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彼女と未来の「僕」  作者: 鳴巻 進
4/4

楽しみです

第四話です。ここまで読んでいただけたらなら、もう感謝しかないですね。楽しんでいただけたら、幸いです。

四・楽しみです



「で、お前どうすんの?」

「は?」

 ここは昼休みの教室だ。陽が当たる窓際の席に、僕と有田が向かいあって座っている。

 僕は昼休みになると、いつも通り図書室へ向かおうとしたのだが、有田が急に僕を呼び止めて、「なあ、お前、美琴ちゃんと何かいいことしただろ?」などと、大声で聞いてくるものだから、仕方なく、というか周りの誤解を避けるために、有田を黙らせることにした。

 僕が「いいことって何だよ」と聞けば、有田は「デートの約束とか?」と返す。

 なんだよ、紛らわしいな、もう! 

 こんな答えだったら、いつも通り適当に流して、図書室に行けばよかった。

 だが、一度始めてしまった会話をこんなところで切るのは不自然なので、とりあえず返事をしておく。

「まあ、したけど」

「まじか、冷やかしのつもりだったのに」

 やっぱり取り合うんじゃなかった。

 そして僕が軽く悔いていると、さっきの「で、お前どうすんの?」が飛んできたのだ。

「そりゃあ、お前、ただデートするだけじゃないだろ?」

 言っている意味が分からない。デートの時にデート以外の何をするというのだろう。

「それ、美琴ちゃんと初デートだろ? しかもお前、まだ自分の気持ちを伝えられていないんだろ? 絶好のチャンスじゃないか、やっちゃえよ、愛の告白」

 有田は「告白」のところを一文字ずつ区切って言い、最後にウィンクをした。正直に言って、気持ちが悪いと思う。

「いや、やらないけど?」

「じゃあ、いつやるの?」

「とりあえず今じゃない」

 有田は、なんだよ、つまんねーなー、と言って大袈裟にのけぞった。そもそも愛の告白って何?

「お前なー、そういうのはしっかりケジメをつけておいた方がいいぞ? 美琴ちゃんがいつまでも待ってくれているとは限らないんだぜ?」

 ……やかましいわ。

 僕は決まりが悪くなったので、反撃に出た。

「というか、お前なんで、そんなに僕と美琴のことに詳しいんだよ?」

「ああ、一週間くらい前に、お前の母親に会ってな。犬を連れていたから、こんにちは、可愛い犬ですね、って声をかけたらよ、なんか仲良くなってよ。もう、べらべらしゃべり始めたぜ、お前のこと。急に婚約者なんか連れてきて、なにを考えているのか、もう訳がわからない、とかなんとか。その時に初めて、お前が婚約していたことを知ったんだよ」

 母さんの馬鹿野郎。

「お前、なんで僕の母さんって分かったんだよ」

「入学式の日にいただろ?」

「……まさか、クラス全員分の親の顔を覚えたのか?」

「おう」

 率直に言って、キモイのだが?

「まあ、お前の自由だけどよ、自分の気持ちにはしっかり向き合えよ。そこをはっきりさせておかないと、お前だけじゃなく、美琴ちゃんも傷つけちまうぞ」

 有田の、その一言は、僕がずっと逃避していることの非難のように感じられる。分かってはいる。けれど、いざ行動に移そうとすると、途端にできなくなってしまうのが人間というものだ。

 そこで僕はふと思い出したことがあった。

「そういえば、お前、なんで僕にいいことがあった、なんて思ったんだよ?」

 有田はニヤっと笑い、こう言った。

「自分じゃ気づいていないかもしれないけどな、お前、今日一日中、ずっと顔が緩んでたぜ? クソみたいにつまらない授業を、ニコニコしながら聞いてんだよ。これは、何かあったに決まっているだろ?」

