メイド喫茶のオプションにデートはありません
「も、モモさんと外でデートするのはいくらですか?」
秋葉原にあるメイド喫茶『ふぇあり~めいでん』。私、宝来桃子はそこで『モモ』というメイド名で働いていた。
オムライスにウサギの絵を描いてあげていたとき、その常連客の女の子が突然言ってきたのだ。名前はひより。以前にチェキに名前を書いてあげたので覚えている。年齢はおそらく高校生くらいだろうか。私よりは若く見える。
ひよりは至って真面目な顔で私の返事を待っていた。私はウサギを描き終わると『モモ♡』と付け加えてからひよりに微笑みかける。
「急にどうされたんですか、お嬢様?」
「こ、言葉通りの意味です。モモさんと、外で会いたいんです」
「申し訳ありませんが、お嬢様のご希望には添えられません」
なるべく眉をハの字に曲げて申し訳なさそうに答える。正直この手の誘いは今までにも何回かあった。連絡先を無理矢理渡してくる男性もいたが、私は全部断ってきた。
これは私なりの持論というやつだけど、メイド喫茶というのはディズニーランドみたいなものなのだと思ってる。
店の中は外の現実と分け隔てられた異世界。私達店員はメイドという登場人物となりお客様をおもてなすことで、お客様はここにいる間つらいことを忘れて楽しい夢をずっと見ることが出来る。けれどその夢は店の中だけのもの。ミッキーたちが決して園内から出てこないように、モモというメイドもこの店から出ていかない。だからこそ私はこの店で精一杯ご主人様・お嬢様にご奉仕して楽しんでもらうのだ。私のご奉仕で笑顔になってくれるのが私にとっても一番楽しいから。
「ささ、オムライスが冷めないうちに召し上がってください」
「い、一回でいいんです。私と一回――」
「では今日は特別に私が食べさせてあげますね。はーい、ふぅ、ふぅ、あーん」
かちゃかちゃとオムライスを一口分取りわけ、息を吹きかけてからスプーンを差し出す。セリフを遮られたひよりは躊躇しながらも口を開きもぐもぐと食べ始めた。こういうところは見た目相応に子供らしい。
食べ終わったお皿を片付けたあとに話を進める。
「ゲームは何になさいますか。黒髭危機一髪、ジェンガ、あぁそういえば新しいゲームも入荷しまして――」
「ゲームで勝ったら、デートしてくれますか?」
「いえその、そういったことは……」
「なら、い、一時間一万円払います。それでどうですか」
う、と私は言葉を飲み込んだ。値段的には女子高生とデート出来る店の相場くらいだが、それが丸々私の懐に入ると考えればかなり破格の料金だ。今の私の時給は千百五十円。そこにチェキやゲームの手当が加わるのでもうちょっと貰ってはいるが時給一万円には程遠い。しかもデートとなると数時間から半日だろう。となればそれだけ支払われる金額も増えるわけで。
と、打算的な思考は置いておいて。私はひよりを改めて見た。おそらくは高一、高二くらいの彼女が果たしてそれほどお金に余裕があるのだろうか。今だって週一ペースで来店して一回に千五百円以上は使っているというのに。
私はすっと姿勢を下げてひよりに近づき小声で進言する。
「お嬢様、差し出がましいようですが無理はされていませんか? 私のせいでお嬢様が苦しむようなことはあってはいけません」
「……私にそんなお金無いって思ってます?」
「そうではなくて私はただお嬢様を心配して」
ひよりが財布を取り出して中から紙幣をまとめてとりだした。それを机の上に置く。
「六万円、あります。お年玉とかお小遣いとか、私がモモさんと出会う前から貯めていたやつです。信用出来ないならこの場でお渡しします」
「えぇっと……」
ここでそういうことをするのはやめて欲しい。他のメイドに見られでもしたら大問題だ。私は両手を押し止めるように向けてひよりをなんとかなだめようとする。
