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東方無明録 〜 The Unrealistic Utopia.  作者: やみぃ。
第四章 紅霧異変
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後話9 冷星







 突如響く咆哮。

 それで目が覚めた。


 ここ何時間も朦朧としていた意識。

 それでも“意識”なんてものを自覚できるだけで驚きだった。

 あたしは……死んだはずなのに。

 消えたはずなのに。

 最後の記憶すら思い出せないけど、それだけは確か。

 なのに、これは。

 この身体は、意識は、自我は。




 あたし、もしかして生きてる……?




『━━━━!』


 咆哮の次は悲鳴だった。

 前者が獣のような声だったのに対し、これは人間の声に聞こえた。

 若い男の声。


 そして、背後で轟音。

 水の音だ。

 何かが水面に落下した。


 目を開き、首を持ち上げ、音の方を向く。

 暗い森。

 その向こうにせせらぐ川。

 水しぶきが落ちるところだった。


 立ち上がって川に近づく。

 暗くて何も見えなかったから、川の中に火球を撃ち込んでみた。


 ぼんやりと照らされる川底。

 立ち込めるたくさんの泡。

 その向こうに沈みゆく、人間。




 なぜ、と問われてもわからない。

 思い出せない。

 きっと無意識だったのだと思う。

 気づいた時には、あたしは川の中へと駆け込み、その人間を抱き抱え、河原へと引き揚げていた。


 顔は青白く、手足は硬直し、妖力はごくわずか。

 手遅れかと思い、その首筋に指を添わせる。

 まだ微かに鼓動があった。


 夜空を見上げる。

 星空が澄んでいた。

 息を吸い込む。

 乾いていた。


 それだけでわかる。

 今は、冬。

 いや、そうしなければわからなったのだ。

 春夏秋冬くらいの気温差なんて、人外にとってはほんの僅かな差でしかないから。

 

 でも人間は脆い。

 暑さや寒さでも簡単に死ぬ。

 冬の川に沈んだのだから、これはきっと寒さに違いない。

 なら、あたしの力で温めてあげれば。

 この人間は死なずに済むのかもしれない。


 人間は嫌いだ。

 みんなあたしを捕まえようとするし、仲の良い人間はすぐに死んでしまう。


 でも、彼のことは助けたかった。

 顔を見ただけで、素直な青年だと判ってしまったから。

 その表情が、理不尽な無念に歪んでいたから。




『ありがとな、ディエナ』




 それが彼、東雲衛との出会いだった。


 以来、死線を越え、時空を越え、敵として再び会い、そして仲間に戻り、互いに敵や味方や力が増えてもなお、彼はいつまでも優しく接してくれる。

 “命の恩人”と彼は言う。

 でも、それだけ。

 それ以上でもそれ以下でもない。


 別に求めてなんかいない。

 人間と仲良くなったって、けっきょく最後はあたしが悲しい思いをしなくてはならない。

 男女の仲になんかなっちゃったら最後、きっと立ち直れなくなる。

 人間がやがて老い、やがて土に還ろうとも、この身体は未来永劫変わることは無いのだから。


 不朽不変の炎の化身。

 それが炎精、サラマンダー。


 あたしの運命だ。







 * * * 







「ディエナ」


 名前を呼ばれた。

 ……気がする。


 きっと幻聴だ。

 眠気も強いし、体感的に今はまだ夜明け前。

 こんな時間に起こされるなんて有り得ない。

 こんな時間でなくともひとに起こされたりなんかしないけど。


 しかも今の、まもるの声に聞こえた。

 彼がこの部屋に入って来るはずがない。

 そもそもあの様子なら今頃紅魔館に行っているはずだ。

 吸血鬼妹と遊んでくるとも言っていたから、日が昇るまで紅魔館から帰ってこない可能性もある。


 きっと、夢で彼との出会いを思い出していたからだ。

 あの冬の夜。

 “目覚めてから”の最初の思い出。

 なぜか胸の奥にひっかかって忘れられない、あの笑顔。


 ……バカみたい。

 たかがひとりの人間。

 気にしすぎなのよ。


 顎まで布団を被る。

 そのまま横へと寝返りを……。




「ディエナ」


 目が開いた。

 視界に映るのは板張りの天井。

 ではなく、まもるの顔。


 ……………。


 え?


