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雨に風につけても思い出づる

作者: さうざん

 私の一番好きな季節は、冬。十歳を過ぎたころから、大人に聞かれるたびにそう答えるようになりました。


 もちろん、他の季節も嫌いではありません。


 冬の刺すような風が、潤いを帯びた優しいものに変わった時の嬉しさを、あなたも知っているでしょう。新しいものに溢れ、期待と不安にいっぱいの瞳で見上げる桜吹雪は、たとえようもなく美しいものです。春の暖かな日なたでうつらうつらする時、私の心はいっぱいになります。それから、忘れてはならないのが新緑の美しさ。あの若々しい緑の若葉を見るたびに、私もそうでありたいと心を新たにしてしまいます。


 雨が続く梅雨も、嫌いではありません。すきとおった雨粒にきらめく世界の刹那の美しさを、私たちは知っています。夏のうだるような暑さに汗をかくことも、実は好きなのです。どこまでも続く大海原も、ふと暑さが和らぐ夜に見上げる花火も、そして思い出すと恥ずかしくて涙がこぼれてしまいそうですが、大切な人たちの笑顔も、私の中の大切な思い出です。


 黄金の秋のすばらしさを何と説明すればよいのでしょう。たわわに実った稲が首を垂れ、黄金の稲穂が夕陽に輝く美しさを。山々は色づき、上からゆっくりと色を変えて、美しい錦を作り出します。そして虫の声が心地よく響き、彼岸花がもの悲しく咲き、月がすべてを静かに照らすとき、私は愛してやまない冬の匂いに気づくのです。







 わたしが生まれ育った場所は、自然も人もあたたかい場所でした。大きな町ではありませんでしたが、よい場所だということで、気軽な物見遊山の客や新しい故郷を探す若い家族が集まっていて、それなりに活気がありました。自然に恵まれ、人間社会にも恵まれ、都会と田舎のはざまにあるこの町を、わたしは心の底から誇りに思っています。


 ただ、大きな山の麓なのです。けれど、海からもそう離れていないのです。いわばこの町全体が、この大きな山の一部なのです。まるで昔の映画の中の身分の高い女の人が、引きずっている錦の着物の裾に織り込まれた文様のように。わたしもまたこの大きな山の一部なのでしょう。昔の列車が線路を登れず、あれこれ工夫をしなければいけないほどの坂の中で、わたしたちは暮らしてきたそうです。たしかにそう思ってみれば、学校の帰りに自転車で町をかけまわろうとすると、必ず坂道にぶつかって引き返してました。


 そのため、わたしの故郷は隣町に比べると寒く、冬になれば雪が降り積もりました。


 雪が降り積もるといっても、せいぜいあたりが年に数回ほど雪に覆われるくらいです。家が埋もれるほどではないし、子どもの背丈くらいの雪だるまや、あまり丸くないかまくらを作れるほどの雪しか手に入りません。必死に雪かきをしなくても、ほうっておけば雪は溶けていきます。本当の雪国で暮らす人々に申し訳ないほどしか降らないのです。


 それでも、雪が珍しいと暖かい隣町からわざわざ見物に来る人までいるのです。わたしも大きくなると隣町の学校に列車に乗って通うようになったのですが、私の町で雪が降ったと聞くと、友人たちはみな大変驚いて、「写真を見せてほしい」「雪を持ってきてほしい」「遊びに行きたい」などと騒ぐのです。わたしたちより多くのものを知っているはずの教員たちですら、「帰りの電車は大丈夫か」などと心配して声をかけてくるしまつでした。


 そこで、わたしたち列車で山を下って学校に通っている組は、すっかり鼻を高くしました。今朝、家を出るときには子犬のようにはしゃぎまわっていたのに、海の近くの学校まで下ってくるとすました顔で「あの程度では雪が降ったとは言わない」などと玄人くろうどぶってみせるのです。他にも、わかりもしないのに、雪かきをうまくやる方法だの、雪の種類の見分け方だの、もったいぶって話す者がわんさか現れました。わたしもまた、大学に入って本当の雪国の人たちと会うまで、霜が降りる冬になると鼻高々と雪に関するありがたいお説教を続けていたのです。







