「平成最後の夏が終わりますね」
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「平成最後の夏が終わりますね」
そんな言葉を、僕でない誰かの声で聞きたかった。なんてことのない思い付きの夢だけど、ささいでちっぽけな欠片の望みだけど、それでも僕はそんな言葉を聞きたかった。
───特別だけどありきたりな、淡くくだらない一夏の記憶。
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“平成最後の夏”
やたらとその言葉を僕が見聞きするようになったのは、確か6月上旬くらいだったと思います。
普段から利用しているSNSの投稿に、そんな内容のものが増えてきたからです。
今上天皇が生前退位されるというので、日本国民には時代の終わりをカウントするタイマーを与えられました。
その時代最後の季節なんて誰にも計れないはずのものが、一目で計れてしまったのです。
そして、あと1年もしないうちに平成という時代が終わることに感化された人々は、普段気にも留めない一つの夏に、「平成最後の」なんて大層な枕詞を付け始めました。
でもそれは否応なしに特別感、というものを与えてしまいました。この夏をどう過ごそうか、せっかくの記念日、いや記念季に普段の夏より良い思い出を残そうと躍起にさせたのです。
でも正直、そういうのも悪くないと思います。
だって、その大多数の躍起になっている人の内の一人が僕だからです。
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ありきたりな表現をするなら、僕はどこにでもいる普通の高校生です。
夏休みといえば、クーラーの直下で寝転んでゲームをしたり、昼夜逆転したり、宿題をため込んで終盤に泣く泣く消化するような、どこにでもいる学生です。
そろそろ終業式が近づいてきた、6月下旬の穏やかな昼下がりのことです。
退屈な授業中に、少し馬鹿げたことをまじめに考えてみました。
今年の夏をどう過ごすか、ということについてです。
というのも、ここ最近スマホを眺めていると「平成最後の夏」という言葉が話題になっているからです。
僕は恥ずかしいことに、その言葉に強く影響されてしまいました。
元々夏という季節は好きでした。あの言い表しがたい雰囲気に、僕は毎年惹きつけられていたのです。
でもだからといって何かすごい事、面白い事はしていませんでした。通り過ぎれば忘れてしまうような、そんな脆く崩れやすい記憶を積んで来ただけです。
ただ、それだからこそ、これから訪れる時間を一生記憶に焼き付けれるようなものにしたかったのです。
幸い授業が終わるまであと30分はあります。普段なら睡眠時間にあてていますが、今は妄想をしてみるとします。
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理想の夏はどんな感じでしょうか。
例えば夏祭りに行ったとします。人の往来、騒めき。夜店を回る。花火をみる。
・・・確かに良い思い出になりそうです。ですが、これは手段であって目的ではありません。
僕が求めているのはもっと明確な手段より、それらを通じて感じることのできる雰囲気です。
例えば遠出をします。あてもなく田舎に行き、宿をとって散策する。
それも良いでしょう。ただ、これも同じく手段であって望んでいるものではありません。
何かが決定的に不足しています。最終的に得られるものが定められていません。
もっと幅広く、大まかに考えてみます。
大多数が感化されるような言葉に同じく影響されたなら、普遍的な理想に目的があるかもしれません。
例えば、理想的かつ一般的な高校生活とはなんでしょうか。
勉学に励む。部活動に専念する。友人と馬鹿騒ぎをする。
あとは───彼女を作る、とか。
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実際、はじめから薄々気づいてはいました。僕が過ごしてきた夏はすべからず孤独なものだったことに。
幼いころから、兄弟はおらず、両親は仕事で家を空けていたため一人でいる時間は必然長くなりました。
それは中学生、高校生になっても変わりませんでした。
僕は部活に所属しておらず、かといってバイトや郊外活動をしているわけでもありませんでした。
人脈はさして広がらず、休日長期休暇問わず外出し人と関わることは稀でした。
そんな僕はここにきて今更、あるいはやっと人肌が恋しくなったのかもしれません。
友人は同姓ばかりで異性とのかかわりは少なく、勿論今まで交際した女の子はいません。
ですがそんな僕だからこそ、「彼女」という存在は憧れの位置に立っていました。
先ほど挙げた理想も、相手がいればより美しい思い出になるでしょう。
