徒桜、狐面をうづむ(後編)
ヒュウとサザンが攫われてしまい、柳の世界へ乗り込んだサージ達。楓は柳と会話を試みようとするが…?
「兄さん!ご無事ですか!?」
今にも崩壊しそうな建物の中に兄さんは居た。
縛られているヒュウの隣で倒れ込んでいる。
2人の安否を確認したいが、目の前に柳が立ちはばかっていて、建物に近づけない。
「ケイムさん…どうしましょう。」
「どうするも、あの馬鹿を助ける為には此奴を倒すしか道はないんじゃないか?」
ケイムさんは銃を構えて既に戦闘態勢に入っている。
「待ってくれ。どうか柳を攻撃しないで欲しい。」
しかし、楓さんがケイムさんと柳の間に割り込み、腕を広げて盾になろうとしている。
「…当たるぞ?」
「…俺は撃っても構わないが、柳は撃つな。」
この状況でこの人は柳のことを庇っているのだ。
柳はそんな楓さんが気に食わないらしく、背中めがけて容赦なく炎で攻撃し始めた。
「お前、ノコノコと俺にやられる為に此処へ来たのか?」
「違う!俺はお前と話し合いたくて此処に来たんだ!俺はお前の事を攻撃しない!だから、話を聞いてくれ!」
楓さんが宙を切り裂くように手を振るうと、柳と同様に炎が発生した。
楓さんの炎は力強い赤色の炎だ。勢い良く燃え盛り、柳の青色の炎をそのまま打ち消した。
激しく衝突によって熱風と火花が飛び散る。
2つの勢力は優勢を付けずに対峙している。
「話だと?俺はお前と話す事なんて何一つないんだよ!」
「俺はずっとお前に謝りたかったんだよ…!あの日は感情的になり過ぎてしまったんだ!口に出たのは皆根も葉もないことなんだ!だから…」
「黙れ!お前は俺に許されて楽になりたいだけなんだろ!?許されると思ってるなよ!?」
「許されたいなんて思ってない……一生憎んでくれて構わない。でもこれだけは知っくれ。俺はお前の事を憎んでないんだ!銀杏だってそうだ!彼奴ならお前の事を笑って許して…」
「巫山戯た事吐かしてんなよ!彼奴の名前を出して!お前は何も知らない癖に!よくも軽々しく言えるなぁ!」
柳の怒気に帯びた声が響き渡る。その気迫に体の芯がビリビリと震える。
楓さんの言葉は何を言っても届きそうにない。
それでも、話し合いでどうにかするつもりなのだろうか…
深夜が刻一刻と迫るにつれて焦りが募る。
兄さんの呪いは日付が変わるまで。
それもあと数時間しか無いのに…これでは埒が明かない…
自然と自分の手が剣へと伸びる。
ドクドクと心拍が増える。
僕は柳の事を憎んでいるのだろうか?
何だろう、この感情。
兄さんの命がかかっているせいか、心に真水を注したように感情が冷たくなっていく。
【ははっ】
「………ージ。サージ。」
ハクリンさんに肩を叩かれて現実に引き戻される。
「あれ…?どうかしましたか?」
「それは此方の台詞ですよ。心ここにあらず、といったように見受けられたので呼びかけていたんですよ?」
「そうでしたか…済みません、気づきませんでした。」
「サザンが心配なのは分かりますがしっかりして下さい。」
「はい…」
可笑しい。僕は何を呆けて居たんだろう…
何だか意識を手放したみたいだ。
この感覚、そういえば前も何処かで…
「楓。俺の力がどうすれば1番効力を発揮できるか知っているか?」
「…!!」
空気が変わった。何だ…この…禍々しい気配は…
近づきたくない…近づくだけで気が滅入りそうだ。
陰気で満ちた重々しい空気。距離があるのに、空気に押しつぶされてしまいそうだ。
……嫌な予感がする。
狂ったように笑う柳の異様な態度がそれを確信へと変えていく。
柳の手には短刀が握られている。
「俺の力は負の感情で成り上がっている。他人の恨みや怒りが俺に向くことで力が強まる。」
柳は短刀を空に翳す。
この世界を唯一照らす赤い月を映し出し、その光が柳の狐面を妖しく包む。
彼は今どんな表情をしているのだろうか……
「柳…まさか……」
「だが、1番手っ取り早い方法は、自分を呪うことだよ。」
楓さんが何か気づいたらしく、柳に駆け寄りその短刀を奪おうとした。
しかし、楓さんの手は宙を掴む。
「駄目だ!柳っ!」
楓さんの叫びは虚しく、掴めなかった短刀は
柳の腹を切り裂いた。
「「「!!!」」」
大きな切り口から噴き出したのは血ではなく、ドロドロとした黒い液体。
兄さんを掴んだ時に手から出したものと同じだ。
柳はどうしてこんな行為を…!?
