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カラポン・ザ・ストーリー  作者: 鈍行彗星
1『カラポン・ザ・ストーリー』
13/21

6『青い林檎』前編

新話突入

「おはようございますぅ芝井先生ぇ~、買っておきましたよぉ、ミラクルドリンク!」

 午前7時半過ぎ。保健室にビニール袋をぶら下げて入ってきたのは、養護研修生のこまっちゃん…小松先生だ。声音もテンションも甲高い彼女を見て、芝井先生は少しうんざりするような顔をして迎え入れた。

「おはよう」

 簡潔に挨拶を済ませると、芝井先生は立ち上がって冷蔵庫を開けた。すかさずしゃがみこんだこまっちゃんは、袋からドリンク剤の箱を取り出すと、メシメシとダンボールを丁寧に切り取って、一本ずつ小瓶を冷蔵庫に収納し始めた。私服とはいえ、タイトなミニスカートでその格好は危険だ。冷蔵庫君(野菜室)が羨ましすぎる。

 不意に、横からスッと手が伸びてきた。

「あっ、ダメですよ~コレは授業をちゃんと受けてたのに、疲れちゃった子のためのお薬なんですから~! 勉強してない子が飲んだら毒薬なんですよぅ!」

 茶色い小瓶をひったくった手の主はクルクルと漫画のように回転しながら、優雅にベッドの上へ墜落(・・)した。

「いーじゃん! これからいっぱい勉強するんだもーん」

 蒼井林檎は何の躊躇もなくフタを開けると、それはそれはいい飲みっぷりを二人に披露してくれた。芝井先生に至っては、声を上げて大笑いしてしまうほどだ。

「ごちそーさまっ。いい味じゃん、新商品?」

「教えませんっ、ぷん! それよりいいんですか林檎ちゃん、こんな所にいて。カラポン君が知ったらまた怒られますよ?」

 林檎とカラポンの仲は、先生の間でもほぼ170%認知されている。尾ひれ羽ひれついた話も広まりがちだったが、保健室の二人は林檎の良き理解者だった。

「いいもん、バレないし。それにカラポンが来るまでまだ時間あるしー、ちょっと寝かせてねこまっちゃん。ぐうー」

「…誰が寝ていいと言ったっけ?」

 芝井先生はシーツを剥ぎ取って、膝を抱えた状態の林檎を外気に晒した。化学反応なのか、ぶるぶると震えていた。『ムカム化反応』だろう。

「うーっ、いけずぅ」

「後でシーツをアイロン掛けて、ホテルのスイートみたいにピシッと敷きなおせるんだったら、30分許可する」

「スイートなんて泊まったことないもん」

「いけない子ですねぇー、飲んだり食べたりした後にすぐ寝たら、豚さんになっちゃいますよぉ? ぶひぶひ」

 なぜ豚の真似で、頭の上でにゃんにゃんポーズを取るのかよくわからないが、とにかく、こまっちゃんは精一杯、林檎に文句を言おうとしているのだ。会話は噛み合ってないけれど。

「だいたいあなた、早く来すぎなのよ。私達は仕事があるから早めにここに来てるの。あなたの相手をするためじゃないの、わかった?」

「ぶぅ」

「ほら、豚さんになっちゃった!」

 林檎はしぶしぶベッドから飛び降りて、保健室の入口に放った鞄を拾うと、クルっと一回転して二人に向き直った。

「じゃー、カラポンを迎えに行ってくる! 寝てたら押しかけて、おはようのキスしちゃおっかな? あー、それいいじゃん!」

「好きになさい」

「遅刻しないようにねー」

 じゃっ、と言い残して、林檎は保健室の扉を目いっぱい横に流して、颯爽と廊下を駆けていった。はためくスカートの下には、今日も半ズボンサイズにまでめくったジャージが覗いているのだった。

