表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
東方無明録 〜 The Unrealistic Utopia.  作者: やみぃ。
第一章 明無夜軍
5/149

第五話 人影




「なんだよ……これ……」


 嘆くかのような、絶望したかのような、強張った機長の声が聞こえた。

 だがそれが機長の声なのか、自分の声なのか、それすら解らなかった。

 仮に自分が口を開いたとしても、きっとそれと同じ言葉しか出て来ないと思ったからだ。

 いや、この光景を見れば、人間なら誰もがそうなるのかもしれない。


 人が宙に浮いている。


 明らかに異常だ。

 この光景を見て驚かないのなら、それこそも異常と言える。


 気力を手繰り寄せ、なんとか口を開く。


「機……長、タワーに、近すぎます……」

「…………」


 タワーに接近しつつあった機体がピタリと空中停止する。

 機長からの返答は無かったが、聞こえてはいたようだ。


 もはや肉眼でも確認できる距離に見えるその影は、何度見ても、確かに脚も胴も腕も頭もある「人」であり、なおかつ虚空に浮かんでいる。


 ワイヤーアクション、立体映像、風船、錯覚、幻覚……。

 様々な憶測が頭の中を駆け巡るが。


 ワイヤーを取り付ける場所など無い。

 立体映像は熱源にはなり得無い。

 風にそよがない風船など無い。

 電子機器に写る以上、見間違いなどでは無い。


 それらの憶測は次々と消えてゆく。

 そして。


「「……!!」」


 ふたり揃って息を飲んだ。

 その人影がこちらを見据えたからだ。


 ある程度高めの身長、赤い線の目立つ暗い服、うすだいだいの肌に黒い髪、性別は男性のようだ。

 それだけ聞けば、見た目は一般的な日本人と大差ないが。


『…………』


 体と共に陽に向く首を僅かに右へ回し、こちらを横目に見る瞳。

 人間のそれとは明らかに異なっていた。


 光を全て吸い込んでいるかのように真っ黒だったのだ。

 日本人の瞳のように黒褐色や茶褐色などではない。

 今まで見たことが無いほど、この距離からでもそれが解るほど、その瞳は極めて「黒」であった。


 こいつはただの人間では無い。

 そんな考えが浮かんだ瞬間。


「「!?」」


 突如、全身を激痛が襲った。

 何が起こったのか理解する前に、自分の身体は明らかな異常を表し始めた。


 手が無意識の内に固く握られ、その中に手汗が滲む。

 腕や脚の筋肉が硬直し動かなくなる。

 肺が締め付けられたかのように、呼吸が上手く出来なくなる。

 心臓すらその鼓動が乱れ始める。

 今まで感じたことがないほどの痛みが脳内を蹂躙する。

 あまりの痛みに視界が霞み、耳鳴りが聞こえ始める。


 そんな激痛に襲われ数秒後か、数十秒後か。

 時の流れすら解らなくなった頃。


「ぅおおおおあぁあぁ!!」


 凄まじい怒号が聞こえ、一瞬痛みが和らぐ。

 思考が僅かに回復した。


 怒号の主は機長だった。

 機長も自分と同じ状況だったのだろうか。

 機長は激痛を吹き飛ばすかのような雄叫びを出した直後、操縦桿を体ごと右へ叩きつける。


 機体が大きく右に傾き、左上へ体が浮くような感覚を覚える。

 浮く体を上の風防にあてた左手とシートベルトで押さえつける。

 機体は横倒しにまで傾き、凄まじい速度でタワーから離れていき、そして地面へと近づいていく。


 急速に近づく地面を右に一瞥すると、空いた右手で非常用ボタンを殴る。

 このままでは墜落するかもしれない。

 しかしこれで本部や周辺部隊に救難信号が送られるはずだ。

 堕ちたとしても、現在地と状況報告くらいにはなる。


「機長!!」

「分かってる!」


 もちろん、最期まで足掻くが。


 当然機長も同じ考えだったようだ。

 機体を立て直すため、操縦幹を先程とは逆の左方向へ倒す。

 右へ倒れていた機体が元に戻り、地平線がほぼ水平に見えるようになった。


「むん!」


 機長が気合の一言と共にローターの回転数を最大にする。

 今度は身体が座席に押さえつけられる。

 いわゆるGというやつだ。

 通常の重力以上の力で下方向に引っ張られ、さらに下方向から地表が迫る。

 目をつむり、ひたすらその恐怖に耐える。




 下方向へのGが消えた。

 急降下が終わりホバリング状態になったようだ。

 閉じていた瞼を開けると、いたって正常な計器類が視界に写った。

 高度計は100メートル以下を示している。

 恐る恐る下を覗き込むと、ほんの10メートル程下に建物の屋上が見えた。


 首の皮一枚繋がったようだ。


「……っはああぁ……」


 20、30年足らずのこの人生の中でも最大級の溜め息をつく。

 安定を取り戻した偵察ヘリは高度を回復すると、加速しながらタワーから離れていく。


「寿命が縮んだな……。被害は?」

「は、はい。計器類は異常無しです」

「気分は?」

「最悪です」

「同じく。まったく何だってんだあれは……」


 自分の腕を軽く動かしてみる。

 先程の痛みはどこへやら。

 あれほどの激痛があったにも関わらず、怪我をしているような感覚など微塵もない。


「さぁ……? あの黒服の仕業なんですかね?」


 後方に離れていくタワーを振り返る。

 恐らくあの頂上にまだ浮かんでいるのだろう。


「だろうな」


 機長も振り返る。


 登りはじめた朝日を背景に、天高くそびえる東京スカイタワー。

 だが今日のタワーはより大きく、そしてより美しく目に映った。




『こちら本部。偵察二番機(スカウト2)応答せよ。指定エリアで待機と言ったはずだ。繰り返す、……』


 不意に無線が繋がった。

 本部からのようだ。

 機長が応答する。


「こちら偵察二番機(スカウト2)。異常事態発生。現在離脱中、至急応援を求める」

『……状況報告』

「つい今しがた、東京スカイタワー最上部に不審者を発見。確認のため接近した際、機長及び電子担当の身体に著しい異常が発生、一時操縦不能に陥った」

『最上部だな? 了解。何故発生直後に報告しなかった?』


 驚いて自分も無線を取る。


「こちら電子担当。状況発生時に救難信号を発信したはずですが」

『……は? 間違いないのか?』


 目の前の非常用ボタンを見る。

 ボタンは確かに押し込まれている。

 発信済みだという証拠だ。

 まさか、通信妨害までされたという事だろうか?


「間違いありません」

『……了解した。部隊を送る。すぐに帰投しろ。機体とバイタルの状態は?』

「機体状態、二人のバイタル、共に異常ありません。……それと、その不審者についてですが……」

『何だ』

「明らかに異常です」

『具体的に説明しろ』

「帰投したら、撮影した映像をお見せます」


 空中浮遊、感覚異常、通信妨害。

 どう考えたって生身の人間に出来る芸当ではない。


「そのほうが、信じて頂けるかと」

「……だな」

『……?』




 ただの人間ではない。

 奴はとんでもない存在かも知れない。

 自分の出した結論は、そんな抽象的なものにとどまった。


 だが無意識が、本能が、DNAが、告げていた。


 ――奴は……


 ――人ならざるもの。


 ――人に仇なすもの。


 ――人の力では遠く及ばぬもの。


 そんな、血に刻まれた遠い先祖の記憶になど、簡単には気付ける筈もなく。




 封じられていた歴史は今、甦ろうとしていた。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