余話2 阿礼乙女は求め聞く
人間の里中部 稗田屋敷
「失礼します。東雲様をお連れ致しました」
「そう……通しなさい」
女中が襖の向こうへと声をかける。
帰ってきたのは、幼く落ち着いた声。
「どうぞお入りください」
女中が横に退く。
俺は軽く頭を下げ、部屋に入った。
「お待ちしておりました、衛さん」
出迎えてくれたのは、袴にも似た鮮やかな和装の少女。
肩までで切り揃えられた紫の髪と、それを彩る花の髪飾り。
稗田家九代目当主、稗田阿求だ。
「お招き頂きありがとうございます、阿求さん」
あまりの可憐さに一瞬目を奪われたが、なるべく平静を装って挨拶を返す。
初めて会った時や吸血鬼異変の時よりも、かなり気合いをいれて着飾っているようだ。
これは礼儀として誉めるべきなのだろうか。
「いつになくお美しい姿で。ちょっと驚いてしまいました」
「っ……ぜ、前回と比べないでください。……もう、“お屋敷が直ってから来て下さい”とお伝えしましたのに……」
阿求が不機嫌な顔をする。
そんな表情でさえ美しくて、思わず笑みが浮かびかける。
やばいやばい、ここで笑ったら怒られる。
「屋敷を戦場としたのは自分の判断ですので。復旧を手伝うのは当然のことです」
「それは……ありがとうございます、ですけど」
実は吸血鬼異変の後、命名決闘法の考案の合間に稗田屋敷を訪ねたのだ。
目的は屋敷の復旧作業の手伝いである。
人手の足りない作業の支援は勿論、障壁を用いてブルドーザーのように瓦礫を撤去したり、生命妖術で庭木を復活させたりもした。
屋敷の人達には感謝されたが、阿求はご機嫌斜めだった。
曰く、恩人に何のおもてなしもできない上に働かせてしまうなんて、とのことだった。
服装のことを気にしているのも、その時の彼女が薄着にたすき掛けという作業用の格好だったからかもしれない。
次は直ってから! 直ってから来て下さいっ! 良いですね!?
従者たちの制止も聞かず、必死にそう捲し立てる彼女の姿はよく覚えている。
十歳そこらの少女がぴょこぴょこ跳びはねて怒っている姿は微笑ましかった。
後日神社を訪ねてきた従者から屋敷への招待状を受け取り、そして今に至る。
「それに復旧の時と比べてではなく、初めてお会いした時と比べても、ですよ」
先週の出来事を思い返しながら笑顔で話す。
尤も、復旧作業の際の姿も充分綺麗だったと思うけど。
「ぅ……も、もういいですから。はい、ここ、おかけくださいっ」
若干自棄気味に座布団を指す阿求。
その頬はほんのり赤みを帯びていた。
ちょっと意地悪しすぎたかな。
年齢不相応に頭の切れる子だから、つい試してみたくなってしまうのだ。
確かに頭脳明晰ではあるが、実際はこうして少女らしい少女である。
「こんな朝早くにお呼びしてごめんなさい……朝食は摂れましたか」
「お気遣いなく。そこの軽食屋で済ませてきましたので」
受け答えつつ座布団の上に正座する。
阿求は真正面に座った。
その間に女中が寄ってきて、茶と和菓子を盆から下ろす。
「お昼は是非うちで食べていってくださいね。なんなら夕飯もどうぞ」
「……そんなにかかるんですか?」
「衛さんと妹さんのお話、妖術について、先日の異変について、神社の現状について、その他諸々お聞きしたいので……半日は確実に」
「……」
済ました顔で告げる阿求。
「助けていただいたお礼もさせていただきたいですし。あ、そうだわ、外の世界について知る良い機会でもありますね。うちにある外来の品についてもお聞きしたいです。あと幻想郷についてお話ししたいこともいっぱいあるので……丸一日? いやそれ以上かしら」
「…………」
幻想郷縁起作成の為の取材、命を救ってくださったお礼、屋敷復旧支援の報酬。
招待状にはそう書いてあった。
精々午前中一杯もかからないだろうと踏んでいたが……甘かった。
彼女の知的好奇心は思っていたより高そうである。
「あ、も、もしかして……ご用事がおありですか……?」
「っ」
和服の袖で口元を隠し、上目遣いで見てくる阿求。
口調は酷く寂しそうだ。
おっ、おまっ! お前! それは卑怯だぞ!?