衝撃のあまり僕らはその場で固まってしまった。
「がっ…!ああぁ…!」
楓さんは間近に居たから柳の呪いを浴びてしまったようだ。
液体を浴びた箇所から蒸気が立ち上り、肉を溶かす音が響く。そして、火傷をしたかのように赤く炎症しているのだ。
「自分の生命を脅かす時、俺の力は最大限に発揮されるんだ。」
柳の腹部から呪いが止めどなく溢れていく。
地面に滴り落ちて、柳の足元が呪いで浸かったと思ったら、その嵩がどんどん増していき…
「何だ…あれ……。」
やがては柳の全身を呑み込んだ。
目の前には呪いで出来た巨大な7尾の黒い狐が居る。
柳の原形を留めて居らず、ドロドロと形が定まらない気味の悪い狐。
顔はぐにゃりと歪んでいて、ずっと笑みを浮かべている。
裂けた口から液体を溢しながらケタケタと嗤っている。
「アハハハ!楓!どウだ?俺の力は凄いダろう?お前ニハ無いモのだ!」
「柳…嘘だ…こんなの嘘だ!柳っ!」
「アノ付喪神の予言ノ通りだナ!俺は災いソのモノダったノさ!それヲお前は変えらレるナド!」
「まだ間に合う…!呪いなんて…そんな悲しい力に負けないでくれ……」
「この力はオマエを殺す為ニ付けてキタものだ!しかと味わエ!楓エエェ!」
咆哮と共に柳が楓に襲いかかる。楓は避けるので精一杯だ。
柳に触れたら僕らは呪いで死ぬ…
一体どうすればいい……!?
辺りに銃声が響く。それも連続で。
ケイムさんが容赦なく引き金を引いたのだ。
「…怯むな。触れなければいい話だろう。」
しかし、柳の胸を撃ち抜いたはずの弾は蒸気を上げながら腐敗して地面に落ちてしまった。
何ということだ…
粘性の呪いは銃弾の衝撃を殺してしまうのだ。
これでは飛び道具も意味をなさない…
「ハハハ!痛クも痒くモ無い!そんナもノ俺には通用しナイ!」
柳の身体から黒い煙が出てきて周囲を包み込んでいく。
本能的に吸ってはいけないと思い、手で口を覆ったが、完全には塞ぎ切れない。
吸ってしまったせいか頭がクラクラする。
「瘴気だ!皆!吸わないでくれ!」
楓さんは叫んだ。
瘴気って何だろう…?分からないけど毒みたいなものなのだろうか。
「うわっ!?」
ケイムさんに無言のまま腕を引かれた。
柳との距離が開いていく。
「あ…息が出来る…」
「…あの空気から逃げるように立ち回れ。吸ったら身体に支障をきたす。」
ケイムさんはマスクをしているお陰か、僕よりもダメージが少なそうだ。
此処はまだ黒い空気が到達していないが時間の問題だ。やがてこの世界を黒い空気が覆い、逃げ場が無くなってしまうかもしれない。
「ケイムさん…どうやって柳を倒せば良いのでしょう…」
「…分からない。何発撃とうとダメージにならなそうだ。」
「そんな…!」
「彼奴は、如何すべきか分かってるんじゃないか?」
ケイムさんは楓さんを顎でしゃくる。
楓さんは先程から足取りがフラフラしている。
今にも腰が抜けそうだ。
「どうシタ楓ェ!青白イ顔をして!死ぬノガ怖いノカァ?ハハハっ!」
「柳っ…頼む……元に戻ってくれ。頼む…俺を殺したらお前は…ずっと後悔する事になる……それに、俺が死ねば…お前の呪縛になってしまうんだよ…!」
「命乞いナらもっと上手くシロよ楓!俺ヲ狂わセタのはお前だ!だのに呪縛だト?ハハハ!とうの昔にされテんだよ!」
「危ない!」
立ち止まってしまった楓さんに柳の手が触れそうになった瞬間、ハクリンさんがその腕を断ち切った。
切れた腕はボタリと地面に落ちたが、数秒も経たないうちに、また生えてきた。
寧ろ負傷してしまったのはハクリンさんだ。
切った瞬間呪いが飛び散り、ハクリンさんの身体に当たってしまった。