「ごめんね、こんな夜中に」


 彼はそう言って微笑んだ。


「まもる!? なにをむぐぐ」

「しっ」


 叫びかけた口が塞がれる。

 優しく温かい手。

 まもるの手はいつだってこの温度だ。


「━━!!」


 髪はともかく、顔に触れられたのは初めてだ。

 思わずとっさにもがく。

 でも彼は落ち着いたまま。

 その顔が不意に近づいた。


「静かにしてくれるなら、離す」


 いままでのなかで一番近い。

 一瞬混乱して動きが止まる。

 同時に手が離れた。

 静かにするという意思表示にみえたようだった。


「ど、どういうつもりよ……!?」


 動揺を噛み殺しながらまもるを睨む。

 彼は布団の上からあたしに覆いかぶさっていた。

 腿のあたりに体重が乗っていて動けない。

 両手は動かせるけど、問答もなしに引っぱたくほどあたしは非情じゃない。


 というより、昼に二回もビンタしちゃったから気が引けてるのが本音。

 啖呵切っておきながら、後からやりすぎたような気がしてけっこう凹んでいたりする。


「聞きたいことがあって」

「……この状態じゃないと聞けないこと?」

「うん。ごめんね、すぐ終わるから」


 状況の割にはいやに落ち着いた態度だ。

 内心動揺してるあたしとは対照的に。


 あんなにあたしに気を使っていたまもるが、突然こんなことをするなんて。

 でも、彼に限ってあたしを襲うような真似はしないはず。

 というか物理的に……力量的に無理がある。

 消し炭になるリスクを負ってまでするとは思えない。

 思えない……けど……。


 彼はあたしの顔と自分の手元を交互に見る。

 やや考えてから、軽くため息。

 再び口を開いた。


「ディエナはさ、俺のこと好き?」

「ひぅ!?」


 また温かい手。

 ちょっと声が大きかったみたい。


 いやでもまって。

 何を聞いてるの。


 あわててその手をどかす。


「ぁあのねっ、いきなり何、びっくりさせないで。別にす、好きなんかじゃないわよ」

「そう。俺は好きだよ」

「ッ……!?」

「初めて会ったあの時からずっと。ずっと」

「ぁ……っ、っ……!」


 頭の中が真っ白になった。

 次の言葉が浮かばない。

 空っぽの語彙が無理やり口から出ようとして、意味の無い声をこぼす。


 合ったままの視線。

 彼はいつも、話を聞く時はまっすぐ目を見てくる。

 その馬鹿素直さにはちょっとドキリとする。

 そして、今も。


 おちつけ。

 おちつくのよ。

 きっとまだ夢を見ているの。

 あの奥手なまもるがこんなこと言うはずない。

 冷静に返すのよ。


「っ、あたしは精霊、あなたは人間。叶わないってわかってるでしょ……!?」

「嘘だ」

「え」


 だがすぐさま突っ返された。

 まさか、まもる……。


「人型となった炎精(サラマンダー)は違う。君が一番よくわかってるはずだ」


 彼は迷いなく言い切った。

 あたしはいよいよ何も言えなくなってしまった。


 ……まもるの言う通り。

 人型となったサラマンダーは人間と結ばれることができる。

 あたしはもちろん知っている。

 かつては人間たちの間でさえ有名な話だった。


 ただでさえ、幻獣サラマンダーは素材価値の高い存在。

 命を狙われた同胞は数知れず。

 智と力を持って人型になれたとしても、今度は身体を狙われる。

 望んだ場合だったとしても、やはり最後は必ず相手を看取らねばならない。

 それが、あたしが孤立を望むワケ。

