蘇生
稲妻に弾かれた美里の魂は、稲妻が直撃した人物の真近にいた少女に入り込んだ。
普通ならとっくに、最後の審判を受けている筈だった。
しかし昇天の途中で雷に打たれるというアクシデントにより、美里の魂は雷撃と共に17歳のミリィに吸収されたのである。
こうして美里はミリィへ転生した。
雷の力と共に。
雷の直撃を受けると、大抵の場合は死亡する。
直撃を免れたとしても、至近距離に居た場合も高確率で同様の結果になる。
それでもミリィが死なずに済んだのは、神の采配か…
転生した先は、魔法に溢れた異世界。
実は美里の世界もかつて魔力に溢れていた。
神が国を創り、美里達はそこで繁栄した一族の末裔だ。
巫女や陰陽師と呼ばれた者達は、秀でた魔法を操り、未来を予知する力もあった。
しかし、文化が栄え、世界が便利な物で溢れる代わりにそんな魔法使いは少しずつ姿を消していった。
一握りの超能力者と呼ばれる者達を残して。
美里達は魔力を持っていても、生まれてこのかたそれを使うことを知らずに生きていた。
ミリィの器が人一倍大きく、まだまだ成長途中であったことも幸いした。
転生の時点で受け入れる側の魂の器が小さいと、そこにあった魂を弾き出してしまうのだ。
ミリィは美里に秘められた魔力ごと、魂を吸収したのである。
美里は栄養士だった母親から火の魔法、薬剤師だった父親から白魔法を受け継いでいた。
美里は回復系の白魔法が使える予定だった。
しかし、使い方を知らなかった。
魔法属性としては父親の影響を強く受け継いだことになる。
案外、看護師になったのはその影響もあったのかもしれない。
未使用の強力な回復魔法のおかげで、ミリィが雷のダメージから生還することができたと考えると……
それは偶然?
それとも……
(……熱い……………)
ミリィが全身が焼けるような感覚で目覚めると、目の前に何人か人が倒れているのが視界に入った。
驚いて動こうとすると全身に痛みが走り、思わず眉根を寄せる。
手をついて起き上がろうとすると右腕に激痛が走った。
腕をふと見ると、袖から伸びた白い肌に赤黒い痣が幾すじも走っていた。
何だろうと指先でそっと触れると、なぞった所を中心に白い光が薄っすらと輝き、その痣は段々と薄らいでいく。
指先の光がゆっくり消えると同時に、全身の痛みも収まっていった。
(何? 一体何が起こったの?)
あれ?私、さっきまで病院の中にいたような…
しかしその時、どう見ても屋外としか思えない場合にミリィは座り込んでいた。
不審に思い辺りを見回すが、辺りは白い靄につつまれて良く見通すことができない。
ミリィは軽く目を閉じて、考えを整理する。
誰かが倒れていて、みんなで蘇生していた光景が目に浮かんだ。
ただその光景は不思議なことに、あたかも天井から見下ろす角度での映像だ。
しかしミリィはその事には気づかなかった。
(これは夢?)
