4『イエリー・マナヤ ~前編』
コイントス社から帰ってきたカラポンは、田んぼに置いたままにしてきた自転車を取りに行くのだが………
「じゃあ自転車はどうしたの?」
「ほったらかし。今日になって思い出したから、これから拾いに行くところ」
田んぼ道を歩く俺たちの他に、人はおろか、カラスやスズメさえも見当たらない。稲穂が風にそよぐ音だけが規則的に聞こえ、晴天の空に雲は静かに座り込んでるようだった。
ふと、林檎がピッタリとくっついてきた。
「…やめろよ、恥ずかしい」
「誰も見てないじゃん。手でもいいよ」
組もうとした腕を離し、林檎は手を握ろうとするのだが、俺の左手はポケットに突っ込んだままだ。手だって十分恥ずかしい。
「んもうっ、いじわるっ」
意固地になった林檎は、強引に握りこぶしを引っこ抜くと、こぶしのまま包むように手を掴んできた。…どうしても、繋がっていたいらしい。
「あった…クソ、田んぼに落ちてやがる」
道路の脇に止めておいたはずの俺の自転車は、横倒しになって田んぼの中に落ちていた。風か、ひょっとしたら車がぶつけていったのか…まあ、盗られてないだけマシと考えるしかないな。
「ちょっと待ってろ」
「もう離れちゃうの…?」
ズボンに泥が跳ねるのもお構いなしに、俺はジャボジャボと田んぼの中へ入って、さてどうしたものかと考えていた。
(左半分泥まみれだもんな…転がしてくしかないか)
ずっぽりとハマったハンドルがなかなか抜けなくて、しかもサドルまで泥まみれになってて座れたもんじゃない。まあ、林檎を後ろに乗せなくて済む口実にはなりそうだけどな。
「ねぇ。そのスージマンって子は結局カラポンに何を見せたかったの?」
退屈になったのか、林檎は道路にしゃがんで声を掛けてきた。昨日のことについては、まだ断片的にしか話してなかった。
「んー? 大したことじゃねーよ、ロボットがどーたらこーたらとか。なぁ、聞いてくれよ」
え?
「なぁに? 何が面白いの?」
いや、待てよ俺。それは林檎に言ったら、マズいって。
「それがさ、面白いこと言い出すんだよアイツら。バカバカしくて笑っちまうぜ?」
ダメだ、目を逸らしちゃいけない。今アイツから目を逸らしたら………
「へぇ………教えてよカラポン。どんなこと言ってたのか」
「それがさ、そいつらはロボットを作ってる会社の人間だったんだけどさ」
やめろ、やめるんだ。もうそれ以上言う必要なんか無いだろう、俺っ。
「お前がロボットかもしれない、なんて言うんだよ林檎。馬鹿みたいな話だろ、なぁ?」
―――――逃げろ、俺。
「―――へぇ、よく気付いたじゃン」
「………え?」
ギュィイイイイ イ イ イ イ!!!!!!!!
「うわっ、ぁああ!!?」
金属が切断される嫌な音。不気味に響き渡るモーターの駆動音は、かつて聞いたことのあるソレと全く変わらない。
…チェーンソー。
自転車のフレームを切り裂いたそれは、泥を巻き上げた後に、たった今停止した。
「どこまで気付いてるのかな、私の右手がチェーンソーになること?
私が実は空を飛べること?
私の体中からはミサイルが撃ちまくれること?
あはは、黙ってたらわかんないじゃん、カラポン。教えてよ、ねぇ」
再び唸りを上げ、振動で泥しぶきが周りに飛び散りまわる。
…林檎の右肘から先は、本当に後から取って付けたかのように、巨大なチェーンソーへと変わり果ててしまっていた。
間一髪でそれをかわした俺だったが、田んぼに尻餅をついてしまっていて、手も足も出せない状況になっていた。
「林檎………まさか、本当に…?」
「そぉだよォ? カラポンだって本当はもっと前から気付いてたんでしょ。
…見ちゃったじゃんねぇ、私のパンツの中から出てきた“ネジ”。
アレ、大事なトコの奴だったから、捨てないでほしかったんだけどなぁ」
ブォンッ、と、右腕を遊ぶように振り回す林檎。…その目に、迷いなんて物はまるで浮かんでいない。
「…俺を、殺すのか?」
「んー、カラポンの答え方次第かな。約束してくれたら、殺さないでおいてあげる」
そう言いながらも、林檎はわざとらしくチェーンソーを振り上げ、ブォン! と、エンジンをふかした。
殺される。
最初から考えるつもりも無いんだ、こいつは。
「やめろバカ!?」
「避けちゃダメじゃんカラポン!