「お嬢様、いったんそのお金はしまってください。せっかくここにいらっしゃったんですから今はぱぁっと楽しみましょう」
「モモさんがデートしてくれるならしまいます。デートしてくれないならここに置いて帰りますから、チップとしてとっておいてください」
「あの、それはちょっと……」
これまで確かにひよりは私に好意を抱いているような素振りをしていた。だが、無理矢理デートに連れ出そうとするような困った客では断じてなかった。むしろ控えめな女性の上客ということで私のなかではかなり良い印象だっただけに正直困惑を隠せない。
「チップがダメなら破って捨ててもらっていいです。お金を捨てるかデートするか、どちらか選んでください」
「…………」
本気の言葉と眼差しをぶつけられ、私は折れた。
言い訳をさせてもらうなら別にお金に目がくらんだわけじゃない。お金は辞退するつもりだ。そして辞退したあとにひよりにこう言って聞かせてあげる。お金というのはもっと大切に使わなければいけない。そのお金を稼ぐためにお父さんお母さんがどれだけ苦労をしてるのか分かってるの? と。
そうは言ってもお客と外で会うことのリスクは分かっている。ネット社会の今、誰かとデートしているなんてSNSで呟いたりすれば知人友人に広まる恐れがある。だからあらかじめひよりには誰にも言わないこと、どこにも書き込まないことを約束させた。そうでないと私が店を辞めなければいけなくなるかもしれない。
そのほかにも危険はある。これはまぁ物理的なことでデートの最中に襲われたりするかもという懸念だが、ひよりなら年下だし女の子だし大丈夫だろう。その辺りは人気の無い場所で二人っきりになることさえ避ければなんとかなる。
休日のお昼の十二時。秋葉原駅の改札の外でひよりと待ち合わせをした。私が五分前に着くとすでにひよりは到着していて、柱を背に改札から出てくる人達を食い入るように見つめていた。私に気が付くとぱぁっと相好を崩し、手を振ってきた。
もしかしてずっと私が来ないかチェックしていたんだろうか。互いに連絡先を知らないし、ひよりからすればいつ到着するか分からないのですれ違わない為にも絶対に見逃したくなかったのだろう。
「も、モモさん、こ、こんにちは……!」
「こんにちは。お待たせしましたか?」
「い、いえっ、私もついさっき来たところです!」
嘘なんだろうな、と思ったが深くは聞かないことにした。一時間前に来てましたと言われても困るし、時間は決めてあったんだからその辺は自己責任ということで。
ひよりがにやけるのを抑えたような表情で私の服を見た。
「も、モモさんの私服、すごく可愛いです」
「そう? ありがとう」
別にそこまで凝った服にはしていない。しいて言えばメイド服を意識してモノトーン調にしたくらい。さすがにメイド服でデートは無理だ。そもそもお店からの借り物だし。
そして服を褒められたらきちんと相手のも褒め返す。これが常識。
「お嬢様の私服もとても可愛くて似合ってますよ」
「あ、あぅ、いや、私なんてモモさんに比べたら全然……」
顔を赤らめて視線を逸らすひより。そういう性格なのか私に褒められて照れているだけなのか。
「ところで、お嬢様のことは何とお呼びすればいいですか?」
「えっ? な、何がですか?」
「お嬢様の呼び方です。ずっとお嬢様でいいのか、それともお名前で呼んだ方がいいのか」
「な、名前で呼んでもらえるんですか!?」
「はい。むしろデートでお嬢様呼びしていいものかと思っていたんですが」
外で『お嬢様』なんて言っていたら周りから変な目で見られるだろうし。
ひよりは黙って考え込んだ後、ぼそりと言ってきた。
「……ひより、と呼び捨てにしてもらっていいですか」
「ひより」
「――――」
ひよりは目を見開いたかと思うとくるりと背を向けて柱に頭を当ててぶつぶつと呟き始めた。ときおり「ヤバイ」とか「破壊力高すぎ」などと聞こえてくる。
