第十六話 史観
夜闇に紛れて人間を襲う、典型的かつ古典的な妖怪。
暗鬼を始めとして、そんな妖怪はこの世にごまんといる。
だが、そのなかでも群を抜いて強力な者がひとりだけいる。
そいつは夜闇に紛れるどころか、自分で闇を作りだして局地的に夜とし、混乱する人間たちを次々に襲うのだ。
いつ如何なる場所でも宵闇とする人喰い化物。
通称、宵闇の妖怪。
名は「ルーミア」。
* * *
幻想郷上空
「ちょっとー邪魔しないでよ。今いいとこなのに」
皆既日食に駆けつけた私を待ち受けていた者。
それは、幼い容姿の少女だった。
「ぐ……はぁ………かはっ……!」
そのむこう、荒い呼吸で傷を庇う女。
幻想郷の先住民のひとりの大妖怪だ。
宵闇の妖怪相手に単機で抵抗していたらしい。
私は視線を少女へと戻す。
少女よりか幼女と言ったほうが近いのだろうか。
それほどまでに彼女は幼い容姿だった。
無名の丘で襲ってきたあの毒人形よりは大きいが。
……変わらないな。
何百年経ってもその姿のままか。
「宵闇の妖怪、やはり貴様のことか」
「あれ、どっかで会ったっけ?」
黒いスカートと黒いベスト、その下には白い長袖シャツ。
首までの金髪を揺らし、小首を傾げる真っ赤な瞳。
「そろそろ痴呆症かルーミア。会っているはずだぞ、アヤクラという名の暗鬼頭にな」
挑発の視線で薄ら笑う。
彼女は一瞬固まり、そして驚嘆の表情となった。
思い出したか。
そう、会っているのだよ。
もっとも……。
平行世界の別人に、だがな。
* * *
何百年前だったか。
今となっては記憶が曖昧だが、三百年は遡るだろう。
私はまだ无月という姓を名乗らず、暗鬼の長“アヤクラ”として生きていた。
力量は並以下の人型妖怪程度。
お世辞にも強い存在とは言えなかった。
それでも暗鬼の中では唯一強い個体であり、ゆえに暗鬼を束ねていた。
幾多の妖怪が滅び、暗鬼の数も減少の一途を辿る時代。
私は暗鬼の長として、種の延命のために日々苦悩していた。
『苦しんでるねぇ、暗鬼共』
そんな我々の前に、彼女は突然現れた。
宵闇の妖怪、ルーミア。
当時既に最強クラスの大妖怪だった。
最下辺の妖怪たる暗鬼からすれば雲の上の存在である。
『いっそひと思いに滅ぼしてあげるよ。感謝してね』
遊びだったのか暇潰しだったのか。
それとも、さらなる力を欲したがゆえの捕食行動だったのか。
どちらにせよ崇高な理由があったとは思えない。
彼女はその絶大な力を振りかざし、暗鬼を片っ端から殺していったのだ。
勝負になるわけがない。
逃げ切れたのは私だけだった。
私はその日、同族を全て失った。
『妖怪が生き残れる最後の楽園よ』
時は流れ、二百年前。
八雲紫が私の前に現れたあの時。
彼女は独自に作り上げた妖怪の世界、“幻想郷”へと私を招いた。
『貴方は暗鬼という、妖怪の基礎根元的存在の最後の生き残り。まだ死ぬには早いわ』
私は迷った。
未来の人類相手に対等に渡り合う手段「抗いの力」を手に入れたばかりだった。
血を吐くような鍛練の末にようやく見つけた再起の道。
明無夜軍の計画も現実味を帯び始めた頃だった。
延命か、逆襲か。
選択肢はふたつだった。
幻想入りの道を選べば、この身の安泰は約束される。
易々と生き永らえることができる。
だが代償として、明無夜軍の計画は放棄せねばならない。
抗いの力の価値も捨てねばならない。
かつてと変わらぬ弱い暗鬼のまま、狭い世界でただ延命し続ける存在になる道。
それが紫からの招きだった。
幻想入りを拒んだ場合は、この身の価値が保証される。
人類科学文明に真っ向から戦いを挑めるだけの力が手に入る採算だった。
上手くいけば人間の勢力を著しく減退させ、再び妖怪の世を取り戻すことも可能だ。
だが代償として、果てしない戦いを強いられることとなる。
孤独に、誰の援護も受けられないまま。
敗れれば死あるのみ、死してもその価値を覚える妖は無し。
絶大な力と存在証明を引き替えに、孤高に歩む修羅の道。
それがもうひとつの選択肢だった。
『逃げだと恥じる必要は無いわよ。天狗も河童も妖精も霊も既に幻想郷の住人なんだから』
恥じるつもりなど無かった。
そんなものを理由に迷えるほど強くない。
弱く永く生きるか、強く気高く散るかで迷ったのだ。
『金毛九尾も酒呑童子もこの道を選んだわ。他にも……』
名だたる大妖怪たちも幻想郷にいる。
対して現世では、私以外の妖怪を探すほうが難しい。
妖怪が生きるべき世界は、もう現世ではないのかもしれない。
ならばこの際、私も現世を去るべきだろうか。
そんな考えがよぎった。
だが、紫の次の一言でそれは消えた。
『最近だと“宵闇の妖怪”もいらしたわ』
宵闇の妖怪は暗鬼と同じく闇にまつわる人外である。
ましてや大妖怪。
暗鬼からすれば大先輩のようなものだ。
……もっとも、奴が暗鬼を滅ぼそうとしたあの日まではの話だが。
善意のつもりだったのだろう。
奴が暗鬼を皆殺しにした事件。
幻想郷にいた紫はそれを知らなかったのだ。
『ほら、貴方も是非……』
『断る』
私ははっきりと告げた。
冗談じゃない。
狭い世界でルーミアと共存せよと?