夢なら納得できる。
よく夢だとわかっているけれど、なかなか目が覚めない経験があるからだ。
次にこの夢を見た理由を考える。
おそらく仕事で蘇生に立ち会ったから、その影響だろう。
あの時もっとこう動けば良かった、こう対応しておけば結果は違ったかもしれない、など後悔があったり、自分ならこうしたとか思ったりすることがあると、夢に出てくることがあるのだ。
きっと蘇生で納得がいかなかったことがあったのだろう。
(あちこちに倒れてる人がいるから、その人達を蘇生したところでこの夢が覚めるって感じかな)
そう考え、覚醒の条件を満たすために行動を開始する。
前方に倒れている二人に近づこうと足を踏み出した時、服の裾が引っ張られたのを感じて後ろを振り向いた。
すると足元には、銀の甲冑と青いマントを身につけた大柄な兵士が倒れている。
(この人、誰っ⁉︎)
ミリィは急いでその兵士に握られていた服の裾を外し、首元を触って頚動脈を触知する。
倒れている人を見つけたら、脈は頚動脈で触知するのは、救命救急の基本だ。
血圧が低いと手首で脈は触れない。
気をつけなければいけないのは、手首で脈を測る時に緊張し過ぎると自分の脈と混同してしまうことだ。
ちなみに手首の他、肘の内側、踝の内側、足の付け根あたりでも脈をとることができる。
あくまでも目安だが、手首で脈が触れれば最高血圧は80以上、肘の内側で触れれば60以上、首で触れれば30以上あると言われている。
実際に脈を取る場合は、脈の怒張具合や、リズム不整の有無などを本人の意識レベルと併せて観察を行う。
倒れているという前提で脈を取るなら、一番触れ易く、かつ状態を確認しやすい首が第一選択になるのだ。
足の付け根や踝で脈を測るのは現実的ではない。
だいたい倒れている人のスカートやズボンの中に手を突っ込んだり、靴と靴下を脱がせたりして脈を測るなんて、そんなところを誰かに見られたら考えるだけで恐ろしい結果になりそうだ。
(うーん……これは、……どこか出血してる?)
ミリィが男の首に触れると、先程と同じように
触った所を中心に白い光が薄っすらと輝き、男の首から左胸に向かって幾すじも走っている赤黒い痣は段々と薄らいでいく。
白い光がゆっくり消えると、皮膚の赤みも良くなったようにも見えたが、男はピクリとも動かない。
まだあたたかく今にも動きそうな男を目の前に、この男が倒れている理由を考える。
服は焦げたように一部破れて、何かが焼けたような臭いがするのは何故だろう。
出血は無いようだ。
ミリィは耳元で声をかけようとしたが、なかなか声が出ない。
夢なら、それも仕方ないと諦める。
(脈も全然触れないし、蘇生は無理そう…)
未だに触れない脈から状況を判断する。
おそらく血圧はすでに30台以下で、心臓も動いているかいないかといったところだろう。
(夢だから、ここで『AED持って来て!』って言えば出てくるのかな)
一瞬そんな事を考えるが、不整脈で倒れた訳では無さそうな状況でAEDを使っても蘇生は叶わないのをミリィは良く理解していた。
少し前に吉岡さんが言っていた言葉を思い出す。
「ねぇ、美里さん知ってる? 昔はね、AEDって言っても今の程良く出来ていなくてね。心臓が止まっていると、『蘇生を開始してください』ってしか言わなかったのよ」
「えーっ。そうなんですか?」
「そうよ。今は自動で解析してくれて、とりあえず必要回数は電気ショックをしてくれるけど。 昔はねぇ、自動で解析はしてくれても不整脈が出てないと何もしてくれなかったんだから」
「私は、今のタイプのAEDしか知らないので…」
「便利になったわよねぇ」
吉岡さん曰く、心停止でも状況に応じて電気ショックをかけてくれる医療AIが搭載されたAEDが一般的になったのは2040年を過ぎてからだそうだ。
安全性の確保や倫理上の問題など、クリアしなければならないことが多くて、実現に時間がかかったらしい。
(美里って……そう、私の名前よね……?)
