第十七話 邪斧
綾蔵様の予見は見事に当たった。
妖怪は確かに復活し始めている。
その最初の例と戦うことになるとは思わなかったが。
ニューヨークで籠蓋を撃ち落としていたのは、やはり人間ではなかった。
邪魔者の名は、照月零。
“正義”と“月光”を司る、大層な妖怪らしい。
愚かにも、此度の綾蔵様の試みを止めるつもりなのだという。
だが、槍一本で突っ込んでくるという考えの無さや、少し疑心を操られただけで取り乱す余裕の無さは、見ていて哀れにすら思う。
この程度では、綾蔵様を倒すには到底及ばないだろう。
そもそも、私にすら勝てないのではないだろうか。
妖力を凝縮して生み出した我が得物、邪斧。
そこにさらに妖力を込め。
「……疑心に沈み、」
零を視界の中央に捕らえ。
「死ね」
呪いの言霊と共に、降り下ろした。
斧の軌跡から放たれた大量の光弾が、一瞬で零を呑み込む。
そこから連続して響く炸裂音。
結界か何かで耐えているのか、身体への命中音や悲鳴の類いは聞こえてこない。
流石に相手が妖怪のためか、この一撃のみで消し飛ばすことは出来ないようだ。
「容赦しないで。……かかれ」
弾幕が切れる頃合いで、すかさず周りの剣鬼達に突撃命令を下す。
大剣と化した両腕を大きく広げ、高速で飛翔する剣鬼の群れ。
その様は、まるで戦闘機の大編隊のようにも見える。
「く……。っ!?」
見事に弾幕を耐え抜いて見せた零に、さらなる試練が与えられた。
剣鬼達は速度を上げつつ零のすぐそばを通過し、すれ違い様に翼で切りつける。
零は槍を振り回して防ごうとしているが、成果は乏しい。
私の能力「疑心操作」によって、彼女の目には実際の倍以上の数の剣鬼が見えているからだ。
視界に映る剣鬼を手当たり次第に攻撃しても、そのうちの半数は幻であるため、槍は虚空を穿つ。
数の利を奪われた戦闘において、不必要な動きをすることがどのような結果を生み出すか。
それは言うまでもない。
あらぬ方向へ槍を突き出す隙だらけの零に、剣鬼達は容赦なく襲い掛かる。
「うっ、この! ぐっ……ちぃっ! ……っ!」
白を基調とした零のドレスに、次々と亀裂が走る。
その傷口から漏れ出すのは、真っ赤な液体。
たちまちそれらはドレスに滲み、赤い斑点を作り出す。
「……?」
違和感を覚えた。
“妖怪は血を持つのか”という疑問が浮かんだからだ。
欧州で不覚にも人間の誘導弾を食らってしまった時、撒き散らされた多数の金属片によって、私は全身に傷を負った。
傷から滲んできたのは案の定真っ赤な液体だったが、たちまち黒い煙となって霧散し、後には何も残らなかったのだ。
人間のように傷口から流れた血が滲む、滴るなんてことは、人外では起こり得ないと勝手に思っていたが……。
零だけが例外という訳ではあるまい。
それが人間でも妖怪でも普通のことであり、例外は我々暗鬼のほうなのだろう。
そもそも暗鬼に血液など無い。
身体は、ただ凝縮された黒い煙によって構成されているのみだからだ。
知能も内臓も、血液も持たない、単純な造り。
斬られようが撃たれようが、たとえ四肢が消し飛ばされようとも、黒い煙が撒き散らされるだけである。
私も暗鬼である以上、基本的にはそれと同じであるが、少し違う。
私を構成する物質もいわゆる“黒い煙”が主だが、その密度は通常の暗鬼と比べ凄まじく高く、造りは非常に精密である。
どちらかといえば人間や妖怪の身体に限りなく近く、暗鬼とは程遠い。
人語も解せるし、話せる。
複雑な思考に耐えうる知能もあるし、五感もある。
身体は人間よりも遥かに丈夫で、自己修復の速度も桁違い。
そして、鼓動を刻む心臓は、真っ赤な血液を身体に廻らせている。
傷を負えばそこから血が溢れるのは、私も同じ。
異なるのは、血も元は“黒い煙”であるからして、流れ出た先から霧散してしまう点だ。
所詮私はつくりもの。
何者にも似ても似つかぬ、歪な存在だということか。
「たあっ!!」
気合いの一声と共に、空に白金色の光線が幾つも放たれる。
巻き込まれた数体の剣鬼が、光線に貫かれ墜落する。
声と光線の主は零。
どうやら、剣鬼の包囲から抜け出そうとしているようだ。
光線というのは厄介だ。
光線は、妖力弾や光弾と比べ、発射から命中までの時間が極端に短い。
“光”は、たった1秒で地球を7周するほどの速さを持つからだ。
そんな攻撃に狙われては、どんなに俊敏な者でも避けるのは不可能。
よって、撃たれる前に照準を外させるか、耐えるかの二択を迫られることとなる。
「……回避、離脱。再集結」
私は前者を選択した。
剣鬼達へ、私のもとに集まるよう指示を出す。
剣鬼達はその場で大きく旋回しつつ、周囲に黒い煙を撒き散らした。
いわゆる煙幕だ。
黒い煙幕は零を取り囲むように広がり、彼女の視界を遮る。
その隙に、光線から生き延びた剣鬼が私の周囲に集まってきた。
彼らは翼を広げて空中で静止すると、煙幕の向こうに取り残されているであろう零に身体を向けた。
「……疑心闇鬼」
煙幕が晴れる直前に、再び能力を使用する。
これで、零の視界は再び偽物の剣鬼で埋め尽くされているはずだ。
「また……ですか」
晴れていく煙幕の向こうから、苦い顔をした零が姿を現した。
その手に握る聖槍からは、白金の光が溢れ出ている。
