その1 暴走の始まり
初めまして皆さん。
いきなりですが、俺には幼なじみがいます。名はサキといい、結構かなり頻繁に俺の元に迷惑な提案を抱えてやってくるのです。
冒頭から唐突に何を言っているのかとお思いのかたもいらっしゃるでしょう。
いるのです。そういう人間が。
今、目の前に。
「今週末に琵琶湖にいくわよ!」
玄関を出て扉を開けた目の前に仁王立ちする若い女の子。たとえばそれがおしとやかな女性であったならば俺はこんなにもローテンションになりはしなかっただろう。万が一にデートの誘いであったならば、もっと雰囲気を大事にしてもらいたい。
奴は新聞を片手にご自慢のトークを始めた。
珍しく二人で登校する様を見ている近所のおばさまがたに激しく誤解されている気がしなくもない。声高々に申したい。違うんです、と。
「というわけで、琵琶湖にはビッシーがいるのよ!」
トークは高校についてからも続いていた。鞄を自分のクラスに置きにいく時間も勿体ないのか、靴箱以外では五メートルと離れずに新聞に載っていた衝撃写真の信憑性について説いていく。ブラックバスを主食にしているやら、周囲の祠はビッシーを奉るために造ったものだやら。新聞を読んで二時間と経っていないだろうのに、これほどまでに情報を集めるのは称賛しないことはない。
ただそのソースが自分の想像であるという理由から、褒めたたえるどころか関心する気さえ起こせなくなっているわけだが。
さて、ここは高校である。
そして、俺の机の周りである。
勿論クラスメイトや友人が近くにいるわけだが、彼らが何をしているかと言うと俺とサキの会話に遠巻きに茶々を入れているわけだ。
「朝からデートの打ち合わせとは、お熱いね~」
「見せ付けんなよ~」
同じようなことをつい最近も見た覚えがある。
あれは忘れもしない……いや、忘れもしたい半月前。夏休み明けのうららかな朝に突然やってきた悪魔の囁き奴の思想、そして消えゆく俺の金。悪徳宗教を探す箱根ぶらり一泊二日の旅。まだ半月。たった半月で俺の平和は遠く彼方へ吹き飛んでしまったようだ。
カムバック、青き春。
だが今回はまだ幸運だ。滋賀県内であれば高額の貯金が消え去る心配もない。これに関しては奴の家に放り込まれた地域密着情報新聞に例を言おう。いやいや、そもそも付き合う義理がないのだから減る減らないの問題ではない。ここは強く断りに出なくてはならないところだ。
「そうそう、アンタが出てくる前におばさんと会ったから話したら、人手が必要だろうから連れていきなさいって言ってくれたわ」
なんということだ。断る前に先手を打たれてしまった。しかし母は母、俺は俺。まだ打ち消すには問題がないレベルだ。ビッシーだかドッシーだかで貴重な休みを消されてはたまったものではない。
「それはあくまでお袋との話だろう。俺は承諾した覚えが無い。よって契約は成立しない」
顔の前で手をクロスして小さく〝野球のセーフ〟のようなゼスチャーをしながら懇親一杯否定する。
だがしかし、奴はそんな主張ものともせずに人を小馬鹿にするように見下し、鼻で笑いながら説得にかかったのであった。
「そんなこと言うとネットのそこかしこにアンタの小学校の作文と卒業文集の内容全部晒しあげるわよ?」
これを説得と言うにはあまりにも不適切であるということは皆様にもおわかりであろう。残念なことに奴にとってはこれが説得であり、脅迫や威迫などといったつもりは微塵に、いや、あったとしてもそうではないと言い張るのである。
「お前は俺がそんな脅しに屈するとでも思ってるのか。そんなものを怖がる年齢ではない」
「じゃあおばさまに、お宅の息子さんに胸触られましたって言うわ。アンタと私、どっちを信じるかしらねぇ」
勿論俺だ。と言えない悲しさよ。幼なじみゆえお袋にとってサキは娘のようなもの。その上大層にサキを気に入り、入れ込んでいる。たとえ俺が正論を言おうともサキが正しいと言えばそれが正しくなってしまう。さらに俺が男ということが最大のネックとなり、男の言うことは信じられないと実の息子に対して否定ばかりとなっている。生物学的にも社会的にも女のほうが嘘をつきやすいということが認められていても尚、我が子である息子より隣の他人である娘の意見を尊重する様子は寂しさと、お袋の過去に対する疑問が湧いてくる。
我が家は特に母子家庭ということもないのだが、見てのとおり女天下の世の中になっており親父には助けて欲しくても助けてもらえないのが現状だ。過去に一度サキ絡みの問題で助けを求めたこともあったが、鶴の一声ならぬ妻の一声により一切動くことができなくなっていた。
おかげで孤軍奮闘の日々となっているが、ごくたまに親父から俺に向けてポケットマネーで慰労金が支払わられている。それには大いに感謝しているし、助かってもいる。だがサキによる侵食は俺の貯金を荒らし回り、慰労金を足した上でも常にマイナスを叩き出している。しかし「足りません」などと、少ないお小遣いの中から捻出してくれる人間にどうして言えよう。
話を戻そう。もしサキがお袋に向けて交渉を始めると、大変やばいことになる。何がやばいかというと、まず親の権限によりサキの手伝いをさせられる。そしてさらに吹き込まれた嘘によりお袋から罰として昼食抜きが実施される。こちとら育ち盛りな高校生、昼食無しに一日を過ごすのは無謀にも程があり結論的に自費で飯を買うことになる。一週間一日五百円だとしても二千五百円の出費だ。ただでさえ手伝い時の交通費などで支出があるのだからダブルレッド。つまり赤字の二乗だ。つい半月前にしたことを繰り返してたまるものか。俺は涙を飲んで返事をするしかなかった。
「わかった。手伝おう」
この言葉を口にした時のサキの勝ち誇った表情を、俺は忘れることはないだろう。