「元気ですねぇ、幸せなんでしょうか林檎ちゃん」

「そうね………毎日充実してるみたいだけれど」

 芝井先生はチラと書類棚の端の方を見上げる。

『持出厳禁』

 鍵の付いたガラス棚に、存在感無く佇む薄いファイルが、彼女の目に張り付いて離れなかった。

「…それを決めるのは私たちじゃないわ」

「ほぇ、何か言いましたか?」



―――――



 どこかの高速道路、雨、高層ビル群。車は一切通らないが、ビルの赤いランプは静かに明滅している。

 ガシィン。

 一歩、前に踏み出したソレは、高いとも鈍いとも言い難い機械音を響かせる。二足歩行のショベルカーみたいなロボットに、なぜか俺は乗っていた。

「………」

 ガシィン、ガシィン―――――。

 左右にあるショベルカーのアームが、腕のように揺れながら、ロボットは前へ前へと高速道路を歩いていく。二本のレバーを前後交互に動かしながら、まるでそれは竹馬のようだ。

 これでちゃんと屋根があれば、もっと売れただろうに。何故か、そんなことを考えていた。

「リバースド・エンジェ~ぅ」

 グゥイン! 方向転換した先には、比較的低めのビル。その屋上に、………彼女が立っていた。

「蘇る天使は蜜の味。蜜に溺れる悪魔は膣の味。ねぇ、カラポン。キスしよう?」

 髪をかき揚げる姿は、俺の知る彼女よりずっと長い長い金髪。…いや、今、伸び始めてるのか?

「その前にお前をコロス。それ以上近づくな」

 スラスラと口から飛び出した言葉―――林檎へのサツイが、止めどなく溢れ出てくる。3本目のレバーを握り締め、右のショベルアームを振り上げた。

「いいじゃん、やってごらんよぉ。アタシのスピードについて来れんならサァ!!!」

 光の剣、光の翼。それらはドロリとした残像を残して、しかし確実に速く俺に迫って来た。隠しもしない、林檎の角張った赤い機械的ボディとは対象的な速さで、俺を斬りつける………!!

「うオォオオ!!!」

 臆さない。光の剣を持つ右腕を狙って、振り上げたショベルアームを回転させる。

 ガキンッ! という、金属をねじ曲げたような音がして、光の剣が回転しながら宙を舞い、ロボットの右肩を溶断した。

 ドロリ、ゴトン、と落下する音に遅れ、林檎は高速道路に降り立った。右腕を隠すその表情は、決して穏やかではない。

「………何で? 何でそんなに私をコロせるの。あんなに私とコロし合うの、嫌がってたじゃん」

「…ぶっコロす」

 4本目と2本目のレバーを動かして、立て膝を着き、左のショベルアームを回転させる。地面に落ちた、光を失った剣をすくい上げ、カゴに収容させた。

 ―――まだ、使える。

「…それでアタシをコロすつもり? 無理。アタシがもう一度奪い返して、カラポンをぶっコロす…!」

 光の翼を広げた林檎は、一直線に、ツバメのように低く滑り飛ぶ。カゴを回転させ、刃の無い剣をコクピットに転がし落として、俺はそれを握りしめる。

 ドロリとした、鋭い剣先が光り、そして林檎は、目の前だった。

「ぶっコロす…!」

「ぶっコロしてやる…! ニセモノの―――」

 林檎のキックは俺の右腕に直撃。跳ね上がる光の剣を空中でキャッチし、逆手のまま、林檎は勝利の悦笑を浮かべた―――。

「ニセモノの、カラポンめぇッ!!!!!」

「!!」


 ガリッ!!!


 …突き刺された光の剣は、内側を溶かしながらコクピット内部を横断した。それもそのはずだ。

 剣を握りしめていた林檎は、左のショベルアームに弾き飛ばされていたのだから。

 …そして、その光の刃は、俺の体をも一閃していたのは、言うまでもない。

「…ニ、セモノ…だと………?」

 だんだん、ドロリと斜めに落ちていく視界の端に、赤いボディの林檎らしき物が映る。長い長い金髪以外は、どこがどの体なのかも分からない。光の翼も、その残像を残して消えてしまった。

