その7 ビッシーの謎
「さて、そろそろ行こうか」
大野さんが席を立つ。ビッシーは家の近くにいると言っていたが、今からそこに向かうのだろう。生ビッシーに会えることもあり、サキはウズウズした様子で勢いよく返事をした。
「あれを見せに行ってくるよ」
「まあ。あれを」
夫妻は楽しそうに笑う。
三人揃って外に出ると、分かれ道の先にある小屋の前まで並んで歩く。扉の前につくと大野さんは小屋の鍵を外し、ドアノブを回す。何か苦戦しているようだ。
「ちょっとたてつけが悪くてね」
少し無理矢理に扉を開け、手探りで電気をつけるとそこには人の身の丈程度の大きな恐竜の首が佇んでいた。
佇むと言っても首回り自体は細く、大体170㎝で通常から痩せ体型の男子高校生くらいだ。俺が入って肩幅が少しはみだす感じだろうか。
つくりは投げやりと言おうかお粗末と言おうか、枠組みは立派に木で作られているが、皮にあたる部分は古新聞を張り付けて作っている。がっしりした灯籠のようなものといえばわかりやすいかもしれない。下部には重りとして屋外で旗を立てるのに使うようなポリタンクが見える。
しかし、お粗末と言ってもこのサイズだ。枠組みは勿論、新聞を貼るのも手間になる。完成後も光を当てた時に恐竜に見えるか四苦八苦しただろう。そのうえ撮影場所は水の上だ。こけたら終わりだからこけないように細心の注意を払い、持って移動する際も濡れないように気をつけていたと考えると中々の労力だ。
床から生える新聞でできた首。それを見た瞬間のサキといえば、落胆以外の何でもなかった。
「会社を辞めてしばらくして、あまりに暇でね。そうしたら図書館でネッシーの本を見つけたんだ。それが始まりだったかな」
大野さんは語り出す。
元々日曜大工は好きだったらしく、すぐに設計図を作るとホームセンターへ行って丁度いい木材を集め出し、型どおりに切り出すとボンドや釘を多用して昼夜問わずに作業を進め、紙やすりで熱心に削った。削るだけでもう一週間はかけたかもしれない。
皮の部分にはビニールを使おうとも考えたけれど、見栄えがよくなく湖上では風が強いので破れる心配や剥がれる心配もあった。何より、寄ってしまう。できる限り家にあるものを使おうと思って探していたら、奥さんが新聞紙を薦めてくれたらしい。
「妻は子供向けの小さな劇をやっていてね。そこでかぶるお面に、新聞を貼り合わせたものを使っているそうだ」
重ねてみれば結構しっかりするんだぞ。と、笑いながら説明する一方で一人の少女が元気なく落ち込んでいる。サキだ。
ビッシーの歴史を語っている場面なら、それこそ食い入るように話題に飛びつき一晩中眺めつくしていることだろう。だが出てきているのは制作秘話である。サキにとってはつまらない話なのだろう。
「完成してみれば思っていた以上にいい出来でね。浮かぶようにしたくて悩んでいると丁度いいタンクがあったから繋ぎ合わせて、人目を凌ぎながらボートを走らせてしまったよ」
現像して友達に見せたら話が広まり、友達の息子さんの勤める会社の発行している地域新聞に載せていいか訊いてきたらしい。こんなものでよければ是非、と許可すれば、今度は地域新聞を見た記者が俺たちの地元の新聞に載せたようだ。
「最初はこんなことになるなんて思っていなかったんだがね」
嬉しそうにビッシーを撫でる大野さんの姿は、まるで親子のように見えた。その手で作り出したものなのだから、親子と言っても間違いはないのだろう。息子も一種の伝説を残せたのだ。親孝行としては最高のものだろう。
この後もビッシー作成や新聞に載った後の話を聞かせてくれた。子供たちから手紙がくることもある、と満足そうな笑顔で話す彼は子供のようで、自然とこちらも笑顔になる。
小屋を出てみれば満点の星空が広がる。さっきまでもあったが、空を見ようとしたのは今が初めてのはずだ。
全員が小屋から出て数歩歩いた頃、大野さんが俺たちを呼び止めた。
「サキくんには申し訳ないと思っているが、言わせてほしい」
大野さんの顔が真剣なものに変わり、直立姿勢から上半身を前に3度程傾斜させ、硬直する。
「ありがとう」
何故だか、俺の目には大野さんが泣いているように見えた。
お遊びのつもりだったのだろう。大野さん自身も、写真を載せた記者も。だが思わぬところでサキのような本気で取り組む人間が出てきた。記事になったところで他の人間の反応などあまり見れないものだ。自分のしたことを、流さず、真剣に受け止めてくれる。これほどに嬉しいものはない。ひょっとしたら、今回の旅は意味のあるものになったんじゃなかろうか。
大野さんに出会えて、こんなに喜んでもらえて。ビッシーがいなくったって充分なものだ。折角だから、今日を記念に残そうじゃないか。
「大野さん、一緒に写真撮りませんか?」
チーズ。の声とともに俺の携帯には大野さんと奥さん、そしてサキの四人が写った写真が記録された。一人だけちょっと不機嫌なのはきっと気のせいだ。