第七話 掲示
東京都内某所
人の流れが留まる事の無い、巨大なスクランブル交差点。
しかし今に限っては珍しく、行き交う人々が歩みを止め、ひたすら一点を見つめている。
その視線の先には、ビルに取り付けられた巨大なテレビ画面があった。
ニュースの生中継だろうか。
恐怖と興奮が混ざったような女性リポーターの声が、交差点に響き続けている。
そして画面には、ヘリコプターから撮影されている東京スカイタワーが映っていた。
ヘリコプターが次第にタワーへと近づいて行く。
カメラがアップし、映し出されたタワーの先端部には。
『じょ、情報通りです! 人が空に浮かんでいます! 信じられません……』
何もないはずの空間にぽつりと浮かぶ「人」が映し出された。
タワー先端部よりも10メートル程上。
強風吹きすさぶ寒空に浮かぶ人影は、風などまるで意に介しないかのように空中で静止していた。
唐突に見せつけられた非現実的なその映像を、人々はやはり信じなかった。
「……なんだあれ」
「映画の宣伝か?」
「無駄にリアルだな」
「ホントにニュースか?」
皆、次々に簡潔な感想を吐き出し、そして体現する。
なにも言わずに首をかしげる者。
不快そうに眉をしかめる者。
笑いながら映像を撮影する者。
無表情のまま携帯端末に答えを求める者。
アナウンサーが視聴者の疑問を代弁し問いかける。
『えっと、現場の佐藤さん。その、人物? いえ、不審者ですか? は、本当に人間ですか?』
『お待ちください。もう少し近付けますか? …………!! はい、間違いない……と思います。彼と目が合いましたので……』
佐藤と呼ばれたリポーターが強ばった声で答えた。
画面中央、スカイタワー頂上に浮かぶその「人」は、カメラを両目でしっかりと捉えていた。
彼はカメラの方向に右腕を向ける。
掌を軽く開いた腕はヘリコプターへ、画面へと真っ直ぐに向けられた。
『あっ、彼がこちらに手を向けまし……きゃっ!?』
轟音。
画面中央が赤く瞬く。
リポーターの声は悲鳴となって途切れた。
「「「……え?」」」
人々の困惑をよそに、生中継の映像は進み続ける。
一瞬上空を向いたカメラは直ぐに正面に戻り、再びその人影を映し出す。
彼は僅かに、だが確かに、笑っているように見えた。
鳴り響く異音と警告音をBGMに、映像は左へ向けて移動しはじめた。
画面右へ消えたスカイタワーが、再び画面左から現れる。
混乱のさなか、ヘリコプターがきりもみ状態に陥ったのだと気付いた者から順に、強ばった小さな悲鳴が漏れはじめる。
だが、それよりも撮影者たちの切迫した悲鳴の方が早かった。
『きゃぁっ! な、何なの!?』
『っ! 操縦不能!』
『ぎゃあぁ! 腕がぁぁ!?』
画面を通過するスカイタワーが次第に大きくなっていく。
ヘリコプターが加速し、スカイタワーの中ほどにある展望台が画面へと高速で迫り。
破壊音と共に画面は真っ黒になった。
『さ、佐藤さん? 聞こえますか、佐藤さん? っ、中継が……途絶えました。詳しい情報が入り次第、改めてお伝えします……』
そう言い終わるが早いか、画面は無理矢理に番組の宣伝に入った。
画面越しに見せつけられた、大事故と人の死。
交差点が、そして日本中が、大きな喧騒に包まれた。
* * *
地面も重力も無いが、足は床に付き物は下に落ちる。
月も太陽も無いが、暗くも明るくも感じない。
真っ黒な背景に浮かんでいるのは、幾つもの眼。
言うなれば此処は、異空間。
『じょ、情報通りです! 人が空に浮かんでいます! 信じられません……』
異空間の一角に浮かぶ、一台のブラウン管テレビ。
縦横比3:4のガラス質の画面に映し出されているのは、例の生中継の映像だ。
この空間でそれを視聴することが出来る者はただひとり。
「…………」
テレビの前に置かれた雅なソファー。
その上で静かに眠る、この金髪の女性だけだ。
その容貌は、人並み外れた美しさ。
その服装は、独特で派手で時代錯誤。
人世で見ることなどまずあり得ないであろう異様な出で立ちだ。
『あっ、彼がこちらに手を向けまし……きゃっ!?』
テレビから聞こえていたリポーターの声が、唐突な破壊音によって途絶える。
「…………?」
女性が目蓋を開けた。
何もリポーターの悲鳴に反応したからではない。
何千年も生きてきた彼女にとって、人間の悲鳴など特段珍しいものでもない。
彼女が反応したのは、破壊音の直前に聞こえた“妖力弾の生成音”。
妖力弾とはすなわち、文字通り自身の持つ妖力を集めて生み出す、質量を持つ物理光弾の事だ。
約千年前までは妖怪やごく一部の人間もそれを扱っており、しばしば人妖の戦いに使用された。
だが時間の経過と共に妖怪は多くが絶滅し、妖術を扱う人間の血筋は消えた。
つまりテレビ画面の向こう、現代の現実世界において、妖力や妖術その他の力は既に廃れて存在しないはずなのだ。
あるはずのない力、消滅したはずの力の音を聞き取ったため、彼女は驚きから目を覚ましたのだ。
一瞬、生中継の画面が宙を彷徨う。
中央に映し出されたのは。
『…………』
カメラに冷たい笑みを浮かべる、ひとりの男の姿。
「……」
女性はその端麗な目を見開き、男を凝視する。
だが、彼はすぐに画面外へと消えてしまった。
回転し、揺らぎ出した映像はもはや不鮮明。
結局彼女は、男の細かい容姿までは分からなかった。
「……まさか。……いえ、そんなはず……無いわよね」
しかし、彼女の脳裏に焼き付いた男の姿は、長大な記憶の中のある存在と一致した。
「彼は死んだはずよ。生きていたとしても、既に虫の息……」
己の記憶と現実の矛盾にひとり唸る、金髪の女性。
その心中はまだ誰にも分からない。
「…………」
彼女はおもむろにソファーから立ち上がり。
「…………冬眠は終い、ね」
それだけ呟いて、異空間の奥へと姿を消した。