ただ名前で呼んだだけでこの反応。……ちょっと面白いかも。私は内心でにやりと笑ってから再び呼びかけてみる。
「どうかされましたか、ひより?」
ビクッ! とひよりの肩が動いた。
「気分が悪くなったりしたらすぐに言ってくださいね、ひより」
ビクビクッ! とまた動く。これは楽しい。今日のデートはどうなることかと思ったが私なりに楽しむ方法を見つけたかもしれない。
ひよりがゆっくりと首だけ振り返った。その顔はもう真っ赤になっている。
「あ、あの、やっぱり『ちゃん』か『さん』か付けてもらっていいですか……?」
「かしこまりました、ではひよりさんで」
にこりと微笑みながら、次は何をしようかなと私は心の中で考え始めた。
まずは昼食を、ということで駅を出てから向かったのはケバブ屋さん。大通りを越えてパーツショップが並ぶ路地の方へと進んでいくと黄色と赤色に彩られた屋台のような店が見えてきた。
ふと思ったことを呟く。
「そういえば私ケバブ食べるの初めてかもしれないですね」
「え、そうなんですか?」
「お店で働いて一年くらいになりますけど、終わったあとはそのまま帰ることが多いですし、休みの日もここに来ることはあまりなくて」
私がそう言うと、ひよりは口ごもるような素振りを見せてから言いづらそうに申し出た。
「じ、実は私も初めてで……アキバのケバブが人気なのは知ってたんですけど」
その顔には『初めてで連れてきてごめんなさい』と書いてあった。そこまで気にするようなことではないと思うが。
「では今日は二人揃ってケバブデビューですね」
私が優しく言うとひよりが表情を輝かせた。
「そ、そうですね! 一緒にデビューしましょう!」
なんとも分かりやすい性格だ。張り切りだすひよりの背中を見ながら私は小さく笑った。
慣れないながらも二人で注文を済ませ、出来立ての商品を受け取ると路地の脇の方でさっそく食べ始める。
私はチェダーチーズケバブのチキン。一口かじると濃いめのチリソースとチーズがチキンとよく合い美味しい。もっと肉々しいかと思ったがキャベツとトマトのおかげでそこまでしつこくない。
「ど、どうですか?」
「はい、美味しいですよ」
ほっとするひよりの手元の焼きチーズケバブサンドのビーフが目に入る。そっちも美味しそうだな、と思ったとき良いことを思いついた。
もぐもぐと食べ進めているひよりに声を掛ける。
「ひよりさんのを一口もらってもいいですか?」
「んぐっ――っ、ん、んく――わ、私のを、ですか!?」
ひよりはペットボトルを取り出し慌てて飲み込み、驚いた表情を向けてくる。私は平然とそれに頷いた。
「美味しそうだったので。……どうしてもイヤならいいんですけど」
「そ、そ、そんなことはっ! どど、どうぞ!」
差し出されたケバブをぱくりといただく。ヨーグルトのソースがジューシーなビーフ肉とマッチしていて美味しい。が、今は味はどうでもいい。
顔を赤くして私のかじった跡をまじまじと見ているひよりに、今度は私が自分のケバブを差し出した。
「良かったら私のもどうぞ」
「…………え」
突然のことに戸惑うひよりの口元にさらにケバブを近づける。
「どうぞ。元々はひよりさんに買っていただいたものですから遠慮なさらず」
「……う……じゃあ」
ひよりが私のもケバブに口をつけた。やはりまだ抵抗があったのか小さくかじってから口を離す。恥ずかしそうに咀嚼するひよりに尋ねる。
「美味しいですか?」
「…………」
こくんとひよりは頷いたが、果たして本当に味を分かっているのかどうか。
食事をしている間、ずっと照れたままのひよりを眺めているのは楽しかった。
次にひよりと一緒に向かったのはゲームセンターだった。
