出立
無事にお茶会が終わりようやく隊舎に戻れるかと思ったが、ジークフリードから退出の許可は下りなかった。
(まぁ、予想はしていたけどね)
おそらく、シュウ王子はレンをどうにかして家に帰したい事情がある。政治的な意図、内政か外政か…。レンに対する配慮は無いわけではないだろうが、そこまで情に厚いタイプではないだろう。
今夜帰されなかった事の意味を考え、ミリィは急いで出立の準備を始める。本来なら自分の部屋に戻り準備をしたいところだが、人目につくわけにはいかない。
どうしたものかと思案していると、部屋付きの侍女には内密で話が通っていたらしく、旅支度に必要なものが取り揃えられてミリィの元に届けられた。バックの中身を確認して、足りないものを追加で依頼する。
無事に面会が終わった為ようやくドレスからは解放された。
今夜は早目に夕食を済ませて、みんなが寝静まるのを待つ。
砦が静けさに包まれた頃、ミリィはジークフリードから中庭に呼び出しを受けた。
急いで今度は旅姿に着替える。目立たないようローブも今回は焦げ茶色になっている。
例によってバルコニーから抜け出して中庭に向かうと、既にジークフリードを始め四人全員が待っていた。
「ミリィアリア嬢、これからリョクスイ殿をエミール国まで送ってもらいたい。」
「承知致しました」
ミリィは片膝をつき、ジークフリードに礼をとる。
既に旅支度を済ませていたレンの右前側に立ち、レンの左手の上に自分の左手を重ね、右手は肩に乗せてもらう。念のため飛び立つ前にレンへ幾つか注意事項を説明し、飛行中の役割分担などの確認を行った。
全ての準備が整い、出立の挨拶と共に最初はゆっくり浮上する。
「それでは、失礼致します」
「宜しく頼む」
ジークフリードとシモンの表情は硬かったが、シュウ王子は最後まで笑顔で見送ってくれた。
徐々にスピードを上げかなりの速さを出すが、レンが張った風の結界のおかげでほとんど空気抵抗は感じない。
いつまでも黙って飛ぶのもどうかと考えていると、先にレンが口を開いた。
「ミリィアリア様、すみません。命を助けてもらったばかりか、私事のためにこうしてエミール国まで送って頂くとは…」
「いいえ、これも任務ですので」
「任務…ですか」
「リョクスイ様も、任務で帰還するのでは?」
チラッとレンの顔を見たが、闇に紛れてはっきり表情を確認することはできない。
「妹が、遠くに嫁ぐんですよ。本当に」
ミリィの頭の上の方から少し悲しそうな声が聞こえる。その声色でレンが本当に妹を大切に思っているのが伝わってきた。
「そうですか。おめでとうございます。いいですね……羨ましい」
「羨ましいですか?」
素直に感想を述べると、レンから逆に不思議そうに質問で返される。
(羨ましい…? 結婚が?)
違う、と瞬時に否定する。結婚が羨ましいのではない。
「そう、ですね…リョクスイ様に大切にされている妹君が、羨ましいです。きっと兄妹で仲が良いのだろうと思いましたので」
「ミリィアリア様のご家族は?」
レンにそう聞かれ、ミリィは長らく会っていない家族を想った。中には家を出たきり会えていない人もいる。
(みんな、私の事を覚えているのかしら…)
無意識にレンと繋いだ左手に力が入る。
「今は第一部隊の仲間が私の家族です」
「そうですか。ミリィアリア様のご家族にもぜひお会いしてみたいですね。その時は紹介して頂けますか?」
「もちろん、喜んで! みんなとても気の良い自慢の仲間達なんです」
仲間達を想い、胸がじんわりと暖かくなる。目覚めてからまだ一度も隊舎に戻れず、皆、心配しているに違いない。
(早く任務を終えて、みんなに会いたい)
みんなに会えれば、目覚めてからずっと続いている心のモヤモヤが晴れそうな気がする。
ついつい弾んだ声で返信をすると、レンはふふっと声を漏らす。
「きっと素敵な人達が揃っているのですね」
「すみません。リョクスイ様に身内自慢などしてしまいまして…」
ミリィは無作法だったと恐縮してお詫びした。
「いいえ、ようやくミリィアリア様の嬉しそうな声が聞けて私も嬉しいです。出来たら、これからは先程のように打ち解けて話して頂けますか?」
急な提案に戸惑う。
「それは…。 リョクスイ様は私より年上ですし…」
「ミリィアリア様の仲間に、年上の方はいらっしゃらないのですか?」
「いいえ、私が一番若いくらいです」
「では、仲間の方たちにも私と同じような口調で会話されるのですか?」
「いいえ、どちらかというと……先程よりさらにくだけた口調でしょうか」
(というか、今まで筆談だったから…もっと酷かったかも。『早く』とか、『これお願い』とか、かなり命令調だったわね)
少し反省し、隊に戻ったらなるべく丁寧に話そうと心に誓う。
レンは安心したように話を進めてきた。
「では、問題ないですね。これからは私のことはレンと読んでください。それから話し方も、仲間の方達と同じようにしてくださいね」
半ば強引なお願いに、ミリィはどうしたら良いか迷う。レンの話し方から、冗談を言っている訳では無いことが伝わってくる。
「レン…様」
おずおずと名前で呼んでみるが、あっさり訂正される。
「レンです」
「…レンさん」
「レン」
「そう言われましても…」
隊の仲間は呼び捨てか、さん付けだが。隣国の王子の側近を捕まえて呼び捨てする訳にもいかない。
「レンさん、でお願いします」
「うーん…」
百歩譲って、さん付けで手を打ってはくれないだろうか。
たかが名前、されど名前。
「では、私の事もミリィと呼んでください」
そう切り返すと今度はレンがうろたえる。
「えっ? それは…」
「じゃあ、レンさんでいいですね」
「うっ…、ミリィ…さん」
(―――勝った)
心の中で小さく勝利宣言をする。
「レンさんは、どうしてそんなに名前呼びにこだわるんですか?」
(まさか、お友達がいないとか?)