 そして俺も………コクピットの中に、ゴトリと上半身が落ちる。その時になって、初めて林檎の言っていた意味がよくわかったのだ。

 俺の体は、最初から上半身しか無かったのだ。下半身があるはずのそこは、コクピットの床に飲まれ、ショベルロボットと一体になっていた。だから、血なんて出ない、だって俺は…。

「………ロボット………ニセモ、ン……だっ……の…か…………」

 フェードアウトしていく視界にも、冷たい雨は降り続ける。ロボットが倒れたのか、大きな音と共に強い衝撃があって、世界は真っ黒に消えてしまった―――――。


―――


「んーーーー!!」

「……………………っ!!? わっ、わあ、ああああ!!!?!!!!?」

 息苦しく、そして、ドロリとした味覚で、急速に俺は目が覚めた。それもそのはずで、林檎が布団の上から俺にまたがって、キスをしていたのだ。………林檎が、俺の布団の上で…?

「な、何で俺んちにいんだよっ!!?」

「んー、ピンポン鳴らしたらお母さんが入れてくれたよ? ねー、」

 ねー、って………最悪な想像図が瞬時に浮かび上がって、その通りの光景が、大穴の開いた部屋の入口で出来上がっていた。

「おっと、邪魔しちゃったかい? こりゃ失礼」

「見てんじゃねぇよぉおおおお!!!!」

 ゲラゲラと下品な笑い声を響かせて、母さんは足早に階段を下りていったようだった。…それが、今日の目覚めだった。


―――――



 さんさんと輝く太陽。青い空、白い雲。人によっては清々しいと表現するかもしれないが、目覚めの悪かった俺には、暑苦しいだけの迷惑な天気だった。

「…あのさ、陸上部の朝練はどうしたんだよ」

「だって、そんな気分じゃなかったんだもん。いいじゃん別に」 いいじゃんとか、気分でサボっていいもんなのか、運動部って? しかもわざわざ電車に乗り、うちへ訪ねてくるだけの時間があるのだから、相当早い時間に学校に行ってたはずだ。何やってんだこいつ?

「でも残念だなー、自転車二人乗りしたかったのに」

「………」

 …そう、いつもなら俺は自転車通学。だが俺の自転車は昨日、フレームごと真っ二つに“切断”され、田んぼに転がっていた。そのため今日は、電車通学を余儀無くされたのだ。

 いったい誰があんなひどいことを―――その怒りよりも、ある恐怖の感情が勝っていた。

(…現実な訳がない)

 数日前、俺は確かに夢を見た。田んぼの中で林檎と俺は殺し合い、その中で林檎は、放置されていた俺の自転車をチェーンソーで切断したのだ。

 だが、それが現実だった訳がない。もしそうだったとすれば、今ここに『生きた』林檎がいる訳がない。ましてや、死んだ林檎が生き返ってここにいる訳もない。

 あれは間違いなく夢だった。だというのに、なぜ………

「………」

「カラポン? カラポン、ってば!」

 林檎が俺の肩を叩く。それが、俺の首を締めようとしてきたように錯覚して、反射的にのけぞってしまった。当然林檎は、不機嫌そうな顔になってしまった。

「………私のこと、避けてないよね?」

「ち、違うって…ちょっと、寝不足なだけさ」

 駅までの道のりはそう長くはないが、何か話をしないとマズいだろう。林檎は「寝不足?」と、首を傾げた。

「ようやく完成したんだよ。俺達メディア部の、テレビドラマがっ!」


 メディア部。それは、元々放送部から発展したヘンテコな部活。

 その名残もあって、毎年開催される国営放送主催の全国高校放送コンテストにも参加している。

 アナウンス、朗読、ドラマ、ドキュメント番組…様々な部門に分かれて、日本全国の高校生達が競い合う。いわば、放送の甲子園みたいな大会だ。

 例年うちの貝梨高校はラジオドラマ部門で参加していたのだが、今年はテレビドラマ部門でエントリーしていた。というのも、今年部費で新しいノートパソコンを買ったのだが、その交換条件に、顧問の柴本先生から『最低でも奨励賞受賞』を要求されたのだ。さもなくば、放送室に置かれた漫画・ゲーム類の一斉撤去を実行するという、俺達にとって死活問題だ。