「…!ハクリン…」
「楓さん。しっかりして下さい。この状況をどうにか出来るのは貴方しか居ません。」
ハクリンさんは顔を歪めながら楓さんの背中を叩いた。
「話し合いで解決出来ない場合は武力行使の他無いんです。どうか戦って下さい。」
「それは……」
「貴方はまず自分に打ち勝って下さい。今の柳は正気じゃない。どんなに声をかけようと届くはずないでしょう。」
ハクリンさんは溶けて形状が変わってしまった剣を構えている。柳から1歩も引かないのだ。
「このままでは全滅しますよ。貴方だけでなく、私達も。それにヒュウさんも。」
「邪魔をスルな!ガキイイイ!」
「はあぁっ!」
ハクリンさんは怯まずに繰り出される柳の身体を斬りながら攻撃を凌いで楓さんを守っている。
「楓さん!私は此処で立ち止まれない!私が負ければ妹を守れなくなる!貴方だってそうでしょう!?貴方が負けたら残されたヒュウさんは誰が守るんですか!?貴方以外守れないんですよ!?」
「…!」
「貴方にしか出来ない事、それは柳にこれ以上罪を重ねさせないことです!貴方が戦うのは柳の為でもあるんですよ!」
ハクリンさんの凛とした声が楓さんを奮い立たせる。
柳が腕を振り上げたところを目掛けて楓さんが炎で攻撃を妨害した。
「やっトやる気ニなったかァ腰抜けェ!」
「…狐の掟があるんだ。呪いに呑まれた者は殺さなければならない。呪いに化かされるのは心の弱い者だから。1度呪いから解放されようと、また何れ呑み込まれる。だから手を打たなければならない。呪いを打ち消すにはそれよりも大きな力が必要だと。だから、村の狐総員で呪いと戦わなければならない。」
楓さんは俯きながら淡々と言った。
「…俺は、狐としてその掟を守るべきなんだろうか。」
「お前ニ俺が殺せル訳がナイ!そうダロウ!?馬鹿でお人好シノ甘っタレなんだかラナ!」
楓さんは柳の攻撃を自分の力で弾いている。
「……違う。そんな掟可笑しいんだよ。どうして手を差し伸べないんだ。俺はひとりを皆で支えるのが、正しい狐の在り方だと思うよ。」
楓さんの顔が此方からも見えた。覚悟を決めた強い眼差しだ。生み出した炎はごうごうと燃えている。
「柳。俺はお前を守る為に戦う。俺の力で呪いを打ち消して、お前を解放する。」
「ハハハハ!笑わせてクレル!ヤレルものナらやってミロよ!」
楓さんは初めて自分の意志で攻撃をし始めた。
繰り出される術は柳に当たるものの、少しもダメージになってる様には思えない。
僕は激しい攻防戦に巻き込まれないように遠くから見守ることしか出来ないのだろうか…
【面白い事になっているな。】
「え?」
この声は……前に人魚の国で聞いた…
【何を驚いている、サージ。】
「…!ジェラさん…!?」
「……?」
思わず声に出してしまい、傍に居たケイムさんが視線を向けてきた。
「済みません、何でもありません。」
慌てて誤魔化したが、ケイムさんは訳が分からないといった顔だ…
【俺の声はお前以外には聞こえないんだ。だから気をつけろよ。1人で喋る変人に思われるぞ。】
そうだ。僕以外には聞こえないんだ。
そして会話は声に出さずとも成立してしまう。
人魚の国から戻ってから、ジェラさんの声が聞こえなくなったのに、何でまた聞こえるようになったんだろう…?
【俺は剣に宿っているから、お前が剣を所持してる限り常に居る。だが上手く波長が合わなければお前と意思疎通出来ないんだ。】
波長……。前も言ってましたがどういう事でしょう…
【価値観や感性の問題だ。今のお前の感情は俺とよく似ている。だから、こうして声が届くようになった。】
僕とジェラさんが似ている……?
