第三十一話 大戦
「答えろ」
主が動揺する姿など、初めて見た。
「八雲……紫…………!!」
激情にかられる綾蔵様など、想像したことも無かった。
「お互い様、知る必要は無いわ」
息を飲む。
我が主、无月綾蔵の冷徹さをここまで乱せる女。
「私が貴方に望むことは、ただひとつ」
それは、不敵な笑みで私達を見下す、金髪紫眼の大妖怪。
「この世界から失せて頂戴」
八雲、紫。
突如、彼女の掌から無数の妖弾が放たれた。
不意を突かれた綾蔵様は、咄嗟に妖力壁を展開する。
反撃どころか移動もままならず、その苛烈極まりない弾幕に耐えるばかりだ。
決して弾幕の密度が高いからではない。
撃ち込む場所が的確過ぎるのだ。
彼女は綾蔵様の手の動き、足の動き、妖力の流れ、向き、角度、視線に至るまで全てを読み、それを阻害するように撃ち込み続けているのだ。
しかもそれには法則性がない。
最適な射線を瞬時に連続して算出し続け、寸分の狂いもなく実行する。
正確すぎる、非常識な程の計算力だ。
まるで……コンピュータの如く。
この女も、復活した妖怪なのか。
とんでもない大妖怪が現れてしまったものだ。
いや、そんなことはどうでもいい。
綾蔵様の敵であるならば、倒す。
綾蔵様の障害となるのならば、排除するまでだ。
例え力及ばずとも。
邪斧を後ろ手に構え、空を駆ける。
紫と綾蔵様の間に割り込むためだ。
しかし、射線上に侵入する直前。
「待ちなって、お嬢ちゃん」
背後から何者かに呼び止められた。
同時に、邪斧が何かに引っ掛ったように動かなくなる。
身動きの取れなくなった私は、声がした方を振り返る。
「あんた、あたしの相手をしてくれないかな」
橙色の瞳と、背中に広がる橙色の髪。
そこにいたのは、頭に大きな双角を生やした小柄な少女だった。
その小さな腕によって、超質量を誇る筈の邪斧は、いとも簡単に止められていた。
見た目に釣り合わない怪力、口調、態度、そして妖力。
こいつは一体……。
「ま、拒否権はやらないけどね」
刹那、邪斧が凄まじい力で後方に投げ飛ばされる。
咄嗟に手離せなかった私は、そのまま引きずられるように一緒に飛ばされた。
綾蔵様の背中が急速に遠ざかる。
「……っく」
両腕に力を込め、邪斧を振り抜く。
その質量と遠心力を以て、どうにか空中に踏みとどまることが出来た。
だが、綾蔵様からは随分と離されてしまった。
最早砂粒程にしか見えない。
「これで一騎討ちだ。さて、手合わせ願おうかい」
いつの間に追い付いたのか。
綾蔵様と紫の戦場への直線上に堂々と割り込む、先程の少女。
恐らく、紫の仲間だろう。
最初から私達の分断を目論んでいたようだ。
「……あなた、誰」
邪斧を構えたまま、油断せずに問う。
「あたしは鬼、伊吹萃香。あんたは?」
零や綾蔵様とはまた違う、余裕の感じられる物言いだ。
鬼という種には疎いが、相当な実力者であることは間違いない。
「无月綾蔵の従者、ミラージュ・ナイトメア。敵の仲間は敵、主の敵は私の敵。つまりあなたは……私の敵」
得物に妖力を通す。
突如として紫炎を纏った邪斧が、対峙する者を威圧せんと唸りを上げる。
だが、萃香と名乗った少女は眉ひとつ動かさない。
「ほう、綾蔵の……。しかしまあ、こちとらあんたらのせいで知り合い達が大勢困ってんだ。おまけに、旧友の頼みとあっちゃあ断れない。お互い難儀な立場だ、勘弁してくれな」
快活で堂々、豪胆で義理堅い。
話の分かる相手のようだ。
どんな野蛮非情な輩だろうと勝手に勘ぐっていたが、とんでもない思い違いだった。