 まもるに近付きすぎないようにしてきた理由。


 ……誰から聞いたのだろう。

 それとも自分で調べたか。


「さあ、答えを聞かせて」

「えっ」


 我に返る。

 まもるはあたしの顔の両脇に手を置き、顔を近付けてきた。

 身をよじろうとするが、なぜか視線が離せなくて無駄な抵抗に終わる。


「ディエナ、君が欲しい。君と結ばれたい」

「ま、まって、まって。心の準備が」

「待たない。嫌なら拒んでくれ。拒まないなら……そのまま君を奪う」

「ひ……」


 彼の顔がゆっくりと近づく。

 茶褐色のその瞳が迫ってくる。

 彼の吐息で鼻腔が満たされ、意識がぼやけ始める。


 おかしい。

 待って。ほんとに待って。

 まもるってこんなにぐいぐいくる人間だっけ。

 慣れてなさすぎて思考が追いつかない。


 だめ。拒まなきゃ。

 いま動かなかったら、数秒後にはもう戻れなくなる。

 理性が叫ぶが、身体は固まったまま動かない。

 そのまっすぐな好意を拒むには、あたしは既に情が移りすぎていた。




 だって彼は本当に優しくて。

 敵となったあたしを必死に助けようとしてくれて。

 傷ついたあたしを抱きしめてくれて。


 人外だって聞いても変わらず笑顔で。

 サラマンダーであると知っても、その態度は変わらなくて。


 自分だって辛い境遇なのに。

 きっと暗い過去を背負っているのに。




 そんな優しい彼を、あたしが。

 あたしが……。

 拒む、なんて…………。




「…………」

「〜〜〜っ……!」







 できるわけ、ない。



















「…………やっぱりそうかい」


 唇は触れなかった。

 代わりに彼はそう口にする。


「……え?」


 目を見開く。


 まもるの顔が遠ざかる。

 次第にハッキリする頭。

 その時やっと気づいた。

 これは幻術。

 ただの吐息で意識が飛ぶわけない。


「なぁんだ、キミもカワイイとこあるじゃんか」


 まもるは不自然な声色でケラケラと笑う。

 いいや、まもるじゃない。

 この声はまがい物だ。

 それに、彼はこんなこと絶対に言わない。


 その身体が銀の光に包まれる。

 一瞬の目眩。

 再び目を開けると、そこには銀髪オッドアイの少女。


「志歩!?」

「や。おはよ〜」


 天祈志歩だった。

 髪の上に気高く立つ銀の狐耳。


 彼女は天狐、最上位の妖狐。

 幻術なんてお手のものだ。

 こいつ……やってくれたわね。


「あなたどういうもがが」


 抗議は手で抑えられた。

 氷のような香りと、冷たく柔らかな感触。

 まもるの手とは全く違う。

 芸の細かい幻術だったわけだ。


「静かに。みんな寝てるよ」

うっさいこのクソ(むっがいごごんご)(いむえ)!!」


 志歩に幻術で小馬鹿にされたことは今までもままあった。

 しかしどれも子供の悪戯程度のくだらないものばかり。

 実在の人間に化けて恋情を弄ぶなんて、どう考えてもやりすぎだ。

 今日という今日は許さない。


死ね(みぎゃ)!!」

「わわ、落ち着いてって」


 両手に熱を滾らせる。

 志歩は慌てて手を離し、あたしたちを囲うように結界を展開した。

 その隙に喉元に掴みかかる。


「しね!! 忘れろ!! 二度と喋れなくしてやるうぅ!!」

「やめて熱い苦しいごめんごめんって違うんだって!?」


 首を焼き切る勢いで熱を浴びせる。

