その2 さよなら俺の小遣い
時間とは無情なもので、避けようと思えば思うほど過ぎ去るのが早い。いつの間にか、俺達は電車に乗っていた。
過ぎ去る風景を眺めながら5分程度。琵琶湖はそう遠くではなかった。ただ、この巨大な湖を何日かけて調べるのか。それが問題だ。
「まずは遊覧船に乗ってビッシーを探すわよ!」
大津駅に降り立つと同時に最初の行動を指定する。遊覧船なんて中学校の遠足以来だろうか。うきうきと弾むように遊覧船乗り場に向かうサキを見ながら、俺の心はいも知れぬ不安のような感情を生み出していた。
気持ち晴れやらぬまま到着した乗り場には、当たり前にチケット売り場があり〝大人千百円〟という貼紙が窓口のガラスにセロハンテープで貼られている。先程の言い表せない不安はサキの「じゃ、後よろしく」の言葉とともに現実となった。
「……大人二枚お願いします」
遊覧船は中々に大きく、船内には横になって寝るにはうってつけの四席並んだ椅子が両窓に対になって備わり、屋外に並ぶプラスチックの青い椅子がなんとも懐かしい。たまにはこんなノスタルジックな風景もいいものだ。
流れる波に青い空白い雲、遠くに見える民家。全てが素晴らしい。こんなことを思えるのも隣にいるサキが非現実な名前を連呼しているからというのがまた虚しいことだが。
「ビッシーったら、なかなか姿を現さないわね。せっかく私が見に来てあげたのに。昼寝でもしてるのかしら。接客マナーがなってないわね」
ビッシーに接客も何もないと思うし、それ以上に彼にとって我々は侵略者のようなものだと思うのだが、どうなのか。
必死に隠れる彼に向けて「アンタも呼びなさいよ」などと言われても困る。寧ろ俺も隠れてしまいたい。ビッシーでも誰でもいいから連れていってくれないだろうか。
船は二回の停泊をしながら、約二時間かけて終着駅である琵琶湖大橋に到着した。ビッシーはというと、とうとう最後まで顔を出すことなく水の底か人々の頭の中に姿を消していたのであった。
ビッシー探しだけを目的に船に乗っていたサキは不満な様子で船着場のベンチに足を組んで座っている。
「乗る船が悪かったと思うの」
また何を言い出すのか。そりゃあ琵琶湖は広く、遊覧船といっても遊覧しきれないほどで先程乗った船も琵琶湖の南端を通過する程度のものだ。かといって全体を見ようとすると五千円を超えてしまう。しがない高校生にはとんでもない痛手になるのである。
しかしそんなことを気にしない以前に他人に出費を押し付けようとする輩は時に信じられないことを言い出すのだ。
「確かさっきの駅からまっすぐ北に出てる船があったわよね。次はあれにしましょ」
「生憎、俺はそんな大金は持ち合わせていないので一人で帰りにでも乗ることだな。もちろん自費で」
奢る気が無いことを主張するとサキは「ちぇっ」と舌打ちをして少し俯き気味に瞑想を始めた。船の上で名を呼び続ければ謎の生物が顔を出すとでも思っていたのだろう。次の手を考えているに違いない。
湖面を揺らし強い風邪が吹いた。それと同時にサキは顔を上げ、目を見開いて立ち上がった。
「そう、祠よ!」
言い出したかと思うとチケット売り場まで走り、一冊のパンフレットを手に帰ってきた。
「湖に隣接する神社と仏閣。絶対に奉られてるわ! 乗り場の人に思いつく限りを挙げてもらったわ。例えばここ、白鬚神社っていうところ。湖が真隣ってことはビッシーに餌をあげてたり監視してたりする可能性は高いわ。駅からそこそこに遠いのもあまり多くの人間に感づかれないようにしてるのね。私ったら何でこのことを忘れてたのかしら。ほら、こっちにはお寺が五つも並んでる。結構な数があるのはそれだけビッシーが神聖化されてるからね」
息継ぐ間もなく囃したてる。さっき思いついたにしては随分な行動力だ。売り場の方々もこのような質問をされるなど想定外だろう。心中お察ししよう。
目的地も決まったところで再度電車に乗り、規則的な揺れと耳障りな走行音と共に俺達は北へと移動してゆく。座席では隣に座ったサキが先刻手に入れたパンフレットを開いて小声で、しかし感情的に考えを口にしている。恐らく俺に聞かせているつもりなのだろう。
「地図に載ってなかったり、こじんまりとした祠もあるはずよ。そうなると聞き込みしかないわね。自営業をしていて年老いた人が狙い目かしら」
公共の乗り物とだけあり、駅に着けば大人も子供も問わずに降りる人間と乗る人間が現れる。乗り込んできた子供たちは怪しげな呪文を繰り返すサキに興味を持った様子でチラチラとこちらを覗き見ている。親御さんは子供たちに見ることは失礼だと諭しながら我々が見えぬようにと少し遠くへ連れて行った。至極まともな判断だ。