避けないって約束してよカラポン!!
アッハッハッ!!!」
道路は林檎の後ろ、反対は足場の悪い田んぼ。…選択肢は、一つしかなかった。
「クソッ!」
稲穂を掻き分け俺は田んぼを走った。半分汚れた制服だ、俺はためらい無く泥の中を転がり、低姿勢を維持する。少しでも背の高い稲穂で体を隠すためだ。
「遅いよ!」
「!?」
突然、目の前の稲穂が刈り取られ、ポッカリと空いた空間に林檎が立ちふさがった。
「言ったでしょ? 空飛べるって」
「………左手はどうした、落っこどしちまったのか?」
冗談で言ってるわけじゃない。林檎の左腕は、太いカッターナイフの刃みたいな変てこな形になっていたのだ。
熱を帯びているのか、その周りの空気が不気味に揺らいでいた。
「これぇ? 決まってるじゃん、こっちはねぇ、カラポンの首を斬る時に使うの。
だってチェーンソーで斬ったらグチャグチャになっちゃうじゃん?
綺麗に斬ってあげるよカラポン、だから………避けないでねぇえ! ! ! ! !」
「―――――!!!」
不快な甲低いエンジン音が、風ごと俺を切り裂いた―――――。
「あれぇ?
…そっかぁ。カラポンも持ってたんじゃん。隠してたなんて、カラポンのいじわる」
その言葉の意味は分からなかったのに、何故か、俺の口はスラスラと動き、身体も意図せず次の行動を取っていた。
「…いじわるなんかじゃない。お前を確実に斬るためだ」
雄叫びのようなチェーンソーの駆動音。林檎はチェーンソーを弾かれながらも、すぐに態勢を切り換えし、再び俺の身体を裂くべく右腕を振りかざしてきた。
すかさず俺はそれを受け止める。チェーンソーに変わってしまった、“俺の右腕”で。
「アハハハは!!!
そうだよカラポン。………そうこなくっ、ちゃ!!!」
緩急つけて襲い来る林檎。田んぼの稲がどんどん刈られるのもお構いなしに、俺は、俺達は、互いのチェーンソーを夢中でぶつけあっていた。
表情を崩さない林檎に対し、俺のなんとスタミナの無いことか。加えて向こうは両手が凶器だ。必然的に、俺の方が後ろへ押されていっていた。
ザシャゥアァッ―――!!!
「くっ………ぃ、」
「取れたァ! 取れた、取れたァ!!
ほらカラポぉン、チェーンソー落っこちちゃったよ、拾わないのぉ?
いらないのかな~?」
右肩からゴッソリ切り落とされたチェーンソーが、動いたまま地面を這い付き回り、泥を撒き散らかす。
だというのに、右肩からはほとんど出血もしてないし、痛みらしい痛みも無い。電気的なシビれだけが、ジリジリ広がり始めていた。
(少しずつロボになり始めてるってのか…?
………ちきしょうッ!)