 山の麓ということもあり、わたしの故郷では星がとてもきれいに見えました。


 あの美しさをどう説明していいのか、残念ながらわたしにはわかりません。「星がまたたく」と言えばいいのでしょうか。ともかく、空気の澄んだ冬になると、星が震えるのです。もっとも、冬の夜の寒さにわたし自身が震えているので、震えて見えるだけなのかもしれません。それでも、この美しさをぜひご自分の目で見てほしいと思うほど美しいのです。わずかに震えるように光り輝く星の粒と、その星の粒を包む漆黒の宇宙と、冴え冴えとした冬の透き通った空気、そんなものでできた冬の夜空の美しさを見たくて、玄関から暖かな家の中に入らずに、寒さに震えていたことが何度もありました。


 わたしは星は好きで、星に関する神話も好きです。こぐまがなぜ空にいるのかも、カシオペアがどの国の王女なのかも、南十字星がわたしの故郷からは見えないこともちゃんと知っています。ただ、実際の夜空のどの星がこぐまなのかはわかりません。せいぜいわかるのは、オリオン座の三つ星と北斗七星くらいでしょうか。だから冬の夜空を見上げても、正直何もわからないのです。それでも、寒さに震えながら見上げてしまうほど、美しいのです。


 十歳になった時、学校の授業で百人一首を覚えさせられました。といっても、苦痛ではなかったことを覚えています。覚えると教員が褒めてくれて、ノートに花丸を書いてくれたりリボンや何かをくれたりするからです。元々、昔の物語が好きだったわたしは、古の歌人たちの和歌の世界にどっぷりとひたっていきました。


 その中に「かささぎの わたせるはしに おくしもの しろきをみれば よぞふけにける」という和歌がありました。わたしの学校の者はみんなこの歌をよく覚えました。「黒木」という名字の少年がわたしたちの学年にはいたからです。子どもというものは時に、全くの罪悪感を持たずに残酷なことをできるものです。彼の名前を連呼しながら、わたしたちはこの和歌を体に刻みました。


 その和歌の意味を知った時、わたしの口の中は、冬の夜空を見て思わず吸い込んでしまった冷たくて甘い空気の味でいっぱいになりました。大昔の人が冬におりた霜の美しさを、夜空の天の川にたとえて詠んだ歌なのだそうです。厳しい寒さの中の、雪と氷と霜と星と闇によって形作られた透き通った世界を美しいと思うのはわたしだけではなかったのだと、本当にうれしく思ったのです。





 そんな美しい故郷から旅立ったのは、わたしが大学に入る年です。


 この年の冬は、かつてないほど大雪が降った冬でした。今までは足が埋もれる程度だった積雪が、その年の二月、たった一晩で大人の背丈ほども降り積もったのです。今夜は大雪らしいという情報はみんな知っていて、あらかじめ食料や灯油を用意していたのですが、まさかこれほどとは誰も思わず、わたしの祖母も唖然としていました。


 その日は学校は休みの日でしたが、弟が学校に行く用があったので、家族みんなで早起きしたのです。大雪だと聞いていたので、きょうだいで冗談半分に玄関の扉をあけたことを今でも覚えています。家の目の前の、庭も郵便受けも道も駐車場も、すべてが白い世界に消えていたのです。弟はあまりのことに気が動転してしまい、いきなりスコップを片手に雪かきを始めました。今から雪かきをしないと学校に間に合わないと考えたそうです。こんな日に学校があるはずがないと母が止めるまで、弟は寝間着姿で雪を掘っていました。


 困ったことに、その日は父が仕事で不在の日でした。祖母と母とわたしと弟は、なすすべもなく玄関で立ち尽くしていました。車を動かすどころか、家の外に出られるかどうかもわかりません。すると、雪の中を若い女の人が腰まで埋まりながら目の前の道だったところを歩いていくのです。見ず知らずの人でしたが、わたしたちは手を振って挨拶をしました。その女の人が「車に乗っていたが道が埋まってしまった。国道も役所も店もすべて埋まってしまっている。仕方がないので雪をかき分けてきた。」と言っているのを聞いて、わたしたちはよくやく町中が雪に埋もれたことに気づいたのです。


 朝食を食べてから、町内会総出での雪かきが始まりました。除雪車を待っていてもいつ来るかわからないからです。誰ともなくスキーウエアに身を包んでスコップを抱えて家を掘り出す姿は、まるで大きな地震に不安げな顔で道路に集まってきた時のようでした。


