はじめまして
読んでいるときは思わず笑ってしまう、そして読み終わった後はすっきりしている、そんな作品を目指して書いています。まだ序盤なので、大きな展開はありませんが、この後の話も読んでいただけたら幸いです。
一・初めまして
「初めまして。今日からあなたの婚約者になります。よろしくお願いします」
「……え」
ふっと、風が吹き抜ける。
そう言って彼女は微笑んだ。なんとなく、ひまわりを思わせるような明るい、それでいてどこか切なさを感じさせる微笑みだった。
そうして僕は彼女と出会った。
五月十八日。高校の入学式を一か月くらい前に終え、僕はいつものように学校に出かけた。僕の家は学校の近所にあり、世の中の大半の高校生のように慌てて出かけていく必要がない。
「行ってきます」
僕の名前は氷室真。東京の男子校に通う高校一年生だ。その学校は一応進学校と言われるが、色々変わっているから、(詳しくは省略するが)初めは戸惑ったりしたけど、今はそんな環境にも慣れた。僕の家は大きな通りに面していて、それに沿っていけばすぐに僕の学校に出る。通学路の途中には何の植物だかわからないが、木が植えられていて、晴れている日なんかは木漏れ日が気持ち良かったりするのを発見したのは最近のことだ。校門前の警備員さんに挨拶をして学校に入る。
教室に入ると、既にクラスには何人かいて、いつものように他愛もない話題に興じていた。僕は普段はそういった会話には参加しない。人と話すのがそんなに好きなわけでもないし、そもそも彼らとの共通の話題がない。
ただ今日は、たまたま気になる話が僕の隣で為されていたので耳を傾けてみた。
「今週末、二組の奴らと合コンやるけどお前行く?」
「んー、一緒に行くメンツによるだろ」
「えーと、確か大谷と永山と俺かな」
「じゃあ、つまんなさそうだからパス」
「えー、なんだよそれ、お前、誰が気に食わないんだよ、もう、全く、しょうがないな、何が不満なのか聞いてやるから、言えよ、もう、しょうがないな、」
「そういうとこなんだよなー」
「…はい」
そう、さっきも言ったように僕は男子校に通っている。そのため女の子と話す機会が極端に少ないのだ。さすがにまだ高校生だから、合コンといっても、恐らくちょっと女の子と食事をして話すだけでその先のことはないのだろうと思うけれど、それでもわざわざそういう機会を作ろうとするのは男子校特有だと思う。中学までは共学に通っていたからそれほど気にならなかったが、やっぱり高校生なんだし彼女はいなくとも、女の子と話す機会すらないと少し寂しい気がする。かといってここで
「じゃあ、俺行くぜ!」
なんて言う勇気も度胸もない。それに僕には行く気もない。合コンの類はいかにも流行に敏感な、お洒落な若者が行くイメージがあったから、どちらかといえば、というか、確実に内気な僕が行くにはハードルが高すぎる。そんな僕だから共学にいたときだって彼女なんかいたことがないし、多分これからもできない気がする。
そんなことをぼんやり考えていたら始業のチャイムが鳴り、普通の学校なら皆静かになるのだろうが、僕の学校では決してそんなことはなく、ダラダラとした雰囲気のまま授業が始まり、僕は一つ溜息をつく。
僕の学校では授業を真面目に聞く人はほとんどいない。大半がスマホで遊ぶか、寝るか、内職をするか、だ。こう聞くとどこの荒れた学校なのか、とあきれらてしまうだろうが、別にそういう荒れた学校というわけではない。このことを他の学校の友達に話すと、皆、苦笑してから「お疲れ」と言ってくれる。学校の普段の様子を話すだけで労われるとは、一体なんなのか。
授業を適当に聞いていると、時間がいつの間にか過ぎていき、昼休みになった。僕は弁当を食べ終えると、図書室へ行く。大抵の場合は漫画目当てだが、たまに小説を読みに行ったりもする。図書室の窓からは校門がよく見えて、いつもは近くのコンビニに昼飯を買いに行く生徒が出入りしているところを見ることが多い。そういえば、学校の昼休みにコンビニにご飯を買いに行ったり、ゲーセンに遊びに行ったりするのは、普通なのだろうか。少なくとも、僕が中学生の時は、そんなことは認められていなかったが。
