9通目 彼からの手紙
「……な、い」
長い夏休みが終わり、新学期が始まった。夏休みに入る前まで、私はクラスメイトの男の子と秘密の文通を続けていたのだが……新学期に入ってみると、彼からの手紙は無かった。
「……おしまい、って……こと、かな……?」
ずっと続けることなんてできないと分かっていた。彼が飽きたら、続ける気を失くしてしまったら……この密やかな行為は終わりを迎えてしまう。……そして私に、それを止める権利なんてない。
「……仕方、ない……よね」
彼には友人と呼べる人がたくさんいる。……面白みもない、陰気な私と関わることが面倒になったとしても、何の不思議ではない。仕方のないこと、そう思っているのに、その場から動くことができない。
唇を噛み締め、持っていたノートを乱暴に千切り、切れ端に震える手で文字を書く。……往生際の悪い、何て見苦しい行為だろうか。
「……一回だけ……これで、最後にする、から……」
彼はここには来ないかもしれない。もう興味さえないのかもしれない。……それでも、この一言だけは残しておきたかった。たとえ貴方にとって、さして意味のなかったことだったのかもしれないけれど、私にとってはとても大切なことだったのだと。……そして、もう少しだけでもいい。私の我侭に付き合ってほしいということを。
小刻みに体を震わせながら、本を開いて切れ端を挟んだ。
一週間後、私は破裂しそうなほど大きな不安を抱えたまま、図書室にやってきた。……一週間前、あんな我侭な一言を残してしまったことを、すごく後悔した。あんなことを書くんじゃなかったと思い、何度も取りに戻ろうとした。
……でも、できなかった。一週間だけ、一週間だけ置いておこうと思った。……もしかしたら、気まぐれを起こした彼が見るかもしれない。……見ないかも、しれない。教室での彼には目立った変化はなく、いつも通り友人らしき人たちと楽しそうに過ごしていた。
図書室に向かって歩きながら、これで終わりでもいいのかもしれない、と思った。こんな私に、彼は一時でも友達と過ごす楽しさを教えてくれた。はじめて知ることができた。……そう、私は楽しかったのだ。きっとこれから先、また一人に戻ったとしても、こんなに素敵な思い出を作ることができたのだから……もう、それでいいのかもしれない。
一週間前は終わることに恐怖さえ感じていたけれど、今は穏やかな気持ちで受け入れることができる。……今も、少しだけ胸が痛むけれど……耐えられないほどでもない。きっと、時間が解決してくれる。
その気持ちのまま図書室の扉を開け、いつもの場所へと向かう。……そこには、私が挟んだ切れ端とは別の……新しい手紙が挟んであった。
息を飲み込み、慌てて抜き取る。半信半疑で開いてみると、既に見慣れた……彼の字が、書かれてあった。手紙があるとは思わなかった、もうこないのだと思っていた。
『 僕も、続けたいです 』
一言だけ、それでも堪らなく嬉しい。
はい、はい……と、同意するように何度も頷く。と、その時、文頭に自身の名前が書かれていることに気付いた。
『 紫乃へ 』
宛名が書かれていることなんて初めてのことで、きょとんと目を瞬かせる。
「……紫乃、へ……」
以前は宛名なんて書かずに、近況しか書かれていなかった。……そうだ、あえて意識をしたことはなかったけれど、もしかしたら私も彼も、以前は相手の存在を強く意識していなかったのかもしれない。互いの存在を最初に示していただけで、後はそのことに触れようともしなかった。“紫乃”と呼ばれたことも……“陽君”と呼びかけたこともない。
私たちは、文通相手と現実のクラスメイトである私たちを、重ね合わせようとはしていなかったことに、今ようやく気付いた。
彼からの手紙に視線を落とし、じっと考え込む。……彼は、どんな気持ちでこの一言を書き残したのだろうか。
カバンの中にある便箋を一枚取り出し、彼に返事を書く。
その日、私は彼への手紙に……初めて宛名を書いた。