彼女と夏祭りに行き、人の往来、騒めきを抜け、夜店を回り巡り、花火を二人だけで見る。
彼女と遠出し、あてもなく夏の田舎を散策する。
手段は同じでも状況が変われば、それはきっと美しい思い出となってくれるはずです。
一つ一つはなんてことのないことでも、確かに記憶の欠片として積まれていくような。
───そんな夏を、僕は過ごしたいです。
ちょうど良く、授業終わりのチャイムが響きました。
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では、まず僕には彼女という存在が必要になります。
あまり異性の友人は多い方ではありませんが、ひとつ良い噂は聞いていました。
中学生の頃僕は部活をしており 僕が2年になった時、1年の女の子が入部しました。
部活柄一対一で教える活動が多く、偶ヶ僕が彼女を担当したため交流は多くなっていきました。
あまりうまくはありませんでしたが、それをカバーしようと懸命に励んでおり、その姿は見ていて悪いものではありませんでした。
また、着実に成長していくので教えがいもありました。
3年のとき、部活仲間から後輩の子と良い感じだなと囁かれました。
僕としては何も意識はしていませんでしたが、確かに練習中に俗に言う良い雰囲気というものはありました。
ただ、だからといってその時は別段付き合いたいとも思っておらず、何事も起きずに部活を引退し、そのまま卒業の流れになりました。
あれから1年が経ちました。
いい噂とは、その後輩が同じ高校に進学してきたということです。しかも、まだ僕に好意を寄せてくれているとも聞きました。
客観的に見ると、今僕がやろうとしていることは中々褒められたものではないでしょう。
本来なら誰かを愛しているから付き合うはずが、誰かと付き合いたいから愛そうとするのです。
でも、僕と同年代の人たちは恐らく後者の方が多いでしょう。付き合っているという事実が欲しいのであって、愛するために付き合うような達観者は少数です。
僕は自分にそう言い聞かせて、そう騙しました。
そうとなれば行動するだけです。早速後輩と連絡を取ることにしました。
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夏の計画を立てていた6月下旬から2週間が経ち、終業式が来ました。
僕はあの日からこまめに後輩と連絡を取り合い、そして今日告白をする予定です。
丸々1年がたっていたので、以前のように話せるか戸惑いましたがそれは杞憂でした。
この見立てだと上手くいきそうです。あとは式終わりに人気のないところに呼び出して話しましょう。
実は中学の時に言えなかったが、ずっと前から好きだった、付き合ってくれないか。
こんなところでしょう。正直思ってはいませんでしたが、この際あまり関係はありません。
正午過ぎに式は終わり、生徒はそのまま下校となりました。
事前に後輩には場所を伝えてあるので、一足先に僕は待っていました。
───しかし、この時の僕はずいぶんと幸せ者だったようです。
果たしてそこに、彼女は来ました。
あまり時間を取らせないように、僕は先ほどの旨を端的に伝えました。
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一段と煩い夜でした。
月がよく輝いている、夜でした。
あの後見事にふられた僕は、何も考えずに酒を飲みながら月を眺めていました。
後輩は確かに僕に好意を寄せていましたが、時間の経過がそれを流してしまっていたようです。
高校に入学した後、すぐに他の男と付き合っていました。
僕は自分で思います。なんと浅はかで、愚かで、蒙昧で、幸せ者なのかと。
勝手に選ぶ位置に立ち、あれこれ思索をし、いざ実行すればバラバラに砕けてしまう。
事実上、平成最後の夏の夏休みは始まったわけです。
後輩はその男と、僕が望んだ理想を一つ一つ手に入れることでしょう。
・・・まぁ、世の中とはそういうものです。大抵は自分が欲するものは他人が所有しています。
もし過去の時点で彼女を自分のものにしていれば、僕の道はどう変わっていたでしょうか。
その男の位置に自分が立っていたら、僕はどうしたでしょうか。
手に入るかもしれなかった過去、未来を羨むことはとても哀しいことです。
改変することは、永劫叶いません。
僕は自嘲気味に笑います。
どうやら、逃したものは大きく多かったようです。
酒がまわってきたからでしょうか、少し眼が霞んできました。
どこの銘柄かも分からない、まずいウイスキーを飲みながら物思いにふけます。
かくして、夏は始まりを迎えました。
何か残そうとするには、夏はあまりにも早い。
その通りでしょう。だからこそ人々はあまりにも早い夏に、何かを残したくなるのです。