意外というかひよりはかなり慣れているようで、UFOキャッチャーを見ただけで『あれは確率機なので結局運ゲーなんですよ』とか『あそこの紐ならすぐ引っ掻けられるんです』とか自信たっぷりに教えてくれた。
「ひよりさんは結構こういうところに来るんですか?」
「あ……その、『ふぇあり~めいでん』に行ったあとぶらついてるうちにハマっちゃったというか……き、気持ち悪いですよね?」
「全然そんなことないですよ。私はあまり来たことがないので、むしろ色々話してくれて楽しいです」
「ほ、本当ですか!? えっと、じゃあ一緒にシューティングしませんか? あれとか面白いですよ」
ひよりが指さしたのは大きな画面に銃を向けて打つタイプのゲームだった。似たようなゲームは昔に一回か二回やったことがある程度だ。
「足を引っ張るかもしれませんがいいんですか?」
「大丈夫です! 私がモモさんを守ってみせます!」
いつになく頼もしい言葉で断言するひより。実際ひよりのプレイはすごく上手だった。敵は出現とほぼ同時に倒し、アイテムの場所はだいたい把握し、ボスになると私には隠れさせて単独で撃破。二人とも死ぬことなくラスボスを倒した後、私は思わず拍手をした。
「ひよりさんすごい」
「ま、まぁそこそこやりこんでいたので……」
もっと胸を張っていいのにひよりは畏まって謙遜するばかりだった。そういうところはちょっともったいないと思う。自分の得意分野なのだから積極的にアピールしていかないと。……ってなんで私がそんなアドバイスをしなければいけないのか。
そのあともレースゲームやクイズゲーム、コインゲームで遊んだりUFOキャッチャーのこつを教えてもらいながら挑戦してみたりであっと言う間に時間は過ぎていった。
時刻はすでに三時半を越えようとしている。ゲームセンターを出る前に、ということでひよりがプリクラを撮ろうと誘ってきた。
たくさんあるプリ機のなかから適当に選んで入り込み、フレームやらの設定を決めてスタートさせる。
音声がカウントダウンを始めた。ひよりは私にくっつき過ぎず離れ過ぎない微妙な位置で棒立ちしている。恥ずかしがっているのもあるだろうが、そもそもプリクラに慣れていなさそうだ。
私はカウントがゼロになる直前でひよりの腕を抱えて引っ張った。
「あ――わ――」
一回目のフラッシュが焚かれ、次のカウントが始まった。
「も、モモさん!?」
慌てふためくひよりに今度は横から抱き着いてみる。
「――――」
「せっかくのプリクラなんだからポーズくらい取らないと。ひよりさんもほら、正面に向かってピースして」
私の言葉にひよりが笑顔と泣き顔の混じったような表情で震えたピースを作る。そのぎこちない仕草がとても面白くて、撮り終わるまで私はさらに無茶振りを繰り返すのだった。
…………。
出来上がったシールを見てひよりが恍惚の息を吐いた。
「宝物にします……」
なんだかんだで喜んでくれたので結果オーライといったところか。
シールに映った私の顔は楽しそうに笑っていた。
ゲームセンターを出て向かったのはカラオケだった。二時間のパックを利用して部屋へ入る。さすがに狭い密室で二人きりはちょっとマズかったかな、と考える私の目の前でひよりがマイク付きのボイスレコーダーを取り出した。
「……それは?」
「あ、これはですね、モモさんの歌声を録音して目覚ましにしようと思いまして」
嬉々とした表情でひよりが私にデンモクを渡してきた。そのまま音量やエコーの調整を始める。
ゲーセンは恥ずかしがるのにこれは平気なんだ……。とりあえず心配が杞憂に終わりそうなことだけは安心した。
それから二時間はほとんど私が歌ってばかりだった。ひよりが聴きたい曲をリクエストして、私が知っていれば歌う。しかも私が歌っている間ひよりは真剣に歌を聴く。合いの手を入れることも自分の歌う曲を探すこともせずにただ私の歌声に傾注するのだ。さすがにちょっと恥ずかしかった。