そう尋ねると、レンは少し気まずい様子で答えた。
「私の周りには、私の事を名前で呼んでくれる者がいないん…、いなくてね。シュウ王子と両親ぐらいなんだ。その両親も…。だから、誰かと名前で呼びあってみたいとずっと思っていたんだよ」
「ふーん」
(親は亡く、仲の良い妹と二人か…)
それは確かにあのシュウ王子でも帰してあげようと思うだろう。意外と臣下思いの王子様だったのかと感心する。
王子の側近ともなると、その身分も高く、幼い頃からレンを名前で呼ぶ人間などいなかったのかもしれない。恵まれているが…、とミリィは思った。
(なまじ身分が高いのも大変ね…)
かたやレンは気まずさを白状し、吹っ切れたようにミリィの話を色々聞いてくる。
「ミリィさんはいつもみんなとどんな話を?」
「今までは…筆談だったから、用件だけとかが多かったかしら」
(みんな私が話せるようになったと知ったら驚くだろうなぁ)
仲間達のことを想いながら、ミリィはレンに隊での生活や仲間たちのこと、入隊してから今までのことなど聞かれるままに話した。
レンもまた、時としてミリィの質問に答えながらエミール国のことや家のことを話してくれた。
初めはぎこちなかった会話も徐々に慣れたものとなり、東の空が白んでくる頃には二人はすっかり打ち解けていた。
幼い頃、シュウ王子と一緒に王宮の大木に木登りをして乳母に叱られた話でひとしきり盛り上がったあと、レンはジッとミリィを見つめた。
「こんなふうに誰かと親しく話すのはミリィさんが初めてだよ」
感慨深そうに話す言葉を聞いて、ミリィは振り仰ぐようにしてレンの顔を見た。
空を飛ぶミリィ達は地上より一足先に朝を迎えており、お互いの顔をよく見えるくらいに辺りは明るくなっている。
「私も、そうかも」
「ミリィさんもこんなに長く話すのは私が初めて?」
「そうね。自分で話すのは…久しぶりかな」
(なにせ口がきけなかったからね。どうしてそうなったんだっけ?入隊した頃は話せていた筈なんだけど)
ミリィは数年前を境にはっきりしなくなっている自分の記憶にイライラしたが、なんとか思い出そうとすると昨日から激しい頭痛や眩暈に襲われるようになったため、無理に考えるのをやめていた。
(とりあえず、任務優先。考えるのは後にしよう)
オレンジ色の朝日に照らされて、レンの顔が赤く染まっているように見える。
レンの口数が少なくなってきたたことに気付き、ミリィもまた黙って飛び続けた。
「だいぶ明るくなったからそろそろ地上に降りよう」
レンの提案を受け、ミリィは街道から少し離れた森の中を流れる川のそばにそっと降りる。
ずっと繋いでいた手を離すと、レンは地面に座り込んだ。
「疲れた?」
「まぁね。こんなに長い時間、結界を張ったことが無かったから」
そう言って、レンは地面にゴロッと横になる。
ミリィもずっとレンを半分担ぐ様な体勢で飛び続けてきたが、普段の鍛練や実際の戦いと比べると全然楽だったので気にもならなかった。
「もっと速さを抑えれば、結界無しで飛べると思うけど、どうする?」
「いや、結界を張って速さを出してもらったおかげで想定していたよりもかなり距離を稼げたから…、とりあえず休ませて…ください」
そう言うと、レンは近くの木に寄りかかりスウスウと軽く寝息をたてて眠ってしまった。
(いや、レンさん貴方他人を信用し過ぎよ)
無防備に眠るレンを見て、思わず笑みが漏れる。それ程に昨日今日会ったばかりの自分を信用したのか。勿論、信用できるかどうかは共有した時間の長さで無いことをミリィは良く知っていた。大事なのは自分の直感だ。
(獣にでも襲われたら大変ね)
ミリィはレンの周りに結界を張ってから、そっと側を離れた。
レンが目覚めると、陽はすっかり高く登っていた。飛び起きて辺りを見回すと川縁りでミリィが何かしている。
「あら、起きたわね。もう昼過ぎよ」
「えぇっ!?」
「だいぶ疲れたみたいね。具合はどう?」
クスクス笑いながら、レンの元へ歩いてくる。両手には森で採ったと思われるサクランボや杏子を手にしていた。
ミリィにすすめられて、レンは杏子にかぶりつく。口の中いっぱいに杏子の甘酸っぱい果汁が広がる。川の水で冷やされていたのか、瑞々しい果汁が暑さで渇いた喉を潤してくれた。
「……美味い」
噛みしめるように杏子の酸っぱさを味わう。
「そう。良かった。さっき森の中で見つけたの」