 そうだったのか。自分じゃ全く気付かなかった。デートが決まっただけで、そんなにも分かりやすく反応してしまうなんて、我ながら単純な奴だ。

「だから、お前だって分かるだろう? いいんだよ、お前の本音をどーんと、美琴ちゃんにぶちまければ」

 そう語る有田に僕は少しイラっとしたので、意地悪をしてみることにした。

「何だよ、お前、さっきから偉そうにして。そこまで言うならお前は、当然彼女いるんだよな?」

「ああ、いるぜ」

 いるのかよ。


 有田に心をえぐられてから、数日後のことだ。

 僕は家に帰ると、二つの違和感を覚えた。

 一つ目に、あの、例の黒塗りの車が僕の家の前にとまっていたのだ。その車は美琴を送迎するためのもので、毎日夕方くらいになると、美琴を迎えにやってくる。僕が学校から帰ると美琴はいつも、既に僕の家にいるので、実際に見たわけではないが、恐らく送る時もこの車を使っているのだろう。毎日、美琴のための送迎の車がつくのだから、美琴はやはり裕福な家庭に育てられたのだ、と分かる。

 しかもその車は、少し前までは美琴が家にいる間ずっと、家の前で待機していたのだ。さすがに目立ちすぎるので、僕が美琴にやめさせるように、言った。

 それが、どうして今日は待機しているのだろうか。今ちょうど美琴を送ったばかり、というのならば分かるが、一向に動きだしそうな気配もない。完全にエンジンを切っているようだ。

 もう一つ。実は、今日の学校の授業は四時限目までだったのだ。いつもは、六時限目まであるから、帰る時刻は三時過ぎになる。しかし、今日は午前中だけの授業だったので、今はまだ十二時過ぎくらいだ。そして僕は、今日の時間割変更を、美琴にも母さんにも伝えていなかった。というのも、今日の五、六時間目がなくなったのは、先生が急に体調を崩したからで、今日決められたことだからだ。つまり、僕の学校の生徒や、関係者出ない限り、今日の時間割変更のことを知り得るはずがないのだ。

 僕は、美琴が普段、何時に僕の家に来ているのかを知らない。もしかしたら、普段から十二時くらいに来ているのかもしれない。けれど現実的には考えにくいし、そもそも美琴が家に来る理由が、「真と一緒にいたいからです!」であるはずなのに、僕がいない時間帯にわざわざ来るとも考えにくい。

 では、何故美琴は僕の先回りができたのか。

 僕はその場で首を捻るが、いつまでも道路の真ん中に突っ立っていては、ただの不審者なので、まあ、いいか、と考えることを放棄した。

 僕が家の中に入り、ただいまー、と声をかけると、おかえりなさい、と美琴が階段を下りてくる。今日も着物を着ているが、心なしか、いつもより派手な気がする。

 こういう風に美琴が僕を迎えると、僕はいつもある錯覚に陥る。それは、今から十年くらい後、僕と美琴が結婚し、僕が夜に会社から帰ってくると美琴が出迎え、その足元には覚束ない足取りで歩く子供がいて、温かい家庭を築く、というものだ。他人に話せば、十中八九、苦笑いされるだろう。確かにこれは、僕の馬鹿げた妄想に過ぎないのかもしれない。けれども、こういうことを考えてしまう、という事実は、僕が美琴のことをどう思っているのかを、だんだんと、僕に意識させるようになってきた。そしてその結果、この妄想があながち現実離れしていないように思えてしまうのだから、人間とは、不思議なものだ。

「ねえ、家の前にあの車がとまってるんだけど、何か知ってる?」

「ええ、知っていますわ」

 そう言って美琴はニコニコしている。いや、教えろよ。

「真」

「うん?」

「今日は真に、あの車に乗って、雪村家へ行き、私の両親に挨拶をしてもらいます」

「……うん?」

 一回目は下げ調子、二回目は上げ調子だ。

「では、行きましょうか」

 美琴は僕のカバンを受け取ると、上の階へ上がり、また一階に下りてきたときには、自分の荷物、小さめの、白のトートバッグをもってきた。

「いやいや、待ってよ。待ちなよ。どういうこと?」

 どうやら美琴は、ちょいちょい物事を強引に進める癖があるようだ。初めて会った時も、学校についてきた時も、今もだ。

「実はですね、私には、かねてからやってみたいことがあったのです。それは、結婚する二人が初めて共に取り組む、あの行事。そう、両親への挨拶です!」

 そんな目を輝かせるような行事じゃないと思う。

「私の方は、既に真のお義母様への挨拶は済ませてしまいましたし、お義父様はしばらく出張にいってらっしゃるのでしょう? ですから、真、先に真が、私の両親に会って下さい」

