第十八話 逃避
日本国 中央自動車道恵那山トンネル
「……タクシーに乗って高速なう」
「ん、なんか言うたか?」
「あ、運転手さん。何でもないです」
「ほうか〜」
妹の明のようなセリフが、無意識のうちに口から出てしまったようだ。
まあしかし、明の場合は「戦車に乗って皇居なう」だったから、俺とは次元が違うけどね。
俺では、まだまだ明のレベルに遠く及ばないようだ。
及びたくないが。
山を貫くトンネルの中では日本一の長さを誇る、恵那山トンネル。
俺、東雲衛と1人の運転手を乗せたタクシーは、岐阜県と長野県を結ぶこのトンネルを、長野方面へ向け疾走していた。
トンネルの外では、既に日が落ちているはずだ。
なぜこんな時刻に高速道路を使うような長旅をしているのか。
その理由は、数時間前に遡る。
* * *
濃尾平野にある、とあるマンションの一室。
ありったけの物資を詰め込んだリュックを背負い、そこを飛び出す。
はりつめた外の冷気に肌を刺されながら、俺は走り出した。
外階段を一気に下り、駐輪場へと駆け込む。
自分の自転車に駆け寄り、鍵を突き刺し、スタンドを蹴り上げ、駐輪場の外へと引っ張り出す。
そして、ハンドルを握ったまま走り出すと、そのままの勢いでサドルに飛び乗り、全力でペダルを漕ぎ始めた。
携帯電話と財布。非常食、菓子類、水……。
よし、忘れ物は無いな。
そんなことを考えつつ、通りに出る。
「うぉあっと!?」
反射的に自転車ごと身体を反らす。
瞬間、目の前を通過する猛スピードの物体と、それに伴う突風。
大型の乗用車だ。
危うくはねられるところだった。
馬鹿野郎、非常事態の時こそ安全運転しやがれ。
辺りを見回すと、道路を南から北へとたくさんの車や人々が移動している。
「逃げろ、早く!」
「ほら、急いで……!」
スーツ姿のサラリーマン、子連れの母親、学生に背負われたお年寄りもいる。
皆、何かから逃げるように走って行く。
その理由は、分かりきっている。
「……世紀末かよ」
街の中心部に広がる例の光景を見て、呟く。
“黒いドーム”。
県庁舎付近を中心として広がる、巨大なドーム状の真っ黒な煙。
「いくらなんでも、でかすぎだろ……」
視界を埋め尽くす程の大きさゆえ、まるで黒い壁のようにも見える。
実際に目の当たりにしてみた今なら、東京が大混乱に陥ったのも容易に理解できる。
こんなものが目の前に突然現れて、平静でいられるほうがおかしい。
つまり、明はおかしい。
『すぐに避難してください! あの黒い霧から出来るだけ離れてください!』
拡声器と赤色灯を頭に載せた赤い車両が、一般車両とは反対の車線を走ってくる。
消防団の広報車だろうか。
「弾倉よし、安全装置よし」
「目標前方、展開用意! 展開用意!」
その後ろには、小銃を持つ男達を載せた土色のトラックが追随している。
陸上自衛隊だ。
東京の先例を教訓に、あの化け物とやらの群れを倒しに行くのだろう。
トラックだけなら公道で見かけるけど、銃を担いだ隊員まで見たのは初めてだな。
うお、本物の89式小銃じゃん。
すげー、マジかっけー。
……って違う、ミリオタやってる場合じゃねえ。
俺も早く逃げないと。
俺はペダルに交互に全体重をかけ、自転車を急加速させた。
目的地は、この先にある最寄りの鉄道駅だ。
……で、その駅に到着した訳だが。
【停電のため全線運休】【臨時避難場所】
「これはひどい」
人混みの中、駅の入り口に立てられたベニヤ板の看板を前に、一人愚痴る。
うん、途中から察してはいたけどね。
町内放送がいきなり途絶えたり、信号が消えたりしてたから。
停電カナーって、酸欠の頭でぼーっと考えてたんだよ。
やっぱりか……。
明は、ドームの中と外では電波や電気が通じない、と言っていた。
おそらく高圧電線の一部に、あのドームが掛かってしまい停電したのだろう。
「はぁ……」
落胆の溜め息をつく。
次の目的地は、自転車で行くにはあまりに遠すぎる。
どうしようかなあ、と呟きながら、取り敢えず自転車を車道脇に停めた。
すると、俺のすぐそばを黒い車が通過した。
それをなんとなく目で追う。
黒い車は路肩に停車すると、後部座席のドアを自動で開ける。
中から下りた足腰の悪そうな老夫婦は、運転手に軽く礼を言うと駅の避難所へと歩いて行った。
タクシー……その手が有ったか。
「すみません!」
走り出そうとしたタクシーに、手を挙げつつ声をかけた。
再び後部座席のドアが自動で開き、俺はそこに荷物を抱えて飛び込む。
「長距離お願いできますか!?」
「うおっ、……別にかまへんよ」
50、60代に見える運転手の男性は、俺の勢いに少し驚きながら答えた。
「ありがとうございます」
タクシーを長距離で利用すると当然高くつくが、構わない。
所持金はあるだけかき集めてきたし、何より他に移動手段が無さそうだ。
「んで、どこまでや?」