もっと食べてと勧められるままに、レンは残りのサクランボも全部食べてしまった。食べ終わってから、ミリィが食べたか確認しなかったことに気づく。
「ミリィさんは…」
食べたか、とレンは聞くことが出来なかった。あたりを探してもサクランボの種も軸も、杏子の種すら、何も見当たらない。
「何?」
ミリィは少し首を傾げてレンを見た。ジッとレンの顔を見て、あることに気づく。
「ねぇ、口の周りベタベタになってる。あっ!手もベタベタよ。早く川で洗わないと」
ミリィに促されて川で手を洗い、口の周りを洗うついでに顔も洗う。冷たい川の水が、暑さと恥ずかしさで火照った顔を冷やしてくれる。
濡れたまま元の場所に戻るとミリィがハンカチを貸してくれた。
「このあとどうする?」
ミリィに聞かれ、レンは現在地を説明する。
「今私達がいるのはこのあたり。これまでと同じ速さで進んだ場合、王都から大体二日くらいの位置だ。この川の手前にあるサンロックという街に私の知り合いがいるから、次はここで休憩を取ろうと思うんだけど、どうかな」
ミリィ達は予定より王都までかなり近づいていたが、日が暮れてからの王都到着を目指すとなると、あと一日では足りない位置にいた。そこで川の手前にある街サンロックで準備を整え、それから夜を待って王都にあるレンの家に行くことにしたのだ。
王都近辺ともなるとさすがに警備が厳しくなるので、万一に備えて準備が必要だとか。
(レンさん、敵も多そうだから下手に捕まったら大変だものね…)
「わかったわ」
相談の結果、すぐに出発せず日が暮れるまで待つことになった。雲の上を飛べば見つかる心配は無いのだが、気温の下がる上空でこれ以上高度を上げて飛ぶのはさすがに寒くて無理とレンが言ったからだ。
近くに町でもあれば良かったのだが、あいにく日没までに着ける場所に町は無い。
「…暇ねぇ」
待つのもまた仕事のうちだ。我慢我慢。
「こんなに何もしない時間を過ごすなんていつぶりだろう」
レンもポツリと言った。
「いい天気。暑くなければ、絶好のピクニック日和なんだけどなぁ」
お弁当を持って、お菓子を持って、水筒にお茶を入れて。
「ピクニックか。行ったことないな」
レンのその言葉で、ミリィも自分がピクニックに行ったことが無いことに気づく。
「いつか行ってみたいなぁ」
平和になって、私が軍から離れる日がきたら、隊のみんなと。その時は、私がお弁当やお菓子を準備しよう。そんな日はいつ来るだろうか。
ジークフリード殿下が北の砦から来たことを考えると、次にミリィ達が派遣されるのはきっとそこだ。
青く澄んだ空を見上げ、ミリィは遠くを見つめる。山際の空から湧き立つように入道雲がいくつも浮かんでいる。
「それにしても、暑いね」
レンは何もせずとも流れ落ちる汗を時折ハンカチで拭きながら、力を温存するため木陰で休んでいた。
「これ貸してあげる」
そう言ってミリィはブローチをレンのローブにつけた。着けた途端、暑さが嘘のようにひいていく。
「これは?」
「殿下に頂いたの。だから貸すだけね。氷の魔石が使われているから、涼しいでしょう?」
「でも、それじゃぁミリィさんが」
「私は大丈夫。まだこの肩巾があるから」
そう言ってミリィはスカーフのように首に巻いた肩巾を指で摘んだ。肩巾であった薄い布は、ミリィの細い首にふんわりと絡みついている。
レンはミリィの首元をジッと見つめ、ある違和感に気づいた。
「ミリィさんはアクセサリーつけないんだね」
「え?」
レンの周りにいる女性たちはいつもむせ返るような香水の香りと白粉の匂いがしていた。歩くたびに揺れて微かな音がする簪や耳飾り、色とりどりの服を纏った彼女達をいつも美しいと褒めていたし、事実美しいとそう思っていた。
ミリィは、……初めて会った時から何もつけていなかった。でもそんな彼女を、美しいと思う。
ミリィは美しい人だ。でも、傾国の美女という程ではない。傍目からは10代のまだあどけなさが残る少女にもみえる。だが黒髪に良く似合う翠の瞳は澄んでいて、彼女が話すたびに色々な光を放ち目が離せなくなる。
「いや。ネックレスとか髪飾りとか……もっとヒラヒラした服とか似合いそうなのにな、って思ったから」
「ああ…なるほどね」
「嫌いなの?」
「ううん、服もアクセサリーも好きだけど。今は、ね」
任務中だから。と言葉を濁す。
(本当は、着飾って外出したことがないのよね)