【あぁ。お前は素質がある。もっと俺に近づけば声も常に届くようになるだろう。】
ジェラさんとこうして話せる機会が増えるという事は心強い気がする。
ベルデ=ガルシアと対峙出来たのはジェラさんが居てくれたらお陰なのだ。
だからジェラさんと話せるのはいい事かもしれない。しかしどうすればジェラさんに近づけるというのだろう…?
【サージ。彼奴は呪いに呑まれているらしいな。】
そうですね。柳は呪いの力で楓さんを殺そうとしているんです…!このままでは全員柳に呪い殺されてしまいますよ…何か対策はないでしょうか?
そう聞くとジェラさんは小さく笑った。
【惜しいな。】
え?
【あの狐、やり方は間違っていない。】
どういう事でしょう……
【…サージ。彼奴の力は強いだろう?並大抵の力では敵わない。そうだろう?】
ジェラさんは一体何を言おうとしているのだろう…確かにその通りだが…
【憎しみや悲しみに勝る力は無いと俺は思う。】
ジェラさんは当然のように答えた。
【全ての糸を引くのは負の感情だ。憎しみは火種を広め業火へと変わる。この世から争いが消えないのは幸福よりも大きな不幸が絶えないからだ。】
幸福よりも不幸の方が大きい…?
【そうだ。正の感情よりも負の感情の方が優っている事は条理が物語っている。】
……そうなのだろうか?
僕はそうは思えない。幸福の力のほうがずっと大きいのではないだろうか…
【ははっ。そう思うか?良いか、サージ。負の感情は凄まじい破壊力を持つ。幸せを壊すなんて容易いことだ。お前、身を持って経験したんじゃなかったのか?】
ジェラさんに指摘されて胸が軋む。
…ベルデ=ガルシアによって幸せが壊された。
理由は分からない。でも、それも負の感情が糸を引いていたからだと言うのだろうか…
【自分を強くするには負の感情に身を委ねるのも悪くない。破滅しない様、制御出来るかによるが。】
制御……
ジェラさんの言っていることは理解出来ない…
理解してはいけない気がする…冷や汗が頬を伝う。
【…さて、サージ。何が惜しいか教えてやるよ。】
手が自然とジェラさんの剣へと伸びる。
人魚の国でベルデの攻撃を回避した時と同じだ…
どういう訳か、身体が勝手に動く。
【彼奴は呪いへとなったが、それ以上にはなれないんだ。それはどうしてだと思う?】
謎謎…?
そんなもの僕には分からない。それ以上って…?
今よりももっと柳は力を引き出す方法があると言うのだろうか…?
【それはな、生に縛られているからさ。】
…生に縛られている?
【肉体に魂を縛られている限り、身体は老いて力は衰える一方なんだ。呪いの最終形態とは一体何なんだろうな?】
ジェラさんは可笑しそうに喉で笑った。
この違和感は何だろう……
呪い…
「あっ……」
"血筋に呪われてる"
Qさんに言われた言葉が頭を過ぎった。
また呪いだ。
柳といい、Qさんの言葉といい、呪いって一体何なんだろう…
【サージ。今から俺と彼奴の力比べをするから、よく見てろよ。】
ジェラさんの声と同時に身体が動き、大きく足を踏み込んでいた。
そして、右手を振るい……
「…えっ!?」
剣が弧を描き、柳の身体を断ち切った。
「ぎっ……!?アァ……!?」
楓さんの攻撃をものともしなかった柳がうめき声をあげた。
切った箇所から呪いが溢れ出て、瘴気が更に広がっていく。
剣はブーメランの様に僕の手元へと戻ってきて、気づいた時には掴んでいたのだ。
「オマえ……何を……しタ……!?」
柳の標的は楓さんから僕へと移り変わった。
「呪いは、それ以上の力で押さえつければ消滅するらしいな。」
僕の口から自分のものではない言葉が出た。
…ジェラさんが喋らせている…!?
違う…僕に喋らせていると言うよりも、これはジェラさんの意思なのだ。
ジェラさんが、僕の身体を使っている………?