「『編集に使うから』という理由でお前んちに持ってかれて、早半月といったところだ。これでようやく、ゲーム三昧の毎日に戻れるってわけだ!」

「ていうか勉強しなさいよ、アホスケベ」

 今日はブシドーも揃って、メディア部メンバーが放送室に全員集合した。…まぁ、若干の+αがいるが。

「ほら、カラポン!コマッチャンも待ってるんだから、早く見せてよ! 遅いじゃんもー」

「楽しみですねぇ、うふふ」

 続々と人が入っていく放送室を見て、何だろう、と、目をキラキラさせながら覗き込んでいた所を林檎に発見された。「ふニャっ!?」という奇声は、たぶん一生俺の耳から消えないだろう。

「それじゃあ皆さんお待たせしました…粟野、電気消してくれ」

 俺はカーテンを閉めると放送室は真っ暗になり、TVモニターの画面だけが青々と静かに光っていた。

「それでは………できたてホヤホヤ。貝梨高校メディア部、テレビドラマ部門作品『さらば櫻木』を上映いたします」

 パチパチと拍手がおき、誰かが『ブ~~』とブザーの真似をして、笑い声が上がった。

 モニターにカウントダウンが映し出され、一斉にシンと静まり返った。 製作期間約2ヶ月。主演・ブシドーこと寒来魂子による、SF青春恋愛ファンタジードラマ『さらば櫻木』。

 剣道部で忙しいブシドーの予定に合わせ少しずつ撮影を重ねてきた甲斐もあり、かなり良い物ができたと自信があった。小雪ちゃん、ぼたんちゃん2人も熱演を奮ってくれたしな。

(今年は…マジで全国行けるかもな…!)

 ちょっとした優越感と何とも言えない緊張の、八分間。きっとみんなも、全国大会進出への確信を持ってくれるに違いない。

 再生が終わり、俺は満足した気持ちで、おもむろにカーテンを開いた。

「カラポン、」

 真っ先に口を開いたのはブシドーだった。そうだろう、そうだろう。何しろ自分が主役のドラマなのだから、ブシドーが一番に感動の言葉を放つ権利が―――

「これ、まだ編集できる?」

「―――へ?」

 それを皮切りに、感想のつぶやきがぽろぽろと、あちこちからこぼれ落ちてきた。

「音がちっちゃくないですか?」

「ちょっとフェードアウトが多すぎる気もするしな」

「ていうかアタシが出てないじゃ~ん! どーゆーこと、カラポン!?」

「……ぁ~」

 痛い所をつかれた、というのが正直な気持ちだった。どれも編集の時点で気づいてはいたことだったのだが、手間や時間のことを考えて、目を瞑っていた所だったのだ。

「…林檎は元々、役が無かったし、撮影だってしてなかっただろ?」

「何でよーっ、いっぱい手伝ったじゃん。私だって出番ほしい~っ!」

 手伝ったというよりは、金魚のフンみたいにくっついて、メンバーとワイワイ遊んでたようにしか見えなかったけどな…。

「ま、まぁまぁ。カラポン君も頑張って作ったんだし、そんなに文句ばっかり言っちゃ、かわいそうですよぉ」

「でも先生、これは私達の作品なんですよ。カラポン先輩だけが作ってるんじゃないです」

 コマッちゃんのフォローに救われた気でいた俺の心は、3秒と持たず、ぼたんちゃんにあっけなく粉砕されてしまった。しかもそのとおりであるからして、ぐうの音も出ない。

「あの…」

 最初に何か言いかけていたブシドーが、申し訳なさそうに手を挙げた。皆が一斉にブシドーのことを見た。

「あ、いや…不満とか、そういうんじゃなくて、ね………撮り直したいなーって所があって。私のとこで…」


 ―――――


 結局のところ、俺が予想していた以上に皆からの評価は悪かった。実際、家のモニターで見るのと、学校のモニターで見るのとでは、見え方が違うことを自分でも感じていた。

(…ちくしょうっ)