年頃の男の子相手にそれは卑怯だぞお前ぇ!?
「……いえ、明日に繰り越せる用事なので大丈夫ですよ」
「それはよかった。ありがとうございます!」
「……」
一転、花のような笑顔を見せる阿求。
絶対わざとだ。
侮るなかれ、彼女は転生を繰り返す魂。
今生こそまだ10年前後だろうが、かつての人生を累計すれば200年を越える。
記憶の完全な引き継ぎこそ出来ていなくとも、やはりそこらの少女よりは遥かに博識で計算高い。
俺ひとりを言いくるめるなど造作もないのだろう。
これであと5年も経って、身体が今の明くらいにまで成長してみろ。
より一層の美しさが相まって、真正面で相対したら絶対敵わなくなるだろう。
想像しただけで恐ろしい。
対談が5年後でなくて良かった。
誰だよさっき試してみたくなるとか調子乗ったこと考えたのは。
俺だよごめん。
「では早速、衛さんと明さんの出自から教えていただけますか? ああいえ、どうぞ楽に。敬語もご自由に」
阿求が姿勢を正し、筆と紙束を手に取った。
同じく姿勢を正そうとする俺を彼女は止める。
そこまで畏まる必要は無いらしい。
「ありがとうございます。出自ですか……どこからお話ししましょう」
「幻想入りに至った経緯からで構いません。衛さんが宜しければ、家族構成や住んでいた町のことでも」
話しやすい雰囲気を上手に作ってくれる阿求。
流石に慣れているようだ。
話した内容全てが、一文一句違わず彼女の脳に保存される。
そのことを頭の片隅に留めつつ、俺は口を開いた。
* * *
「き、金毛九尾……? にわかには信じられませんが」
「確かに九尾でしたよ。化かされてただけかもしれないけど……。で、その女が攻撃を仕掛けてきて、対処してる間に封印的なやつを貼られて意識喪失。気付いたら博麗参道の桜の下、って感じです」
「対処? 九尾相手に抵抗を?」
熱心に聞いてくる阿求。
時折メモ紙に筆を走らせては、切れ目なく質問を投げてくる。
「飛んできた御札を障壁でカキンと。それで向こうが驚いてる隙を見て、明が貫通光弾を心臓にズドンと」
「わ、すごい……。その後は?」
「向こうが物量攻撃に切り替えてきたので、飛行の得意な明が俺を掴み上げて回避しまして。ああ、ついでに女の額に光弾撃ち込んでました、あいつ」
「それでも九尾は倒れなかったと」
「ええ。それどころか普通に反撃してきて……尾が肥大しながら伸びてきて捕獲されたんです。障壁振り回して防ごうとしたんですが、なにせ九本ですからね」
「捌ききれませんでしたか。それで……お二人を封印、と。なぜそんな真似をしたのでしょうね」
「さあ……。ただ、“楽園に招待”とかなんとか言ってたんで、最初から幻想入りさせるつもりだったのかもしれません。まあどっちにしろ、殺されなかっただけ御の字だと思っていますが」
「うんうん、ごもっともです。……さて、ちょっと休憩致しましょうか」
不意に阿求が正座を崩し、メモ用とみられる紙束を畳の上に置いた。
俺に好きな座り方で良いと言った一方で、彼女自身はずっと正座のままだったようだ。
素直に尊敬する。
「しかし凄まじい体験談ですね……ここまでだけで短編小説が書けちゃいますよ」
「はは、出版を楽しみにしておきます」
「裏付けができないので作り話ですけど」
「えぇ……」
「うふふ、冗談ですよ。でもその志歩さんとディエナさんという人外のお二方や、妹さんからも聞かせていただければ、本当にあった話として纏める価値はありますね。どちらにせよ幻想郷縁起に書ききれる量ではないので」
「阿求さん的には書きたいですか?」
「というより“小説”を書いてみたいというのがあります。うん、今生では挑戦してみようかしら」