 彗星(氷天体)の妖怪にこんなもの効かないのは解っているが。 


「三秒待つわ。何が違うのか言いなさい」

「た、試したかったのさ、マモルを救えるかどうか」


 ぴた、と手を止める。

 志歩はその隙にすぐさまあたしの手を払い除けた。

 首を抑えながら布団の横へと移動していく。

 珍しく本気で嫌がっている。

 相当堪えたようだ。


 とりあえず熱をしまう。

 志歩は安堵のため息をついた。


「まもるを、救う? 何の話?」

「決まってるだろう。妖怪化からさ」


 妖怪化。

 東雲兄妹の妖怪化のことか。

 あのふたりがだんだん妖怪に近付いていることは知っている。

 それを止めなくてはならないことも、知っている。

 でも。


「それはあなたの能力でどうにかなってるって話じゃなかった?」

「…………」


 志歩を掌で指して問う。

 だが彼女は視線を畳へと落とした。


 天祈志歩の能力とは「吉凶増幅」。

 物事の吉と凶を自在に吊り上げ、得られる結果を操る特殊能力だ。


 東雲兄妹にとって……人間にとって、妖怪化とは凶事。

 志歩はふたりの「吉」を増幅させ、人間に留まるよう干渉している。

 これによってふたりの妖怪化は食い止められている……と聞いていたはずだ。

 話が違う。


「……妖怪化はちゃんと抑制できてるよ。“妹のほうは”ね」


 志歩はたっぷり沈黙してから口を開いた。

 妹、あかりのほう“は”大丈夫。

 ってことは。


「え? じゃあまもるは?」

「………………あと三ヶ月で妖怪になる」

「!?」


 絶句。

 気づいた時には彼女の胸ぐらを掴んでいた。


「なんで、どうしてっ!? あなた任せてくれって、これで当分大丈夫って!」

「状況が変わったんだ!!」

「ッ……」


 初めて聞く志歩の怒声。

 あたしは身を固くする。


「……レミリアがマモルへの干渉を強めた。運命操作でボクの能力を妨害してきてる。あいつ、マモルを操る気だ」


 レミリア・スカーレット、だと。

 この期に及んでまた敵に回ろうというのか。

 良い度胸じゃない。


「レミリアがマモルを妖怪化させたいのか、それとも人間のまま従者化したいのかはわからない。けど、どっちにしてもボクら逆抗者の意向には反する」


 やはり紅霧異変の時に志歩と協力して殺しておくべきだった。

 照月零(てるづきれい)め、どうして邪魔をしてくれた。

 まもるが妖怪化するのは強者だって……无月綾蔵(むつきあやくら)だって、望んでいないはずでしょ。


 志歩はさらに続ける。


「妖怪化についても、思いとどまるよう手は尽くしたさ。色仕掛けは散々してきたし、アカリだってやんわりと説得にまわってる。コスズやアキュウ、リリーホワイト、レイム、マリサそれぞれと深く接触するようにも仕向けてきた」


 彼女はあたしの手を解こうとはしなかった。

 焦点の合わないオッドアイで下を見ているだけ。


 まもるに対しての説得は主にあかりが行っている。

 さすがに長年いっしょにいた妹なだけあって、話をそっちに誘導するのが上手だ。


 小鈴とか阿求とかいう人間がやたらとまもるに接触してきていたのも、志歩による誘導があったらしい。

 吉増幅というのは抽象的な能力だが、及ぼす効果をちゃんと把握できていれば、少しづつ周囲の状況を操ることもできる。

 春告精(リリーホワイト)が以前より甘えん坊になったのも、泥酔した霊夢をまもるが介抱する羽目になったのも、魔理沙とまもるが親しく話すようになったのも、その能力によるものかもしれない。