 二人で取り組む行事のはずなのに、美琴が一人で進めているような気がするのは、僕だけだろうか。

「でも、なんでこんな急に?」

 そもそも僕は美琴の両親に挨拶に行かなくてはいけないものなのか、僕と美琴は本当にそういう仲なのか、という問題はひとまず置いておこう。たとえ、挨拶に行くことになるとしても、これはいささか急すぎやしないか。僕にだって心の準備というものがあるのだが、それについてはどう考えているのか。

「大丈夫ですよ、真なら。きっと上手くいきます」

 気休めにしか聞こえないわ。

 さあ、行きましょう、と美琴が僕の手を引くが、それでも僕は、あまり気乗りしない。

「どうしたのですか、何を躊躇っているのですか?」

 美琴が僕のことを覗き込む。僕は少し目をそらして言う。

「やっぱりさ、今じゃなくてもいいんじゃないか? ほら、それこそ、まだデートもしたことがないんだし。そうだ、デートの後なら父さんも帰ってきているだろうから、ちょうどいいじゃないか。そうしようよ」

 僕は名案だ、と思って口にしたのだが、美琴は少し悲しそうに首を振った。

「それでは、駄目なのです」

「なんでさ?」

 僕がそう聞いても、美琴は顔を伏せるばかり。そして、徐に僕の腕を掴んだ。

「一緒に来てほしいんです」

 美琴の声は、切実だった。

 どうして今すぐでなくてはいけないのか、何故、そこまでこのことに拘りを持っているのかは、分からなかった。ただこの時の僕には、僕が行く、と言わなければ、美琴が悲しむことになる、そして、僕は美琴が悲しむことを望んでいない、ということだけは分かった。完全に納得した訳ではない。だが、美琴を悲しませたくない、これだけの理由でも、僕に「行く」という返事をさせるには、十分だった。

 僕の返事を聞いた美琴はふっと息を吐いて、微笑み、「ありがとう」と言った。

 僕たちが家の外に出ると、待ち構えていたかのように、黒いスーツの男の人が立っていた。恐らく、あの車の運転手だろう。背は僕より高く、すらっと背筋が伸びている。年齢は、三十歳前後といったところだろうか。スーツ越しにも引き締まった筋肉が窺える。髪をワックスで整えて、尚且つ、チャラい雰囲気が全くないところに、僕は「大人の嗜み」を感じた。

「お初にお目にかかります、若様。私、美琴お嬢様のお世話役、水元と申します。以後、お見知りおきを」

「え、あ、どうも」

 初めてこんなにも畏まった敬語を使われ、僕は上手く対応できなかった。慣れていないのだから、仕方がない、と言えばそうなのだが、やはり情けない。

「なあ、美琴」

「はい?」

 不安になった僕は小声で聞く。

「本当に大丈夫かな?」

「本当に大丈夫ですよ」

 一体どこからその自信は湧いてくるのだろうか。

 やはりまだ不安を拭い切れない僕と、何故か自信に満ちていて、しかもやたらと嬉しそうな美琴を乗せて、この大きな車は出発したのだった。




 緑だ。

 美琴の家に着いた時の、最初の感想がそれだ。

 美琴の家そのものも、確かに豪邸で、知らない人が見ればたまげるだろう。だが、正直、美琴がお金持ちの家に育てられたのは知っていたし、むしろ豪邸じゃないほうが、驚いただろう。僕は、家の敷地の大きさではなく、雪村家が所有している土地の、緑の多さに感動していた。まず、家の周りには、建物を中心として芝生が同心円状に広がっている。その芝生もキレイに刈り揃えられており、手入れが行き届いている。その内側の、家に通ずる一本道のみが道路になっており、僕たちはそこを進んで来たのだ。また、芝生の外は竹林が広がっており、外界からこの家のシャットアウトしているようだ。なんだか、僕が知っている世界とは、異質な空間にやってきたようで、何とも言えないような、高揚感を覚える。

「真、行きましょう」

 美琴が僕に声をかける。ああ、だんだんと緊張してきた。相手に失礼のないような態度をとろう、と心がけてはみるが、そもそもどのような態度が相手に対して失礼なのかが分からない。普段なら事前に調べておくのだが、今回は、急だったもんで、その時間はなかった。

