同性愛が好きな理由を考えたら、理解あると思っていた私が一番偏見があった。
「ホモきもい」
この言葉は職場でよく耳にするものだ。なんと浅はかな。異性が好きか、同性が好きか、なんてものは、とりたてて何か言う必要があるか。憤りを感じていた。
私は中学生の頃に、ボーイズラブの虜となった。中学生の性に目覚める時期、適度に刺激的な描写は中毒にならないほうが難しいだろう。私は中毒になった。
社会人になった今でも、同性愛をテーマとした作品や関係には特に魅力を感じる。それはなぜか。
「同性愛好き」の私の心理について考えてみた。
1 私は異性愛者で、自分とは異なることに惹かれている
2 自分(異性愛者)が介入できない関係であるから、自分に置き換えたり嫉妬したりなどの揺さぶりがなく、落ち着いて見られる
3 少数派であることを自覚して認めている人の強さに惹かれる
4 一般的な恋愛ではないことに特別感がある
5 世間一般には認められにくいという障壁が恋を盛り上げる
以上の理由から、私は同性愛が好きなのだ。
このように列記してみて、引っかかるのが4番目。「一般的ではない恋愛」と同性愛が、私のなかで結びついている。これはおかしい。性愛の対象が同性というだけで、これに特別感をもつのは、明らかに無意識下での差別がある。
同性愛が好きなのに、無意識のうちに異性愛と同性愛を差別化している。この矛盾が気持ち悪い。
「ホモきもい」という人間は、知識がないから浅く考え、「理解できないもの」だから「きもい」と表現している。
一方で私は、同性愛に理解を示している風を装って、実のところ、考えに考えた上で差別意識があった。この敗北感、筆舌に尽くしがたい。