メイド喫茶も店によればメイドのライブもあるし、これもまぁご奉仕の一環だと考えよう。……歌を褒められるのが正直嬉しかったのは内緒だ。
カラオケの後は夕食、ということでひよりが色々と調べてくれた店を私に見せて行きたいところを聞いてきたのだが、そのどれもがちょっとお高そうなとこばかりだった。おそらく夕食も奢るつもりだろうし、これ以上出費させるのは申し訳ない。
私はスマホをひよりに返してから提案した。
「サイゼリヤにしませんか? 駅の横の建物に入ってるので」
「さ、サイゼでいいんですか? もっと美味しいところでも――」
「お喋りするなら気楽に入れるお店の方がいいんですよ」
「でもせっかくなんだし……」
まだ納得してくれないひよりの手を掴み、私は駅に向かって歩きだした。
「あ、て、て――」
「手がどうかしました?」
「い、いや、何でもないです……」
ひよりはおとなしくなって手を引かれるがままになった。顔は後ろで見えないが、きっとすごく赤くなっているだろう。私は声に出さずにひとりで笑った。
手を繋いだことがよほど嬉しかったのか、サイゼリヤに到着して二人用のテーブル席に案内されるまでひよりは手を離さなかった。なのに席に座ってからは私と目を合わそうとしない。メニューを選びながらちらちらと私の方を窺い見るばかりだ。
その様子に私はくすりとする。
「そんな盗み見るみたいにして何か気になることでもありましたか?」
「いえそうじゃなくて、えっと、この距離で正面からっていうのが、し、新鮮で」
「さっきのカラオケも結構近かったですけど」
「あそこは薄暗かったですし、歌に夢中であんまり気にならなくて……」
話しながらもやはり私を見るのは恥ずかしいのか、ひよりは目を伏せがちだった。こうなれば私がやることは一つ。じぃっとひよりを見続ける。どこまでひよりが耐えてくれるのか、観念して目を合わせてくれるのか。
私の強い視線を感じてますますひよりが頬を染める。本当にひよりはからかいがいがある。
料理が到着するまでひよりは私ときちんと目を合わせることはなかった。
それでも食事をしだすころには少し慣れ、話にも花が咲いた。テーブルを挟み一緒に食事をすることは互いを知るいい機会になった。
ひよりが高校三年生だということや休みの日にいつも何をしているか、好きなマンガや小説などなど、メイド喫茶で話すだけでは知らなかったことを知ることが出来た。
「三年生ということは、大学には進学するつもりですか?」
私の質問にひよりが上目使いで私を見返した。
「も、モモさんと同じ大学に行けたら……」
その返答は私が困る。さすがに大学名まで教えるわけにはいかない。
私の表情を読み取ってかひよりは「じょ、冗談ですから」と言葉を引っ込めた。
食べ終わったあとしばらく雑談をして、サイゼリヤを出たのは夜の七時半過ぎだった。
これで今日のデートは終わりということなので駅へと向かおうとしたときひよりが封筒を取り出した。更に財布からお札を数枚抜き出してその封筒の中へと入れる。
「よ、予定してた時間よりも遅くなっちゃいましたけど、すっごく楽しかったです。これ、えっと、八時間分入ってますので……」
つまり八万円入っている、と。わざわざ切り上げまでするとはなんとも律義なことだ。そういった誠実さが伝わってきたからこそ今日ここまで付き合う気になれたのだが。
「申し訳ありませんが、それは受け取れません」
私は決めていた通りその封筒を押し返した。
「え、あの……」
「そのお金はお年玉やお小遣いだとおっしゃってましたよね? つまり元はご両親や親戚の方々のお金だということ。ひよりさん、お金を稼ぐというのは大変なことなんです。私も自分でバイトをするようになって多少は理解することが出来ましたけど、本当に大変なんです。ひよりさんはそんな誰かが大変な思いをして得た金銭を、投げ捨てるようにあっさりと人に渡そうとしているんですよ。それでいいと思いますか?」