 玄関へ着くと、白髪の老人が僕たちを待っていた。この人も黒のスーツ姿で、ああ使用人か、と分かる。普通の職業ならば、とっくに退職しているだろう年齢だと思うが、全く老いを感じさせない佇まいは、流石の一言だ。

「お待ちしておりました。こちらへどうぞ」

 そう言われて通されたのは、一階の、玄関を入ってすぐ右の、和室だった。

 襖を開けると、着物を着た、二人の男女が奥に座っている。

 向かって左側に座っているのは、萌葱色の着物に身を包み、髪をきれいにまとめている女性だ。美琴の母親だろう。「和の美」を感じさせる雰囲気だ。ただ、その大きな目や、透き通るように白い肌は美琴そっくりだが、美琴と違って目が鋭い気がする。背筋をピンと伸ばし、こちらを射すくめるような視線を僕に投げかけている。

 その隣に座っているのは、眼鏡をかけた、申し訳ないけれど、冴えない感じの男性だ。美琴の父親だろう。美琴の母親とは対照的で、一応着物を着て、正装をしているようだが、全く似合っていない。普段は着ていないのだろう。さらには、僕を前にして緊張しているのが、手にとるように分かる。いや、もしかしたら、隣の奥さんの、張り詰めたような空気に緊張しているのかもしれない。僕はつい、心の中で、頑張れ、と応援してしまう。

 この二人を見ていると、なんだか不釣り合いな組み合わせだな、と笑ってしまいそうになるが、そういえば僕と美琴の似たようなものか、と思い出す。

「お母様、お父様、こちらが私の婚約者の、氷室真さんです」

 美琴が初めに僕をそう紹介する。

「は、は、初めまして、私、氷室真と申します、あの、今日はですね、娘さんと、結婚したいと、思ったような、そうでもないような、えーっとですね……えー……」

 マズイ、テンパってしまったぞ。何か、言わないと……。

「お義母さん、お義父さん、娘さんを僕に下さい!」

 なんでやねん。

 どうしたんだ、僕。おい、周りの空気が固まっているじゃないか。ドラマでよく見るセリフを言ってみたって、何も解決しやしないぞ。

 この時は何も知らなかった僕だが、あとで調べてみると、どうやら僕の挨拶は、一般的にはタブーばかりだったようだ、ということが分かった。

 まず、服装が良くなかった。僕の学校には制服がないので、僕は私服で学校へ行く。そしてこの日の挨拶は、学校から帰ってきた直後だったため、恰好もそのままだ。つまり、学校へ来ていった服、白のポロシャツの上に赤のパーカ、それにジーンズという出で立ちだ。普通、婚約者の家に挨拶に行くときは、スーツを着ていくものらしい。そうでなくとも、とにかく「だらしない」という印象を避けなければいけないようだった。多分だが、その日の僕の服装を見て、「なんてきっちりした服装なんだ!」と感心してくれる人は稀だろう。

 次に、手土産を何も持って行かなかったことも良くなかった。普通ならば、お菓子やお酒など、高価すぎず、手抜きすぎず、みたいなものを相手の家族の人数分持っていくものらしい。だが、そんなものは当然持ってきておらず、その時に持ってきていたものと言えば、せいぜい学校で有田からもらった飴玉くらいだ。もっとも、そんなものを差し出せば、むしろ殴られるところだっただろう。

 そして、さっきのセリフも当然アウトだ。と言っても、テンパること自体はそんなに珍しいことでもなく、相手側の両親も分かっているので、そんなに問題ではなかったらしい。マズかったのは、ドラマでよく見かける、あの、「お義母さん、お義父さん、娘さんを僕に下さい!」の方だ。結婚する前にも関わらず、いきなり「お義母さん、お義父さん」と呼ぶことは、相手に不快感を与えることがあるらしい。確かに、見ず知らずの他人に親呼ばわりされるのは、あまり気持ちよくはないかもしれない。まあ、僕は見ず知らずの他人に婚約者呼ばわりされたために、こんなことになっているのだが。