談笑してる間に、追加の茶と菓子が差し入れられる。
盆を持って下がった女中に軽く礼を言い、茶を啜った。
いざ始めてみると面白いもので、何の苦もなく話し続けることができている。
自分のことだから話しやすいというのは勿論あるだろうが、それ以上に阿求の質問の仕方や聞き方のお陰が大きい。
なにせこれだけ一方的に話し続けても、彼女はずっと興味を絶やさず聞いてくれるのだ。
こちらは喜んで話したくなる。
疲れはするが、嫌な気分ではない。
「ところで阿求さん、全て記憶できるというのになぜメモを?」
一息ついたところで質問してみる。
最初からずっと気になっていたのだ。
彼女の求聞持の能力があれば、紙に覚え書きをする必要など無いような気もするが。
「私の能力は極端でしてね、確かに見たものも聞いたものも全て覚えることができますが、それだけなのです」
「と、言いますと」
「部屋一面に、今までの人生の日記が日別に敷き詰められているのを想像してください。日付順なので、指定された日の日記を手に取るのは容易い。しかし例えば、“この中で一番楽しかった日はどれ”と指定されたら、どうでしょう」
「それは……楽しかった日の日付を思い出す必要がありますね」
「そういうことです」
阿求は一息挟む。
「私には“印象に残る記憶”が存在しません。楽しかったことも辛かったことも、特に何もなかった日のことも、全て同じように保存されているだけなのです」
そう語る彼女の紫眼は、どこか寂しげだった。
膨大な記憶を保持できる反面、それはただの平積み。
彼女には彼女なりの弱点があるようだ。
「なるほど……、」
それを聞いていて思い出した。
俺の“印象に残っている”記憶のひとつ。
5年くらい前にテレビで見た内容だ。
とある外国人の男がいた。
彼には知的障害がある。
病名はたしか、“サヴァン症候群”。
詳しくないが、自閉症か何かの一種だという説明だった。
彼は日付を聞かれれば、その日に世の中で何があったのかを100パーセント正確に答えることができる。
毎日読んでいる新聞の内容を全て覚えているからだ。
世の中のことだけじゃない。
その日何時何分に起きたか、家族と何を話したか、どこへ出掛けたか、そこで何をしたか、朝昼晩の食事のメニューは何だったか等々、全てを覚えている。
天才を越えた驚異の記憶力、それが彼の生まれもった“知的障害”である。
だが、彼には“思い出”がないとのことだった。
全てを等しく正確に覚えているため、印象に残った出来事があっても埋もれてしまうのだ。
彼の症状は、まさに阿求の能力と同じである。
「なので印象深い体験があったなら、その日のうちに紙に書き記しておくわけです。一度書いてしまえば、その文字を見た記憶が“印象”の代替として残ります。他にも色んな方法がありますけど……ま、とにかく。流石に九回目の人生ですので、この能力の扱いにも慣れたものですよ」
どやっ、と自信ありげな顔をする阿求。
彼女の場合は弱点も克服済のようだ。
「ああそうでした衛さん。このペースだと日が暮れてしまいますので、夕飯のご用意もさせていただきますね」
「 ……あ、ありがとうございます。ただ、あまり遅くなると皆が心配しますので」
「その点でしたらご心配なく。先ほど従者に、今日は帰れなくなる旨の伝言を託しましたので。里で護衛の仕事を待っている明さんにお伝えしておきます」
え、事後報告?
うっそだろおまえ確信犯かよ。
やられた。完全に嵌められた。
「うふふ、今日は帰しませんよ」
そんな俺の内心を見透かしたのか、阿求は可愛らしく笑う。
小悪魔の笑みに見えた。
このメスガキッ……舐めやがって!