 ようやく編集作業から解放されると思っていた。県大会まではもう一週間も無い。ブシドーは撮り直しをしたいと言っていたが、撮影して、更に編集する時間を考えたら、間に合うかどうかもわからない。他にも、皆から指摘された点はたくさんある。

「カラポン」

 甲高い声が狭い空間に響いた。その一声だけで分かる、林檎だ。

 心配してきたのか知らないが、今あいつと顔を合わせたら何を言ってしまうか分からない。無視しようかと思ったが、あいつは、コンコンとノックしてきたのだ。

「…ここ、男子トイレ」

「いいじゃん別に」

 …よくない。催して来た先生に見られたら、どう説明したらいいんだ。

「ねぇ。私、考えたんだけどさ」

 ドアの下の隙間に、上履きのつま先が見えた。と思った瞬間、フッといなくなって、ドカン! と大きな音が個室に響いた。ドアの上に林檎がよじ登って覗き込んでいたのだ。

「私をヒロインにすればいいんじゃない?」

「もう、帰れよおまえ~!」


―――

 ガタン、ゴトン―――――。


 電車に乗って二時間ちょっと(嘘)桜の木の下で(ホント)。試写会後、早速やって来たのは星流山岳公園、こないだメディア部全員で撮影に来た所だった。

「ごめんね、もう間近って時に」

「いいって。主役のブシドーが言うんだから、当然のことだろ」

 ブシドーは、ここで撮影した映像で気になった所があった。逆光が激しくて、ほとんど顔が見えていなかったのだという。しかし、よりにもよってそのシーンとは、あの桜の木の下での告白のシーンだった。

「でもさすがに…桜はもう、」

「…うん。そうだね」

 今は5月末。どんなに遅い桜でももう散ってしまっている。もちろん前回使った桜の大木も例外ではなかった。そのことはブシドーだって分かっているとは思うのだが…。

「私に考えがあるの」

 そう言って、ブシドーはスカートのポッケから小さく結んだビニール袋を取り出した。


―――――


「…驚いたぜ。ホント頭いいよな、ブシドー」

「ふふん、でしょー? でもちょっと不安だったんだよね」

 桜の大木は崖の淵に立っている。崖、と言っても、柵はちゃんと立ってるし、少しぐらいだったら降りられるスペースがある。俺達はその木製の柵をまたいで、一段分下の空間に降りていた。

 そこには、散ってしまった桜の花びらが溜まって土にへばりついていた。決して量は多くはないが、手付かずの状態のまま放置された花びらが残っていて、それを俺達はビニールに拾って集めた。

「洗った方がいいのか、コレ?」

「ダメダメ、やぶけちゃうって。土だけ払っておいてね」

 これでなんとか“桜吹雪”が確保できた。ビニールいっぱい、にはとてもならない量だが、1、2回ぐらいなら撮影ができそうだ。

 俺達は再び柵をまたいで、桜の大木に戻ることにした。

「おっと…ブシドー、ここ危ないぞ。柵がグラついてる」

「ほんとだ…。よっ、と」

 さて、撮影だ。こないだと違い放課後に来ているので、日も傾き始めている。早めに撮影しないと。

「花びら取れたのか?」

「あー、こんな感じ」

 粟野達には機材の準備をしてもらっていた。といっても、反射板とか、三脚ぐらいしか無いんだけどな。

「うほー、すげぇなぁ! よくこんだけ集められたなぁ。…でも、誰が撒くんだ? まさか花咲かじいさんみたいに、隣でばら撒くわけじゃないだろ?」

「…粟野って、木登りできない系男子だった?」

 ブシドーの鋭角な質問に、図太く両腕を組んで肯定する粟野。…失笑だぜ。

「じゃー、カラポン登れよ」

「俺は…カメラとか扱わないといけないし…うっ」

 みんながそれぞれの『あっ!』という顔をして、俺に注目する。…もう言うまでも無いと思うが、俺も木登りできる系男子ではなかった。

「…えー、せっかく花びら集めたのに…」

「だっさー」

 どこぞのぷに娘が何か言ってるようだったが、いちいち相手している暇はない。あーくそっ、あんまり頼みたくないけど、さっきからそこでニヤニヤしてる林檎に頼むしかないか…できたよな、たしか…?