 色仕掛け……ってのはよくわからないけど。

 まあでも、志歩自身もまもるに親しく接するようになったのはなんとなく感じている。


 今のまもるの対人関係を深くできれば、妖怪化してそれらが壊れた時のリスクを彼は考えざるを得なくなる。

 そうして躊躇させる作戦だ。


 ちゃんと説明を受けたのは今が初めて。

 だけど、あたしだってそのくらいはなんとなくわかっていた。

 だから柄にもなくまもるの外出について行ったりしたのだ。

 ……まあ結果としては、彼の頬を二度もひっぱたいたうえ罵声を浴びせ立ち去るという最悪な終わり方をしてしまったのだが。


「…………でもほとんど無意味だった」


 志歩はうなだれる。

 銀の狐耳が力なくしおれていた。


「いや、意味はあった。けどそれ以上に……マモルの意志が固いんだ。彼はどんな手段を使ってでもアヤクラを超えるつもりでいる。ボクらが何を言っても、誰かどう接触しても、それらに優しく受け答えていたとしても、彼の芯にある復讐心は全く変わらない。もう……手がほとんど無いんだ」

「そんな…………、ん」


 手を離すが、途中で止める。

 ほとんど、と言ったのか?


「……残る手はなに」


 志歩に尋ねる。

 彼女はふっと顔を上げた。


「言ったろう。マモルを救えるか試したって」

「え?」

「残る手は、キミだ」


 青爪があたしの鼻先を指す。

 数度まばたき。

 それでもやはりピンと来なかった。


「キミがマモルの妻となれるか。ボクはそれを確かめに来たんだ」

「つ……!? つ、」

「そ、妻」


 思考が止まった。


 つま?

 それって、その、あれだよね。

 妻ってことよね。

 ……え? 妻?


「な、なんであたしがまもるの」

「解らないかい? これが、彼の妖怪化を止める最終手段さ」


 志歩はそう言うとあたしの前の座り直す。

 赤と銀のオッドアイは本気だった。

 嘘でも冗談でもないらしい。


「マモルだって所詮は動物。繁殖相手を得ることで行動原理は根本から書き替わる。そして、キミは“人間”としか結ばれない種族。いちど結ばれてしまえば、マモルはなんとしてでも人間のままでいようとするだろうさ」


 ぐうの音も出せない。

 志歩の言葉は至って的確だった。

 的確、だけど。


「でもっ、それはまもるがあたしと……結ばれることを望まなきゃ成り立たないでしょ?」

「そうだけど?」

「っ……。彼、あたしのこと……そんなふうには見てないじゃない!」

「だったらなんだい」

「だから、その、どうやって……」

「“どうやって”? 甘ったれるんじゃないよ」


 言葉に詰まる。

 志歩は変わらぬ表情であたしを見ていた。


「マモルの気持ちなんてわからないさ。でも、少なくともキミは彼を受け入れるだけの覚悟がある。その覚悟を自分から言う方に向けるだけさ」

「か、簡単に言ってくれるわね!?」

「簡単に言おうが小難しく言おうが、それしか手は無いんだよ。……いずれにせよボクに打てる手は尽きた。キミがマモルを見捨てるというのなら……それまでさ」

「ッ……!」


 歯軋り。

 志歩は徹底的に冷たかった。


 それまで、だと。

 どうして……どうしてそんな。


「どうしてそんな冷たいことが言えるのよ! 他人の人生なんだと思ってるわけ!? そんな気安く投げないでよ!!」


 怒りが漏れた。

 志歩は何も答えない。

 どころか、顔すら上げようとしなかった。

 その態度にさらに怒りを覚え、思わずその肩を掴む。


「ねえ、何か言いなさ」

「っあぁあぁぁ!!」


 突然の絶叫。

 何が起きたかわからなかった。

 気が付くと、眼前には志歩の顔。

 胸ぐらを掴まれ、詰め寄られていた。


「気安くだぁ……? 気安くだと……!? ふざけるなッ!!」


 凄まじい形相だった。

 赤眼は殺気を宿し、銀眼は涙を零す。

 そして、防音結界が無ければ神社にいる全員が飛び起きそうなほどの声量だった。


「代われるなら喜んで代わるさ! すぐにでもマモルを救ってみせるさ! それができないからこうして委ねてるんだッ!!」


 激怒に揺れる志歩の顔。

 その表情は少しづつ歪んでいく。


「ボクがどんなに望んでもできないコトが、キミならできる。それを解っていながらいままで駆けずり回ってきたんだ! どうしてもこの手段を使いたくなかったから!! マモルが誰かと結ばれるのを見たくなかったからッ!! ……考えないようにしてたのに。考えないように、してたのに………なんでそんな、こと……言うのさ……」