 また、「娘さんを下さい!」の部分も避けたほうがいいらしい。この言い方は、まるで自分の娘をモノ扱いされているようで、不愉快なことがあるとか。

 一体何故こんなにも問題だらけのセリフを、ドラマや映画では多用するのだろう。おかげで、間違えてしまったではないか。

 という風に、盛大にやらかしていた僕だが、これらのことを知らなくても、失敗したな、というのは分かっていたので、僕は、いつ怒鳴られるのかを、じっと待っていた。

 だが、予想に反して、怒鳴り声の代わりに聞こえてきたのは、笑い声だった。

「ぷっ、ははは、まあ、こんな事があるなんて、はは」

 あの美琴の母親が笑っている。その隣では、美琴の父親が目を丸くしていた。

「美琴が……教えたのか……?」

 美琴の父親がつぶやく。何のことだろうか。

 僕は訳が分からずに隣の美琴を見ると、美琴は得意そうに笑った。

「ねえ、大丈夫だったでしょう?」

 大丈夫だった……のか?


「先程は突然笑いだしてしまい、失礼しました。私、美琴の母親の、雪村美弦と申します」

「美琴の父親の、雪村健です」

 僕は使用人に勧められるがままに椅子へ座り、二人が落ち着くのを待っていた。そして数分後、二人は僕にそう挨拶をした。本来であれば、失礼をしたのは、完全に僕の方であり、僕の方こそ謝らなければいけなかったのだが、あまりの急展開に呆気に取られていたため、僕はただ「はあ」と曖昧な返事をすることしかできなかった。

「実はですね」

 美弦さんが話を切り出す。

「私たちが笑ってしまいました理由は、真さんが昔の主人そっくりだったからです」

 な、なんだってー!

 とは別にならない。まあ、確かに僕にも県さんと同じように冴えない部分もあるのかもしれない。けれど、いくらそっくりだからと言って、あんなに爆笑したり、驚いたりするものだろうか。

「そうではなくですね……」

 美弦さんがまた少し笑いだしている。

「私の主人も、昔、私の両親に挨拶をするときに、突然『お義母さん、お義父さん、娘さんを僕に下さい!』なんて言っていたものですから、つい思い出してしまいまして」

 な、なんだってー!

 今度は本気で驚いてしまう。僕以外にそんな失敗をする人がいるなんて、と思ったが、健さんの、僕を最初に見たときの緊張した表情を思い出すと、さもありなむ、と納得できる。

「最初に部屋にいらしたときは、まあ、なんて失礼な男なのだろう、きっと美琴は騙されているに違いないわ、と思ったのですけれど、なんというか、血は争えないものですね」

 恐らく僕の服装や、手土産が何もなかったことを指しているのだろう。そのときの僕は全く気付かなかった、というか、本人を前にして、よく「失礼な男」や「騙されているに違いない」なんてことが言えるなあ、とその度胸に感心していた。

「美琴から事前に聞いていたんじゃないのか」

 健さんがつぶやく。確かに、信じられない気持ちも分かる。だが、自然に考えてほしい。仮に、健さんがかつてこの失敗をしていたことを、僕が知っていたとして、それを本番で実践しようと思うだろうか。どうして、そんなにも、危ない橋を自らわたることがあろうか。

 しかし、今の健さんの発言を考慮すると、不自然に思えるものがある。美琴の態度だ。

 どうやら美琴は、健さんがかつて僕と同じ失敗をしていたことを知っているらしい。ならば、僕があの発言をしたときに、少なからず驚くはずだ。にも関わらず、あのときの美琴はむしろ、分かっていた、と言わんばかりに得意そうだったではないか。何故、僕と健さんの偶然の一致に驚きを示さなかったのだろう。

 それと同時に、僕は挨拶に向かう前の、美琴との会話を思い出していた。心配する僕に、「大丈夫ですよ」と美琴が答えたときだ。やけに自身があるな、とは思ったが、それは僕を励ますために、あえてそういう態度をとっているのかと、考えていた。

 もしかして、知っていたのか? こうなることを。

 もし、そうであるならば、あの態度にも納得がいく。現に、僕は今、美琴の両親と打ち解け、仲良くすることに成功している。これは、「親への挨拶」にも成功していると言っていいだろう。

