたんちゃんも、向かい合うイエリーと小雪ちゃんのやりとりを、緊張した面持ちで見守っていた。果たして小雪ちゃんは、納得するのだろうか…?

「……私は、服を脱ぐことができなかった」

 イエリーが、少しずつ口を開き始めた。

「桂が選んでくれた服を試着するため、試着室に入った。しかし、私は着替えることができなかったため、ただずっと中にいた」

 更にイエリーは続ける。

「彼は外から私に声を掛けた。私が彼に、服の脱着を依頼し、彼は私の服を脱着し、着衣させた」

「(………たしかに、合ってる、よな…)」

 嘘は言っていない。抽象的なように聞こえるが、淡々としてるだけで内容は十分具体的だ。

 小雪ちゃんはと言うと………腰に両手を当て、なんだかものすごい表情でイエリーの目を見ていた。

「ふ…ふ服の脱着って、ちゃ着衣いいってて、どどんな風に!」

「説明するのですか?」

 またしても、チラリと俺の顔を見るイエリー。…いや、それ以上はやめてくれ。という意味を込めたつもりで、俺は右手を上げた。………なぜ首を縦に動かす、イエリー?

「最初は胸のボタンを………」

「ぼぼぼぼぼたんちゃんは関係ないでしょっ!!!」

「ちょっと、落ち着きなさいって雪………って、雪、雪!?」

 ぼたんちゃんが興奮した小雪ちゃんの肩に触れた途端、そのまま彼女は、まるで地面に突き刺した棒が傾いて倒れるかのごとく、ベチャアン! と、大きな音を立てて床に正面から倒れてしまったのだ。

「小雪ちゃん!?」

「雪っ、雪!? しっかりして!!? …わっ、熱出てんじゃないの?」

「うひゅぅ~………」

 彼女を仰向けに起こすと、なんと鼻血が出ていて、おでこもぶつけたのか赤くなっていた。ぼたんちゃんの言う通り体温が上がっているらしく、服越しでも熱いと感じるほどだった。

「小雪ちゃん…興奮しすぎちゃったのか…?」

「あ、違う! そういえばさっきから、色々あって走り回ってたから………」

「拓にぃ、とりあえずあっちのベンチに運んだ方が。行け! お姫様抱っこ!!」

「くそーっ、やっぱ俺かぁ!!」


――――――


 ………俺とぼたんちゃんが小雪ちゃんの介抱をしている間に、桂とイエリーは自分達の服の会計を済ませて来たらしく、手提げの紙袋を一つずつ持って戻ってきた。

「…拓にぃ、大丈夫そう?」

「あぁ、軽い熱中症みたいなもんだろ。さっきお医者さんが来てくれて、少し休めば大丈夫だろうって言ってくれたよ。………それよりお前らの買い物って、そんなに少なかったっけか?」