「林檎さ、たの――」

「あのぉ…」

 ん? 挙げようとした腕の袖をツイっと摘まれて、俺は何事かと一瞬考え込んだ。何のことはない、小雪ちゃんがワイシャツの袖を(結構力強く)引っ張っていたのだ。

「な、何だい、小雪ちゃん…?」

「私…き、木登りできます!」


―――――


 意外な申し出により、木登り花びら撒き担当は小雪ちゃんに任せることとなった。最初はぼたんちゃんが止めたのだが、結局他に誰もできないと分かったので、引き下がった。

「…しょうがないけど…けど! ホント気をつけなさいよ雪! 枝の先とかに乗ったら落ちるからねっ、しかもそこ崖だし! 何でこんな危ない所撮影に選ぶんですか、カラポン先輩は…!」

 ガッシ、ガッシと小雪ちゃんの両肩を掴みながら、ぼたんちゃんは烈火のごとく吠え叫んだ。あまりの気迫に、俺もぼたんちゃんもタジタジだった。

「頭が空っぽだからだろ。空っぽカラポン~、だもんな?」

「そーそー!」

 林檎まで同調してきやがった。うるせ。

「さっ、つぇ~~い。あんま時間、無いと思うんだけど」

 トントン、と腕時計をアピールするブシドー。…彼女だって、貴重な剣道部の時間を削って来てくれてるはずだ。待たせるわけにはいかないな。

「よし、始めよう。小雪ちゃんとブシドーはスタンバってくれ。ぼたんちゃんは小雪ちゃんの代わりにカメラ、アホ助はボード。林檎は…おとなしく座ってろ」

 え~、と林檎はぼやいていたが、付き合ってる暇も惜しい。俺は新品のDVテープの封を切って、カメラに差し込んだ。前みたいに、変なトラブルがあって潰してしまうのはもうコリゴリだしな。

「…それじゃ、S-6でいいんだよな。ブシドー、準備はいいか?」

 ブイサインが出た。むしろ待ちくたびれた、と言いたげなような顔をしている気もした。


―――――


 貝梨高校メディア部が製作したテレビドラマ『さらば櫻木』は、とある桜の木と、櫻木という名の一人の少女とを巡る物語だ。これから撮影するシーンは、ブシドー演じる少女櫻木が、主人公の少年に自分の正体と、別れと、自らに閉じ込めていた想いを告白する、一番のクライマックスシーン。

 そんな大事なシーンだったからこそ、ブシドーにはどうしても気になってしまい、やり直しておきたい所があったのだろう。実はそれがどこなのかは、まだ聞かされていなかった。

(うまく撮れてたら説明するって言ってたけど…何なんだろうな)

 桜の花びらも順調だった。『あんま無いんだからね!』とぼたんちゃんが釘を刺しまくっていたので、やや控えめ気味な感じだが、映像的にはちょうどいい。上手くやってくれている。

「私は…あなた達とは違う。だけど、私は通じ合えたと思ったの。ようやく私を理解してくれる人を見つけられた、って」

 ブシドーもさすがだ。前回よりも演技に磨きがかかり…何と言うか、真剣味が増している。彼女の表情、仕草、言葉遣いが、前にも増して…その、愛おしく見えたのだ。

「カット」

「…あいよ」

 そんなんだから、ぼたんちゃんの声が、夢から叩き起こされるようなストレスを感じさせるのだろうか? ふぅ、と一息ついたブシドーだったが、その表情はまだ“少女櫻木”のままだった。すぐに次のシーンに行きたいらしい。

「一気にやっちゃお、感覚がある内にやっちゃいたい。…あと、カラポンさ、」

「ん?」

 手招きしている? ブシドーの所に行くと、コソコソと耳打ちしてきて…え、え?