はい不敬罪打ち首晒し首。
「お手柔らかにお願いします……」
「あら、どうぞお気楽に。私のわがままである以上、お礼は存分にご用意してありますので」
お礼は最後に取っておくつもりらしい。
ちなみに俺自身は、命を救った見返りなんて求めるつもりはない。
屋敷復旧の手伝いに至っては罪滅ぼしのつもりですらあったから、これも見返りは求めない。
この取材で丸一日潰れたとしても、里一番の名家のお嬢様と一対一で長時間話せるのだから、むしろ得した気分だ。
というかそもそも招待されただけでも破格の待遇なのだから、あとで何か請求されないかと不安になるレベルである。
「さて……現世でのことは粗方話しましたので、お昼までは幻想郷でのことをお話ししましょうか」
座布団の上に座り直す。
こうなったら開き直るまでだ。
その限界のない頭脳に、俺が知りうること全てを投げ込んでやる。
「はい! お願いします!」
知識に貪欲すぎる少女、稗田阿求。
俺の覚悟に対し、彼女は実に嬉しそうな顔で頷くのだった。
* * *
翌朝 稗田屋敷
「すみませんねぇ衛さん、まさか阿求様がお寝坊だなんて」
「いえいえ、気にしていませんよ。先に頂いてしまって申し訳ないくらいです」
広間に置かれた欅一枚板の大机。
俺は屋敷の従者や阿求の近縁者たちと共にそれを囲み、朝食を摂っていた。
阿求とお付きのもう一人分の座布団は未だに空いている。
支度に時間がかかっているようだ。
同席を許された女中たちは、あらあらといった雰囲気。
だが屋敷の重鎮は落ち着きない。
「恩人様を待たせるなどなんたることか。東雲様、ご無礼をお許しください。お叱りはどうぞ後見人であるこの私めに」
阿求を救った際、弓矢を手に奮戦していたあの老人だ。
彼女の側近的な立場の者らしい。
箸を置いて頭を下げる老人に、俺は慌ててフォローする。
「し、叱るだなんてとんでもない。ご招待頂き嬉しい限りです。皆さんには感謝こそすれ、その逆はあり得ませんよ」
「寛大なお言葉……有り難く」
俺が阿求くらいのときなんて母親に起こされっぱなしだった。
寝坊どころか自力で起きる気すら無かったのだ。
それと比べれば十分に出来たお嬢様である。
いや、俺と比べるのは失礼か。
「本当はお膳を用意して客間で召し上がっていただきたかったのですが、なにぶんお屋敷の片付けがあって朝は皆忙しくて……こんな形で申し訳ありません」
そう言うのは快活そうな一人の女中だ。
料理長的な立場だという。
「ご苦労お察しします。お忙しいなか、こんな素敵な朝食を頂けただけで感謝です。ありがとうございます」
笑顔で感謝を述べる。
そんな俺を見て、そんなに気を使わせては失礼だという野次が上がった。
話し好きな女中たちが率直な声を発してくれることで、場は非常に和やかだ。
料理の味も素晴らしいし、こんな贅沢な朝食はない。
文句など抱いたらバチが当たるというものだ。
結局、阿求との対談は夕食前まで続いた。
現世でのこと、幻想郷でのことを全て話し、幻想郷縁起における俺のページを埋めるには十分すぎる情報が手に入ったようだった。
また、科学文明での知識と幻想郷の知識との交換も面白かった。
阿求は外の世界についても興味深そうに聞いていたし、俺も幻想郷の歴史や地理や妖怪が知れてとても為になった。
ちなみに結局、昼飯も夕飯もご馳走になった。
それはもう美味な料理の数々で本当に驚いたものである。
海産物が無かったのが惜しいが、それを補って余りある豪華さと味だったのだ。
本物の和食というものを思う存分堪能させてもらった。
大満足である。
夕食時にはそれに加え、琴の演奏のサービスまでしてもらった。
素人の習い事だとその女中は謙遜していたが、十分な腕だった。
人払いをした後には、阿求と二人で双六や独楽を楽しんだ。
楽しそうに遊ぶ阿求の姿は年相応の少女そのもので、実に可愛らしかった。
なお絵札合わせもやったが、彼女の記憶力のせいで勝負にならなかった。
ありがたいことにお風呂も頂き、良い布団も用意して貰った。
疲れていたのか、眠りにつくのに時間はかからなかった。
「おはよう、ございます。遅れまして申し訳ありません……」
不意に聞こえた少女の声。
振り返ると、ものすごく“やっちゃったぁ……”みたいな表情の阿求が突っ立っていた。
「おはようございます、阿求さん。お先に頂いております」
ちょっと同情しつつ挨拶を返す。
他の者たちは苦笑していたり、気にした様子でもなかったりといろいろだ。
「阿求様。お客様を……ましてや恩人たる衛様を待たせるなど言語道断ですぞ。当主としての自覚が足りませぬ」
なお約一名、非常にご立腹である。
「まあまあ。ほら阿求様、早くお食事に手を付けませんと。今日は衛様のお見送りもありますし、お出掛けもなさるのでしょう?」