ミリィは自分の記憶に美里の記憶が入り込んだ影響を受けて混乱していた。
現状では、美里の記憶の方が優勢だ。
勢いよく美里の魂がミリィに入り込んだ影響で、一時的にミリィの記憶は美里の記憶の下に潜り込んでしまっている。
ミリィのなかで、夢と現実が混ざった状況は続いていた。
記憶の中で美里と呼ばれたことに違和感を感じながら、吉岡さんとのやり取りの内容を振り返ってこれからどうしたらいいのか考える。
もしもAEDがあれば万が一だが助かる可能性も出てくるだろう。
しかし、AEDを装着させるためには体につけた金属を外さなければならない。
そのまま電気ショックをかけると皮膚が火傷したように爛れてしまう。
こんな銀の甲冑をつけたままでは、AEDどころか心臓マッサージもままならないのだ。
なんとかこの甲冑を外さないと、と思って甲冑を外そうと試みる。
見慣れた装備の筈なのに、外し方がわからず悪戦苦闘する。
(しかし、この人、どこかで見た気がするんだけどな)
そう思って顔色を再度確認した時、男の命の灯火がすでに消えているのを直感する。
(この人は、もう戻らない……)
人の死をたくさん見てきた美里とミリィの記憶がシンクロし、この男がすでに自分では引き戻す事は叶わないところへ旅立ったと判断した。
それと同時に言いようの無い喪失感に襲われる。
(ああ……助けられなかった)
夢なのに、どうしてこんなに胸が締めつけられるように苦しいのだろう。
自分の思い通りにいかない時のモヤモヤした気持ちとはまた違う感情だ。
ふと、春に参加した災害時のトリアージ訓練を思い出す。
その時は医療AIとセットで動いたから、何十人もの患者役相手でもなんとも思わなかった。
(一人でやるとなると結構大変なのね……)
そこまで考えて、まだ二人倒れている事を思い出してハッとする。
(そうだ、あの二人は?)
ミリィはその兵士のそばを離れ、少し離れた所に倒れている二人の元へ駆け寄った。
(こっちの二人は外傷無し。脈は、微かに触れる、か?)
ミリィが触れると、この二人とも先程と同じように触った所を中心に白い光が薄っすらと輝き、全身を白い靄のような光が包み込んだかのように見えた後、ゆっくり消えていく。
気のせいかもしれないが、光が消えた後二人の顔にやや血の気が戻ったように見えた。
今度は助けられるかもしれないと思い、ミリィの心臓は期待と不安でドキドキと早鐘を打つ。
ミリィはより重症と判断した男性から心肺蘇生を開始した。
ミリィが目覚めてからずいぶん長い時間が経ったように思うが、実際にはまだ5分も経っていない。
急げばまだ間に合う筈だと信じて、行動する。
(お願い…戻ってきて!)
ミリィは心臓マッサージをしながら、倒れている男の様子を観察する。
さっきの甲冑を付けた兵士風の男とは全く違う服装だ。
いわゆる欧州の貴族を連想するような煌びやかな服装。煌びやかではあるがレースを多く使っているというわけではないので、中世というよりは近代に近い装いだ。
派手なスーツというと聞こえが悪いが、リクルートスーツとは完全に違うものである。
社交ダンスの衣装を上品にした感じというのが一番近いかもしれない。
この男はやや長めの短髪黒髪をしていた。
顔立ちはどこか日本風で、見慣れているハーフやクオーターの同僚達と重なる雰囲気があった。
ミリィは心臓マッサージによって肋骨が折れる感触にやや顔をしかめながら、次の救命処置に進むべきか決断を迫られていた。
(どうしよう……)
基本的に心臓マッサージが最優先だけど、心拍が戻らないから、アレをした方がいいのか?
いや、でも、この人に感染症とかあったら……
いやいや、そもそもコレ夢なんだし、そこまで必要?
それにしても、さっきから胸骨圧迫の度にミシッとかミリッとか、さっきはバキッっていう感触あったけど…
もちろん本気で蘇生する時は、骨を折るくらいの勢いで押さないと心拍は戻らないんだけど……
もしかしなくてもこの人の骨、折れてる?
それは嫌〜!
も〜、なんで目覚めないのよ〜!
早く息を吹き返して〜!
このように散々葛藤した結果(といってもかけた時間は一分にも満たない程度だったが)、意を決してミリィは人工呼吸にトライする。
ミリィは自分の服のポケットを探り、入っていたハンカチで男の口を覆うと、男の鼻をつまんで、素早く男の顎を引き上げる。
大きく息を吸い込んで、ハンカチ越しに男に息を吹き込もうとした瞬間……ハンカチが男の息で微かにふわりと浮かび上がった!