僕はなんとなく外が見たくなって、窓の外を覗いてみた。
「ん?」
すると見慣れないものが目に映る。黒塗りの大きな車が校門の外でとまっている。僕は車に詳しくないのでその車の具体的な車種はわからなかったが、いかにも高級車という感じで、それが余計にその車を目立たせている。生徒の送迎だろうか、でもうちの学校は私立じゃないのに、そんな金持ちがいるのだろうか。そんなふうに考えを馳せていると、その車から着物の、遠目からでもわかる美人の、ある意味では車よりも目立つ女の人がでてきた。僕はその女の人が少し気になって、そのまま眺めていたが、その人は何をするでもなく、校門を通る生徒に訝しげに見られながらも、ただずっと車の前で、誰かを待っているかのように、立ち続けているだけだったので、やがて見るのをやめ、また漫画を読み始めた。
図書室でそうしていると、珍しくクラスメイトに話しかけられた。
「よう。何読んでるんだ?」
「ん? ただの漫画さ。お前こそ図書室なんて珍しいじゃないか。なにしにきたんだ?」
「なに、ちょっとした調べものがあってね。それよりよ、お前外見た?」
「外? ああ、あのデカい車か」
「それもそうなんだけど、それよりも出てきた女の人、めっちゃきれいじゃね?」
「え、ああ、そうかも」
そう適当に相槌を打っておいた。確かにあの女の人はきれいだったけど、僕とは何の接点も関わりもないわけで、そんな人の話題をしても意味がないと思ったからあまり興味を示さないでおいた。すると、そいつもちょっと残念そうだったけど、向こうへ行った。
そいつがあっちに行ってからふと思う。いや、正確にはこれまでにも何回か気になったことだったけれど。もし僕がもう少し社交的で、人と良く話す性格だったなら、今みたいなくだらない、どうでもいい話題でも楽しく話すことができたのだろうか。
大人は皆、世の中には付き合いってものがあって、面倒くさいものだけれども、うまくやっていかないと生きていけないよ、と言う。高校生になって、「大人」が近づくにつれて、そういうことを考えるようになった。例えば、皆が参加するような遊びに一人だけ参加しなかったら、うまく付き合えていない、となるのだろうか。会社の同僚や上司と飲みに行かなかったら、うまく付き合えていない、となるのだろうか。クラスの皆、これからは大学、会社の人たち、つまり自分が帰属する集団に合わせていくことが、上手く付き合う、ということなのだろうか。
常識的に考えればそうなのだろうし、それが悪いと言いたい訳じゃない。集団の秩序を保つために、それに属する人間が行動を、ある程度制限されることは正しいと思うし、それに自分だけ従わないというのが、傲慢だというのも分かる。ただ、たとえそうであっても、もっと気楽に付き合える集団はないものか、と思ってしまうのは僕が幼いからなのだろうか。
こんな事で悩むなんてこれが思春期か、と自虐的な気分になっていると、時間の進みとは恐ろしいもので、予鈴が鳴った。急がなくてはと思ったがすぐに、どうせこの学校なら遅刻なんて何も言われないか、と思い出し、僕はゆっくりと教室へ向かった。
六時間目のチャイムが鳴り、授業が終わった。皆は各々の所属する部活へ向かうが、僕の所属する部活の活動日は今日ではないので、僕はさっさと帰ることにした。部活といっても、僕は四月に少し顔をだしてみたら、いつの間にか入部していただけで、別にこれと言って特別な思い入れがあるわけではない。まあ、ちょっと友達と話して、適当に遊ぶくらいだ。
教室を出ていく前に周りを見回すと、帰るでもなく、部活に行くでもなく、ただ友達と喋っているだけのような人も結構いた。その人達は当たり前だけど楽しそうで、時間の無駄使いじゃないか、と思いながらも、若干の寂しさとうらやましさを覚えて、僕は教室を後にした。
