プロローグ2
かつて、「海」と呼ばれた場所があった。
かつて、「陸」と呼ばれた場所があった。
しかし、何時しか「陸」は「海」に飲まれ、今は、その名残が、ほんの少し、頭をのぞかせているだけ。
かつては「頂」と呼ばれた、その場所。
その場所に、ある一人の人間がいた。
その人間の名前は、セラと言った。
そのセラは、足許に広がる水面を眺めながら、悩んでいた。
この水の下には、一体どれ程の命があったのだろう。この暗い水の底には、一体どれ程の数の人たちの生活の営みがあったのだろう。その生活は、この暗い水の底と同様に、真っ黒なものだったのだろうか。
今は水の下に沈んだ人たちと、今の私たちと、一体何が違ったのだろう。
今の私たちに、残されているものは一体何なのだろう。
今の私たちには、それが分からない。
でも、今の私たちの生活より、きっと良いものだったに違いない。(そう思いたい。)
そして今の私たちに出来るのは、今の生活を良いものにするために動くことだけ。
でも、「今の生活を良いものにする」って、どうやって?
自分で鼻白む思いがする。
今の私たちは、今の生活しか知らない。生活の改善は望んでいるけれど、得られる資源は限られている。それは、嫌になるほど知っている。その上で、一体どのようにして生活の改善を望む? 日々を生きて行くので、精一杯なのに。
その答えは、この水の下にあるのだろうか。
この水の下、この暗い水の底に、あるのだろうか。
その答えを知る人は、何処にもいない。
それが希望であるかどうかを知る人は、誰もいない。
かつての人たちに比べて、今の私たちは、多くの物を失っている。
どうして、かつての人たちは、今の私たちのようなことになることを予想しなかった? どうして、かつての人たちは、今の私たちのようなことになることを気にせずにいられた? どうして? どうして?
それらの答えを知る人も、かつてはいたのかも知れないけれど、今はいない。
誰も、答えを知らない。
こんな世界で生きて行くのは、嫌だ。
先の見えない、こんな世界で生きて行くのは、嫌だ。
嫌で嫌で堪らない。
他の人たちも、同じだろうに、どうして、私の気持ちを分かってくれないのだろう。どうして、私の悩みを受け止めてくれないのだろう。どうして。どうして。
どうして、こんな世界でも、生きて行こうとするのだろう。
どうして、こんな世界で、私は生きているのだろう。
そうした疑問は、強烈な空腹と肌寒さを感じることで、思考停止してしまう。
「私は、ここで、生きているのだ」と。
「他の人たちも、同じなのだと」と。
そうして思考が曖昧になった頃、セラの佇む「頂」の側に、ある「船」がゆっくりと浮上しながら近付いて来た。セラが身を寄せている生活船である。
船の扉が開き、そこから出て来た人間がセラに声を掛ける。
「セラ。少しは反省出来たか。反省したなら、戻って来い。」
その声に、セラは軽く返事をして、「頂」から船までの距離を泳いで、船の方に身を寄せてい行く。既に思考が曖昧になったセラは「反省はしていないけど、今のままでも気持ちは重たくなるだけだし、お腹も減ったし、仕方ないよね」と、内心愚痴っぽくなったものの、それを言葉にすることはなかった。
「これでは、いけない。」と思いながら。
もっとも、船から声を掛けた方の人間にしても、セラが本当に反省したかどうかなど特段の意味はない。当時のセラには理解出来ないものだったが、自分たちが生きて行くためには、セラのような時間も必要であることを分かっていたためである。
セラが、何か答えを見出すのか。僅かばかりの期待が、そこにはあった。