(戻った⁉︎)
呼吸が戻ったってことは、脈も……も、戻ってる!
ミリィはその男の脈が戻っていることを確認した後、ショック体位にして男を寝かせた。
(よし、あと一人!)
倒れているもう一人の男も、さっきの男と同じ様な服装だが、それよりは暗めのやや地味な装いだ。髪は赤みがかった明るい茶色で、整った顔立ちをしている。
ミリィはその男に近づいて、もう一度生死を確認する。
(良かった。やっぱりこっちは生きている)
けど、気を失ってる?見た感じ、どこもなんともなさそうだけど。
微弱だった脈も呼吸も最初に確認した時より安定している。
(目が覚めても良さそうなんだけどな)
そう思いながら、顔を近づけて呼吸を確認する。
脈をとろうと掴んだ手は温かい。
手首ではほとんど触れなかった脈拍がしっかり感じられるようになると、蒼白だったこの男の顔にもさっきの貴族風の男と同じように血の気が戻り、微かだが徐々に頬の赤みも戻ってきた。
ミリィはそれを見てほっとするのも束の間、ふと、言いようのない不安に駆られる。
(この夢、いつ覚めるの…?)
夢、だよね?
さっきから周りの音が何にも聞こえないし。
自分の声も出そうとしても出せないから…
そう自分に言い聞かせながらミリィはふらつく足でなんとか立ち上がり、まるで引き寄せられるようにふらふらと最初に見た青いマントの男の元に戻った。
そこで改めてあたりを見回すと、かなり遠巻きに沢山の人が集まっているのが見えた。
あたりは美里達の周りだけうっすらと白い靄が立ちこめ、空には暗雲が広がり、雲の合間から幾つもの雷光が垣間見える。
遠くには夏を思わせる緑の山々が見えるのに、ミリィ達の周りは寒気を覚える程の冷んやりとした空気に包まれていた。
ミリィが目覚めた時には確かに熱いと感じるくらいだった身体の痛みもすっかりなくなっていた。
だが、代りにかつて経験したことのないような倦怠感がじわじわと襲ってくる。
ミリィはその遠巻きにいる沢山の人達が何故誰も近づいてこないのか不思議に思いながら、すでに絶命した兵士風の男の傍にひざまづき、その顔をじっと見つめた。
(この人、知ってる……)
だって、私達ずっと一緒にいたもの……
ミリィは倒れている男の甲冑の上からそっと左手を当て、右手で頬に触れる。
「残念だが、その者はもう助からない」
不意に頭上から声がして美里が仰ぎ見ると、薄靄をかき分けるように一人の男が現れた。
「――まさか、このタイミングで白魔法使いが現れるとはな。まさに僥倖…」
その男は聞こえない程の声でそう小さく呟いた。
「殿下……」
ミリィはその男の顔を見ると自然に跪き、身につけていたローブのフードを目深にかぶりなおした。
あたりの白い靄が晴れてくると同時に、美里ではなくミリィとしての意識が優位となってくる。
(こっちが現実なら、じゃぁ、さっきのが夢?)
いいえ、そんな筈ない。
だって色々はっきり覚えている。看護師だった事、一緒に働いた同僚、仲の良かった友達、優しかった両親、嬉しかった事、何気ない毎日の生活、それから死にたいくらい悲しく辛かった出来事も……
(でも、私は……ミリィだ)
そう認めたところで、これまで耐えていた緊張の糸が切れ、体がゆっくりと倒れていく。
「おいっ⁉︎大丈夫か⁉︎」
倒れる体は地面スレスレのところで抱き留められたが、その意識は黒い沼に呑み込まれるようにゆっくりと薄れていく。
ミリィが気を失って倒れると同時に、あたりを覆っていた白い靄は風に吹き流され、そのタイミングを待っていたかのように、遠巻きにしていた沢山の人達がミリィ達のところに駆け寄ってきた。