第五話 再会
紫と別れてから、もう何時間経っただろうか。
私、无月綾蔵は、相も変わらず当てもなく彷徨い歩いていた。
とうに日は沈み、星空が広がり、高々と月が昇った。
光に満ちた外の世界の人間さえ、もう寝静まる頃だろう。
妖怪の私に睡眠など必要ない。
そもそも元暗鬼の身なのだから、むしろ夜が活動時間だ。
こうして真夜中に歩いていても、何も苦ではない。
しかし。
「見当たらない、か」
ひとり呟く。
ため息をついたのは飽きからだろう。
退屈というものは、長寿である妖怪にとっては最大の“苦”である。
私や紫と同じく時空を逆抗した者を、こうして歩いて探している。
が、何の手がかりも痕跡も発見できていない。
ただ歩くだけ、成果も乏しいし退屈なのだ。
仕方ない、飛ぶとしよう。
身体に妖力を通し、地を蹴った。
瞬く間に草原が遠ざかる。
視界を遮っていた木々が下方に消え、やがて幻想郷の全貌が姿を現す。
夜闇に満ちているとはいえ、地表を歩くよりは断然見渡しやすくなった。
最初からそうすれば良かったではないか、というのは真っ当な意見だろう。
私だってそうしたかった。
しかし、真っ昼間の空に漆黒の暗鬼が浮かんでいたら、どう足掻いても人目を引いてしまう。
要らぬいざこざを避けねばならない現状、目立つ行動はしたくなかったのだ。
生まれながらによく利く夜目を駆使し、周囲を視る。
鈴蘭の丘を北へ下った先に、魔力を溜め込む広大な樹海。
東には山があり、頂上には神社らしきものが小さく見える。
西には平野が広がり、その中程に人間の集落が確認できた。
そしてさらに向こうには、堂々とそびえ立つ巨山の影。
紫曰く、樹海は“魔法の森”、神社の名は“博麗神社”、集落は単に“人間の里”、そして巨山は“妖怪の山”と呼ぶらしい。
「……?」
感じた違和感に眉を潜める。
形容するならば、“活気がない”だろうか。
幻想郷は、数多くの妖怪がひしめく世界だ。
実際見渡す限り、凄まじい数の人外の気配が感じ取れる。
しかし、どういう訳か。
その誰をとってしても、それぞれの気配が希薄なのだ。
弱々しい、とも言える。
この妖怪の天下において妖怪が弱体化しているとは、いったいどういう風の吹き回しだろう。
一体どこが“理想郷”なのだ。
これでは収容所か何かのようではないか。
士気の無い妖怪が大量にうろつく状態。
これは危険だ。
この状態で突然、私のような強力な妖怪が暴れてみろ。
あっという間に妖怪たちは強き者になびき、一気に大反乱を起こすだろう。
紫は把握しているのだろうか。
いや、彼女のことだ、きっと計算内なのだろう。
ということは、大反乱のような事態を想定している、もしくは望んでいるということか?
まさか、紫の言っていた“変革”というのは…………。
「!」
憶測まみれの思考を断つ。
視界に何者かが映ったからだ。
視線を向け、対象を凝視する。
鈴蘭だらけの丘の端、月光の木陰にもたれて眠る、ひとりの少女がいた。
「見つけたぞ」
私はゆっくりと下降を始めた。
「……我が従者よ」
その少女、ミラージュ・ナイトメアの元へと。
* * *
「ん…………」
唐突に聞こえた声に、視線を下ろす。
見ると、膝に乗った紫髪の頭が僅かに動いた。
木に背中を預け、眠ったままの彼女に膝を貸してから一時間ほど。
ようやく意識が戻ったらしい。
「ミラージュ」
名を呼ぶ。
極力穏やかに、要らぬ負荷を与えない声色で。
「っ……」
瞼が開く。
美しい紫色の双瞳が月光に煌めいた。
瞳は月を見、星を認め、やがて自分の手を眺め。
「生き、てる……?」
微かな声でそう呟いた。
が、すぐに彼女ははっとした表情でまばたきする。
周囲を見回したその視線が、覗き込む私の視線とぶつかった。
「気が付いたか」
再び声を掛ける。
彼女は数度まばたきし、固まった表情で口を開く。
「あや……くら……、さま……?」
「ああ、綾蔵だ。また会えたな、ミラージュ」
微笑とともに返答する。
彼女はそれを聞くと、突然上体を起こした。
ミラージュの顔が至近距離で止まる。
だが、彼女は私の顔を見つめたまま動かない。
何か信じられないモノでも見たかのような表情のままで。
「綾蔵……様…………!?」
その声が震える。