我ながらかなりお説教に近くなってしまったがこういうのはきついくらいで丁度良い。さすがにひよりも行いを悔い改めるだろう――。
「つまり、私が自分で稼いだお金じゃなきゃダメってことですか?」
「そ、そうじゃなくて」
「じゃあ別にいいじゃないですか。わ、私が貰ったお金を私がどう使おうが。モモさんだってお金はたくさんある方はいいでしょう?」
「そういう話じゃなくて、お金は大切なものだからもっと大事に使おうねってことで」
「大事に使った結果がこれなんです!」
「そんな、私と出掛ける程度で八万円も――」
「このお金があったからモモさんがデートしてくれたじゃないですか! だからちゃんと払おうとしてるのに、なんで今更そんなこと言うんですか!!」
通りがかる人達が何事かと私達を見ている。ただの喧嘩だと思ったのか、誰も足を止めずに通り過ぎていく。
ひよりの言うことはもっともだった。結果だけを見れば私がお金につられてデートをしたことに変わりはない。本当にお金の大切さを説くのなら最初の時点できちんと断り、そこで言って聞かせるべきだったのだ。
ひよりは顔を俯かせたままずっと封筒を私に差し出している。指に力が入り封筒が歪んでいた。受け取るまでは何があっても動かないという決意が伝わってくる。
けれどそれでも私は受け取らない。受け取りたくない。だってこんなお金を貰わなくても今日はとても楽しかったから。むしろお金なんか貰ってしまったら後味が悪くなってしまう。
お金を貰わなくても。そうだ。最初からそうするべきだった。
私はひよりの頭にそっと手を乗せた。
「封筒、しまって?」
「…………」
「友達と遊ぶのにいちいちお金を払ったりする? そんなのは友達って言わないと思うな」
ひよりが顔を上げた。私が何を言っているのかまだ分かっていないようだ。
私はひよりと目線の高さを合わせて微笑みかけた。
「メイドとしての『モモ』じゃなくて、普通の『桃子』でいいなら、これからも一緒に遊ぼっか」
「…………え」
まだひよりの理解が追いつかない。私は面倒になってひよりのカバンに手を伸ばした。
「はいスマホ出して。出さないなら勝手に出すよ。はい、ロックは自分で解除してね。ライン起動して。えっと、QRコードでいっか……私のコードは……っと、はい完了」
ぽんとスマホをひよりに返す。
「それ私のライン。遊びたくなったらまた連絡して。分かった?」
「……い、いいんですか?」
「ひよりちゃんこそいいの? 友達になるってことは言葉遣いも態度もそれ相応になるってことだからね」
こくこくとひよりは首肯し、その顔が再び俯いた。私は気にせずにおねえさん然とした口調で続ける。
「もし『モモ』に会いたくなったらお店に来て。そしたらお嬢様を丁重にもてなしてあげるか、ら……」
目の前から鼻をすする声が聞こえてきて私は言葉を中断させた。
往来の邪魔にならないように道の端っこに寄って、スマホを大事そうに抱えるひよりの頭を優しくぽんぽんと叩く。落ち着くまではこうしていてあげよう。時間が経過したところで払うべきお金なんて発生しないのだから。
もしかして私は年下の子の世話をするのが好きなのだろうか。今から学部変更でもしようかな、なんて考えながら苦笑した。
この日をきっかけにひよりと普通に遊ぶようになった。土日のどちらかが空いていれば土日に、どちらもバイトならバイト終わりに。一週間に一度くらいは遊んでいるだろうか。私が働いているときはメイド喫茶にまで来てくれるし、後でお礼のメッセージまで送ってくれる。
なんというか本当に良い子過ぎて私なんかと仲良くしていていいのかという気になってくる。何気なくカレンダーを見て、そうだ、と思いつきさっそくひよりにラインを送る。