「おいブシドー。本気で言ってるのかそれ…?」

「あたし、いつだって本気なんだけど」

 チラリと、草っぱらで腰掛けている林檎を見るブシドー。案の定、林檎は千枚通しみたいに尖らせた唇をしてこっちを睨んでいた。


「はぁ? 林檎先輩を出すのかよ…何でまた?」

「さぁ…ブシドーがさ…」

 ブシドーの提案はこうだった。林檎を、主人公と仲のいい女の子役で登場させ、演技をしてもらうというもの。それも、主人公の男の子を我が物のようにして、櫻木が告白している前からひったくるという、考えもしていなかったアレンジだった。

「確かに結局櫻木は桜の精でした~って終わるんだから、その前に一ついなくなる理由がほしいとは思ってたんだけど…やっぱ、微妙?」

「…いや、いいんでね?」

 意外にも、粟野は抵抗無いようだった。「林檎先輩がってのが、なお自然の流れな気がするよな。セリフも適当にやってもらおうぜ」

「そんなうまくいくかな………」

 俺の不安は見事に無視され、台本を書き足すこともなく、ぶっつけ本番で撮影に挑むこととなった。幸い、林檎がノリノリで快諾してくれたおかげもあり、一回やったリハーサルはかなりいい感じになった。

 林檎はようやく与えられた自分の出番に、終始ご機嫌の様子だった。「あっはは、超楽しーじゃん! やだ、顔笑っちゃうし!!」

「じゃー、本番撮るぞー…あれ、カメラ回ってたのか。ずっと撮りっぱなしになってた」

 ぼたんちゃん…君に任せといたつもりなんだけど……わざとか?

「ゆーきー、次本番やるって~。花びら撒いてよちゃんとー」

「うーん、わかったぁ」

 ぼたんちゃんは桜の木の上にいる小雪ちゃんに連絡を済ませると、トコトコとカメラへと戻ってきた。すぐに気が付いたのだろう、『あっ』と口が開いて、俺を睨んでいた。『何で止めたんですか』と、ラジオ番組でも受信してる気分だ。

「じゃー、本番行くぜー、スタンバーイ」

 何か変に言われる前に、さっさと撮影を終わらせてしまおう。みんなが所定位置に移動するのを見て、ぼたんちゃんもペンでそこに書いたような『への字』口をして、むっつりとカメラの後ろに付いた。

「ぶつぶつぶつぶつ………」

「ぼたんちゃん聞こえてるから…。じゃ、本番5秒前ー」

 俺が片手をパーにして上げると、みんながそれまでの表情をキッと引き締めて構える。4、3………指を全部折った、その瞬間―――――。


 バキィッ!! バリバリバリ……パサァ、バキドン!!!


…もの凄い音がした。何が起きたのだろう、と俺が答えに至るより早く、大声を発した人物がいた。

「ゆきッ!!!!!」

「…マジかよ?!」

 小雪ちゃんが、桜の木から落ちた―――。

 それだけではない。落下のエネルギーの凄まじさは、あるいは老朽化した木柵の脆さが、事態を更に最悪な物へと運ぶ。

 小雪ちゃんの体は、柵の向こうの崖の方へ転がっていってしまったのだ―――!

「きゃあ!!?」

 一番驚いたのはブシドーだったろう。頭上からいきなりデカい音がして、当の本人よりよっぽど大きな悲鳴を上げていたのだから。

 折れた枝と、ビニール袋に入れてあった桜の花びらがそこら中に飛び散って、まるでその先を見るなと遮っているかのようにも思えた。だが―――

「小雪ーーーーッ!!!!!!」

 俺の脚は迷わなかった。折れた柵を飛び越え、崖の土坂を一段、二段と滑り降りる。勘は当たっていた。さっきブシドーと、桜の花びらを拾った僅かな平面部分に、小雪ちゃんは横向きに倒れていたのだ。

「小雪ちゃん! 大丈夫か!? 小雪ちゃん!!!」

 見ると、小雪ちゃんの額からは一筋の血が流れ出ていた。白いワイシャツは泥が擦り付いて、紺色のスカートは柵にぶつかった時に破けたのか、大きな裂け目ができていた。

(……えっ、息をしてない…!?)