その瞳が揺らぐ。
滲む激情は、私が今まで見たことの無い表情となって表れる。
「わた、わたし……あのとき……もう、死ぬのかなって…………もう、会えないの、かなって……っ…………」
彼女の頬を伝う、一滴の雫。
それは、彼女に与えた“心”が、充分な域まで成長しつつあることの証明。
「っ、辛い思いをさせたな。すまなかった」
動揺を言葉で掻き消し、その雫をすくう。
震える彼女の頬は温かかった。
「いい、いいんです。また、会えました……それだけで……」
ミラージュの華奢な両手が、頬に触れる私の手を包み込む。
目を閉じたまま、噛み締めるように、離さないように。
涙とともに言葉が紡がれる。
「わたし……ほんとう、に……うれしい、です…………」
不意に彼女の上体が倒れる。
咄嗟に空いていた左手を広げ、それを受け止めた。
「ミラージュ?」
心配して問うてみるが、返答はない。
ただ安らかな寝息が聞こえるだけだ。
慣れない“感情”に振り回されたためか、疲れて眠ってしまったらしい。
「ふ……」
その無防備な寝顔に、ため息ひとつ。
目を閉じ、背後の木に後頭部を預けた。
可愛い奴だ。
彼女に抱く、この愛おしい気持ちはなんだろう。
従者というより、娘のような存在として扱っているのかもしれない。
あながち間違ってはいまい。
彼女に命と心を授けたのは私なのだから。
* * *
「えっと……す、すみません。その、お見苦しいところを」
小さくなって謝るミラージュ。
涙の乾いた頬は、羞恥からか赤みを帯びている。
半時間ほど眠った後、彼女は目を覚ました。
私の腕の中にいることを思い出すと、慌てて飛び起き、たっぷり十秒間ほど顔を覆った後、今に至る。
「このくらい構わん。それより、あの時の怪我はもう大丈夫なのか?」
さらりと流し、話題を変える。
私からしてみればどうということはないが、精神の未熟な彼女にとってはかなりの心労を伴ったようだ。
「はい、お陰様で。綾蔵様もご無事そうで……なによりです」
そう言って微笑むミラージュ。
あの時、時空逆抗の直前、彼女もまた満身創痍の状態だった。
左肩の深傷は痛々しかったし、胸の貫通傷は十分致命傷と言えた。
「感謝するなら、私ではなく紫にするのだな。今お前が生きているのは、敗れ傷ついた私達を彼女が保護してくれたからだ」
だが、紫が回復させてくれた。
ミラージュだけではない。
私も含め、時空を逆抗した者全て、彼女が保護してくれたのだ。
「え、八雲紫には……勝てなかったのですか? で、では、天蓋や籠蓋は、明無夜軍は、あの後どうなったのですか?」
困惑した表情を見せるミラージュ。
そうか、彼女には知るよしもない。
ずっと眠っていたのだから。
「ん、話しておこう。あの後何があったのか、ここがどこなのかを」
* * *
明無夜軍。
それは、人類に支配された現世を覆すための壮絶な戦いの名だ。
現世にて。
私率いる暗鬼軍は、世界各地の都市を闇で覆って奪い取り、そこを基点に人類に攻撃を始めた。
現世の人類にとって暗鬼とは、今までの概念が通じない未知の強敵。
故に世界各地で惨敗を喫した各国軍は、都市の奪還も叶わず、ただ地方で抵抗戦を繰り返すのみとなった。
ここまで計算通りだった。
だが、誤算が生じた。
混乱に乗じて復活を果たしたある妖怪が、攻撃目標のひとつであった大都市ニューヨークを暗鬼から守りきったのだ。
排除のため現地にミラージュを向かわせたが、返り討ちにあい、撤退に追い込まれてしまった。
その妖怪はミラージュを追って、私が本拠地とした東京にまでやってきた。
流石に私の力には敵わなかったのか、その妖怪は倒すことができた。
しかし、誰も図らず、これが大きな隙となった。
八雲紫。
100年以上も前に“死んだはず”の大妖怪。
彼女が、“死んだはず”の名だたる妖怪達を引き連れ、私を排除しに来たのだ。
私もミラージュも抵抗したが、地上最強と云われる彼女には敵わなかった。
ミラージュは混乱に乗じたその“邪魔者”の悪あがきで心臓を刺され、私は異空間に引きずり込まれ意識を失った。
自らの野望の成就を見届けることなく、私は倒されたのだ。
話には続きがある。
私は自分が殺されたのだと思った。