「ガキが…俺ヨリ…強いワケが無いだろオオォ!!!」
「制御出来ず暴走しているお前と、完全になった俺、どちらが強いだろうな?」
ジェラさんは距離を保ちながら剣を投げて柳を切り裂いていく。
剣は柳の身体から突き抜けても、傷1つない…
ハクリンさんの剣は溶けて変形してしまったのに、どうしてジェラさんの剣は溶けないんだろう。
そして、生きてるように手元へと戻ってくる事が不思議で仕方がない…
「ギっ……アアアァ!!!クソッ!!!ガキの分際でエエェェ!!!!」
切る度に柳から溢れる呪いの量が増えていく。
呪いが増えると言うことは、柳を強めているのではないだろうか…
「ガキはお前だ、若造。お前は俺にはなれない。此処で終わりだ。」
ジェラさんは剣で攻撃するのをやめない。
柳のうめき声が境内に木霊する。
耳を塞ぎたくなる。呪いが溢れる度に苦しそうに呻いている。
しかし耳を塞ぐ事は出来ない。
今、僕の意思で身体を動かせないのだ。
言葉も出ない。
使われているというよりもこれは……
身体を乗っ取られている。
どうすればいいだろう。これはあまりにも酷い。
このままでは柳が死んでしまうかもしれない…
何もそこまでする必要は無い。ジェラさん、もうやめて下さい。
もうやめて下さい。
「あっはは……くくっ……これだ。これだ。」
僕の身体は今どんな顔をしている?
ジェラさんはどうして笑っている?
「…やめろ。」
身体が後ろに引かれた。
…ケイムさんだ。顔色が良くない。柳でなく、僕に対して怖い顔をしている。
掴まれた腕に力が込められていて骨が軋む。
痛い。痛覚は伝わってくる。
しかしジェラさんはなにも言わない。
「…誰だ、お前は。」
「ふっ……気づいたか。」
「サージはこんな事をする奴じゃない。」
ケイムさんは僕がジェラさんとすり替わっている事に気づいたんだ…
ジェラさんとすり替わったまま誰にも気づかれないままになってしまうのではないかと、妙な感覚に陥っていたから胸が熱くなる。
「お前、悪くないな。」
「は?」
「…教えてやるよ、俺はジェラ=ウォーシャンだ。名前くらい聞いたことがあるだろう?」
「…!?ジェラ=ウォーシャン…!?」
ケイムさんは目を見開き、その場で固まってしまった。
「その反応をするんだ。俺を知っているな。…期待を込めて、もう1つ教えてやる。俺はサージを気に入っている。…この意味、分かるかな?」
ジェラさんはケイムさんの肩を叩いた。
僕を気に入っている?僕はジェラさんに気に入られてたんだ。
これは嬉しいことなのだろうか…?
「…此奴に何をした。何故お前が、此奴に…」
「そう慌てなさんな。生憎、今の俺では動ける時間が限られててなぁ。」
詰め寄るケイムさんをジェラさんはヒラリと躱した。
「もうそろそろ時間だな。…また直ぐにでも会えるさ。今は俺よりも彼奴を構いな。」
「アアアァッッ!!!ぐぅ……ああぁっ……!!!」
ジェラさんの目線の先には、大きな狐の姿を保てなくなった柳が居た。
____________
「柳っ!柳っ…!」
何処かで楓の声がする。
憎たらしい声。俺の大嫌いな声。
昔はこの声が好きだったなんて、我ながら最大限の皮肉だと思う。
俺は憎いよ、本当にお前のことが。
だけどこの感情は皆ただの僻み。ずっとそうだよ、俺は…ずっと。
俺は、ただお前が羨ましかったんだ。
望まれて生まれてきたお前が。
お前は、生まれながら愛されてるんだ。
それに比べて俺はどうだ?
誰に愛されて居たんだろう。
どうして生まれた瞬間にこんなにも差が出来てしまうのだろう。
我ながら碌でもない人生だ。
俺は、お前になりたかったんだろうな。
お前は…俺の欲しいものを全て持っていた。
お前が居なくなれば俺は、初めて欲しかったものを得られると思っていた。
どうしてお前は何でも持っているんだ?
苦労も知らないお前が。
お前は嫌悪されたことがあるか?
石を投げられたことがあるか?
親を追い詰めたことがあるか?
…どれもないだろう?
なのに、苦労した奴程報われなくて、脳天気なお前ばっか幸せになって…そんなのズルいじゃないか。
どうしてだよ………
俺だって、お前みたいに………………
…なぁ、楓。
憎いお前だけど、教えて欲しいんだ。
俺は一体何処で間違えたんだ?