離れないと、次こそは殺される。そんな予感が脳裏をかすめ、俺はまた田んぼを走ろうとした。
が、なんと運の無いことか、暴れ回ったチェーンソーが地面をデコボコにしたせいで、俺は何かにつまずいて泥の中へ派手に転倒してしまった。
「おしまいだよ!」
「!」
振り向く間もない。本能的に、そう感じた―――――。
ザシャゥウワァアアア―――――――。
噴き続ける、何か水のようなしぶきの音。
どんな風に、どんな色が噴き続けているのかも分からない。
ただその、甲高く、泡でも混じってるんじゃないかと思える、ズブブブという音が、やけに耳に残っていた。
(………動けないけど、痛くない)
もう完全に、ロボットになってしまったのだろう。そんな、諦めの気持ちが、ごく自然と身体から力を抜いていた。
悟っていた。俺はもうすぐ、死ぬ―――――。
「………ぃたい………、たい…よぉ………」
………林檎の、声が聞こえた。声、と言うよりは、空気が漏れているだけのような
、………とても弱々しい声だった。
「林檎………?」
身体は動かなかったが、首と目が動かせるらしい。赤黒い斑点の散る泥に頬を擦りながら、俺は恐る恐る後ろに振り返った。
「………うそだろ?」
不思議なぐらい、自分は冷静だった。何も込み上げる物も、感情さえもなく、ただ冷淡に感想を述べるだけの言葉が、頭に浮かんだ。
「串刺しじゃないか、林檎………」
それだけ。
無惨にも、穴だらけになって、宙に浮いている林檎を見ても、たったそれだけの感想しか出なかった。
ハリネズミみたいに、俺の背中に生えた、鋭く細長い針に突き刺さった、林檎の顔が見えても―――――。
「か………ポん…ぃ…………た、イ―――!」
突如として、林檎の姿が小さくなり、視界から消えた。
針が伸びて、そして遠くへと林檎を運び去ってしまったらしい。俺はもう、首を動かせるだけの力さえ残っていなかった。
(なのに見える………感じる……………林檎の身体が、どんどん引っ張られていくのが、見える)
まるで抱き寄せて、《目の前で引き裂いている》みたいに、ハッキリと。
声も臭いも感じないのに、なぜか、映像だけはハッキリと―――――。
「………裂けた」
よくできた映像だった。林檎の全身に刺さった針がだんだん太くなって、強引に穴を広げてゆくのだ。耐えきれなくなった身体は、細い足や指先から、バラバラに裂けていった。
見たくもないのに、その身が裂けゆく、林檎の恐怖の表情までも、ハッキリと。
(………声が聞きたかったな) 数瞬遅れて、頭に冷たい何かが掛かるのを感じた。
ポツ、ぽつぽつと、雨でも降るかのように。
ドスっ、と、最後に大きな雨が墜ちてきた。毛むくじゃらで、黒々としたそれにも、大きな穴は2つ空いていた。林檎の、頭だった。
「……………さよなら、林檎。俺もすぐに逝くさ………」
うっすらと消えゆく意識の中、俺の両目は、林檎の首を捉えて離さなかった。
あんなに嫌いだったのに。
どうしても俺は、嫌いになりきれないらしかった。
―――――――
「……………んなわけねーよ」
目が覚めると、いつものポスターが目に入ってきた。天井に貼り付けた、バーチャルアイドル『初音メテオさん』の販促ポスターだ。強調された太腿が艶めかしくてたまらないね。
「………割とマシな夢だったかな」
ヒドい時は、あれから更に林檎の生首が襲ってきて、それを俺が踏み潰したりするのだ。
不思議なことに、何度も同じような夢を見ても、最終的に殺されるのは林檎の方で、俺が殺される夢は一度も見たことがなかった。
(そもそも………何でこんなに同じ夢を見るんだろう。初めて見たのは忘れもしない………あの―――、)
―――ドンドン。
…床が、不機嫌そうな音を鳴らした。音に合わせて、俺のベッドは突き上げられるように小さく振動した。
「………起きてるよ」
“返事”として、俺は足だけを布団から出し、床を2、3度蹴っ飛ばした。
これで、俺が起きてることを“下”に伝えているのだ。
―――――
(今日は学校が休みだっていうのに…)
と言っても、時計は既に十時半を指そうとしていた。朝飯に起こすのには遅いし、昼には早すぎる。
台所では俺を起こした張本人………母さんが、天井に向けて槍みたいな棒をまさに構えてる最中だった。
「………もう降りてきたよ」