災害時の避難について、家族で決めておいたことがふたつある。
ひとつは、「自宅近くの図書館や市立小学校を一時避難先とすること」だ。
だが、今回は両方の避難場所が使えないため、そこでは落ち合えない。
そのため、ふたつめの取り決めを適用する。
「自宅での生活が困難になった場合」や、「安全な避難先が自宅周辺に無い場合」は。
「……長野県へ」
祖父母の遺した、小さな別荘で落ち合おうと。
* * *
「やっと出たか。まー、なんちゅう長えトンネルや」
「ホントそうですよね」
窓の外に広がった星空に、ふたりで溜め息をつく。
恵那山トンネル。
別荘に遊びに行く際に必ず通るが、何度通っても長く感じる。
何が嫌かって、コンクリートとオレンジライトだけの単調な景色は、本当に飽きるのだ。
しかし、田舎の夜空はやっぱり綺麗だなあ。
空気も澄んでるし、人は少ないし。
将来はこういうところに住みたいな。
美しい夜空を見上げ、しばし都会での騒動を忘れる。
「……?」
瞬く星々の合間を縫うように、赤い光点が数個、西へ向かって編隊飛行している。
航空自衛隊かなあ。
機体は何だろう。
そんなことを考えていると、光点のひとつが突然停止した。
すると、その光点だけが次第に大きくなる。
比例して膨らむ違和感。
――――落下してくる爆弾のうち、空中で止まっているように見えるものは、こちらに向かってきているもの――――
書籍に載っていた、第二次世界大戦時の兵士が遺したという言葉が頭を掠めた。
夜空を凝視する。
赤い光点は、加速度的に大きくなっていく。
違和感は恐怖心へと変わる。
頭から血の気が引き、全身から冷や汗が吹き出る。
俺は咄嗟に頭を手で覆い、低い姿勢をとった。
頼む、役に立たないでくれ、俺の偏った知識。
そんな思いも虚しく。
「ぬわあぁ!?」
運転手の悲鳴と、金属を潰すような破壊音。
助手席へと吹き飛ばされそうになった俺を、シートベルトが締め付ける。
胸骨と下腹部が強く圧迫され、息が詰まり血流が止まる。
甲高いブレーキ音がした直後、車の全方向から衝撃がくる。
続けて、重力が何度もひっくり返る感覚。
俺はただただ頭を守り姿勢を低くし、眼を瞑って災厄が過ぎ去るのを待つ。
静かになった。
タクシーは止まったようだ。
急いでシートベルトのボタンに手をかける。
ベルトが外れた途端、ようやく肺に空気が入り、視界が明るくなった。
頭に血が巡り、意識もはっきりしてきた。
周りを確認しようと頭を上げ。
「いて」
られなかった。
天井が潰れているようだ。
後頭部を擦りながら、左にあるドアを開け。
「……」
られなかった。
ドアも歪んでしまったようだ。
「ぅお……らぁ!!」
気合いの一声を発しつつ、両足でドアを蹴った。
ぎにゃ、と歪な音をたててドアが全壊……いや、全開になる。
荷物を引きずりながらそこから這い出、タクシーを見る。
見事なまでに全壊だった。
車の至る所がへこみ、割れ、潰れている。
そして何より驚いたのが、車体中央が前部から後部にかけて一直線に裂けていたことだ。
何にぶつかったらこんな壊れ方をするのか。
爆撃されたのだから、爆風で宙を舞うとか、道路に出来たクレーターに突っ込むとかいう壊れ方を想像していたが。
そうだ、あの運転手は大丈夫だろうか。
運転席まで回り込もうとして、やめた。
背後に気配を感じたからだ。
振り返りながら声をかける。
「運転手さん、大丈夫でし……」
違った。
運転手ではなかった。
人間ですらなかった。
形容するならば、“黒い化け物”。
黒い煙で形造られた、大きな身体。
頭部に赤々と光る、ふたつの眼。
そして、真上に振り上げられた、巨大な剣のような両腕。
俺は、反射的に真横へ跳んだ。
瞬間。
「 ! 、!! 」
化け物は異様な雄叫びをあげつつ、両腕を降り下ろした。
2本の大剣によって、轟音と共にタクシーが真っ二つになる。
「ひ……ひぃ」
怯えながら“タクシーだったもの”から距離を取る。
とんでもない破壊力。
こんなもの、食らったら間違いなくあの世行きだ。
「 、 ? !」
化け物の赤い両目が、再び俺を俺を捉える。
「ま、まてよ。話せば分かるうわあっ!?」
化け物の左腕の横凪ぎを、後ろに飛び退いて避ける。
更に下がろうとするが、出来ない。
後ろを見ると、高さ1メートル程のコンクリートの塀があった。
その向こうには、底の見えない真っ暗な谷が。
背水の陣。
再び前方に視線を戻すと、歩み寄ってくる化け物がいた。
その両腕を左右に大きく広げ、今まさに俺に向けて振るおうとしていた。
避けられない。
逃げられない。
間に合わない。
2本の大剣が左右から迫る。
俺にできた抵抗は、両手を出して身構えることと。
――――死にたくない。
そう祈ることだけだった。
視界を埋め尽くす閃光を最後に、俺の意識は途切れた。