俺は何処からやり直せばいいんだろう?
1からやり直せたら、誰かに振り向いて貰えたと思うか?
俺だって…お前みたいに、誰かに必要とされたかった。
笑いかけられたかった。
相手を笑顔にしたかった。
抱き締められたかった。
愛されたかった。
俺はずっと寂しいんだよ。
なのにどうだよ。
俺がしたこと。
俺が近づくと相手の笑顔は消えて。
好きな女の事は泣かせて。
穏便なお前の事を怒らせて。
罪もない家族を引き剥がして。
俺は結局、不幸にしか出来なかった。
嗚呼、だから呪われた狐なんだ。
災いを齎すとはこの事だ。
本当に…もう………
生まれながらのレッテルが今の今まで付き纏いやがって。
散々だよ。
身体から力が抜けていく。
俺の呪いが底をつく。
あのガキの剣が、俺の傷を増やしたせいだ。
覆い被さる呪いさえ切り裂いて、本体である生身の俺を確実に狙いやがった。
何者なんだ、あのガキは。
いつの間にか、手には生温かい感触が伝った。
……血だ。
呪いが出尽くしてしまった。
代わりに溢れていくのは赤い液体。
こんなに深く傷つけちゃ止められやしない。
目眩がして膝から崩れ落ちる。
使い物にならないな、この身体。
「…ごふっ……ぅ……」
狐面の隙間から血が滴り落ちる。
腸も傷ついちまったんだ。もう俺は助からないな。
決死の覚悟でこのザマだ。せめて楓も道連れにしてやろうと思ったが、叶わなかったな。
呪いが抜けたせいか、今なら素直になれる気がする。
まぁ、でも絶対口にしてやりはしないけど、
本音としては、お前と仲直りしたかったよ。
本当はお前に謝りたかったよ。
また親友に戻れたらって何度も願ったさ。
憎しみよりも、その感情が勝ってたなんて言えない。
言ってやらない。
本当は、お前と笑っていたかったなんて、言ってやらない。
言わねぇよ。絶対。
親友の証だなんて、お揃いで買った狐面。
ずっと手放せなかった。
子供じみた約束に縋りついてたなんて、馬鹿みたいだろ?
未練がましいだろ?
笑い飛ばせよ。
もう、全部手遅れだ。
大人になった俺らは、子供みたいに何も知らないままではいられなくなってしまったんだ。
その結果がこれだ。
それぞれの道を歩いたけど、あまりにも違い過ぎたな、楓。
俺らは相容れない存在だったのかな。
視界が反転して空を仰ぐ。
空に登るは白い月。
俺の力は解けてしまったのか。
俺が作った世界。結局太陽が登ることは無かった。
そして今もそうだ。世界から解き放たれても夜は明けない。俺は日の下では生きられないということだろう。
「柳!しっかりしろ!柳っ!」
駆けつけた楓に抱き起こされた。
狐面を外され顔を覗き込まれる。
「…馬鹿な奴め。この距離では心臓も容易く射抜けると言うのに。」
そんな力はもう残っていないが、虚勢を張る。
「馬鹿はお前だ!もう喋るなっ!口からも血が止まらないじゃないかっ……それ以上溢れたら……」
楓の大粒の涙が顔に落ちてくる。
「どうして泣いているんだ。息子に危険が及ぶことはもう無い。恨まれる事はもうない。なのに…ごふっ…」
「お前が死んだら意味がないんだよっ!死ぬな、柳ぃ!死なないでくれよおぉっ!」
楓は大人とは思えない程情けなくわんわん泣いている。
……此奴…身体だけが大人になって、中身はずっとガキのままなのかもな。
…変わってしまったのは俺だけか。
俺が勝手に僻んで、先に楓を裏切ってしまったのかもな。
「…情けない面しやがって。…あぁ、負けた。俺の負だよ。」
楓を嘲るよう、いつもみたいに笑ってやる。
ケラケラと、如何にもって感じの笑い方。
我ながら逆撫でされるような心地になる。
最後に本心で笑ったのはいつだったかな。
「…あぁ、桜……」
視界には楓と桜が映っている。
満開の桜。昼の桜も好きだが、夜の桜もいい。
「………綺麗だな。お前とも、見に行ったっけ。」
風が吹くたびにヒラヒラと舞い降りてくる。
儚くて、直ぐに散る。俺と似ている気がする。
「……来年も、桜……見たかったな。」
「見に行くぞ!俺はお前と桜を見るんだ!絶対っ……見る………約束してくれよ、柳………一緒に、見に行くって……」
「…1人寂しく見てればいいさ。」
忙しなく近づいてくる下駄の音が聞こえた。
「……!」
勢い良く抱きついてきた、これは…
「…忌……」
引き剥がそうとしても、強く抱きついて離れようとしない。ポロポロと涙を流しているのだ。
此奴は、俺の死を嘆いているのか?