 桂は袋を持ち上げて、呆れたような仕草をしてみせた。

「自分で持てるぐらいの量にしとかないとね。拓にぃ、その子の荷物で両手がいっぱいになっちゃうでしょ?」

 あぁそうか………つまり、小雪ちゃんを送ってけって言ってるんだな。変な気を遣いやがって。

「うぅん………カラポン先ぱぁい………」

「雪、目ぇ覚めた? 大丈夫?」

 冷やしたタオルをずらして、小雪ちゃんの目が垣間見えた。焦点が合って無いのか、なんだか虚ろな表情だった。

「あれ………? 私、どうしちゃったの………?」

「カラポン先輩が荷物持ってってくれるってさ。やったじゃん、雪」

 小雪ちゃんの両目が、右へ、左へと、ゆっくり動く。ようやく意識がハッキリしてきたのか、俺の方に向きが合うと、なぜか、微笑んだ。

「あれぇ………カラポン先輩じゃないですかぁ。………どうしてここにいるんですかぁ………?」

 ぼたんちゃんと目を見合わせる俺。ほっと、二人で息をついていた。

「…小雪ちゃんを助けに来た、っていうのじゃダメかい?」

「えへへぇ………嘘はいけませんよぉ、先ぱぁい………」

 おでこに手を当ててみると、さっきよりも熱は下がったように思えたが、まだ少し熱いようにも思えた。

「…先ぱぁい…」

「ん…? 何、小雪ちゃん?」

 小雪ちゃんはずらしたタオルをひっくり返して、元の位置に戻し、眼球を冷やしていた。もう大丈夫だろうなと思って、立ち上がったその時―――――、










「浮気しちゃぁ…だめですよぉ……林檎先輩が…怒ってましたよぉ…?」


「………、………え?」

 …小雪ちゃんの、その、一言、が、俺の、頭の、中を、真っ白、に、した、、、。

「………林檎、いたの………?」

「うにゅぅ………」

 しかし、それ以上小雪ちゃんが返事をすることはなかった。ぼたんちゃん―――――。ぼたんちゃんに目を向けると、彼女もまた、ビクッと身体を震わせるほどに、驚いていた。

「林檎が…いたのか?」

「…さっき、そこでバッタリ会って………私達と一緒に、試着室の所にいたはずなんですけど………」

 試着室―――――。その言葉を聞いた瞬間には、俺は彼女達の声を振り切って駆け出していた。

 三つの試着室のカーテンは開いていて、中には誰も入っていない。フロアを見渡しても、それらしき姿は見当たらない。レジ、他の試着室、どこにもいない。なら、この店の外か?

 俺は通路に出て辺りを見回すが、吹き抜けの引弧モールはあまりにも店が多すぎるし、人だってたくさん歩き回っている。こんな広い所で、ただ一人の林檎を見つけられるのだろうか?

(あいつならどこへ行く………駅か?)

 星流鉄の駅まではアーケードの端、そこまでここからは一本道。北貝梨への電車は10分おきで、あと2分…! 走れば間に合うか…?!

(迷ってられるか!)

 駆け抜ける。すれ違う人々を掻き分けて、店々の看板を無視し続けて、ただひたすらに走り続ける。

 それでも目を凝らしながら、彼女の後姿が無いかを探し続ける。彼女は、いない。

(プチシューdeパパ………アーケードの出口…!)

 二重の自動ドアの向こうで、踏切の警報機が鳴っているのが見えた――――――。


 カン、カン、カン…………シュパァア―――――

「はぁ…はあ………はぁ………」

 自動ドアを出た瞬間、波打ったような熱波に一瞬めまいを感じ、無意識に俺は足を止めてしまっていた。胸の奥で突き上げるような鼓動のリズム、せり上がってくるような熱い内側の熱流を感じ、今まで走ってきたのが嘘のように、身体を動かす気力が失せていく。

 そんな俺の眼前で、今まさに、北貝梨行きの電車がブレーキの圧力空気を放出して、発車しようとしていた。

 ウォォオオン………ガッタン、タン、タタタン………

「………っ、間に合わなかったか………」

 鈍い重低音を唸らせ加速していく鋼鉄製の電車。座席に座っている人達の後頭部が、なぜかハッキリとピントが合って見えていて、吊革がどのように揺れ動いているのかさえイメージできていた。


 だから、俺はハッキリと見ることができてしまったのだ。

「――――――………!!」


 一人だけ、一番後ろの車両に、一人だけ、後頭部ではなく、振り向いた横顔の人がいた。アーケードの入口を振り返るように、そして、目線が下がり、俺を見下ろすかのように――――――。