 どういうことなのか、説明を求めようとして、もう一度隣の美琴を見ると、ますます戸惑った。

 笑っているのに、涙が美琴の頬を伝っていた。

「美琴、どうした?」

 僕が声をかけると、美琴は「え?」と言ってこちらを向き、そのときに初めて、自身の涙に気づいたようだった。

「あれ、どうして……」

 美琴は手で涙を拭うが、どんどんこぼれてくる。美琴自身も、どうしたらいいのか、分からない様子だった。

「すみません、大丈夫なので」

 美琴は心配をかけまい、と強がるが、どうも大丈夫ではないようだ。

 僕はそのとき、何か声をかけようか、と思った。けれど、未だに覚悟を決めきれていなかった僕は、結局、いつも通りの行動をとってしまうことになってしまった。そう、いつも通り、主体性に欠け、その一歩を踏み出すことを恐れたものだ。

「あの、すみません、美琴の体調が良くないようなので、部屋で休ませてあげられませんか?」

 だが、今回ばかりは、それも正解の一つだったようで、部屋に待機していた白髪の使用人に付き添われ、美琴は退出した。去り際に、「ありがとう」と言うのを忘れないあたりが、美琴の魅力の一つでもあるのだろう。

 部屋に残ったのが、健さんと、美弦さんと、僕だけだったので、せっかくの機会だからと、ひとつ質問してみた。

「あの、美琴さんって、昔から涙もろかったりしました?」

「いいえ、そんなことはなかったのですが。美琴、どうしたのでしょうね?」

 美弦さんが答える。ということは、やはり最近何か、心境の変化を起こすようなことがあったのだろう。恐らく、僕と出会ったことと、無関係じゃないはずだ。

「でもまあ、昔から少し変わった子ではあったけどね」

 これは健さんだ。まあ、初対面でいきなり婚約を宣言するくらいなのだから、変わっていると言える。

 そういえば美琴って……。

「あの、美琴さんって、学校に行かないんですか?」

 僕がそう質問すると、二人はキョトンとした顔になり、互いに顔を見合わせる。

「まさか」

「知らないなんていいませんよね?」

 二人が交互に言う。なんだ、息ピッタリじゃないか。

「娘は今年で」

「二十歳になります」

 ……知りませんでした。

 二人がジトっとした目で僕を見る。マ、マズい。このままでは、せっかく築き上げた信頼が、崩れ落ちてしまう。何とかしないと。

「も、勿論、知っていますよ。大学へは行かれないのかな、と」

「ああ、そういう意味ですか」

 ホッと息をつく。どうやら誤魔化せたようだ。

「雪村家は基本的に婿養子をとるのは、ご存じですよね?」

「ええ、存じ上げております」

 初耳でございます。

「世間では、妻も夫も共に働く、というような風潮が広がっているようですが、雪村家ではそのようなことは、一切認めておりません。夫は外で働き、妻は家を守る。この伝統を何百年も受け継いでまいりました。なので、雪村家の花嫁には、外で生き抜く術は必要なく、家の仕事を完璧にこなすことが必要になってくるのです。そのため、高校を卒業した後は、大学へは行かせず、家の仕事を覚えさせることに専念しているのです」

「とすると、使用人さんたちの仕事がなくなりませんか?」

「いいえ、真さん。家の雑事の多くは使用人に任せております。私がここで『家の仕事』と申しておりますのは、例えば、お客様の迎え入れ方や、品のある佇まい、正しい言葉遣いなどです。雪村家の名に恥じない、立派な振る舞いをすること、それが家を守る、ということです。もっとも、家事全般も、常識人程度には、嗜んでおりますが」

 雪村家の名に恥じないとは、どの程度のことを指すのか、僕には分からないが、多分美琴の「婚約宣言」はアウトだろう。そうすると、美琴はどうやって僕との出会いをこの二人に伝えたのだろうか。

「ところで真さん。私たちの話だけではなくて、今度は真さんと美琴の話も聞きたいですわ」

「はあ」

「二人の出会いのきっかけは何でしたの?」

 美琴から聞いておいてほしかった。

「あの子に聞いても、なんだかはぐらかされてしまうので、気になっていたのです」

 美琴から説明しておいてほしかった。

 さあ、何て答えようか。まさか、「あ、僕の学校の校門前で待ち伏せされてたんですよ。会ったこともないのに、変ですよね、はは」なんて言えまい。

「そうですね、まあ、運命の悪戯、みたいなものですかね……」

 とりあえず、そうやって、それっぽく答えてみると、美弦さんは何を合点したのかは分からないが、ふむふむ、と頷いて、満足気にしている。どうやら、無事に乗り切ったようだ。