母さんはいつもの不機嫌面を、更に不機嫌にされたような顔をして俺を睨んだ。棒を槍に突き立てる姿がなんか、江戸時代の役人みたいな凄みさえ感じてしまう。おっかねぇ。
「起きてるならサッサと降りて来なさいっ、何度も呼んでんでしょ!」
「いいじゃん今日休みだし………メシは?」
しかし、テーブルには親父が読み散らかしたらしい新聞が置いてあるだけで、特に何も用意されていなかった。
「その前に、コレ。何なの、いったい」
「何、って…?」
母さんは足元に置いてあった段ボールを、棒の底で叩いて俺に示した。それも2箱。
どちらも一メートル四方はありそうなドデカい真四角をしていた。
「…何コレ?」
「あたしが聞きたいわぃッ。ったく、運ぶの大変だったんだからねー、宅配便の人に手伝ってもらってやっとここまで入れたんだから。
あとは自分で運びなさいよ」
「………無理だろ」
何かの懸賞にでも当たったんだろうか? と言っても、ここ最近特に送った覚えもないし、通販だってやってない。
だというのに、確かに宛名は『から林たく二さま』になっていた。
差出人は書いてなかったが、このえらく汚ない字がたぶんヒントなんだろう。
(まさかな………)
よく見ると、書き損じたのか、宛先の紙が二重に貼り付けられていて、赤ペンで大きな『×』が書かれていた。そりゃあそうだろう、宛名が『カラポンせい人』になっていたのだから。
「………他に、何か届いてた?」
「それだけだけど。で、なぁにコレ? 邪魔だから早く片付けてちょうだい。あたしゃ手伝わないかんね」
―――――
そんなわけで、二階の部屋に段ボール二箱を持っていったわけなんだけど、冗談抜きで大変だった。両方ともとにかく重い。
持ち上げて移動するだけでも大変だというのに、階段を昇るのはもはや拷問だった。段ボールにはポタポタと汗が落ちた跡がついて、少しふやけてしまった。
二人掛かりでもよっぽど辛かったのだろう、本当に母さんは少しも手伝ってはくれなかった。
「たいしたもん入ってなかったらただじゃおかねぇぞ…スージマンめ………」
まず間違いないだろう。なにしろ俺のことをカラポン星人なんて呼ぶのは、スージマンしかいないのだから。
だからこそ、下の階で母さんの前で開けるのにはどうも抵抗があった。何かとんでもない物を仕込んでるやもしれないと、俺の勘がビリビリ伝えているのだ。
「さて…開けるか。いったい何を送って来たんだあの野郎………」
ガムテープを剥がし、伝票ごとゴミ箱へ放り投げ、いよいよ箱のフタに手を掛ける。
中は真っ白な緩衝材が敷き詰められていて、すぐには何が入っているのか分からなかった。
「めんどくせぇ………そんなに大事な物なら直接渡しにくりゃいいだろ、って………?」
―――――なんか、変なのが見えた。緩衝材の隙間から見えたのは、普通、段ボールでは絶対に運ばないような物だったのだ。
さらに緩衝材をどけていくと、その“姿”が少しずつ露になっていく。
「………冗談キツいぜ、スージマンよぉ」
一階で開けなくて本当によかった───最初に思ったのはまずそれだった。
『イエリー・マナヤ』
スージマンがあの時俺に見せた、人型ロボットの一体が、裸で、しかもご丁寧に体育座りをした格好で梱包されていたのだ。
「こっちの箱は………うげっ、何だこのタンクは…?」
よく、灯油なんかを入れるのに使う、赤いポリタンクがあるだろう? 段ボールには、あれと同じ物が3つも入っていた。『軽油・可燃物注意』と書かれたラベル付きで………。
「ん………?」
ポリタンクの脇に、A5大くらいの小さな冊子が貼り付けられていた。表紙には小さな印字で、『電気指令式・ディーゼル駆動・電子演算方式・汎用型人造人間Type.E.A.取扱説明書』と書かれていた。
「何これ、押し売り?」
クーリングオフするか? などと思いつつ、取説とやらを一応開いてみた。
中はほとんど英和辞典みたいな細い文字で書かれていて、時々イメージ図みたいなのが申し訳程度に出てくる程度だった。
かと思いきや、蛍光ペンでマークされていたり、赤文字で(それも汚ない字で)『これ、だいぢ!』なんて書かれていたりして、要所要所に注釈がちゃんと分かるように入っていた。スージマンがやってくれたのだろう。
「いや、だから待てって。何で俺がこの娘を受けとらにゃならんのだって、何も聞いとらんぞ俺は!」
裏表紙に、何か書いてあった。
『おそっちゃ、めーだぞ(はぁと)』、アホか!