『次の金曜に給料が入ってくるんだけど、学校終わったあと食べに行かない? 前に奢ってもらったし今度は私が奢るよ』
すぐに既読が付き返信が書き込まれる。
『行きます行きます! でも奢ってもらうのは申し訳ないので私の分は私が払いますから』
『奢ってもらったお返しだからいいの。それにいつも私のこと指名してくれてるお礼も兼ねてるから。ひよりちゃんのお陰で手当も結構もらってるんだよ?』
『そう言ってもらえるなら……。あの、安いところでいいですからね! サイゼリヤとかで!』
いつかの私と同じことを言っていて思わず笑ってしまった。ここまで気を遣えるのに何であのときは数万円を簡単に渡そうとしたのか。
「……それだけ好意を寄せてくれてるってことなんだよね」
気持ちに気が付いていないわけではない。けれどどう応えていいかも分からないのだ。
私にとってひよりは後輩のような友達のような妹のような存在。そしてお店に来てくれる大事なお客様でもある。
突き放したくないし、これ以上近づくのも怖い。かといってどっち付かずの思わせぶりな態度のまま付き合っていくのは最悪だ。最悪と分かっていても現状維持が一番楽なのも事実。
何も出来ないから何もしないというのもある種の逃げなんだなぁ、と思いながら私はひよりへの返信を打ち込んだ。
金曜の夕方、秋葉原駅でひよりと合流した。バイトがあるわけではないので別にアキバでなくとも良かったが、いつも一緒に遊んでいるこの場所が気楽なので自然とそうなった。
食べに行ったのはチェーンの定食屋。高級寿司や割烹を気軽に食べに行ける年齢でもないし無難なところだろう。ひよりもお店を見て安心したようだ。
定食を食べ終わり、ひよりがオススメしてくれたマンガの話をしているうちに時間が結構経ってしまった。元々食事をするだけだったし、ひよりも遅くなる前に家に返さなくてはいけない。
「そろそろ出よっか」
ひよりは少し残念そうな表情を浮かべて頷いた。
六月も半ばを過ぎ、日が沈むのもかなり遅くなった。今店を出れば完全に暗くなるころには帰れるだろう。と、外に出た瞬間、雨音が勢いよく耳に響いてきた。
「うわ……降ってる」
雨の勢いはそれなりに強く、このまま駅に向かうのを躊躇させる。
「ひよりちゃん、傘持ってきてる?」
「いえ、持ってきてないです」
「私も。夜まではもつって言ってたのになぁ」
一旦入り口の前から離れ、軒下の端へ移動する。
「どうしよっか。駅からそんなに離れてないから走っていくのでもいいし、もしくは近くでビニール傘買ってから行く? 多分その辺の電器屋さんでも売ってるだろうし――」
そのとき不意に私の左手が握られた。
え、と声に出さずに左を見ると、ひよりが私の手を握っていた。
「……このままもう少し雨宿りしませんか」
「…………」
無言でひよりの手を握り返す。
薄暗い町並みに目を移すと、一つの傘を二人で使っている人達や、私達と同じように店の前で雨宿りをしている人達、走って駅に向かう人達などがいた。けれどその光景は目から入ったあとはどこかへと消えていく。今私の意識は左手に集中していた。柔らかい小さな手はあたたかく、肌寒い風を私に感じさせない。
ザァー、と雨粒がアスファルトに弾けていく音を聞きながらどれくらいそこにいただろうか。
「…………好きです。桃子さんのことが」
その声は雨音にかき消されそうなくらい小さくて。いや、もしかしたら聞こえなくてもいいと思っていたのかもしれない。けれど私の耳にははっきりと届いてしまった。届いてしまった以上は無視できない。
「…………」
なのに答えられない。答えて関係が変わってしまうことを恐れている。
私はただ、ひよりと今までと同じように遊びたいだけなのに。そこまで考えて私は自問自答する。