シュウ王子との面会で着た自分のドレス姿を思い出し、少し恥ずかしくなる。
(しばらく、派手派手ドレスは御免被りたいわ)
ミリィがそんな事を思っているとは露知らず、レンはミリィの返事に納得していた。確かに普段レンが見ている女性たちのような格好で空を飛んだら、…目立ってしょうがない。上空はかなり冷えるから、火の魔石を使っている物ならともかく、普通のアクセサリーなんてつけていたら、かえって耳や首が痛くて仕方なくなるだろう。
エミール国の国民は大体が黒髪や茶髪だ。シトラス出身者であっても、服装をエミールに合わせれば黒髪のミリィが目立つことはない。
ミリィに今流行りの服を着せ、着飾らせて一緒に出かけたらどんなに楽しいだろう。動く度に袖や裾が風に舞って、白い肌のミリィにきっと似合うに違いない。彼女が喜びそうなのは……
そんな事を考えながら、レンはまたうつらうつらと微睡む。
気持ち良さそうに微睡むレンを見て、ミリィは考えていた。
最初、レンは東の砦から休まず飛べば三日で王都に着くと言っていた。さっき話した時はあと一日と少し。休みながらでも二日…。
結界を張ってだいぶ距離は稼げたけれど、レンのこの疲れた様子だと今までのように結界を張りながら進むのは難しいかもしれない。
レンの疲労は高速移動に伴う寒さと結界を張ることによる負担が原因だろう。
時間を限定して結界を張り、低めの高さで最高速度を出して飛行する方法もあるが…
色々考えを巡らせたが、昼寝から目覚めたレンと相談し、結局は近くに町や村が少ないので結界を張らずに飛べるギリギリの速度で移動することになった。
お互いの腰に手を回し、飛行中に振り落とされないようしっかり掴む。時折ポツポツと見える人家の灯りを避けるように飛び続け、まだ暗いうちに目的地であるサンロックの街外れに到着した。
さすがのミリィも大の男を連れて連日夜通し飛んだため疲れが溜まってきていた。
レンに連れられて、街の中心地にあるレンの知り合いの家に向かった。門扉には鳳凰をかたどった紋が嵌め込まれている。
門番がレンの姿を認めるや否やすぐさま門が開かれ、奥から召使いを引き連れてこの屋敷の主人らしき人物が現れた。だいぶ慌てたのか、靴は片方脱げているし、上着も片方しか袖が通されていない。
「レン様、ご無事でしたか! 雷に打たれて命が危ないと聞いた時はどんなに心配しましたことか。それから一向に連絡が無くて……」
そう話すと、膝から崩れ落ちるように地面に座り込み、人目も憚からず泣き始めた。屋敷の中から、次々と人が出てきてミリィ達を取り囲む。
「サバイ、心配かけたな。見ての通り、私は無事だ」
レンはサバイと呼んだ中年男性の肩を軽く叩き、腕を掴んで立たせた。
「確かに、確かに、レン様ですね……」
「あぁ、折り入ってサバイに頼みがあって来たんだ。でも、その前に」
振り返って背後にいたミリィを連れ出す。
「レン様、その方は?」
「私の命の恩人、ミリィさんだ」
レンの紹介を受けて、ミリィも軽く会釈する。
「初めまして。ミリィアリアと申します。リョクスイ様を王都まで送り届けるため、今回ご一緒させて戴いております。リョクスイ様は命の恩人と仰っていましたが、リョクスイ様は助かるべくして助かったと私は思っておりますので…」
ミリィがそうサバイに挨拶を返すと、レンは少し困った顔をする。
「また。私のことは名前で呼ぶ約束でしょう?それに、私を助けたのは真実ミリィさんじゃないか」
ミリィの登場に驚いたのかサバイはすっかり涙も引っ込み、目を丸くしたままサンロックに至るまでの経緯についてレンから説明を受けた。
屋敷の客間で、東の砦からサンロックに着くまでのことを話すとサバイは更に驚いて素っ頓狂な声を上げる。
「なんと! 東の砦からここまで二日でいらしたのですか! しかもレン様を連れて飛んできたとは……」
(うーん。それでもだいぶかかったけどね)
ミリィはそう思ったがわざわざ口にすることは無いと思い、黙っていた。
「いやはや、さすがと申しますか…。それではさぞやお疲れでしょう。お部屋を準備いたしますので、少しの間ですがどうぞお休みください」
レンの知り合いとはいえ、いきなり尋ねた家で休むのはどうなのだろう。
どうしたものか悩んだが、レンの方から夕方まで出立は難しいと言われてしまった。レンの頼みたかった用事にサバイの息子達の協力が必要だったが、彼等はあいにく不在で代わりの者を探さなければならなくなったそうなのだ。