「は、はい。いただきます……」
しゅんとした様子で座布団に着く阿求。
お見送りって……あんまり盛大なのは勘弁してほしいけどな。
ただお礼の品を渡したいと言っていたから、多少は覚悟しておいたほうが良いかもしれない。
貴金属とかは管理できないからやめてほしいけど。
「阿求さん、お出かけというのはどちらへ?」
なんとなく聞いてみる。
プライベートなことを聞くのは不味いかと今頃後悔したが、阿求は気にした様子もなく口を開いた。
「ちょっと貸本屋に。古文書をいくつか借りているのでそれの返却と、ついでに新しい資料を借りようかと思っていまして」
資料か。
幻想郷縁起やその他歴史書を書くには必要不可欠なのだろう。
……ところで。
「貸本屋って、もしかして鈴奈庵のことですか?」
「ええ。里に貸本屋はあそこしかありませんから」
「奇遇ですね。私も今日、鈴奈庵に本を返しに行く予定でして」
「え」
箸がぴたりと止まる阿求。
「もしかして、昨日繰り越すと言っていた用事は……」
「はい、本の返却です。帰り道ついでに寄っていこうかと」
そう、俺が昨日やりそびれた用事だ。
稗田屋敷に泊まるはめになったため、本はまだリュックサックの中だ。
「阿求さんさえよければ、一緒に鈴奈庵に行きますか?」
彼女も同じ用事だったとは驚きだ。
ついでだし、同じタイミングで返しに行くというのはどうだろうか。
「……はい! 是非ご一緒させてください!」
「ふふ、わかりました」
ブルーなオーラが一転。
阿求は実に嬉しそうな表情に早変わりし、急に箸が進みだした。
「よっぽど衛さんといられるのが嬉しいのねぇ」
「昨日の阿求様も楽しそうでしたもの」
「そのせいかしら、昨晩は興が醒めなくて眠れなかったそうよ」
「あらお寝坊したのはそういう」
女中たちが楽しそうに会話を弾ませる。
こういう話題は好きそうだよな、女性陣。
ついでに男性従者たちも顔が僅かにニヤついている。
ただ一人、眉ひとつ動かさず食事に集中しているのはあの老人だけだった。
彼は咀嚼したものを飲み込むと、一切周りを見ずに口を開く。
「阿求様、お顔が真っ赤ですぞ」
「っ!?」
「まあ見てはおらんが」
「お爺様ッ!!」
だが、彼の言葉が最も効いたようである。
* * *
「こちら、お礼の品でございます。心と物でしか御礼申し上げられぬこと、非常に心苦しく思うところではございますが、どうかお納めいただきますよう……」
頭を垂れる老人。
その前方に鎮座するのは、高級なそうな風呂敷に包まれたいくつかの物品。
従者がその包みをほどく。
中から出てきたのは。
「……!」
綺麗な鞘に収まった短めの刀、直線的で美しい短剣、肘近くまで守れる手甲、小判、書物……。
思わず息を飲んだ。
一際目立つ物……刀に手を伸ばす。
持ち手をしっかりと握り、恐る恐るそれを抜く。
「そちらは、古くから当家に所蔵されておりました脇差でございます。小脇差ですので、刀剣に不慣れな東雲様でも扱い頂けるかと存じます」
刃に自分の顔が映った。
鋼には古い文字で何かが刻まれている。
里の守衛が持っているような安物ではない。
素人目にも、かなりの高級品であることがわかる。
短剣も素晴らしい出来だ。
透き通るような美しい両刃剣。
刃渡りは包丁程度だが、そのぶん軽くて扱いやすそうだ。
手甲には俺の名が刻まれていた。
ちょうど手の甲のあたりに、透明な宝石か何かが複数埋め込まれている。
全体の色はシックな黒色で、非常に美しい。
「…………」
ちょっと言葉を失った。
いや、残念だという意味ではない。
ガチモノをぽんと渡されて、単純にビビったのである。
「妖怪退治も生業とする東雲様にぴったりかと存じますが、いかがでしょう」
「……えあ、はい。身に余る品ばかり、恐縮です。ありがとうございます」
我に返り、頭を下げた。
金品や宝物なんかを予想していただけにかなり面食らった。
武器貰うなんて誰が予想するかよ。
「神社までの運搬は屋敷で手配いたします」
「お気遣いありがとうございます。道中お気をつけて」
「ご心配なく。明様の腕前は信用しております故」
え、護衛雇うの?
そんなんなら最初から俺が……って、まあいいか。
やり方に口を出すのは良くないな。
それに、これ以上恩を売ると彼らが困るだろう。
俺は今一度頭を下げる。
「では、自分はこれにて。楽しいお時間をありがとうございました」
「ご恩は決して忘れませぬ、衛様。妹様にもどうぞお伝えください」
老人、従者数名、そして阿求も、畳上で頭を下げる。
冷静になった今なら理解できる。
要人の命を守れた。
歴史を護れた。
ようやく、目覚めた力が役に立ったのだ。
妖術の力を手に入れたことに、俺は初めて感謝した。