「りん………ご………」

 蒼井林檎が、生気の無いような目で、窓から俺のことを見ていたのだ―――――。


カン、カン、カン、カ………


 遮断機が上がり、人や、自転車や、車が、今そこに電車がいた場所を渡っていく。今そこに、林檎がいた場所を、皆が通り抜けて行く………。

「………林檎…」

 彼女は、何を思ったのだろうか。俺を見て、何を考えたのだろうか。…何も言わず、なぜ、帰ってしまったのだろうか。

 林檎。蒼井林檎。彼女の姿が、表情が、感情が、頭の中で溢れ出そうになっている―――――。


「マスターカラポン」

 …膝を押さえる俺の後ろから、俺のあだ名を呼ぶ声がした。 振り返ると、両腕に包帯を巻いた彼女がそこに立っていた。後ろで、自動ドアが静かに閉まった。

「………イエリー、か………」

 彼女の視線を背中で受け止めながら、俺は次の言葉を探していた。イエリーへの言葉を探しているはずなのに、何故か、林檎………りんごという単語しか思い浮かばないのだ。

「………ごめんイエリー………。俺………今何にも考えられないんだ…しばらく…そっとしておいてくれないか………」

 返事は無かった。きっと、無感情な目をして立っているのだろう。

 俺は、日陰になっている自動ドアの壁にもたれかかり、腰を落とした。

「林檎………」

 火照った身体は、情けなくも、容赦なく俺から体力と気力を奪っていく。膝を抱えた俺の姿は、きっと町行く人々にみじめに映るのだろう。何もする気になれない。いつしか俺は、膝の中に顔を埋めていた。

 近くで、布が擦れるような音がした。

「………」

「………………、?」

 何かが、俺の頭に触れた。それは柔らかく、そして、ヒンヤリと、冷たかった。しかし、決して不快ではなく、程よい冷たさだった。

「………イエリー?」

「ロックオンバスターの冷却装置を起動しました。お加減はいかがですか、マスターカラポン」

 イエリーは俺の隣にしゃがみ込み、俺の頭を抱きかかえるようにして、腕を絡めていた。俺が巻いたはずの包帯は外されていて、イエリーの足元に落ちていた。

「………ロックオンバスターは、」

「包帯装着中は使用禁止です。ですが、包帯の脱着は禁止されていません」

 …なるほどな。包帯を外してしまえば、バスターの使用は自由ってわけか…こりゃ、説明が難しそうだな。

「………包帯の脱着は、するべきではなかったでしょうか」

「…いや、いいよ。それより………」

 それより………? 何だろう………自分で言って、わからなかった。イエリーの顔が、とても近かった。

「それより、何でしょう。マスターカラポン」

「………ありがとう、イエリー」

 彼女にそうされているように、俺はイエリーの頭を、抱くようにして撫でた。サラサラとした髪の毛の質感は、人間のそれと全く変わらない。

「どういたしまして、マスターカラポン」

 それから少しの間、俺達はそうして頭を抱き合っていた。小雪ちゃん達を待たせているんだ、いつまでもぼんやりしているわけにはいかなかった。


―――――


「………本当に、反省してるんですか。カラポン先輩………」

 …ぼたんは、自動ドアを開ける手前で、振り返って今来た道を戻り始めた。嫌な予感がしたが、イエリーに付いて歩いていって正解だったと、思った。

(………小雪。あんたの憧れるカラポン先輩は、とんでもない奴だよ………早く目を覚ませよ、バカっ)

 チクリ。

 胸の中で、今まで感じたことの無いような、奇妙な痛みが疼いた。

(…何だろう。なんかすごく、ムカつく。それもこれも、全部カラポン先輩がいけないんだ――――)

 ぼたんは、ますますイライラした足取りで、アーケードの中を一人歩いて行くのだった………。


―――――


 ガッコン……ォオオン…ガタン、ダタン………

「…ほんとすみません先輩、荷物全部持ってもらっちゃって」

「いいんだよ、気にしないで」

 グランシャリオまで戻ってきた俺達は、小雪ちゃん達と共に引弧モールを出て、星流鉄に乗った。桂が自分達で持てるだけの買い物に減らしてくれたおかげで、俺は小雪ちゃんの荷物を運ぶことができていたのだ。

 電車に乗る頃には、小雪ちゃんもだいぶ調子が良くなってきたらしかった。

「それにしても、スゴい買い物の量だね。いったい何を買ってきたの?」

「わっ…そ、それはその、えと………な、内緒です」

「…いいじゃないですか、他人が何を買おうと」

 うむむ、どうもさっきっからぼたんちゃんの発言に棘があるぞ。俺、また何かやらかしたんだろうか…?

「拓にぃ、帰りどうすんの? その子送ってくなら、私達バスで帰っちゃうけど」

 ドアに寄りかかっていた桂が、背中をぐりぐりしてきた。もっと普通に声を掛けられんのか、こいつは。

「あのな…“この子”って言うけどな、小雪ちゃんは高校生で、お前より5つも年上なんだぞ。言葉遣いには気をつけろって、いつも母さんに言われてるだろ」

「あ、そんな、別にいいですよ先輩っ。そんな怒らなくても」

 そうか? 舐められちゃってると思うんだが、小雪ちゃん…?