 子どもたちは興奮して、そりに乗って町中を探検して遊んでいました。隣の家の子曰く、九歳までは雪の上を歩いてどこまでもいけるけれど、十歳より上の子は途中で雪の中に落ちてしまうのだそうです。その話を聞いて、わたしはイーハトーブの狐の幻燈会のことを思い出しました。かくいう大人たちも子どものようにはしゃいで雪の中から家を掘り出していました。掘りに掘ってやっと人が歩けるようになると、大きな道に車が走っていないことをいいことに、大人も子どもも好き放題に散歩してまわっていました。わたしも大きな道路の真ん中で、弟と写真を一枚撮りました。


 当然、この大雪は大きなニュースになりました。ところが記者たちも雪に阻まれてしまい、本当に雪が降り積もったところにはたどり着けなかったのです。記者たちはつま先だけ雪が積もった程度の雪で喜んで帰っていきました。雪が積もっているのを初めて見たからでしょう。それくらい、この辺りは暖かい地方なのです。当然、列車がようやく動いてわたしたちが海沿いの高校に下ってくると、他の町の友人たちが大変驚いて囲んできました。わたしたちは写真を見せてやったり、雪かきの話をしてやったりして、友人たちの好奇心と自分の自尊心を喜ばせてやることになりました。






 そんな大雪の思い出と共に、わたしは大学に入り、それなりに勉強し、自分でお金を稼ぐ身になりました。いつのまにか故郷を旅立ってから7年もの月日が経っていました。


 今は、雪が降らない暖かい街で働いています。とても暖かくて、冬に霜柱を踏みながら歩くことも、息の白さに冬を感じることも、寒い冬の日にストーブにすがりつくこともなくなりました。この街は冬の冷たい風が有名らしく、職場の人は皆寒がって文句を言いますが、わたしは最初それに共感できなくてとても困りました。今では、風邪の冷たさも理解することができましたし、寒がるふりも上手くなりました。


 7年間、故郷にはあまり積極的に帰りませんでした。無論、家族が嫌いになったり、故郷の田舎臭さに辟易したり、友人たちと喧嘩をしたりしたわけではありません。むしろ、大学の友人や職場の同僚には、いつも故郷や家族の自慢話をしていたくらいです。それなのに、盆と正月に数日間帰るくらいで、母からも「帰ってこない薄情者」と笑われるほど、故郷に帰りませんでした。


 理由は簡単です。せっかくの休みは遊びたかったのです。買い物をしたり、映画を見たり、どこかに出かけたり、都会には楽しいことがたくさんあります。自分の部屋でのんびり過ごすのも悪くないでしょう。それに、友人の面白そうな誘いはひとつも断りたくありませんでした。もし断ったら、わたしは空気の読めない変人だと二度と誘ってもらえなくなるのではないかという恐怖があったのです。田舎の友人たちとは、何日も前から約束をして会うのが普通でした。でも都会の友人たちは暇があれば声をかけてくるのが普通です。わたしは、その都会の友人関係にあわせるので必死でした。新しい土地の友人たちとのまだ見ぬ約束のために予定を開けようとすれば、自然と故郷に帰る時間はなくなります。今思うと、なんと空虚な友人関係だったのでしょう。こんなもののために心をすり減らしていたのだと思うと、すこし切ない気持ちになります。


 家族も皆元気でしたし、故郷はそれほど遠くではありません。わたしにとって故郷は”いつでも帰れる場所”でした。だから今は帰る必要がない、むしろ帰るべきではないくらいに思っていたのです。「こころざしをはたして いつのひにかかえらん」くらいに思っていたのかもしれません。とにかく、確かに言えることはこれだけです。わたしは故郷に帰らなかったのです。






 そんな故郷に、帰れなくなる時代になってしまいました。


 帰れないと決まった時も、あまり悲しみは感じませんでした。わたしにとって故郷は「いつでも帰れる場所」だったからです。そのうちまた帰れるだろうと思っていました。店でいつものパンが売り切れていたから他のパンを買った、くらいの気持ちでしかなかったのです。むしろ、家でゆっくり本を読む、外に出かけられない休暇を存分に楽しんでいたくらいです。