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時刻は2時を回っていました。僕はおもむろにサンダルをつっかけ外に出ます。
扉をあけると、うだるような蒸し暑さに全身を包まれました。
今年の夏はどうやら、例年にも増して暑くなるらしいです。
時間を履き違えたセミが遠くで鳴いています。
僕は外出をしない人間ですが、例外として人気のない深夜にはよく散歩をします。
まるで世界に一人取り残されるような感覚は、何とも形容しがたいものです。
決まって僕は、歩いて少しの公園に行きます。
こんなきれいな月夜は、ブランコにでも乗ってぼーっとするのがいいでしょう。
高校生が飲酒して深夜徘徊など真っ先に補導対象ですが、幸いその公園の周りは人気も警備も手薄です。
ですが、今日という日はとことんから回る日でした。
公園内には一人の女性がいました。二つ並びのブランコの片方に座って、僕と同じように月夜を眺めています。
暗がりでこちらには気づいていませんが、もし見つかって通報をされたら厄介です。
僕は落ち着いてその場を逃げようとしましたが、ありきたりなことに落ちていた枝をふんでしまいました。
必然、彼女はこちらに気づきました。
互いに数秒目が合ってしまい、僕は逃げるに逃げれませんでした。
先に沈黙をやぶったのは彼女でした。しかも、それは随分僕の検討はずれな発言です。
「あの、もしかしてあなたも私と同じですか?」
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深夜の3時に、二人の男女がブランコに乗っています。
彼女は制服を着ていました。おそらく僕と同じ高校生でしょう。
どうやら、以前から好きだった人にふられてしまい、こらえきれずに家を飛び出てきてしまったようです。
なんだか、僕と似ています。
先ほどの発言は逆に動揺していた彼女が咄嗟に出した「あなたも月を見に来たのですか?」という意図の発言らしいですが、あながち半分は合っていて半分は間違っているといったところでしょう。
なるほど確かに、僕も案外歪ですが失恋というものをしたみたいです。
彼女の気持ちもわからないではありません。
「あの、お願いなので通報はしないでください・・・。」
「いえ、そんなことはしませんよ。第一、僕も通報されたら補導されますしね。」
あなたと同じ高校生ですよ、と付け加えておいた。
彼女はブランコを漕ぎながら、話聞いてもらってもいいですか?と聞いてきた。
構わないですよと返事をすると、これまでの恋のこと、失恋してしまったこと、彼女もまた僕と同じくこの夏に彼氏と過ごすことを楽しみにしていたことと、一通り話してくれた。
喋りきって少し疲れたのか、数分黙り込んだあとに
「すみません、こんな話に付き合わせてしまって。」と申し訳なさそうに言ってきた。
「そんなこともないですよ。だって、・・・僕も失恋してきたばかりですから。」
・・・僕は自分の事を話そうか迷ったが、何だか彼女が打ち明けたらなら僕も話した方が良いかと思い、あったことを隠さず全て白状した。
この夏に何かを残したかったこと。そのためだけに、彼女を作ろうとしたこと。そして勝手に自滅したこと。
彼女のものが高校生らしい澄んだものに対し、僕のものは淀みきった汚い体験談だった。
自嘲気味に話している間、彼女はうつむいて静かに聞いていてくれました。
ひとしきり話し終えると、彼女はふと顔を挙げてこう話した。
「なんだか面白い話ですね。でも、その気持ち少しわかるような気がします。」
「本当ですか?こんな話がですよ?」
「はい、飾り気が無くて寧ろ共感できますよ。なんだか、私たち少し似ているかもしれませんね。」
互いに沈黙が訪れます。彼女は月を見上げ、僕は地をにらみます。
先ほどの話もそうですが、僕は自分で自分を心底性根が腐った人間だと思います。
それに加え、きっと酒に酔っていたからでしょう、一つくだらない事を思いついてしまいました。
どうやら僕は往生際が悪かったみたいです。後先考えずに口を出してしまいました。
「あの、もしよければ僕の──」
「彼女になってあげます。」
彼女はそう言いました。
「───え?」
「だから、私があなたの彼女になって、あなたがしたかったことを手伝ってあげます。」
「私もふられて、夏休みは特にすることもないですからね。」
「所詮偽物に過ぎませんが、多分あなたにはそちらの方が似合います。」
「だから、私は今から8月31日まで限定の、あなたの彼女です!」
似たもの同士なら傷の慰め合いができるのではないか。
むしろ、ここでこうして出会えたことは何か重要な意味があるのではないか。
───この人となら、この夏を過ごせるのではないか。
かくして、僕の平成最後の夏は始まりを迎えました。
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蝉の鳴き声で目を覚ましました。