「…で、どうすんの? 送ってくならさ、バス代ちょうだいよ。イエリーと二人分。私財布持ってきてないし」

「財布持ってきてないのにそんな買い物してきたの…?」

 ぼたんちゃんが呆れたような、驚いたような声を上げる。小雪ちゃんも不思議そうに首を傾げた。

「…色々訳があってね。二人分な、大人二人分だから………あ、違うか。お前子供だから、大人1の子供1人分………めんどくせ。ほれ、千円」

「へへへ、ありがたき幸せ、兄者!」

 お札を引ったくると、嬉しそうにそれをイエリーに見せびらかす桂。こうして見ると、なんだか本当の姉妹みたいだ。

「帰りにアイス買おうね、イエリー!」

「おいおい、お釣りは返せよなー」

 ていうか、イエリーはアイス食えないしな。

 電車はカーブを曲がりきって、終点到着を告げる放送を車掌が流していた。

 ぼたんちゃんが、座席から立ち上がった。

「シスコンにブラコン………」

「…何か言ったかな、ぼたんちゃん」



―――――



 北貝梨駅に着いた俺達は、バスに乗る桂とイエリーの二人と別れ、俺、小雪ちゃん、ぼたんちゃんの三人で歩いていた。 小雪ちゃん達の家は俺の家とは正反対で、駅の南口を出て右側方向だった。

「じゃあ私、こっちなんで」

「おう」

「えっ、あ………ぼたんちゃん、今日は本当にありがとう」

 コンビニ前の交差点で、ぼたんちゃんは角を曲がっていった。小雪ちゃんの家は、もう少し奥にあるらしい。

「………」

「………」

 ………会話が、無い。実を言うとここに来るまでの間も、小雪ちゃんとぼたんちゃんの二人だけが喋っていて、俺はほとんどただの荷物持ち状態だった。

 ましてや、さっきあんなやりとりがあったばかりなのだ。引弧モールでの弁明をすべきなのかどうかもわからず、ただただ黙々と、夕方前の住宅街を歩き続けていた。

「あの…」

「あのさ」

 沈黙………ああ、また気まずい…。

「…先、どうぞ」

「いや、小雪ちゃんの方からどうぞ…」

 小雪ちゃんは何度か下を向いたり俺の顔を見たりを繰り返すと、不意に、立ち止まって、真横の家を指差した。

「…ここ、ぼたんちゃんちなんです」

「え?」

 見ると、そこの一軒家の表札には『斉藤』と書かれていた。…忘れていたが、彼女の名前は『斉藤ぼたん』なのだ。

 一階はガレージになっていて、洋風のお洒落な造りで、階段を上がった柵の所では小さな犬がこちらを覗き込んでいた。

「何でぼたんちゃん、こっちに来なかったんだ?」

「さぁ…」

 どっか買い物でも行ったのだろうか? …いや、さっきコンビニあったよな。あそこまで来て、何で家に帰らなかったんだ?

「小雪ちゃんちはここから近いの?」

「はい、もうすぐそこです。…あの、カラポン先輩。さっき、何を言おうとしてたんですか?」

 うっ…。そこはスルーしてほしい所だったのだが、小雪ちゃん………。

「…とりあえず、歩きながら」

「いえ、もうすぐそこですから。ここでもう、教えてくださいっ」

 笑った。彼女は、身体を屈めて、上目遣いに俺を見て、作ったような笑顔で笑った。それを何と捉えるべきか……俺は頭をフル回転させて、答えを考え始めていた。

「なんだっけかな、忘れちまったよ」

「そうなんですか? じゃあ…」

 少しずつ、段々と笑顔が変化していく。小雪ちゃんは、様々な感情を抑えつけているような、我慢しているような、そんな目をして、口元をきゅっと引き締めた。

「…私から、聞いてもいいですか?」

「………何を、かな」

 人通りも、車も無い。雲間から、閑静な住宅街に低い太陽が下りてきて、ちょうど小雪ちゃんの真後ろに回りこんだ。きっと、俺の表情は彼女からよく見えるのだろう。

「………ずっと、気になってたことがあったんです。できれば…その………嘘なんかつかないで、正直に答えてください。嘘をつくなとは言いません………あはは…私、何言ってんだろ」