「では、どちらから告白したのですか? どのように交際に発展したのですか? 初デートはどちらへ? そうでした、結婚式はいつ頃を予定していますか?」

 全然乗り切っていなかった。

 なんだよ、興味津々じゃないか。最初に僕が部屋に入ったときは、睨んでいたくせに。というか、雪村家の当主なんだろう? 「雪村家の名に恥じない、立派な振る舞い」はどこへ行った? 慎みを持てよ。

 さて、今度はどう誤魔化すか。今回は正直に答えても差し支えないと思うのだが、「初デート」の部分が問題だ。ストレートに、「あの、僕たちって、デートとかしないで、いきなり結婚しちゃう派なんですよ。最近ありますよね、はは」はダメだろう。きっと、今度こそ信頼を失う羽目になるだろう。かといって、さっきみたいに、「運命に選ばれた僕たちは、甘い夢の中で、デートするんです……」なんて言っても不自然だ。そして、何よりも、恥ずかしすぎる。

「まあ、それは、今度、ゆっくり美琴さんから聞いて下さい」

 結局、美琴に丸投げした。さっきの「出会い」の質問は答えたのだから、美琴も負担を負うべきだろう。

「そうですか……残念です。でしたら、せめて初デートのことだけでも」

 初デートに一体何の拘りが?

 この状況なら、普通、「結婚式」について聞くだろう。美弦さんたちにも関わることなのだから。何故に、「初デート」を選んだ? 関係ないだろう? というか、それこそ美琴にきけばいいじゃないか。

「えっと……まあ、毎日デート、みたいな……?」

 そうやって適当に答えると、美弦さんは何を合点したのかは分からないけれど、さっきよりも満足気に、ふむふむ、と頷いている。美弦さんが、隣で黙っている健さんに小声で囁く。

「……孫の顔が見られる日も、そう遠くないかもしれないですね」

 どうやら僕は、乗り切るどころか、完全に沈没したようだ。


「では、そろそろ失礼しますね」

 時刻が六時を指した頃、僕はさっきから楽しそうな二人に、そう声をかけた。これ以上この場に残っていると、ついボロを出してしまいそうだったからだ。

「そうですか、分かりました。帰りの運転も水元に担当させます。どうか、お気をつけて、お帰り下さい」

 美弦さんは、すっと立ち上がると、深く礼をした。

 僕は慌てて立ち上がり、不格好な礼をした。健さんが僕と同じタイミングで立ち上がり、しかも同じように不格好な礼をしたのが、可笑しかった。


 帰りの車内で、僕と水元さんは、しばらく無言だった。行きは、僕はガチガチに緊張していたため、特に気にならなかったが、見知らぬ他人と黙って同じ車内にいることは、これまたある種の緊張を生むようだ。何か話をしようか、とは思ったが、美琴の両親と会い、話したことから来る疲労で、僕はその行為を億劫に思うのだった。

「美琴お嬢様が、どうして若様をお選びになられたのか、ご存じですか?」

 水元さんが唐突に聞いてきた。どうして急に僕と会話する気になったのか、それも気になるところではあるが、水元さんの質問の内容の方が気になったので、僕は迷わずに返事をした。

「いいえ、分かりません。何故なのでしょう?」

「さあ、私にはさっぱり」

 分からないんかい。

 さも答えを知っていそうな雰囲気を醸し出しておいて、それはないだろう。というか、「さっぱり」って。僕には魅力がないということか?