まぁ、そういう事ならとお言葉に甘えて暫し休憩をとらせてもらうことにした。
案内された別室にはゆったりとしたソファーが置いてあり、召使いがお茶やお菓子、果物や軽食を運んできてくれた。ミリィはいつも通り安全を確認したあとで、大丈夫と思われたものだけ口にする。
薬などは入っていなかったが、二日間夜通し飛んだのが思いのほか体の負担になっていたらしく、包まれるような座り心地の良い椅子に腰を下ろしてしまったせいで、いつの間にかついうとうとと眠ってしまった。
昼頃になってレンに呼ばれてお昼ご飯を共にしたが、その後レンはもう少し準備があるとかでいなくなってしまった。そんなに忙しいなら、放っておいてもらっても良かったのだが…とミリィは思う。
(わざわざ戻って来てくれたんだろうなぁ)
恐らく、出された食べ物にあまり手をつけていないと連絡でも行ったのだろう。戦いに慣れた者は毒殺を恐れて仲間達と一緒でない限り食事をしないということをレンはよく理解しているのだ。
夕方近くになってようやくレンが迎えにきた。いつの間に着替えたのか、サバイ達と同じ様な服装になっていた。
きっとこれがレン本来の姿なのだろう。シトラル国の服装も良く似合っていたが、エミール国の服を身に纏ったレンの姿はまた格別で、暗い小豆色の服を着たレンはただ立っているだけでも明らかに周囲とは雰囲気が違っていた。
そんなレンの隣に旅人の服を着たミリィが並ぶと違和感しかない。
(こうして並ぶと、主人と召使いね。いや、主人と暗殺者?)
とりあえず貸していたブローチを返してもらい、王都に移動するため港に向かう。最初に港と聞いた時ミリィは少し不思議に思ったが、すぐにその疑問は解決された。
「凄い! 向こう岸が見えない。ねぇ、これって海じゃないのよね」
「川だよ。サンクマール川というんだ。波があるから海に見えなくもないけどね。これだけ川幅が広くても海からの影響を受けて川が逆流することもあるらしいんだ。この辺りの人たちはそれを『海から龍がのぼってくる』と言って恐れているけど、私は今まで見た事がないな」
「へぇ」
「この川を渡れば、王都はすぐだ」
レンがそう言うので、あとは一人で大丈夫かと確認するとそうではないようだ。シュウ王子に王都まで送り届けると約束したこともあり、最後まで付き合うことになった。
用意された船に乗り込むと、サバイが見送りにやってきた。
「ミリィアリア様、この度はレン様を助けていただきありがとうございました。お礼にこれをお納めください。貴女様の道中の無事をお祈りしております」
そう言って渡されたのは、珊瑚で作られた鳳凰の飾りがついたブレスレットだ。なんと炎の魔石も幾つかついており、寒い時には暖かく、暑い時には熱を吸収してくれる優れモノ。
無事に帰れるようお祈りを捧げておきましたと言われ、受け取りを辞退しにくい雰囲気に仕方なく笑顔で受け取る。
「すでに風神様と雷神様の御加護がお有りの貴女様には要らぬ世話と笑われるかも知れませんが…」
「はぁ」
(風神雷神って、そんな屏風があったような)
ミリィはふと美里の記憶にある屏風の絵を思い出した。
「どうぞご無事で…」
お戻りください。とサバイの言葉を合図に、船は滑らかに進み出す。水魔法と風魔法の魔道具を使っているというこの船は、みるみる速度を上げる。
(これは確かにかなり速い)
ミリィが一人で飛ぶ速さとさほど変わらずに進む船に乗り、日がすっかり暮れたころに王都に近いサンロック対岸の街に到着した。
そこで馬車に乗り込み、王都にあるレンの家に着いたのは日付けが変わる頃だった。
すでに連絡が行っていたようで、真夜中の到着にも関わらず、家の灯りは煌々とついていた。
「お兄様!」
門のところで、レンと面差しの似た少女が帰りを待っていた。レンが馬車から降りると、真っ直ぐレンの胸に飛び込んでくる。
「ただいま、ココ。心配かけたね。私は大丈夫と手紙で知らせただろう。お前こそ明後日には出立なんだから、体を大事にしないと」
レンはハラハラと涙を流す妹のココの頭を優しく撫でる。
(凄い、美男美女ってこのことをいうのね)
ココは薄紅色の服を身に纏い、ピンクがかった茶色の髪をしていた。目元はレンによく似ているがやや大きくてパッチリとし、涼しげな印象のレンとはまた違っていて女性らしく柔らかな印象だ。