「…コイツは自分がここに来た理由を知ってるんだよな………?」
段ボール箱に入ったままのイエリーを見た。さっきから全く動いていないので、おそらく電源スイッチか何かが切られているのだろう。
遠めに見れば、死体を箱詰めにして隠しているようにも見えなくもないので、何だか不気味だった。
(そういえばあの時も裸だったな………あの時スージマン達はたしか…)
覚えてる。なんか起動しないとかなんとか騒いで、アヤミクさんとで人工呼吸と心臓マッサージみたいなことをしていたんだ。かなり強烈な光景だったから、忘れるわけがない。
まさか………と思い、俺はマニュアルを手に取った。しかし、俺はほッと息をついた。
「電源投入:背面にある電源ボタンを、2秒以上長押しする………?」
それでも起動しない時は口から息を吹き込んで、油を吸ったほこりを飛ばし、メインエンジンを手動で動かしてみる、とのことだった。よーするに、人工呼吸と心臓マッサージはこれなわけだ。
「………まずは、やってみるか」
マニュアルによれば、背中にはちょうつがいで開くようになっているフタがあって、その中に電源スイッチやら何やらがあるんだとか。
早速、箱の中で体育座りしているイエリーの背中を調べてみた。
「………あった、これか。よし─────」
ドンドンッ!
………誰かが来た!?
「拓二~、入るわよー?」
「や、やべ、母さん…!? ちょっと待って、今片付けるから!!」
こんな所を見られたら何を言われるか…!
とにかく彼女だけは隠さないと、と思い、俺はとっさに布団を取って、箱ごと彼女に覆い被せた。
(不自然かな…異様に盛り上がっちゃってるし)
とはいえ、母さんを待たせたら余計怪しまれる。俺は自分から部屋のドアを開けた。
「…お待たせ」
「相変わらずきったない部屋だねぇ、ホントに片付けたの?」
うるさいなあ、と言いつつ、身体で部屋に入られないようガードする。すぐにそれを察知したのか、母さんの目が怪しく光った。
「布団干すからどきなさいよ」
「ふ、布団……?! あ、いや………、まだ寒いから置いといてよ」
何てピンポイントなんだ! もしかして本当はもう気付いてるんじゃないだろうか………?
「馬鹿言ってんじゃないよ、6月のジメジメした日にどういう感覚してんだい」
「いいから、俺が出しておくって!」
半ば強引に部屋から追い出して、なんとかドアを閉めることができた。かなり怪しまれただろうけど………
「………あんま怪しまれる前に、さっさと起動させて事情を聞こう」
布団を剥ぐと、再び裸の少女の姿が現われる。布団の重みでか、首が少しうなだれるように垂れていた。
「それじゃ今度こそ、スイッチを………ん?」
ドガン!
有無を言わせないような強烈な音と共に、俺の部屋のドアは全開に開かれていた。ま、まさか………。
「拓にいー、ハサミ貸して~」
「わっ、馬鹿! 今入って来んな!」
忘れていた………母さんよりもよっぽど危険な存在がいたことを!!