俺が死んで悲しむと言うのか…?
「此奴……。はぁ……泣くなよ。なぁ。」
僅かにしか動かせない手で、頭を撫でてやる。
身体に不自由がある此奴を残すのは少し気がかりだな。
今なら両親の気持ちが分かる気がする。
親は、子を何よりも思ってしまうんだな……
俺はいつの間にか此奴に情を持ってしまっていたらしい。
そうなる事を避けていたのに…我ながら阿呆者だな。
「楓、此奴が俺みたいにならない様に導いてやってくれ。」
「それは俺じゃないっ…お前がやるんだよ…!お前が、これからも見守ってやるんだろう!?」
「叶わないことを言うなよ、鬼畜か。」
喉で笑うと、楓は更に顔を歪めて泣いた。
「忌なんて呼んでいたが、もっと別の………名前付けてやってくれよ………」
「分かったよっ…この子に相応しい名前を付けて、俺が守っていくからさ……!!」
「お前が育てたら……馬鹿な大人になりそうだ……」
手の中で愛情をかけてしまった此奴は、泣きじゃくっている。
……死ぬ時は、1人寂しく死ぬと思ってたのに、涙を流してくれる奴らに囲まれている。
可笑しな光景だ。本当……
最低な人生だけど、今だけは…幸せなのかもな。
「ふ……。楓、俺はお前に負けたが、ただでは死んでやるまい。馬鹿みたいなお人好しにピッタリな呪いをかけてやる。」
不細工な泣き顔の楓が此方を見た。
「…俺の死は、この先お前を苦しめ続けるだろう。お前は俺の死を背負い続けなければならないんだ。ざまあみろ。」
朦朧とする意識の中、楓の記憶に焼き付けてやる為に口を開く。
「精々俺の分まで幸せに生きることだな、親友。」
簡単には死なせてやらない、何よりも残酷な言葉だろう。
俺に呪われたんだ、死ぬまで忘れさせてやらない。
俺の最後の悪足掻き。
お前をどれだけ苦しめられるかな?
____________
柳が倒れたのと同時に、ジェラさんから身体が解放された。もうジェラさんの声が聞こえてこない。
ケイムさんに軽く事情を説明してから柳の元へ近づいた。
しかし、その頃には柳は動かなくなっていた。
柳は死んだのだ。
それでも楓さんも忌も柳を抱き締め続けている。
そんな彼らに桜が降りかかる。
柳の身体に桜が積もっていく。
そんな花弁も風に吹かれたらやがては何処かへと飛んでいく。
1つの命が散った春の夜の出来事。
「行ったら後戻り出来ない。」
未知様が言っていた予言はこの事だったのだろう…
兄さんの呪いは解けて、明日を共に迎えられるのに、何だか胸にぽっかりた穴が空いてしまった感覚だ。
確かに柳は憎かったけど、何も死んで欲しい訳では無かった。
けれども、死なせてしまった。
これで本当に良かったのか。こんな結末しか選べなかったのかと胸がモヤモヤする。
朧げな月明かりが、そんな気持ちを強める。
未知様の予言は何だか僕にも当てはまっている気がする。
ジェラ=ウォーシャン。
信頼出来る人だと思ったが、どうも怖かったのだ…
この事は兄さんが目覚めてから相談したい…
こうして、三角貿易の一角である柳の物語は幕を閉じたのだった……
読んで頂き有難う御座いました。柳は、ただ憎らしいだけの悪役ではありませんでしたね。いくウォシャの悪役は一概にも悪と言い切れないキャラが多いかもしれません。楓と忌にとって、柳の存在は生涯忘れられないでしょう。柳の死が今後物語にどう影響していくのか。次回に続きます。