味方となれば、この上なく頼もしい奴だろう。
だが彼女の言う通り、立場上戦いは避けられない。
余裕の笑みを浮かべる萃香を睨み付けた。
「……あなたのその余裕、崩してあげる。……覚悟」
「気概や良し。さあ、来な」
彼女が手招きした瞬間、私は空を蹴る。
一瞬で至近距離にまで接近すると、間髪入れずに邪斧を叩きつけた。
この間、僅か一秒にも満たず。
だが。
「速さは、なかなかのもんだねぇ」
それを片手の甲で楽々と受け止める萃香。
食らいつく刃も、吹き荒れる紫炎も、全く意に介していない。
「でもその程度の力じゃあ……鬼には勝てない」
萃香が軽く手首を返す。
たったそれだけの動作で、邪斧は弾き飛ばされた。
「ま、力で鬼に敵う種はいないけどねー」
軽口を叩く彼女を尻目に、私は早々に邪斧から手を離す。
これ以上邪斧の質量に振り回されては堪らない。
後で回収すればいいだけだし、効かない武器にしがみついていたって意味が無い。
「っ……『疑心透魔』、『剣鬼召喚』!」
体勢を立て直しつつ距離を取り、すぐさま次の手を打った。
萃香に幻術をかけたうえで、周囲に剣鬼の群れを召喚する。
雄叫びを上げ、次々に突撃していく彼ら。
対する萃香は右手に拳を作り、迎撃の構えだ。
「 !! 」
「 ! !」
剣鬼達が彼女に斬りかかる。
刹那。
「無駄無駄無駄ァ!!」
萃香が百裂拳を放ち始めた。
凄まじい速度で突き出される拳が空間を裂き、生まれた衝撃波が剣鬼を次々に襲う。
心臓を穿たれた個体が爆ぜ散る一方、攻撃を受けずに接近できた個体も幾つか居た。
彼らは、幻術によって萃香の視界に映らなかったため、迎撃を免れたのだ。
大剣の翼が萃香の身体を何度も斬りつける。
「っ……?」
苦悶と困惑の表情を浮かべ、僅かに声を上げる彼女。
身をよじって痛みに耐えつつ、見えない敵を見つけようと辺りを見回している。
どうも手応えが浅い。
戦闘機を空中分解させ、零にすら出血を伴う裂傷を負わせる剣鬼。
だが萃香に対しては、僅かに切り傷を与えることしか出来ていない。
無駄に頑丈な身体だ。
とは言え、あの余裕を少しだけでも崩せたのは大きい。
この機を逃してはならない。
「……『疑心闇鬼』」
自身の周りに張りぼての剣鬼を多数出現させ、萃香からの視線だけを絶つ。
その間に、闇霧となって返ってきた邪斧を右手に受け止め、生成し直す。
「気に入らない、気に入らないねぇ……」
剣鬼の攻撃を受けながら、萃香が呟く。
先程までとはうってかわって、余裕の無い憤りの言葉だ。
「卑怯、狡猾、謀略。あたしら鬼が一番嫌いなことだ」
「……鬼の思想なんて知らない。これが私のやり方。綾蔵様のためなら、手段は選ばない」
彼女の持論を退け、振りかぶった邪斧に妖力を込める。
紫炎を纏った刀身が、夜空に輝きだす。
「……鬼神に横道なきものを。……覚悟」
萃香はそれだけ言うと、右腕を腰だめに構え、力を溜め始めた。
先程と同じく、拳の衝撃波で対抗するつもりだろうか。
だとしたら、愚策である。
物理的な力で妖術に対抗するのには、限界がある。
力任せの技だけでは、邪斧の妖力波を迎撃することなど出来ないはずだからだ。
もうひとつあるとすれば、近接戦闘に持ち込むつもりなのかもしれない。
邪斧の叩きつけを片手で弾くような怪力だ。
近接戦闘となれば、間違いなく彼女に利がある。
ただ、これも現状では危うい。
迎撃が出来ない以上、あのままでは邪斧の妖力波を撃たれ続けるだけ。
さらに、いざとなれば身体を霧散させて逃げることのできる私に、彼女が追い付く事など不可能だ。