わざわざ奴の元へ行けと?
馬鹿か。
死にに行くようなものだ。
そんなことなら現世に骨を埋める。
いっそ死ぬのなら、この身の価値を示してからだ。
『…………聞き違いかしら。断ると言われた気がしたのだけど』
『よく聞こえているじゃないか。そうだ、断ると言った』
私は紫の招きを拒み、現世に留まった。
黒船来航、明治維新、大陸侵攻、欧米列強への抵抗、神の火、高度経済成長、世界二位への躍進、物質的成長の転換期、精神的成長の不足。
生まれ育ったあの国で、私は二百年に渡って史実を見続けた。
目まぐるしく変化していく人類文明のなかでも、あの国の変化は特に激しかった。
それでも滅びず強くしたたかに血を繋ぐその姿に、私は神国の名の真意を思い知らされた。
だが、史実のなかに妖怪が登場することは遂に無かった。
現世の生きている人間は、妖怪の恐怖などとうに忘れていた。
『現世の頂は我ら暗鬼にあり』
私が巨塔の上で宣言する、あの朝までは。
やはり妖怪最後の抵抗者だったのだ。
その日、私は現世を覆す戦いを引き起こした。
明無夜軍。
人類は一日にして大混乱に陥った。
暗鬼は一日にして大躍進を遂げた。
ごく一部ではあるが妖怪も復活し始めていた。
野望は果たせるはずだった。
『この世界から失せて頂戴』
まさに三日天下。
紫の横槍で野望は潰えた。
幻想郷は遠い異世界などではなく、現世に依存付随する鏡の世界だった。
明無夜軍による現世の混乱は、図らずも幻想郷をも混乱させてしまったのだ。
激怒した紫は私を攻撃し、明無夜軍を失敗させた。
紫からしても計算が狂ったのだという。
私が現世で生き延び、まして現世を覆すなんて思ってもみなかったのだ。
時既に遅し。
幻想郷は崩壊してしまっていた。
『幻想を護る三つ目の手段があるからこそ、貴方の手段を壊したのよ』
幻想郷も明無夜軍も失った我ら妖怪。
紫はそれを見越し、妖怪存続の新たなる道を提示してきた。
『“過去の幻想郷”に飛ぶのよ』
時間逆行による歴史改変という道。
『禁忌を犯す覚悟は良いかしら、綾蔵』
幻想郷の崩壊も明無夜軍も無い世界線への移動。
『そっちこそ後悔はしまいな、紫』
それが“時空逆抗”だった。
移動先は“過去”。
だが、現世の過去に直接飛んだ訳ではない。
それだと无月綾蔵が二名存在することになるからだ。
ひとつの世界に二名が存在することは絶対に起こり得ないが、幻想郷と現世にひとりずつなら存在できてしまう。
自分自身と対峙するような事態は絶対に避けねばならなかった。
再び明無夜軍が起きる可能性は勿論、幻想郷と現世の間での争いの火種となりかねない。
そんなことになれば禁忌を犯した罪が公にされ、さらにはその力を持っていることを狙われ、我々逆抗者は大変な劣勢に立たされることとなるだろう。
せっかく見つけた第三案が塵と消えてしまう。
時間を遡ることによる歴史改変。
言葉にすると簡単に聞こえるが、そんな易しいものではない。
一度発生することが確定した歴史は、どんなに先回りして止めようとしても、どんなに原因を排除しても、元の歴史の姿へと戻ろうとする力が働く。
規模や影響が大きな事象ほど、この力は強くなる。
これを、“歴史の自己修復性”と言う。
私と紫がどんなに努力したところで、明無夜軍の再発生は止められないのだ。
歴史改変がなぜ禁忌とされたか。
それは、変えようとした結果を変えられなかったうえ、時間逆行をしたという結果すらも変えられずに逆行を繰り返し、永遠に何度も同じ歴史を循環するという無限地獄に陥ってしまうからである。
禁忌とされたのには相応の理由があるのだ。
そのため私と紫は一手間加えた。
私が存在しない世界線に飛ぶことにしたのだ。
“无月綾蔵が息絶えた平行世界”を選んで飛んだ後、その世界の“過去”へ移動したうえで、博麗大結界を越えて幻想郷に入る、というものだった。
そうすれば我々逆抗者は心置きなく理想の歴史を歩める。
修復性の影響は受けるもしれない。
我々が今歩み、これから歩む歴史は、元ある姿に近いものなのかもしれない。
だがそうだとしても、少なくとも明無夜軍は起こらない。
それだけで充分だ。
平行世界の過去の幻想郷。
我々はそこを移住先に決めた。