「………………気になってた、って…?」

 作り笑い、苦笑い、彼女の不安定な表情と違って、身体はしっかりしていた。ずっと胸に手を当てて、自分を励ますように押さえていたのだから。

「先輩」

 やがて、決心が着いたのか。彼女は、力を入れて目を閉じ、そのまま、下向き加減に、俺に問いかけてきた。影になってしまい、そして、太陽があまりに眩しすぎて、彼女の顔は見えなくなってしまった。

「本当に…、先輩は………林檎先輩の、ことが…、好きなんですか…!?」

「…!」

 シャリ………自然と、小雪ちゃんの買い物袋を持つ俺の手に力が入ったらしい。その音は、なぜかとても大きく耳に轟いて、頭を伝って、胸にまで響いているような気さえしたぐらいだ。

「私、わ……わかんないんですっ。先輩……カラポン先輩と、林檎先輩、付き合ってるのに………恋人、同士のはずなのに、どうしていつも………どうして、楽しそうじゃないんですか。林檎先輩といる時の先輩って………いつも、つまらなそうにしてるじゃないですか。楽しそうにしてるのは林檎先輩だけで………なんか、押し付けられてるみたいな感じで………だからわかんないです、私………先輩は、本当に、林檎先輩のこと………好きなのかな、って………」

「………」

 小雪ちゃんは、顔を上げなかった。…今度は、俺が答える番か。

「小雪ちゃん」

「………はい」

 そうか、気付いていたのか。そう思いながらも、俺の頭の中ではもっと違うことを考えているらしく、その思考が順繰り順繰り投影されていた。

(前にもこんなやりとりをしたことがあった)

 ブシドーだ。星流山岳公園で、撮影の合間にジュースを買いに行った時だ。

「俺、林檎が嫌いなんだ」

「………! …ぇ、そんな、ぇ………」

 ここで止めてはいけない。驚き、顔を上げる小雪ちゃんに動じることなく、俺は口を開いた。

「俺は蒼井林檎が嫌いなんだ。小雪ちゃんが普段感じていたことは、たぶんほとんど正解だ」

「………他に、好きな人がいるからですか?」

 それは違う。

「好きな人はいない。………林檎も、好きじゃない」

「……今日会った、あの白い髪の人は? あの小さい子は?」

 …イエリーと桂か。小雪ちゃん、やっぱり覚えていたんだ。…当たり前か。

「いとこと、妹、って言っただろう?」

「そっか………じゃあ、本当に今、先輩には、今、今………今、」

 太陽が雲に入り始めて、少しずつ周りが陰り始め、強烈なあの光が視界から消えていく。小雪ちゃんの顔が、目がよく見えるようになって………

(………え?)

「先輩には好きな人がいない………って、いうことなんですね…?」

 まったく変化が無かったから、俺は気付くことができなかった。…彼女は、ポロポロと、涙を流していたのだ。

「あ…あぁ…そういうことだけど………小雪ちゃん、大丈夫?」

「い、いぇ、何でも無いです。これはその………何でもないんです」

 と言いつつも、いくら目尻を拭っても彼女の涙は止まらなかった。心配になって近付こうとしたのだが、手で制止されてしまった。

「見ないでください…」

「わかった…じゃ、せめてこれ使いなよ…」

 荷物を片手に集め、俺はポケットから普段絶対持ち歩いてないようなハンカチを小雪ちゃんに差し出した。今日は暑くなるからと、出かける時に母さんから半ば強引に手渡された物だった。

「…ありがとうございます。あの…荷物ももう、ここまでで大丈夫ですから。ほんと、ありがとうございました」

「いや、ここまで来たんだから、家まで持ってくよ」

 しかし、本当にすぐそこですから、と、断られてしまった。小雪ちゃんは、荷物を俺の手から直接外して、両手に持ち替えていたのだが、やっぱり彼女には重そうに見える。

「無理してない?」

「いいえ! …先輩の手、初めて触っちゃった。あったかいんですねっ」

 林檎を追っかけて走ったりしたからな…手提げが食い込んでたってのもあるけど、言うわけにはいかないな。

「…知ってる? 手が温かい人は、心が冷たいんだぜ?」

「そんなことないですよ、私が知ってる話では、心もあったかいんですよ」

 すっかりいつもの小雪ちゃんに戻っていて、いつの間にか涙も止まっていた。 俺はあえて、何もコメントをしないでおいた。

「…じゃあ、気をつけて」

「はい。カラポン先輩、今日は本当にありがとうございました」

 頭を下げた小雪ちゃんは、今日一番の笑顔をしていたように見えた。…さっきの、嘘泣きだったわけじゃないよな?