突然部屋に入ってきたのは、俺の5つ下の妹、『桂』だった。
「えー? いいじゃん、ちょっと借りるだけなんだから。…何、何やってんの? クサイよこの部屋、イカ臭くない?」
「お前の鼻がもげてんだろっ!」
通せんぼする俺の腕をくぐろうとしたり、足の間を抜けようとちょこまか動き回りやがる。このしつこさは、母さんよりよっぽどタチが悪い。
「わかった、わかったから! 俺が持ってきてやるから、お前そこで待ってろ。いいな!」
はーい、と、意外にもあっさりと桂は引き下がり、ぱたん、とドアを閉めた。………こういう時は怪しい、少し待ってからいきなり入ってくるかもしれない。
「そうだ、これを………よっ!」
俺はポリタンクの入った段ボールを扉の前に持ってきて、ドアが開かないように引っ付けて置いた。これなら桂の力じゃ、さすがに開けられないだろう。
「しかし問題はこっちだ………」
部屋の中央に、体育座りをした少女が梱包された段ボールが鎮座。誰がどう見たって異常なわけだが、ことさらにうちの母妹が見たら、どんな尾ひれはひれがついてご近所様に伝わるかわからない。
…ここは、やはり隠すしかないだろう。
「机の下………いや、無理だろ、見える見える………くそっ、何で俺の部屋には押入れが無いんだよ、ちきしょう………」
迷っている暇はどうもあまり無いらしい。桂の奴がドンドンドン!とドアを叩いているらしく、『あけろー』というわめき声まであげているらしかった。そんなにハサミが必要なら、下行って母さんから借りりゃいいのに………。
「お兄ちゃん早く開けてぇ~、漏れちゃうよぉー!」
「また人聞きの悪いデタラメをしゃーしゃーと………お…ちょうど入るかも?」
制服とかが掛かっている洋服掛けは、ちょうど段ボールが1つ入るぐらいの広さがあった。上から掛かっている洋服がちょうど目隠しになるし、うまく服を寄せれば入りそうだ。
段ボールごと持ち上げるのはもういいかげん勘弁してほしかったので、洋服掛けに大きめの座布団を敷いて、そこにイエリーを抱え上げて座らせることにした。…いわゆる、お姫様抱っこというのに初めて挑戦した瞬間だった。
(やわらかい………本当に、本当の人間みたいだ)
なんだかそう思うと申し訳なくなってきて、ベッドにあった掛け布団を持ってきてイエリーにかけることにした。少し服が膨らんでいるようにも見えなくないが、まさかこの中に人が隠れてるなんて思わないだろう。俺洋服掛けの所のカーテンを閉めて、最後の隠蔽工作を終えた。
「鬼ぃ~! お兄ちゃんはそこら辺の草むらでだってできるでしょー! 早く開けてよー!!」
「俺の部屋はトイレじゃねぇだろ! …ほらよ、ハサミだ」
ドアを開けるや、桂は猫みたいな俊敏な動きで俺の部屋に侵入し、真っ先に中央の空っぽの段ボール箱を覗き込んだ。かと思ったら、すぐさま振り返って、俺の手からハサミをひったくると、礼も言わずにドタドタと階段を下りていった。
「お母さんごめんー、やっぱり拓にぃ隠しちゃったみたいー」
「ぶっ!!?」
お、恐ろしい小娘め…! てか母さんもさぁ、…はぁ………。
「…コイントス社に電話してみるか。スージマンの名前を出せば繋げてくれるだろ」
―――――
「スージィ様、外線1番でお電話です」
「はーい! もしもしー、どーせカラポン星人でしょー? そろそろ掛かってくるんじゃないかなーって思ってたんだよねー。イヒヒ、もう押し倒しちゃった?」
んなことするか! という唐林様の大きな声が、私にまでハッキリと聞こえました。部屋中のガラスが、ギシギシと音を立てたようにも思えたぐらいです。
「いやはは~、やっぱしー、驚いたかなカナ? ………ぁあんもう、そんなにおこんないでよー。うん、うん。………うん、まー、つまりね? 目には目を、ロボット調査にはロボットを、とゆーことでね、送ってみた。うん、クール快速便で。服はそっちで用意してあげてね、男の子の服でも文句言わないと思うから、イエリーは。軽油が足りなくなったら言ってね、送ったげる:-)」
会話の内容から察するに、唐林様のご自宅にイエリーが到着したのでしょう。それにしても………唐林様とイエリーには同情致します。
(やはり、イエリーにはまだ荷が重かったのでは…?)
と、突然スージィ様は叩きつけるようにして受話器を切ってしまいました。それも、表情はとてもにこやかに…。
「アヤビー! 電話線引っこ抜いといて! カラポン星人がきっとイタズラ電話しかけてくるから! ほら、早く早くぅ!」
「は、はぁ…?」
イタズラ…電話ですか? 私がそう聞き返すよりも早く、スージィ様はデスクから降りて、正面の展望ガラスへと駆けて行きました。
「うふひひひ…楽しみだなぁ、どんな風になっちゃうんだろ!