レンは妹の涙を優しく拭い、彼女が泣き止むのを待ってからミリィを紹介する。
「貴女が、……ありがとうございます」
慎ましく言葉を話すココを見ていると、とても同じ年とは思えない。
レンを家に送り届ける任務が完了したので、早々に帰還の挨拶をするがレンに引き止められてしまった。
「ココが無事に出立したことを見届けて、シュウ王子に報告してもらう約束になっているから」
「……」
(そんな事言われてないけど)
「シュウ王子に頼まれたものを持って行ってもらわないといけないし」
(何を?)
「じゃあ、約束して。明後日、妹君を見送ったら私を必ず出立させるって」
「わかった。約束する」
家に滞在することを了承すると、レンは嬉しそうな笑顔を浮かべた。
「じゃあ、ミリィさんは今から我が家の大切なお客様だ。明日は婚礼祝いの宴だけど、それにシュウ王子の名代として出席してもらうね」
「えぇっ⁉︎」
どうやらサンロックで整えていた準備の大半が、ミリィを宴に出席させるためのものだったらしい。
(まさか私の足止めが目的だったなんて)
怒ってもいいくらいの仕打ちだったが、レンの嬉しそうな顔を見ていると、シュウ王子が了承しているならまぁいいかという気持ちになってくる。
(大切な妹さんの婚礼に水を差すのは悪いしね)
レンとミリィのやり取りを黙って見ていたココが、おずおずと声をかけた。
「お兄様、お客様をそろそろ中に…」
忙しいのにココはミリィの世話をすすんで申し出てくれた。せっかくの申し出であったが、一番忙しい時に…と辞退してもなかなか分かりましたと言ってくれない。
「女性の準備は私の方が慣れておりますわ。私からもミリィアリア様にお礼をさせていただきたいですし。…それに、明後日にはこの家とお別れかと思うと心細くて…」
相手の了承を得ることに関して、この兄妹はミリィより一枚上手だった。
そのままココに客間へ案内され、久しぶりにふかふかのベッドで休む。寝る前に風呂に入れたのも嬉しかった。
準備されたものがどれも上等過ぎて気が引けたが、翌日に絢爛豪華な宴が待っているとは露程も思わず、久々にゆっくりと眠りについたのだった。
翌日は朝早くに起こされ、レンと朝餉を共にした。レンは終始ご機嫌で、忙しいはずなのにもかかわらず、宴の準備のためココがミリィを迎えに来るまでずっと一緒に過ごしてくれた。
支度部屋に入ると、すでにほとんどの準備を済ませたココが待っている。
エミール国では花嫁は家の色に合わせた衣装を着るという慣しがあり、それに従ってココは鮮やかな紅色の花嫁衣装を着るという。
ミリィにもレンが見立てた衣装を、と用意された服を見てあまりの派手さにビックリする。
「こ、これを着るの……?」
絶句するミリィに、ココは不思議そうな顔だ。
「ミリィアリア様は当家のお客様でシュウ王子の名代ですもの。これくらい当然ですわ」
「でも、これだと…」
(花嫁より目立ちそう)
ミリィにと準備されたのは、金糸銀糸で美しい刺繍が施された深紅の衣装だ。長い裾をひく形の服は純白ならシトラス国の王族の花嫁衣装もかくやという程のもので、幾重にも重ねられた薄衣が袖や裾からのぞく。
衣装に合わせた装飾品も赤を基調に準備され、絹糸で作られた赤い房のついた扇子にも細やかな銀細工だけでなく、瑪瑙やサンゴ、ルビーが散りばめられている。
「ミリィアリア様、私からはこれを受け取って頂けますか」
ココはそう言って炎の魔石が付いたイヤリングを差し出す。イヤリングについている炎の魔石は大きさは小指の先程だが、ミリィがこれまでに目にした中でも類を見ない位に色鮮やかで、昼間の明るさに負けない光を放っている。
「こんなに高価なもの、受け取れないわ」
明らかにランクの違う贈り物に戸惑い、辞退するとココが拗ねたように話す。
「サバイからの贈り物は受け取ったのに、私の贈り物は受け取って頂けないんですの?」
「どうしてそれを…」
「だって、そのブレスレットは我が家からサバイが出て行く時にまた当家に戻れるよう願をかけて与えたもの。余程のことがない限り、サバイがそのブレスレットを手離す筈のないものですもの。ミリィアリア様に初めてお会いした時から、当家の者達は貴女様がお兄様の命の恩人であると分かっておりました」
「そうだったの…」
サバイさん、そんなに大切な物をくれるなんて。それにサバイさんって一体何者?