“時間”逆抗ではなく、“時空”逆抗と呼ぶ理由だ。
時間のみならず、空間の摂理にも抗ったからである。
本題に戻る。
私が崩壊させてしまった幻想郷は、紫の手によって消滅した。
混乱したまま放置されることとなる現世に、これ以上の禍根を残さないための措置であった。
その幻想郷に住み着いていたルーミアも、当然同時に消滅している。
私の同族を殺したルーミアはもうこの世にいない。
だがこちらの世界線では異なる。
いま目の前にいる平行世界のルーミアは生きている。
彼女もかつて暗鬼をなぶり殺し、そして幻想入りするという経歴を辿ったはずだ。
当然无月綾蔵とも会っているだろう。
平行世界の无月綾蔵はまもなく息絶えたようだが。
私が会ったルーミアは消滅している。
目の前にいるルーミアが会った綾蔵は死んでいる。
互いに面識があるが、互いに平行世界の別人と会ったに過ぎない。
実際には彼女とは初対面なのだ。
* * *
「アヤクラ……? なんで生きてるの……!?」
目を見開いたまま固まるルーミア。
よほど驚愕しているようだ。
「悪いか?」
「確かにこの手で殺した筈なのに……復活できないようにしたのに……なんで……」
驚愕というより焦りに見える。
発言からして、平行世界の无月綾蔵は彼女に殺されたらしい。
逃げ切れなかったというわけか。
「甘かったな。暗鬼は不滅だ。この世に闇がある限りいくらでも生まれ出る」
「どの口が。どう見たって暗鬼ってレベルじゃないじゃん。……何のインチキよ」
ルーミアは数歩下がり、二本の長剣を握り直す。
この魔力は……魔剣か。
「人聞きの悪い。あのあと手に入れた固有の力だ。お陰で私は現世最強にまで上り詰めた」
「最強? ふん。外にまともな妖怪が残ってないからでしょ。幻想郷じゃ並以下なんじゃない?」
右手に握るのは、生き血を吸う妖剣ダインスレイヴ。
左手に握るのは、神殺しの闇剣ミストルティン。
彼女はダインスレイヴで人を喰い続け、ミストルティンで神々をも手にかけようとしていた。
昔から変わらない。
強欲で妖怪らしい彼女の性格を表す得物だ。
「並以下の妖怪を相手するには随分な得物じゃないか。怖いのか?」
「うっさいな。そんなにもっかい死にたいのね」
怒るような怨むような表情の少女。
幼い見た目には似合わない。
黙っていれば人形のように可愛げがあるのだが。
残念ながら、中身はあの毒人形よりも凶悪非道な妖怪である。
「勝てる気でいるのなら改めることだ。かつてとは違う」
「下剋上する気でいるんなら甘いよ。立ちはだかる者、その全てを倒してきたんだから」
妖刀を生み出し、握る。
手が震えた。
かつて味わった恐怖が甦る。
同時に、雪辱を果たせることに対する歓喜が沸き上がった。
自分に言い聞かせる。
これは武者震いだと。
「死ね、ルーミア」
「っ!」
呪いの言霊を吐く。
何の躊躇いもなく、冷徹自然に。
ミラージュや零が聞いていたら大層驚いたことだろう。
ルーミアも身を固くしていた。
私は絶対に貴様を許さない。
今回ばかりは、命まで奪わないなどという情けは掛けてやれぬ。
私がこの世でただひとり、本気で殺したいと思える者よ。
「死を以て償え」
精算してやる。
300年越しの因縁を。
【妖剣】
ルーミアが扱う、妖力で構成された魔剣。
読みは「ようけん」もしくは「ダインスレイヴ」。
振るわずともひとりでに人を喰い、振るわば妖を喰うと云われる。
その云われ故に、人間にも妖怪にも恐れられる剣である。
見た目は禍々しく、赤黒く血濡れたような色合いをしている。
切れ味はそうでもないが、質量があり攻撃力は高い。
※【ダインスレイヴ】北欧の伝承に登場する魔剣。一度抜けば、生き血を吸うまで鞘に納まらないと云われた。
【闇剣】
ルーミアが扱う、闇の魔力で構成された魔剣。
読みは「あんけん」もしくは「ミストルティン」。
闇を司り、神を殺すと云われる。
妖怪が持つには過ぎた剣である。
黒光りする美しい西洋両刃剣。
魔力や妖力の伝導増幅体としても優秀である。
※【ミストルティン】北欧の言語で「ヤドリギ」という樹木を指す語。北欧神話で、盲目の神が投げたヤドリギが矢に変化し、光の神を貫き殺したと云われている。