スマホのホームを見ると、時刻は正午前でした。
あの後、連絡先を交換して次に会う約束をしたあと、空が淡くなり始めてから帰路につきました。
待ち合わせの時間までまだあるので、シャワーを浴びて身支度をし、久しぶりに昼間に外出をしました。
彼女と昨晩の話の続きをするため、市営図書館に向かいます。
館内は少し強目に空調が効いており、肌に滲んだ汗を乾かしてくれました。
客はそこまで多くなく、落ち着いていました。奥側に進むと、隅のテーブルで本を読んでいました。
「こんにちわ。」
「あ、こんにちわ!」
彼女ははにかんでそういいました。
昨日は深夜の暗がりでよく見えませんでしたが、よく見てみるとなかなか可愛らしい顔立ちをしています。
はたしてこんな自分が彼氏・・・もとい、彼氏役でいいのかとも思いますが、素直に好意を受け取っておきます。
「それじゃあ、早速考えましょうか」
僕たちが集まったのは、この夏休み中に何をするかについてです。
基本的には僕の要望が8割、彼女の要望が2割といった配分です。
ざっと一時間ほど話し込み、思いのほか多くのやりたいことが上がりました。
夏祭り、遊園地、海水浴、小旅行・・・等々定番のものをはじめ、大小15個ほどです。
ただ、今が7月中旬なので、あと1月半ほどしか時間は残されていません。
何もしない分には長いですが、何か目標や目的が現れた瞬間に時間は過ぎ去っていくでしょう。
・・・もし、僕と同じくこの夏に何かを懸けているひとはどう過ごすのでしょうか。
或いは、すでに着実と理想を叶えていっているのでしょうか。
自分は、この夏を果たしてどう過ごせるのでしょうか。
目の前で、彼女は笑顔で計画を立てていました。
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そこからは、本当に一瞬でした。
手当たりしだいにやりたいことを消化しました。
夏祭りに行き、遊園地に行き、海に行きました。
勿論、できたものがある分出来ないこともありました。寧ろ、出来ずに終わったことの方が多いかもしれません。
ですが、その分一つ一つで得られる多幸感は倍増しました。
ただ彼女と夏祭りに行き、花火を見ました。
ただ彼女と遊園地に生きました。
ただ彼女と海を見に行きました。
別段なんてことのないような体験さえ、隣に愛する人がいる。それだけで何もかもが輝いていきました。
───たとえそれが、偽物の演じられたものだとしても。
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8月31日になりました。あと1時間もしないうちに夏の指標が終わります。
僕と彼女は、初めて出会った公園に来ました。
同じようにブランコに腰かけ、あの時と同じ綺麗な月夜を眺めます。
「どうでしたか?この夏は。」
彼女が問いかけます。
「・・・僕にとって、多分これ以上ない良い夏でした。」
「そうですか。それはよかったです。」
彼女はまた、はにかんで笑って見せます。
「でも悲しいですね。あと少しでこの関係も終わりですか。」
当初の予定では、彼女が僕の彼女を演じてくれるのは今日この日までです。
「そうですね。正直、少し名残惜しいです。」
もしかしたら、僕はこの期間で彼女に少なからず好意を寄せてしまっていたのかもしれません。
いくら偽物といえど、本物を演じられたらそれ紛れもなく本物になってしまいます。
「ところで、今日で偽物の彼女の役目は終える、ということで間違いないですよね?」
「ええ、そうですよ。こんなくだらない事に付き合ってもらってありがとうございます。」
「良かったです。ならこれで明日からは、本物の恋人でいいですよね?」
「───え?」
「私、この夏であなたの事本当に好きになっちゃいました。責任、取ってもらえますよね?」
「──はい。」
来年の夏は何をしようか、と聞いてきます。
避暑をしに北海道にでも行きたいだとか、逆に一番暑い岐阜の多治見に行きたいなど、彼女はあれこれ妄想をしています。まるで、過去の僕のように。
「でも、見方を変えれば平成最後の夏もなんてことないですよね。」
彼女は言います。
例えば15歳の夏、18歳の夏、20歳の夏。毎年毎年の夏が、そのたびに記念の夏だと思うんです。
「確かに、そうですね。」
僕は思います。
彼女のいう通り、結局は「平成最後の夏」と言っているから特別感が増すのであって、いつだって特別じゃない夏は無いのです。
来年の夏は、どうすごしましょうか。
思い出とは美化されます。何をしてもそれは記憶として積み重なり、そして美しく修正されていくのです。
───でもやっぱり、名残惜しさはあります。
時計を見ると、23時55分を指していました。
それを一言伝えると、彼女はまたはにかんでこう言いました。
「平成最後の夏が終わりますね。」