決めた! アヤビー、見に行くよ! イエリーの新生活を応援しに行かなくっちゃ!!」
「応援…本当ですか? なんだかスージィ様、とても楽しそうにしていらっしゃいます」
えへっ、ばれちゃった? なんて、おっしゃられて、スージィ様は自分の頭をペシリと叩いていました。
「だってコイントスのロボットが、初めて社外で人間と生活を始めるんだよ! 歴史モノ、教科書モノ、伝説モノ! 決定的瞬間に立会いにいかなくっちゃ! サゲマンにバスをお願いしといてね!」
タッタカタッタ・ター☆ なリズムに乗って、ご機嫌なスージィ様は飛行機のポーズで社長室を飛び出して行ってしまいました。こうなっては………わたくしも従うほかありませんね。
「では早速、サーゲス様にご連絡を………あら、なんにも音がしない…?」
見ると、電話器の下でコードがプラプラ………そういえばさっき、電話線を抜いたばかりでした。プラグを差し込んだ瞬間、待っていたかのように大きな着信音が………
「くすっ、しくじり損のくたびれ儲け、ですね。…はい、こちら社長室アヤミクです………あら、唐林様―――――」
―――――――
『あら、唐林様』
電話に出たのはまたしてもアヤミクさんだった。一度切れてしまうと、もう一度受付を通さないといけないらしく、社長室に繋がるまでの時間がわずらわしくてしょうがなかった。
「あの、スージマン………スージィは?」
『先ほど社長室を出て行かれました。申し訳ありませんが、しばらくは戻らないかと思います。
伝言をお預かりいたしましょうか』
伝言つったって………文句しか無いしな。でもせっかくだし、イエリーのことを聞いてみるのもいいだろうと思った。
「あの…イエリーマナヤのこと、知ってますよね?
俺、ほんと、どうしたらいいかわかんないんですよ。マニュアルだって分厚くて、どこ読めばいいかもわかんないし」
『イエリーは起動したんですか?』
いいえ、と答えると、アヤミクさんは『やっぱり』とため息をついた。
『あの子はただでさえ起動時間が長くて、しかも起動不良を起こしやすいんです。お恥ずかしい話ですが、唐林様にはご迷惑をお掛けすることになると思います』
「はぁ………それでその、俺は…」
『唐林様。イエリーには必要な情報を全て持たせてあります。イエリーが起動したら、段ボール箱の中にディスクケースがありますから、それを渡してあげてください。あとのことは、イエリーが説明してくれます。
あ、でも待ってください。もしかしたら、またいつもの…?』
そこまで言って、アヤミクさんは黙ってしまった。受話器の向こうから、かすかにカリカリという音が聞こえたような気がした。
「アヤミクさん? …アヤミクさーん、」「ちょいと」
肩を叩いてきたのは、母さんだった。
「いつまで話し込んでんだい。ちょっと使うんだからどきなさい、携帯あんでしょ」
「ち………わかったよ。アヤミクさん、また後で掛け直しますね。………アヤミクさん? あーやみーくさーん~?」
どうしちゃったんだろう、急に返事もしなくなっちゃったけど…。母さんが後から突っついてきたりするので、仕方なく俺は、アヤミクさんの返事を待たずに受話器を切ることにした。
「ほら、どいたどいた!」
「押すな、押すなって!」
ったく…どうせ俺がどいたところで、今度は母さんが長話するだけだろうに………なーんてことが言えたなら、俺はもう少しこの家での地位を保てたんだろうけれど。
………はい、無理でした。とぼとぼ二階へ向かいます、俺………そうだよ林檎にだってそんなこと言えないもん、俺………ん?