邪斧の妖力が最高潮に達した。
対して萃香は力を溜めきるまでに、まだ数瞬かかるようだ。
先手必勝。
「……潰えろ、『アルマーズ』!」
あらんかぎりの力で、邪斧を振り抜く。
紫色に輝く妖力波が、総てを壊さんとする勢いで萃香に迫る。
だが、彼女は一切慌てず騒がず。
静かにその両目を開き。
「……無、駄ァ!!」
怒号と共に、正拳突きを放った。
いや、正拳突きなんて生易しいモノでは断じてない。
それは、物理法則を無視した圧倒的な暴力。
一瞬にして叩き潰された空間が、軋み、歪む。
それによって引き起こされた衝撃波は、妖力波を消し飛ばし、邪斧を砕く。
「っ!?」
身の危険を感じた私は、咄嗟に身体を霧散させた。
非常識な破壊の連鎖。
巻き込まれようものなら、文字通り木端微塵だ。
木端微塵で済めば良いが。
元居た天蓋の縁から反対側の縁まで一瞬にして移動し、身体を再構築する。
そして、追ってくるであろう萃香に備えるため、邪斧を再生成して構える。
が。
「あたしの能力は、密度を操ること」
背後から響いた萃香の声。
不意を突かれた私は、反射的に後ろを振り返る。
そして、振り向き様に邪斧を叩きつけた。
「霧散はお手のものなんだ」
それをまたしても片手で受け止める萃香。
さらに、彼女の妖力を受けた邪斧が瓦解していく。
密度を操る能力。
邪斧を分解しているのは、彼女の言うその力だろう。
身体を霧散させての瞬間移動。
私と同様の技が出来るのも、その能力故か。
「残念」
刹那、目にも止まらぬ早さで繰り出された踵落としが、私の右肩を打ち砕く。
首筋に走った強烈な衝撃が、脳髄と声帯を停止させる。
全身を駆け巡った破壊の波が全神経を撃ち抜き、身体の管制を奪う。
悲鳴を上げることすら、痛みを感じることすら叶わない。
遠退く意識と萃香の姿。
近付く地面と死の恐怖。
「相手が悪かったね、ミラージュ・ナイトメア」
二本角の少女はそう言って、身を翻した。
「…………っ、く……」
瓦礫と煙の只中で、私は意識を取り戻した。
身体を起こそうとするが、力を入れるだけで全身の筋肉が悲鳴を上げる。
私は諦め、闇の霧を集めての回復を図ることにした。
目蓋を開ける。
満天の星空が、そこにあった。
煌めく天の川が、傷を癒してくれるようだった。
私が生まれた夜、綾蔵様に教えてもらった。
此処東京の明かりが消えた今だからこそ、この美しい夜空が見られるのだと。
人間はこの景色を望んで掻き消したにも関わらず、この景色に夢を見るのだと。
“心”が未熟だった私は、なぜ綾蔵様がそんな話をするのか理解出来なかった。
ただの景色を気にしたところで、何の意味があるのかと。
でも、今なら解る。
この輝きを見、美しさを感じられる者は、これを糧にまた歩むことが出来るのだ。
精神論で、感情論。
それでも意味はある、価値がある。
綾蔵様が私に心を作った理由。
それは、物理的、論理的ではない何かすら私が得て、成長していってもらいたいからではないだろうか。
視界の端を何かが通る。
目で追うと、妖力弾だと分かった。
発生源は、無明天蓋の頂点。
紫と綾蔵様が戦う場だ。
紫単体が相手でも、綾蔵様は文字通り手も足も出なかった。
そこに萃香が加わったら、さらに他の仲間が加わるとしたら。
「……っ」
痛みを無視して身体を起こす。
主の危機に、寝てなどいられるか。
この身朽ちるまで尽くすと決めたのは、私自身ではないか。
「綾蔵……様。今、向かいます……」
立ち上がり、天蓋を見上げる。
黒く巨大な霧の壁が、凍てつく大地に佇んでいた。