妖怪としての生を終え、消滅していくものだと思っていた。
だが、違った。
目を覚ますと、目の前に紫がいた。
混乱する私に、彼女は語った。
曰く、「无月綾蔵は現世でこそ死んだが、幻想では生きている」と。
また、「私を含む妖怪その他幻想の存在は、幻想の世界、『幻想郷』で生き長らえている」とも。
そうして私は気付いた。
現世に残ってしまったがゆえ、孤独なのだと、自分が唯一残った妖怪なのだと、私は勘違いしていた。
現世から姿を消した紫や他の妖怪は、死んだのではなく、ずっと幻想郷で生きていたのだ。
しかしその幻想郷は、明無夜軍の巻き添えを食らって崩壊の危機に瀕していた。
故意ではない。
私は幻想郷の存在を知らなかったのだから。
紫にしてみても、想定外の事態だった。
私が現世で生き延びていることなど、知るよしもなかったのだから。
妖怪を復活させる計画、明無夜軍は失敗した。
妖怪の避難所、幻想郷は崩壊した。
妖怪の未来も、私の野望も、紫の理想も、潰えたかに見えた。
しかし彼女は諦めていなかった。
妖怪を存続させる新たな手段を、その超越した頭脳で導きだしていた。
曰く、「“明無夜軍が起こる前の幻想郷”に飛び、そこで歴史を改変すれば、明無夜軍は起こらず、同時に无月綾蔵の存在も保障される」と。
時間の流れに逆らう行為、そして歴史を改変する行為は、言うまでもなく禁忌である。
だが、私と紫は迷わなかった。
私の能力「抗いの力」と、紫の持つ「境界を操る能力」を駆使し、我々はその禁忌を犯した。
時空の流れに逆らい、禁忌に抗う。
妖怪を護る為の、3つ目の手段。
我々はそれを、“時空逆抗”と称した。
「……そうして辿り着いたのがこの世界、“過去の幻想郷”だ」
一通りの説明を終える。
ミラージュは不満そうな表情で俯いた。
「そうですか、明無夜軍は失敗したのですね……。しかし紫の、あの方の……」
「軍門に下ったようで面白くない、か?」
歯ぎしりするミラージュに、にやりと笑う。
彼女は顔を上げ、慌てて首を振った。
「い、いえ、綾蔵様のご判断を責めるつもりは」
「はは、そんなつもりで言ったのではない。まあ……彼女に逆らえない現状、確かに言いなりではあるがな。安心しろ、紫と私は利害も理想も一致している。互いに必要な存在でもある。極端な不利益は押し付けてこないはずだ」
明無夜軍か幻想郷かの違いこそあったが、同じ理想を描いた二人だ。
紫の言うとおり、“同志”という呼び方が似合う。
それに、彼女は隠すことこそあれ、嘘だけはつかない。
その点信頼できるのだ。
今のところは。
「……分かりました。綾蔵様がそう言うのであれば、従うのみです」
渋々といった表情で頷くミラージュ。
彼女にとって紫は、主に突然攻撃を仕掛けた見知らぬ妖怪にすぎない。
腑に落ちないのも解る。
「それと、最も重要なことを伝えておく。言った通り、ここは“過去の幻想郷”だ。我々は本来あるべき幻想郷の歴史に抗い、無理矢理存在している。つまり、存在が保証されていない状態なのだ。その為……」
俯いたままのミラージュを真っ直ぐ見据える。
彼女は少し驚いて姿勢を正した。
「“存在証明”をする必要がある」
「存在、証明」
ミラージュが復唱する。
私はゆっくりと頷いた。
「ああ。歴史通りならば、幻想郷にはもうじき大きな変革期が訪れるそうだ。我々、時空を逆抗した者達がその変革に関われば、歴史を強固に塗り替え、存在を確かなものにできる。ただ……」
一呼吸置く。
恐らくこれが、一番覚悟しなければならないこと。
「戦うか死ぬかになる。変革は無血では終わらないだろう。それだけは覚えておけ」
「……!」
ミラージュを冷たく睨む。
慣れない私からの真剣な視線に、彼女は息を飲んで固まった。
が、数秒経つと気を取り直し、目を据えた。
「覚悟はできています。どんな敵が来ようと、綾蔵様は私が守ります。……今度こそ、私が」
彼女は胸に手を当て、そう誓う。
今度こそ、か。
従者である彼女にとって、あの時私を守れなかったのは屈辱だったのだろう。
「頼りにしてる。だが、自分の命も大切にするのだぞ。自分を守れない者に、他者は守れない」