「なんだ、一階にいたんじゃなかったのか?」
「…!」
階段を上ろうとしたところで、さっき一階に下りたはずの桂と鉢合わせた。俺に気付くや、ビクっと体を震わせて、両手で自分の身を守るようにして後ずさっていた。
「おい、何か言えよ。それかそこどけって」
「………人殺し」
…え? 次の瞬間、体が凍りついたかのように、血の気がサーっと引いていくのを感じ、言葉も発せられなかった。
「拓にぃのバカ! 鬼畜! クズ! 林檎お姉ちゃんに言いつけてやる!!!!」
ドンッ! ドタドタドタ………。
…最初の音は、俺が階段の壁に突き飛ばされる音で、桂は一目散に走り去っていった。俺はというと………心臓がだんだん早くなるのを感じながらも、頭の中が真っ白に、それこそカラッポ・カラポンになっていくのを感じていた。
「………見た、のか………?」
桂のやつ、さては俺が電話してる隙に………でも何で人殺しなんだ? だってイエリーはロボットなんだし、まだ起動だって………、あっ、
(息もしてねぇし、脈もあるわけねぇ…! しかもあいつ、最後に何て言ってた………?)
『拓にぃのバカ! 鬼畜! クズ! 林檎お姉ちゃんに言いつけてやる!!!!』
「やめれーーーーーー!!!!!!?」
―――――――
「おほほほー! じゃあ本当は回覧板じゃなくて庄治君のバインダーを………」
「おかーさん! 早くどいてっ、警察呼ばないと!!」
幸か不幸か、桂は電話の所で母さんの服を振り回しているところだった。警察なんて呼ばれたらたまんねぇ、どう説明したって信じてくれやしねぇぞきっと!
「んもー、しょうがないわね。あ、すみません。うちの娘が電話を使いたいみたいなんで………ではまた今度………はいお待たせ、桂。外で何かあったの?」
「中、中ッ! うちん中!! 殺人、人殺し! 拓にぃの部屋、女の人の死体、あった!!!」
「桂ッ、早とちりすんな!! あいつは死体なんかじゃないって!!」
桂は俺の声を聞くや、ビクッと身体を震わせ、母さんの後ろに隠れるように逃げ込んでいた。
母さんもタダごとじゃないと思ったんだろう。桂から遠ざけるように、俺の腕を強い力で引っ張ってきた。
「…拓二。何をしでかしたのか知らないけど、嘘吐いたら膝蹴り50回だかんね!」
「だから違うんだって! 俺は嘘なんか一つも吐いてないんだってば!?」
しかし母さんは、どちらかと言うと桂の言うことを信じているらしく、俺を掴む手は緩まなかった。その後ろで、桂が受話器を取っているのが見えた。
「あっ! もしもし、警察ですか!?」
「だぁーーーッ!!? やめろバカッ、母さんも早く止めて!!」
「往生際が悪いんだよ! さっさと白状をし!!」
どう説明したらいい? どう説明したら2人に納得してもらって、騒ぎにならずに済む?
………無理だ。この家はこうなったらもう、とことん目茶苦茶になる。全部、そのまんま伝えるしかないだろう。
(警察が来たら、全部スージマンに押し付けてやる………)
「マスター・カラポン」
………え?
その声に、誰もが振り返っていた。何故なら、誰も、その声に聞き覚えが無かったのだから。
………いや、違う。俺は、聞いたことがあった。だけど、思い出せなかったのだ。
「き、君は………」
だって、一度しか聞いたことが無かったのだから。
「イエリー・マナヤ、セットアップ・コンプリーテッド」
一糸まとわぬ姿のイエリー・マナヤが、そこに立っていた。限りなく人間の姿形をした彼女、しかし、腕先、腹部、ひざなどに刻まれたその『黒い筋』が、彼女が人間ではないことを物語っていた。
「拓二」
「………はい」
母さんは、ようやく強く掴んでいた袖を離してくれた。何を言われるのだろうと、目を閉じて頭を巡らせ、歯を食いしばっていると、唐突に後ろから俺は背中を突き飛ばされた。慌てて目を開けてふんばると、すぐ目の前ではイエリーが、さっきと同じ格好のままで立っていた。
後ずさる背中の方で、怒ってるとも、笑っているとも捉えられるような声で、母さんがデカい声を出しているのが聞こえた。
「すまん、ごゆっくり」
「ちがわいっ!!!」
-4-『イエリー・マナヤ ~前編』END
つづく…
旧前編と旧中編を統合して、前編に統一しました。8/12