 口を覆う布で出来たマスクがあたりまえとなって、耳の痛みも息苦しさも何も感じなくなった秋のある日、わたしは風の中の冬の匂いに気づきました。仕事が終わって、自分のおんぼろの車に向かって歩いているときでした。空にはまんまるのお月様がのぼっていて、冬の山麓ほどではありませんがいくつかの星がまたたいていました。夜空は都会の明かりで少し明るくて、どこかの家から賑やかな音楽が響いていました。


 その時、わたしは故郷を旅立ってからずっと、故郷の欠片を探し続けていたことに気づいてしまったのです。


 川沿いの土手の桜吹雪、新しい家の近くの公園の新緑、やっと手に入れたおんぼろの車で出かけた砂浜、友人たちと笑いながらみつめた線香花火、黄金に輝く稲穂、空にのぼる月。そんなものに、故郷の影を探し求めていたのかもしれません。わたしは、川沿いの土手の桜吹雪を見れば通学路の桜吹雪と新緑に輝く故郷の山々を思い出し、海を見れば山の一部であった故郷を思い出し、新しい友人たちと笑いながら線香花火を見ればかつて共に線香花火を見た故郷の友人たちを思い出し、黄金に輝く稲穂を見れば故郷の田んぼを思い出し、月を見れば家族と作った月見団子を思い出していたのでしょう。


 そうやって無意識のうちに探してしまうのが、故郷というものなのかもしれません。


 そしてわたしは暖かいこの街で、「寒さ」に故郷を見つけようとしていたのかもしれません。雪が積もらないと分かっているのに雪が降り積もった時のためにスキーウエアと長靴を用意しているのも、同僚たちは誰も変えないのにおんぼろの車のタイヤを冬用のものに変えているのも、故郷とのつながりを求めているからなのかもしれません。ごくたまにですが、わたしは冬の寒い日に暖房をつけずにいることがあります。わざと寒さに震えてみせるのです。自分でもおかしな行動だなと思っていたのですが、その寒さの中に故郷の欠片を探していたのでしょう。







 今日も仕事中、白くなった息に思わず故郷を探そうと、身を乗り出してしまいました。後で気づいて一人で笑って、声もなく泣きました。


 あの大きな山の麓の町は、わたしの故郷なのです。わたしが生まれ育った場所なのです。そこにはわたしの部屋があって、幼いわたしの手垢がついた本があって、幼いわたしがこっそりつけてしまった柱の傷もあるのです。父がいて母がいて、弟がいて祖母がいて、友人と恩師がいるのです。先祖の仏壇も、毎年祈りに行く神社もあるのです。車を二三時間走らせれば、わたしは故郷の霜柱を踏むことができるのです


 それなのに、帰れないのです。「いつでも帰れる場所」を失いつつあるのです。わたしはいままで「いつでも帰れる場所」があるから、安心してどこにでも飛び出して行けたのでしょう。けれど、帰れないのです。冬の寒さに、帰り道の夜空に、日々の暮らしの中で故郷の欠片を探してしまうたびに、心の奥の底から音にならない泣き声のようなものがこみ上げてきます。


 きっとわたしは、こうやっていつまでも、故郷を探してしまうのでしょう。それがわたしを救っているのか、それとも追い詰めているのかはわかりません。


 もう少し時間が過ぎて、自分で新しい故郷を見つけるような大人になったら、また違う探し物のお話をするかもしれません。


 



ここまで読んでくださり、ありがとうございます。


今後の状況次第ですが、上司たちから「県内なんだし帰りな!親に顔見せて来い!」と言ってもらっています。落ち込んでいるときもありますが、たいてい元気です。


皆さまが良い年を迎えられることを願っています。

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― 新着の感想 ―
[一言] 繊細な感性のとても美しい情景描写だと思いました。 それぞれの四季の素晴らしさを見事に書いていて引き込まれました。 また、いつも帰れるはずの故郷へ帰ることのできない強い郷愁の思いが心に響きま…
[一言] 身につまされる思いを感じました。 また故郷への愛を強く感じさせる素敵な文章を読ませて頂いてありがとうございます。
2020/12/20 17:53 退会済み
管理
[一言] 都会の中で無意識に故郷を探している、という文章に「はっ」としました。 言われてみれば、私も、就職で上京した時に、通勤電車沿線の緑や公園の桜を自然と目で追っていました。 あと、アパートも、近く…
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