「ただ」

「ただ?」

「私、美琴お嬢様が十歳の頃から雪村家にお仕えしておりますが、今ほど楽しそうなお嬢様の姿は、見たことがありません」

「……と、いいますと?」

 そこで、水元さんは一度口を閉じて、運転に集中しだした。しばらくそのまま走り、交差点の赤信号で止まると、ようやく僕の質問に答えた。

「美琴お嬢様は、かつてはよく、周りの異性の方に交際を申し込まれておりました。一日に二度、三度、ということもありました」

 どうして、水元さんが、そんなことを知っているのだろう。

「世話役ですから」

 前も似たようなセリフを聞いた気がする。

「しかし、何故だか、美琴お嬢様は最後まで、それらのお誘いを断り続けました。失礼を承知で申し上げますが、若様よりも魅力的な男性もいらっしゃったかと思います」

 それ、言う意味ある? 言わなくて良くない? 何、僕に何か恨みでもあるの?

「それが何か?」

「私、一度美琴お嬢様にお尋ねしたことがあります。これまでは、頑なに男性とお付き合いをしようとはなさらなかったのに、何故突然、若様とご結婚なさるのかと。すると、お嬢様はこうお答えになりました。『これまで私に交際を申し込んで下さった方々も、素敵な人たちでした。けれど、どんなに容姿が優れていようと、お金があろうと、私のことをちゃんと見てくれる人でなくては、いけないのです。そうではない人と、お付き合いをすることなんてできないでしょう? それに、人を好きになることに理由なんていりませんわ。私は真の近くにいるだけで、幸せを感じられる。ただそれだけで、十分ではないですか』と。私には正直、お嬢様の意図していることが理解できませんでした。ですが、そんな私でも、お嬢様の、若様に対する想いだけは伝わってきたのです。若様を愛している、という想いが」

 そこで水元さんは再び言葉を切った。車は動き出して、次に止まったときには、もう僕の家の前だった。

「私は先程、『今ほど楽しそうなお嬢様を見たことがありません』と申しました。ですが、それと同時に、お嬢様が時折見せる、あの涙が気にかかるのです。人前で、涙を流すことを耐えられないほど、辛い思いをしているお嬢様を、私は、未だかつて知りません」

 水元さんは運転席を下りて、僕が座っている後部座席のドアを開ける。僕が車外に出ると、水元さんは深々と、頭を下げた。

「どうか、お幸せに」

 その言葉は一見すると、これから結婚する人に向けられる、ごく普通の、ありきたりな挨拶のようだが、実は、様々な願いが、想いが込められていることを、僕はその時初めて実感した。


 自分の部屋に戻ると、机の上に僕のカバンが乗せられている。美琴が置いたものだろう。そこから自分の携帯電話をとりだし、(いわゆるガラケーだ)充電しようとすると、ちょうど着信が来た。美琴からだ。

「こんばんは、真。今日は私の我儘に付き合ってくれて、ありがとう」

「え、ああ、どうも。それよりも、体調大丈夫?」

「ええ、心配をかけてすみませんでした。今はもう大丈夫です」

「そうか、なら良かった。……で、何か用かな?」

「はい、今度のデートの日時を決めておこうと思いまして」

 そういえば、まだ決めていなかった。普段は、平日と土曜日は学校があり、唯一の休日である日曜日も塾があるので、いつ行こうか、迷っていたのだ。

「来週の土曜日はいかがでしょう?」

 今日が金曜日なので、ちょうど一週間後、ということか。「学校がある」と言いかけて、僕はあることを思い出す。そうだ、その日は先生が研修でいなくなるので、授業がなくなる日だ。

「うん、いいよ。何時に行く?」

「午前の九時くらいに、真の家に迎えに行きます」

「分かった。待ってるよ」

「はい、待っていて下さい」

 沈黙が流れる。何かを言わなくてはいけないような気がする、けれど、何を言えばいいのか分からない、美琴と会ってからは、そんな事ばかりだ。

「……美琴」

「はい?」

「ありがとう」

「……はい」

 僕はこの言葉で何を伝えたかったのだろう。はっきりとは分からない、気づいたらこの言葉を口にしていた。

「おやすみ、美琴」

「おやすみなさい、真」

 通話を切る。

 水元さんの言葉を思い出す。美琴の涙は、一体何を意味しているのか、それは不明だが、僕が関係しているのはまず間違いないだろう。

 美琴が辛い思いをしているのならば、僕も一緒に背負いたい、そして二人で受け止めて、「重たいね」と笑い合いたい、そんな思いが僕の胸で生まれる。しかも、驚いたことに、僕はもうそれを恥ずかしい、とは思わなかったのだった。




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