人間とはどうやら、自分とは全く関係がないだろう、と思われることに対しても、十分に驚くことができるらしい。
校門を出るときに、僕は久しぶりにたまげた。いや、要はただただ驚いた訳なのだが、なんせ刺激のない生活を送ってきたもので、余計にたまげた。
そこに、あの女の人とでっかい車がまだ止まっていたのだ。あの、昼休みに見た美人の女の人と、黒塗りの車だ。昼休みの時に図書室で見て以来、外の景色を覗いていなかったので、知らなかった。てっきり帰ったとばかり思っていたが。一体何のために残っているというのだろうか。
そして、そんなことよりも注目すべきは彼女の容姿だ。近くで見ると、他の女の子との差は歴然だった。遠目から見て美しくても、近くで見たらそうでもないのでは、とケチをつける人を黙らせるだけには十分すぎるくらいの美しさである。
日本人の古来の美を思わせる、整った、小さな顔をしていて、彼女が着ている着物が、その日本人形のような端麗さに加えて、落ち着いた雰囲気を醸し出している。肌は、そこらへんのアイドルなんかとは比べ物にならないくらい、白く透き通っていて、その肌を見ただけで、女性慣れしていない僕はドキッとしてしまった。一見すると、大人の女性のような身だしなみだが、近くで見ると、どうやら僕と割と年齢が近そうである。身長は僕より少し小さいくらいだろうか。そんな些細なことすら、なにかの必然性をもっているように思われる美だ。遠くから見ると「美しい」や「きれい」といった印象を受けるが、実際は「可愛い」という形容が合っているかな、などと考えてしまうのは、僕が男ならば仕方のないことである。最も、彼女以外の人をこんなに観察したことはないが。
こんなにきれいな人と関われる人のことを僕は、とてつもなくうらやましく思う。きっと、そういう人達も容姿端麗で、人望があって、「付き合い」が上手な人なのだろう。僕のように、いわゆる「陰キャ」と呼ばれるような人は、彼女のような人とは関わることは、一生ないのだろう。せめて、こんなちっぽけな日常のなかで、お目にかかれたことだけでも満足しようか。
こんなことを考えているから「陰キャラ」なのだ、と突っ込まれそうなことを考えていると、僕はふと視線に気づく。
見ていた。僕のことを。彼女が。その大きな目をさらに大きく開けて、じっと。明らかに僕を見ている。僕の顔に何かついているのだろうか。それとも、僕が自覚していないだけで、僕の顔はそんなに面白い顔なのだろうか。
声をかけようかと思ったが、やめた。下手に声をかけて、ナンパとでも思われたら癪だし、本当に僕の顔が面白いだけかもしれない。
どう反応すればよいのか分からずに、ただ困惑していると、彼女が視線をふとそらした。それが何を意味しているのか、彼女がなぜ僕のことをじっと見ていたのか、疑問は全く解消されなかったが、とりあえず帰ろう、と思った。
そう、これは僕の日常とはなんの関係もない、どうでもいい問題だ。帰って、忘れて、いつもの生活を続ければいい。そうやって、刺激もないけれど、傷つくこともない、穏やかな生活を、僕は送っていく。
彼女が僕に声をかけたのと、僕が一歩を踏み出したのが、同時だった。
「あの」
どうしたのだろう、僕の顔にやはりなにかついていて、親切心からそれを僕に教えようというのだろうか、だが、そうすると僕はこの美人さんの前で恥をかかなくてはならない訳で、もし本当に僕に親切にしようとしてくれるのであれば、むしろ指摘しない方が僕にとってはありがたいのに、でもせっかく気を遣ってくれようとしているのだから、無下にはできないよな、というように、どう反応するか悩んでいると、彼女は真っすぐに僕の方を向いて、言った。
「初めまして。今日からあなたの婚約者になります。よろしくお願いします」
「……え」
風が吹き抜ける。
そう言って彼女は微笑んだ。なんとなく、ひまわりを思わせるような明るい、それでいてどこか切なさを感じさせる微笑みだった。
そうして僕は彼女と出会った。