それを私に向け構えると、眼を細め息を整え、そのままの姿勢で静止した。
今度は突っ込むのではなく、待ち構える戦法をとるようだ。
少しは学習したらしい。
だが、状況は相も変わらず多勢に無勢。
結果も変わらない。
「……かかれ」
再び突入を命じる。
待ってましたとばかりに次々と飛び出す、おびただしい数の剣鬼。
零の目には、その何倍以上もの数となって映る。
傷付き動きの鈍った零に、それら全てを避けることなどできはしない。
迎撃することもまた然り。
「…………」
零が瞼を閉じた。
諦めたか。
私の勝ちだ。
そう思った瞬間だった。
「正せ」
零の一言と同時に、全ての“偽物の剣鬼”が消え失せ。
「……え?」
全ての“本物の剣鬼”が、光に貫かれた。
「 ! 、 !? 」
「、 !! ……」
苦悶の声を漏らしつつ、力尽きゆく剣鬼達。
あっという間に“全ての剣鬼”が消え、夜空には私と零を残すのみとなった。
「な、なぜ……っ!?」
現実を受け入れる猶予も疑問を咀嚼する間も与えず、零が聖槍と共に突っ込んできた。
慌てて、邪斧で迎撃しようとする。
だが、明らかに時間が足りない。
私は、邪斧を眼前に持ち上げるだけで精一杯だった。
槍の利点は、射程が長いことと、全ての威力をただ一点に集中させられることだ。
正面からまともに刺突を受けてしまえば、耐え凌ぐのは難しい。
反面、刺突の攻撃範囲は点であるため、避けることは容易だ。
だが今の私には、時間的にも精神的にも、身体ごと移動させる余裕など無かった。
邪斧の刀身に聖槍の刃先が突き刺さる。
瞬間、そこから目を開けていられない程の閃光と暴風が溢れ出す。
同時に、身体ごと後ろへ吹き飛ばされる感覚。
肺を潰されたような不快感が私を襲い、呼吸が上手く出来なくなる。
閉じかけていた目を見開くと、こちらを眺める零が次第に遠ざかっていくように見えた。
そして、視線を傾けると、そこには急速に近付く地平線が。
私は重力に引かれて落下しているようだ。
なんとか空中に踏み留まろうとするが、思うように妖力を出せず、それすら叶わない。
「うあっ!?」
唐突に背部から衝撃を受ける。
霞む視界の中を、夜空と灰色の床が交互に何度も通過する。
それらが収まり、気が付くと、私は冷たいコンクリートの上に突っ伏していた。
慌てて身体を起こし、零を見上げる。
幻術が解け、次第に青空へと戻っていく暗い空。
その中央、右手に聖槍を携え浮かぶ彼女は、ただこちらを眺めているのみだった。
追撃する気は無いようだ。
「私を侮った貴女の失策です、ミラージュ・ナイトメア」
そう言いながらこちらを見下す彼女の目には、明らかな勝利の色が輝いていた。
「っく……!!」
焼けるような怒りと悔しさが、脳内を駆け巡る。
失策だと?
私は何を間違えた?
どこでしくじったというのだ。
何故、幻術が見破られた?
何故、偽の剣鬼が全て消え失せた?
何故、あの数の剣鬼を同時に撃ち落とせた?
何故、私を追撃してこなかった?
再び零が口を開く。
「直ちにここから去りなさい。今なら追撃は致しません」
出来ない、そんなことは。
籠蓋を撃ち落としている元凶を始末する、それが私に与えられた任務だからだ。
是が非でも、零を倒さねばならないのだ。
気力を振り絞り、言い返す。
「黙れ……私は……」
『ミラージュ』
突然、頭の中に低い声が響く。
我が主、无月綾蔵様からの心通信だ。
零に対する徹底抗戦の意志を、言い切らずに飲み込む。
『任務は中止だ。太平洋を横断し、東京に戻れ』
「……? 私は……っ」
綾蔵様に対する疑問提起も、口に出さずに飲み込んだ。
心通信といえど、実際に口から声を発さねば意思は届かない。
今ここで声に出して綾蔵様と話してしまうと、零に聞き取られる恐れがあるからだ。
彼女は、此度の騒動の元凶は私であると思っている。
私が誰かの指示に従っている素振りを見せてしまえば、首謀者は別にいるということが気付かれてしまう。
「…………」
私は返事を口には出さず、その場から浮かび上がる。
零が僅かに身構えたような気がした。
私はそれを無視して踵を返すと、北西の方角へ素早く飛翔した。
綾蔵様から与えられた任務を果たす。
それが私の存在意義。
飲み込めぬ疑問も、耐え難い悔しさも、頭を振って掻き消しながら。
目指すは始まりの地、東京。
* * *
その右手に握られた純白の槍が、徐々に霧散していく。
北西へと飛び去る少女をただ黙って見送る、金髪碧眼の女性。
地上から届く歓声に、頬を緩めることもなく。
身体中から滲む鮮血に、眉をひそめることもなく。
「何故、西へ……?」
ただ一言、そう呟いた。
【邪斧】
ミラージュ・ナイトメアが扱う、妖力で構成された大斧。
読みは「じゃふ」もしくは「アルマーズ」。
混沌と破壊を振り撒くと云われる。
その云われ故に、聖槍とは対となる武器である。
膨大な妖力を溜め込んでおり、振り回すだけで辺りを爆撃できる。
また、凄まじい重量と質量を誇るため、降り下ろされた場所には何も残らない。
※【アルマーズ】とあるゲームで、邪悪な属性を持つとされる斧。
※【アルマース】ロシア語で「ダイヤモンド」あるいは「ダイヤモンド原石」という意の名詞。