(何で小雪ちゃんは急に泣き出したんだろう…?)

 両手に紙袋を下げた小雪ちゃんが、だんだんと小さくなってゆく。交差点に差し掛かったらしく、こちらへ振り向いて、荷物を置いて手を振っていた。あっちにわかるよう、俺も大きく手を振り返した。

「さて、帰るか………ん?」

 180度振り返ると、誰かが電柱の陰に隠れているらしかった。…まさか、と思って近付いてみると、あまりにも予想通りな答えに溜め息が出てしまった。

「ノゾキ、ヨクナイ、ジョウレイイハン」

「…そこ、あたしんちだし」

 ワンワン―――。

 階上の小犬が、柵に寄って甘えるような声を上げ、尻尾を振ったり飛び跳ねたりしていた。

 電柱の陰から出てきたぼたんちゃんは、無言で俺の横をすり抜け、ポストを開けていた。

「何でまっすぐ家に帰らなかったんだ?」

「さあ。そっちこそ何話してたんですか、人んちの前で」

 …よく言うよ、聞いてたくせに。もしかして、

最初から覗き見するつもりで、中途半端な所で別れたのか…?

「そうか、想定外だったってわけか。まさか自分んちの前で話し込むとは思わなくて、逃げられる場所も無くて」

「う、うるさい…! 先輩が優柔不断だからいけないんですよ! 荷物持ってってあげれば良かったじゃないですか、小雪んちまで!!」

 そしたらぼたんちゃんに都合がいいだけじゃないか。なんだか計画的犯行のように見えて、頭の至らなかったことが随分見え隠れしてるような気がする。

「それにしたって、覗きはダメだろ」

「自分が悪いって認めないわけですね。いいですよ、先輩。でもその内、必ず先輩が痛い目を見ますからね! 小雪を泣かせたら、私絶対に許しませんからね!!」

 ぼたんちゃんは階段を駆け上がって行くと、門扉を開けて小犬のジャンプを屈んで受け止めていた。かなり熱烈な愛情表現を受けているようだ。

「おーい、覗きの謝罪は?」

「覗いたんじゃありませんっ、偶然、ばったり、思いがけず見ちゃったんです!」

 彼女は振り向きもせずにそう言い放った。悪いと認めてないのはそっちじゃないか………そう思いながら、俺は地面にあぐらをかいて座り込んだ。

「そんじゃー俺もばったり、偶然、思いがけず見ちゃったなー! うちの妹とおんなじ、白地にハート柄のパンツ!」

 実は見えてなかったケド。相当激しく動揺したのか、慌ててお尻を封筒で隠し立ち上がったぼたんちゃんは、顔を真っ赤にして向き直っていた。

「バカっ、スケベ! 女の敵! 覗き魔!!」

「やっぱ覗きじゃねーかっ、謝れよおら!! なら俺が先に謝ろーか? パンツ覗いてすみませんでしたーっ!!」

 土下座してみせる俺。チラッと“覗いて”てみたが………あ、やっぱり違った、普通の白だった。

「な、な…、馬鹿じゃないの?! 恥ずかしいからやめて!! 他の人に聞かれちゃうでしょ!?」

「あぁーん? よく聞こえないからもっとデカく言えー?