 落ち着け、落ち着け俺、まだ、間に合うはずだ。保健体育の授業でやったばかりだろう、順番通りに、数字の順を追ってやれば小雪ちゃんを助けられるはずだ…!!

「1、状況の確認…周囲の安全を確保っ、やばいけどこれ以上落ちない場所! 2、意識の確認、なし!!」

 声を出して俺は一つ一つを思い出す。教科書に載っていた番号とノートに書いた内容を思い出して、俺は思い出したことを一つ一つ叫んだ。AEDなんて便利なもんこんな田舎には無いから………次は、3だ! まだやってないぞ。

「3! 応援を呼ぶっ!! 119番っ、ヒャクジュウキュウバァアアアアン!!!!!!!!!」

 上の柵の向こうで、粟野が手を振っていた。その手には携帯電話を握っていた。

「救急車呼んだぞー!」

「大丈夫ーっ、小雪ちゃん、カラポーン!?」

 ブシドーの隣でぼたんちゃんがこちらを見下ろしているらしかった。柵から降りてこようとしているのを、誰かに後ろから止められているらしかった。

「呼吸の確認…無し、胸骨圧迫…あっぱく……」

 つまり心臓マッサージ。気道の確保と人工呼吸よりもこちらが先だと、何度も講師に口をすっぱくして教えられたことだ。その言葉を口に出し意味をかみ締めて、俺はふと最近こんなことをしたような、というデ・ジャヴを感じた。…イエリー?

(まさか一週間で2回もやるハメになるとはな…)

 ただし今度は正真正銘の心肺蘇生だ。イエリーはロボット、小雪ちゃんは人間なのだから。俺は心の中で“小雪ちゃんごめん!”と唱えながら、ワイシャツのボタンを胸からお腹の辺りだけ外して、左右にずらして開かせた。ほのかに芳香がして一瞬クラッとしたのもつかの間、おへそと白いブラジャーの下部が露わになり、なぜか無意味な咳を二つこぼしてしまった。

「カラポーーンッ!!」

「林檎か…! ちょうどよかった、心臓マッサージをするから――――え?」

 手伝ってくれ、と言おうとしていた口が『え』の形で止まったままフリーズした。次いで、両目がぶわっ! と見開いた気がする。息も呑んだかもしれない。どういう意味かって? 漢字二文字で表現できる。それは『驚愕』。この長ったらしい独白はたったの0.5秒の間に行われたと言ったら、どれほどその時の俺の思考が超高速で働いたかが理解してもらえる気がする。それほど俺の脳みそはエマージェンシーモードを赤色グルグル灯全開の状態で訴えかけていたのだ。死ぬ間際に見る走馬灯―――つまりそれは今までの記憶の中でこの状況を打破できる方法が無かったかどうかを脳が記憶のハードディスクに検索している状態らしい―――を見ている状態によく似ていたと思う。いや、そのものズバリだ。なぜなら俺は、本当に、いや、マジで―――――、

「止めて止めて止めてぇええ!!!!!」

死を予感してしまったから、だ。

 斜面を尻餅ついて滑り落ちてくる林檎の姿を見たら―――――

「 !!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!、!?」

 小さく、ドンという音がしたのかもしれない。今まで見たことのない絶景に囲まれているのに白黒映像でつまらないなとか、耳が急に聞こえなくなったなとか、血の気が失せて空気を触っている感触すら無くなって、手付かずの土の臭いが消えたなとか、舌だけが五感を失った感覚に気づくのに遅れていたが、もはやそんなのどうだってよかったのだろう。脳だけは、フル回転していた気がする―――――。


 林檎とぶつかった俺は、斜面を跳ねるように。まるでバックドロップでも決めようとしているかのような格好で、相手もいない空というリングに向かって。


崖を真っ逆さまに落ちていったので、ある―――――。



つづく…

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