「ありがとうございます。でも、綾蔵様は他者ではありません。私の創造主であり、主君です。綾蔵様を生かす為なら、私は喜んで命を盾にします」
真っ直ぐに言い放つミラージュ。
迷いのない確固たる意志だ。
私にとって彼女は、かけがえのない、替えの利かない仲間だ。
だが彼女にとって私は、何よりも優先すべき、守るべき存在らしい。
それは今の会話からも十分解る。
今いる幻想郷のことよりも、私の計画の結末を気にしていたのもそう。
変革の内容や敵の正体を問わず、私を守ることしか考えていないのもそう。
視野が狭いと断じてしまえばそれまでだ。
自分を大切にしていないと叱るのは簡単だ。
だが、そういう者がいるからこそ、集団や組織は成り立つ。
考えが異なるからこそ、調和が取れるのだ。
「……そうか、小言が過ぎたな。お前の好きにするといい」
だから、私は彼女の意志を尊重したい。
例えそれが、私の望みと合致しなくとも。
「小言だなんて。思慮深い主に恵まれ、わたしは幸せです。綾蔵様」
にこりと笑うミラージュ。
随分と表情豊かになったものだ。
人形のように無表情で無感情だったあの頃と比べると、まるで別人だ。
「ふふ、可愛いことを言ってくれる……」
思わず彼女の頭に手を置いた。
ミラージュは不意を突かれたのか、少し驚いた表情で私を見る。
「綾蔵様?」
困惑する彼女に、私は微笑みだけを返し、手を引っ込めた。
降り差す月光が揺らぐ。
私は夜空を見上げ、おもむろに口を開いた。
「……来たか」
「え?」
ミラージュが私の視線の先を追う。
そうして彼女も気付いた。
満月を背景とし、ひとつの人影が浮かんでいることに。
「っ! 見つけましたよ」
こちらを見て言葉を発する人影。
向こうも気が付いたようだ。
「大悪党、无月綾蔵……!!」
私の名を忌々しく告げる、女の声。
人影が近付き、その容姿が月光に照らし出される。
白く美しいドレス、夜風になびく長い金髪。
睨み付ける碧眼、手に握る純白の聖槍。
「ふ、今更目を覚ましたか。待ちかねたぞ……」
睨みと言葉を返す。
忘れもしない。
明無夜軍に水を差した、邪魔者。
ミラージュに致命傷を負わせた、仇敵。
正義を振りかざす、月光の妖怪。
「照月零」
私の探していた、もうひとりの時空逆抗者だ。
名前:ミラージュ・ナイトメア
初登場:一章第十二話 従者
種族:暗鬼
性別:女
年齢:1歳未満
身長:やや高
髪の長さ:肩
髪の色:紫
瞳の色:紫
能力:疑心を操る程度の能力
无月綾蔵によって作られた、綾蔵の従者。
暗鬼としては唯一“心”と呼べるものを持っており、15歳の人間の少女と同程度の知能を持たされている。
この物語における、いわゆる従者キャラ。
暗い色調の服とホットパンツ、ロングブーツを身に付けている。
闇色の煙(闇霧)を操り、そこから光弾や光線、暗鬼、近接戦闘用の大斧(邪斧)など、様々なモノを生み出すことができる。
さらには、自身の身体を闇霧として霧散させる、闇霧の状態から身体を再構築する、闇霧で傷を修復することなどができる。
生まれたばかりの頃ほどではないとはいえ、比較的口数は少なく表情も固い。
綾蔵への忠誠心が強く、命に代えても守ると決めている。
綾蔵以外の者には敬語を使わず、態度も冷たい。
第一章では、綾蔵からロンドン攻撃とニューヨーク攻撃を任される。
ロンドン攻撃には成功したものの、続いて行ったニューヨーク攻撃は、とある妖怪の妨害を受け失敗する。
東京に撤退後、合流した綾蔵と共に追ってきたその邪魔者を撃破するが、直後に現れた八雲紫らに襲われる。
混戦の最中、息も絶え絶えとなっていたその邪魔者に隙を突かれ、背後から刺され重傷を負う。
彼女は行動不能のまま八雲紫によって異空間に引きずり込まれ、意識を失った。
【魔法の森】
幻想郷の北東部に大きく広がる森。
常緑広葉樹の大木が高木層を成し、鬱蒼とした樹海が広がっている。
湿度が高く、気温が低く、さらにかなり暗いため、下層植生に混じって茸が頻繁に見られる。
巨大な化け茸も珍しくない。
茸やカビの胞子が常に漂っているうえ、森自体が魔力を溜め込んでいるため、人間が立ち入るとすぐに気分が悪くなってしまう。
だが魔に魅入られた者にとっては理想の場所であり、妖怪や魔法使いがここを住処にしている。