 ぼたんちゃんの、白いパンツを覗いてしまって、ごめんなさあーいっ!!!」

 再土下座。すると、カンカンカン、という階段を駆け下りるような音が近づいてくるのが聞こえた。

「やめてって─────」

「覗きって嫌だろ」


 顔を上げると、スカートが目の前にあった。スカートに話しかけたってしょうがない、目線を上げると、眉間にシワをよせたぼたんちゃんの顔があった。

「ムカついただろ。他人に見られたくないもんを、わざと覗かれたら」

「それはあんたが………」

「俺じゃねぇよ!」

 …ぼたんちゃんの顔に、怯えのような物が浮かぶ。…少し力み過ぎたか、俺は意識して声のトーンを落とし、彼女の肩に触れた。

「…小雪ちゃん、泣いてたのわかったろ」

「触らないでください」

「いいから聞け!」

 …もうなんだか感情が抑えられない。目を閉じ首を背けるぼたんちゃんに構わず、俺は彼女の両肩を掴んでいた。

「お前が何で嘘まで吐いて俺達を覗いてたのかはわからない。だけどな、小雪ちゃんはたぶん、誰にも聞かれたくない話を俺にしていたんだ。少なくとも俺はそう思った」

「それは先輩が…」

「最後まで聞け」

 反抗しようとする度に彼女の顔は苦痛に歪む。だがそれ以上に、俺の彼女を許せない気持ちは勝っていた。ここで止めるわけには、いかない。

「小雪ちゃんは泣いてた。お前は自分が泣いている所を他人に見てもらいたいと思うようなドMなのか?」

「………違います」

 それはとても小さな声だった。

「じゃあ小雪ちゃんだってそうだろう。彼女はきっと君に見せたくない所を見せてしまった。もしかしたら、君のことには気づいていたかもしれない」

「…気づいてないかもしれない」

「だとしてもだ」

 飼い主の異変を感じ取ったのか、小犬が一段一段、階段を下りてきては、こちらを見ていた。

 ワンワン。

 さっきぼたんちゃんに向けてたのとは、明らかに違うような鳴き声を発しだした。

「………隠すのか? お前と小雪ちゃんは、そんなコソコソした秘密を隠し合うような、信頼も無い友達なのか? 友達じゃねぇな、そんなの。お前ら二人友達なんかじゃないんじゃねぇの?」

「違う! 私と小雪は友達! そんな関係なんかじゃない!」

「だったら謝れよ! 友達ならよぉ、信頼できる友達ならよぉ、ちゃんと謝ってこいよ! それで終わっちまうような仲ならよぉ、最初から友達なんかじゃなかったんだよ! 信頼できんだろ小雪ちゃんのこと?! なら平気じゃねぇか! 謝ったって平気だってわかってんならよぉ、ごめんなさいぐらい簡単に言えることなんじゃねぇのかよ!!」

 逃げようとするぼたんちゃんを、俺は渾身の力で掴み止めた。彼女は殴る蹴る激しく抵抗してきた。

「離して!」

「離すかよ!」

 ワン!

 階段を下りきった小犬が、突然俺の足に飛びついてきて、俺は思わず掴んでいた両手をぼたんちゃんから離してしまった。

 その隙に階段を上っていった彼女は、玄関に入っていってしまったらしく、大きく扉を閉める音がここまで聞こえてきた。

 小犬もまた、ひとしきり俺の足にまとわりついた後、飼い主を追いかけるようにして、たったか階段を上っていってしまった。

「ちっ………強情な奴め」

 本当に人通りの少ない住宅街で良かった。でなければ、下手したら警察を呼ばれるような騒ぎになっていたことだろう。ぼたんちゃんの家族も留守なのか、あれだけ大声で叫びまくってたのに、結局誰も出てこなかったしな。「………帰ろう。ビデオの編集もまだ残ってるしな…」

 長い一日だった。イエリー到着に始まり、小雪ちゃん、林檎とのトラブルが続いて、ついにはぼたんちゃんと喧嘩までしてしまった。

 …なんという厄日。…いや、女難日か? ハハッ。

「笑えねーっつの…」

 家に帰れば、桂と母さんという女難がまた待ってるしな。

 あぁ、帰るのが憂鬱だ………。

 焼け始めた西の空に背を向けて、ようやく俺は家路へとついたのだった………。





 ─────でもまさか、その日の内に更なる女難が待ち構えていたなんて………。






「ただいま~…………ぁ!?」

「よっ! お帰り、カラポン星人!!」

「ご無沙汰しております唐林様。あっ…昨日お会いしたばかりでしたね、失礼致しました」



───つづく

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