何故遊びたいのか。一緒に遊ぶと楽しいじゃないか。何故楽しいのか。ひよりが笑ったり恥ずかしがったりするのを見るのが楽しい。それは何故。そんなの、ひよりが可愛くて構ってあげたくなるからに決まってる。
……うん、分かってた。自分の本当の気持ちを分かっていたのに気付かないふりをしてた。だって乙女の恋心はそう簡単に結論付けていいものじゃない。偽りはないか、打算はないか、思い違いじゃないか、後悔はしないか。それら全てを吟味してようやく本物であると判断するのだ。
それでまぁ私自身がこの心を本物だと認めてしまったわけなのだけど。気持ちをはっきりと言葉にするには羞恥心が邪魔をしてしまうわけで。
「…………私も」
雨音にかき消されるくらいの声量を出すのが精一杯だった。
繋いだ手にぎゅっと力が込められた。あぁ聞こえたんだなと思うとともに、私の顔やら首やらが熱くなってくる。これまでのひよりも同じような感覚を味わっていたのだろうか。
「ひよりちゃん、駅まで走るよ!」
いてもたってもいられず、私はひよりの手を引っ張って走りだした。
「え、あ、あの――!」
後ろから戸惑う声が聞こえてくるが私は足を止めない。雨音に負けない大きさで叫ぶ。
「濡れても大丈夫。私の家ここから近いから」
「それって――」
「私の大学に来るんでしょ? だったら私の家の場所も覚えとかないとね」
「――――」
ひよりの顔は見えない。見られない。今の私の顔を見られたくない。
ただ、決して離すまいと握られた手の強さが、ひよりの心を表しているような気がした。
冷たい雨も今だけはまったく気にならない。
濡れたら乾かせばいい。冷えたらあたためればいい。
ひとりだけなら憂鬱なことも、二人いれば幸せになることがある。
それよりも。
降りしきる雨の中を駆けながら、駅に着くまでに緩んだ口元が戻るかどうかの方が私には心配だった。
〈おまけ会話〉
「桃子さん」
「なに?」
「つかぬことをお伺いしますが」
「うん」
「家の中でもメイドさんをしてもらうことは可能でしょうか……!」
「えーっと、家でも『モモ』にご奉仕してほしいってこと?」
「『モモ』じゃないです! 『桃子』さんにです!」
「ごめん話が見えないんだけど」
「ほら、『モモ』さんはふぇあり~めいでんのメイドさんじゃないですか。でも『桃子』さんは、その、私だけのメイド、というか……」
「言ってて恥ずかしくない?」
「恥ずかしいですよ! 恥ずかしいけど見たいんです! 見たい欲求が羞恥心を上回ったんです!!」
「んー……」
「ちゃんとお金は払いますから」
「だからそういうのはやめなさいって言ったでしょ。ていっ」
「ぁいたっ!」
「付き合ってるんだから一言そうしてって言えばよっぽど変なこと以外は叶えてあげるって」
「本当ですか!?」
「でもメイド服持ってないよ。アレお店のだし」
「うー、そうだったんですね。じゃあ今度買ってきます」
「別に服がなくてもいいならこのままでやってあげよっか?」
「え?」
「ひよりお嬢様。おかえりなさいませ」
「おぉー」
「お嬢様、御召し物が汚れておりますね。ささ、私が脱がせてさしあげますのでこちらへ」
「へっ、いやあの、それは大丈夫です」
「いえいえ、汚れたままではおくつろぎもできないでしょうから。ほら、両手を上にあげて」
「ひぁっ、そ、そこ、手入れないでくださいぃ!」
「あんまり押さえると御召し物が伸びてしまいますよ。では下から先に脱がせますか」
「ま、ま、ま――っ!!」
「今度は上が手薄になりましたね。それではこっちを」
「ちょ、ちょ――っ!!」
「そんなに抵抗されては脱がせられないのですが」
「ちが、違うっ! 私がやって欲しかったメイドはこれじゃないー!!」
「それはそうでしょう。メイド兼、恋人ですから」
そう言って桃子はひよりの頬に唇を寄せた。
終