「あの…私がお会いしたサバイさんはどのような方なのかしら?」
サバイは代々リョクスイ家の家令を務めたリョクヨウ家の者で、その有能さに目をつけられて現王の代になってサンロックに派遣、いや体良く飛ばされたということだった。まぁ、却ってリョクスイ家が西側へ勢力を伸ばす足掛かりになってしまい、対抗勢力の貴族達は思惑が外れてガッカリしたらしい。
「サバイの子供達にはお会いになりました?」
「いいえ、丁度他の仕事で不在ということでしたので」
「そうでしたのね。二人共とても良い子達で、私より二つ年下ですが強力な水使いと風使いですのよ」
双子の姉弟はエミール国で将来を嘱望される有名人らしい。姉は水使い、弟は風使いだが、共に神の加護を受けているだけでなく、その容姿も相まって国内で知らない者はいないという。
昼食はレンが再びやって来て、ココと一緒に三人で食べることになった。夜は祝宴なので昼食が家族水入らずの最後の食事となるだろうと思ったが、レンやココの強いお誘いによって断れなかった。
「こんなにお邪魔して、あの…本当に大丈夫?」
(雰囲気読めない奴と思われてないのかしら)
そんな心配をよそにココもレンも、すこぶる機嫌が良い。
「もちろん。お兄様のこんなに嬉しそうなお顔が見れて、私も心残り無く旅立てます」
「私もだよ。ココとミリィさんが楽しく過ごしているのを見ることが出来て、本当に嬉しいんだ。私だけではしんみりしてしまうからね」
(そこはしんみりした方が良いんじゃないの?)
不思議な組み合わせで最後の晩餐?が終わる。
昼食の後はいよいよ祝宴に向けて装いを整えるため、二手に分かれて準備が始まった。
先に準備が終わったのはミリィだ。衝立を挟んで同じ部屋での支度だったので、ココの準備が整うのを待つ。
しばらく待って、二人の準備が万端整った頃にレンが正装で迎えに来た。レンも深紅の衣装を身につけている。
部屋に入ったレンは、二人の姿を見て暫し無言のまま佇んでいる。
気を遣って召使い達は支度部屋から出て行ってしまい、二人の他にはミリィだけが残されてしまった。
(き、気まずい)
「綺麗だ」
レンがポツリと呟く。
ココは鮮やかな紅色の花嫁衣装だけでなく、沢山の装飾品を頭の先からつま先まで身につけており、名家の豪華絢爛な嫁入りに相応しい様子をしていた。派手なのに嫌味な感じを受けないのは、ココ自身が醸し出す雰囲気や所作が優雅で完璧だったからである。
「それは私のこと? それとも…」
ココは可愛らしく首を傾げて尋ねた。
「勿論、二人共だよ。ココ、今日はおめでとう」
レンは少しバツが悪そうな表情を浮かべたが、すぐにいつものすました顔に戻る。
「ありがとうお兄様。ミリィアリア様も、ありがとうございます」
ココはクスクスと笑うが、優雅な所作は崩さない。
レンとミリィは祝宴でココを迎えることになっていたため、レンのエスコートで先に部屋を出ようとしたが、直前でココに呼び止められた。
「ミリィアリア様、お兄様を助けていただいた上にこんなお願いをするのは気が引けるのですが…」
ココは真剣な様子で続ける。
「この先、何かありましたらどうかお兄様を助けてあげてください」
「…」
「それから、私もお兄様もシュウ王子もミリィアリア様の味方であることを忘れないで欲しいのです」
「わかったわ」
ココの言葉はミリィの胸にストンと落ち、気がつくと自然に返事をしていた。
「私とミリィアリア様は近い将来、また必ずお会いする時があるでしょう」
もっと早くに出会いたかったとも言いながら、必ずまた会えるとココはミリィに予言した。それからココはレンにも言葉を残す。
「お兄様、大切なものは一つだけとは限りません。沢山大切なものを見つけて、足りない人には分けてあげてくださいませ。独り占めをしようとしなければ、みんなが幸せになれます」
「わかった。約束する」
レンはココの言葉を神妙な顔をして聞いていたが最後にココに質問する。
「ココ、もし嫁ぐのが嫌なら…」
レンの質問の言葉を最後まで聞かずに、ココは首を振って答えた。
「私はリョクスイ家の女として、エミール国の国民として、嫁ぐ事を決めたのです。…だから、と駄目な理由を探して諦めるより、出来る努力を重ねたいのです」
