第八話 狼煙
東京上空
我が目を疑った。
生身の人間が、空に浮かんでいたから。
思考が追い付かなかった。
素手で、いとも簡単にヘリが破壊されたから。
現実を信じられなかった。
目の前で、一般人が容易く殺されたから。
停止勧告を無視した報道ヘリの成れの果て。
スカイタワーの展望台に激突した後、黒煙や細かな破片を引き連れながらコンクリートの大地へと墜ちていった。
小さなヘリの窓の外、止まった視界の中で堕ちていくその残骸だけが、非現実的なその現実を掲示していた。
事態の張本人はと言うと、その残骸には目もくれずに俺を、俺の乗る陸自の輸送ヘリ「UHー1 イロコイ」を、視界に捉えた。
そして、大惨事を引き起こしたその手をゆっくりとこちらへ向けた。
「ぁ……」
誰からともなく声が漏れた。
直後の事態を容易に予測出来たからだ。
脊髄に熱い電気の様なものが走り、小銃を握る右手が手汗でおびただしく濡れる。
「回避する! 掴まれ!」
パイロットの警告を合図に突然足元が傾き、重心のぶれた体が窓にぶつかる。
反射的に閉じた目を開くと、目の前を砲弾の様なものが高速で通り過ぎていった。
「こちら輸送一番機! 目標から攻撃を受けた! 民間機がやられた!」
パイロットが回避機動を取りながら無線機に叫ぶ。
『こちら本部! 被害は!?』
「民間機一機が墜落! 当機は回避行動中、指示を請う!」
俺は大きく揺れる機内から、不審者の姿を必死に捉える。
イロコイにも攻撃を仕掛けたその不審者の左手は、今度は僚機の偵察ヘリに向けられていた。
ニンジャの最新式カメラと精鋭パイロットがそれを見逃すはずはなく。
『こちら偵察一番機! 回避する!』
そんな無線が聞こえると、ニンジャのパイロットは操縦桿を目一杯引き込んだ。
ニンジャは機動性が高い。
あの攻撃はイロコイでも回避できた。
きっと回避できるはずだ。
隊員の誰もがそう思いながら、その偵察ヘリを見つめる。
ニンジャが急上昇しての回避を試み、不審者からの光弾がそこへ迫るが。
当たらない。
光弾は機体の数メートル下を通過した。
回避成功。
そう思ったのも束の間。
回避する先を知っていたかのように、上昇中のニンジャに光弾が突き刺さった。
瞬間。
ニンジャは炎と煙を伴って爆発し、砕け散った。
「偵察一番機、墜落!」
パイロットが叫ぶ。
自衛隊が攻撃され、撃墜された。
こんなこと予想すらしていなかった。
自分も撃たれた。
俺は死にたくない。
こんな理不尽な現実から逃げたかった。
『こちら本部! 目標を攻撃しつつ、離脱せよ! 武器の使用を許可する!』
本部からの無線で我に帰る。
離脱攻撃。
あんな化け物と撃ち合えってか。
正直気が引けるが、やらなければ死ぬだけだ。
機内の仲間に声を張る。
「正当防衛射撃!」
そう叫び、機体左手のドアを勢い良く開け放つ。
突然開けた視界の真ん中に、あの化け物がいた。
「了解、正当防衛射撃!」
仲間が答え、目標に向け小銃を構える。
が、撃たない。
いや、撃てないのだろう。
訓練用の的しか撃ったことがないのだから、仕方がない。
自分も小銃を構える。
安全装置を外し、射撃レバーを三点射に合わせ、引き金に指をかける。
目標を照準に重ね、ゆっくりと息を吸う。
訓練で何十回も繰り返したはずのその動作が、今に限ってとてつもなく難しく思えた。
落ち着け、相手は人じゃない。
ただの化け物だ。
民間人を殺し、自衛隊員を殺した、ただの殺戮機械だ。
容赦なく撃てばいい。
息を吸ったうえに雑念が混ざったせいで照準がぶれるが、慌てない。
息をゆっくりと吐きつつ、再度照準を合わせ。
引き金を引く。
三発の連続射撃。
三度肩に衝撃が押し寄せ、三回乾いた破裂音が響く。
「……!」
先程撃てなかった仲間が息を飲むのが分かった。
ようやく腹を決めたようだ。
仲間も発砲する。
ヘリが次第に目標から離れていくため、命中確認が難しい。
命中していないかもしれない。
ならば射撃は止めない。
もう一度撃つ。
再び銃声が響く。
もう一度、さらにもう一度。
もう一人の仲間と共に、化け物を撃ち続ける。
弾切れだ。
弾倉交換もそこそこに目標を睨み付ける。
先程よりも遠くへ離れた化け物は、相変わらず空中に浮かんでいた。
特に変わった様子はないように見える。
あれだけ撃って当たらなかったというのは考えにくい。
だとすると効いていないのか。
怯みすらしなかったと言うのか、そんな馬鹿な……。
唐突に思考が途切れた。
『すなわち無意味だ』
声が聞こえたからだ。
化け物から光弾が撃ち出される。
警察のヘリが、歪な鉄屑となり吹き飛ぶ。
『現実を受け入れよ』
頭の中に声が響く。
再び光弾が撃ち出される。
報道ヘリが、原形を残さず砕け散る。
『天下を返してもらう』
頭上に光弾が飛来する。
イロコイのエンジンが爆ぜる。
全身を後ろから殴られたような衝撃に襲われる。
『人間の選択肢は』
焼けるような痛み。
急速に冷えていく身体。
真っ赤になる視界。
遠ざかる意識。
それでも脳内には、その声がなおも居座る。
『戦うか、死ぬかだ』
それが俺の最期の記憶になった。