 そこまで言って、膝立ちだった志歩が崩れ落ちる。

 あたしは慌ててその両腕を支えた。


「志歩、あなたまさか……」

「…………」


 彼女は答えない。

 だが、今にも号泣しそうな顔であたしを睨み続けていた。


 志歩。

 あなたはまもるのことが。


「…………どんなに親しくなろうと、どんなに肌を重ねようと、ボクは天の狐。人間と対等にはなれない。それが天命。……そう解っていながらこのザマさ」


 意外だ。

 彼女に恋情があったなんて。

 その経歴からして、もっともそういう執着のない奴だと勝手に思い込んでいた。


 理由はいろいろあるのだろう。

 まもるは素質とか経歴とか、色んな意味でイレギュラーだし。

 それでいて素直で優しい。

 あたしだって、気持ちはわかる。


「こんな甘さがあるから吉凶能力なんか押し付けられたんだ。天に至ったくせに低俗な狐、罰を背負った醜い狐、それがボクさ。笑ってくれよ」

「…………笑うわけないでしょ」


 志歩が顔を上げた。

 涙に濡れた酷い顔だった。


「あなただって女の子でしょ。恋して当然。そこは気に病むところじゃないわ」


 噂に聞いている。

 天狐になるには、人間の精気を吸い取り続ける必要があると。

 詳しい方法までは聞かない。

 でもそんなことばかりしていたら、恋情なんてとうに枯れ果てるのは予想できる。

 そして、不意にそれが戻ってきた時の反動の大きさも。


 これだから人間と交わりを持ちうる人外は辛いの。

 あたしのように結ばれるまで行ける種族ならまだマシ。

 志歩なんか結ばれもしなければ子も作れないし、自らの身を滅ぼす原因にすらなりかねない。


 あたしたちふたりが立たされている状況。

 それは、古今東西何度も繰り返されてきた喜劇であり悲劇だ。


「……うっ、…………うぅ……」


 志歩が再び涙を零す。

 静かにその背中を抱き寄せた。


「お願いだよディエナ……マモルを救ってよ。妖怪に堕ちる人間なんてもう見たくない……。ましてそれが……好きになってしまった男だなんて……ボク、耐えられないんだよ……!」


 首筋に落ちる温かい滴。

 背中に触る冷たい鋭爪。

 彼女の弱い面を目の当たりにするのは初めてだ。

 きっと誰も知らない面だろう。


「……最初からそう言いなさいよ、バカ」


 その後頭部に手を回した。

 泣き顔を見るつもりは無い。

 落ち着くまでこのままで。

 まもるがあたしにそうしてくれたように。




 やらなきゃ。

 あたししかできないんだから。


 それに……あたしだって、まもるのことは…………好き。

 妖怪になんてなってほしくない。

 周りの人間との関係を壊してほしくない。

 遠くに、行ってほしくない。


 復讐の鬼は不幸になる。

 それに、あたしたちはその復讐相手の……无月綾蔵(むつきあやくら)の、強さと器を知ってしまっている。

 絶対に止めなきゃ。

 まもると綾蔵、どちらが倒れても逆抗者(あたしたち)にとって大きな痛手だから。




「絶対に救うわ。だから志歩も最後まで諦めないで」

「わかってる。…………ありがとう」




 冷星月下。

 まだ夜明けは遠い。


 ふたりだけの静かな決意が、秋口の星空に溶けていった。










 第四章 紅霧異変 後日談編  完









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