どうか心配なさらないで、とココは艶やかに笑った。
なよやかに見えて、ココは芯の強い女性だった。先を見据えて自分がどうするべきが知っており、またその通りに行動出来る人間だ。
「レンさん、ココさんはもしかして…」
宴の会場に移動する途中、さっきの言葉についてレンに確認をする。
「うん、ココは少しだけど予言の能力があるんだ」
予言なのか、一般論なのかわからないことも多いんだけどね、とレンは照れたように苦笑する。
(確かに)
近い将来必ずまた会えるとココは言っていたが、辛い再会にならないと良いとミリィは思う。予言の能力を持つ花嫁を望むとしたら、…それは普通の家ではない。
シュウ王子の名代が立つという個人の家でとは思えない規模の祝宴が始まる。
ココは一体どこに嫁いで行くのだろう。
祝宴は前夜祭に始まり、ココが出立した後も三日三晩続くということだった。
「必ず幸せになりますから」
そう言い残して、ココは翌日の朝早く旅立っていった。
見送りの後、そのままレンに誘われて屋敷の裏庭に行った。裏庭にある蓮池には、薄ピンクや薄黄色の蓮の花が今が盛りと咲いていた。
蓮池に面したところに東屋があり、お茶の準備がされている。
「この前話した蓮茶だよ」
レンに勧められるままに小さな茶碗に注がれた蓮茶を口に含む。
「美味しい」
蓮の花の甘い香りが鼻腔をくすぐる。今まで口にしたことのない甘露なお茶をゆっくりと味わった。
「蓮茶は気に入った?」
「ええ。とても」
「本当は蓮池に舟を浮かべて、ゆっくりお茶にしたいところなんだけど…」
ココを見送ったらシトラルに返すって約束だったしね、とレンは残念そうな顔をした。
「気を遣ってくれてありがとう。舟から蓮の花を眺めてもきっと素敵だったでしょうね」
東屋の縁に立って、蓮池を眺める。
レンはミリィの隣に立つと、そっとミリィの手を取った。
「ミリィさん、ありがとう。おかげでココも無事に出立出来た」
「お役に立てて良かった。私こそ、……楽しかったわ」
エミール国の嫁入りの宴に参加するなんて機会、この先きっと無いだろう。
「ココさん、綺麗だったわね。レンさんはココさんをお嫁さんに出したくなかったんじゃない?」
レンに握られた手をそっと離し、からかうような笑顔を見せながらレンの肩をポンポンと叩く。
「そう。でも…そんな訳にはいかなかったんだ」
不意にレンはミリィを抱き寄せた。涙はなかったが、ミリィを抱きしめる腕が小刻みに震えていた。
蓮池に風が吹き、たち込めていた蓮の香りが流されるとレンは我に帰ってゆっくりとミリィを離してくれた。
「いきなり、すまなかった」
「ううん、大丈夫。」
(たった一人の妹が嫁入りじゃぁ、寂しくなるよね)
レンは顔を赤らめて恥ずかしそうにしていたが、腕の震えは止まっていた。
(誰かに悲しみを分かち合って欲しい時ってあるよね)
別れには、多かれ少なかれ痛みが伴う。その間柄によって、別れ方によって、差があるけれど。
ミリィはこれまで経験した沢山の別れに想いを馳せる。
(でも結局は、別れを乗り越えるかどうかって本人次第なんだろうな)
きっとレンは大丈夫だろうとミリィは思う。サバイやこの家の者達がレンを支えてくれるだろう。
レンの知り合いというだけで、もてなしの温かさに違いを感じ、彼がこの家でいかに大切にされているかを肌で感じたからだ。
「我儘でこんなに長く引き留めてしまって、すまなかった」
言葉とは裏腹にレンはずっとミリィの手を取ったままだった。しばらくして、ふぅとひと息つくとようやく手を離した。
「これをシュウ王子に渡して欲しい」
レンはそう言いながら、懐から小さな箱を出してきた。中に手紙とシュウ王子に頼まれたものが入っているという。
贈られたブレスレットとイヤリングはつけたままに、重かった衣装を脱ぎ、ミリィは再び旅姿に戻った。
「またシュウ王子の元で会おう」
用事を済ませたら急いで戻るから、とレンは言う。お世話になった屋敷の人達に感謝を伝えてから、ミリィは空高く飛び立った。
宴が続くなか、屋敷にいる沢山の人達がミリィを見送る。