09
◇
その後、しばらくの記憶がロドルフォには無い。
ぷっつりと途切れた記憶が再開するのは痛みからだった。
ロドルフォが気付いたときには右頬がジンジンと熱を持っており、ロドルフォは椅子ごと床に倒れていた。見上げるとそこには拳を構えたアドルフォがいて、その後ろに見える扉は壊れている。どうやら蹴破ったらしい。ドアノブが転がっていた。
「…………」
右頬をおさえて身体を起こしつつ、ロドルフォは無言でアドルフォを見る。睨んだのかもしれない。しかしそこに感情のようなものは見られなかった。完全に抜け落ちてしまっていた。
「背負わなくて、いい」
そんなロドルフォにアドルフォは強い口調で言う。言いながらボロボロと涙をこぼしていた。
「今日のことも、アルバとネージュのことも、この二人のことも、お前一人が背負わなくて、いい」
そう言われてロドルフォはそこで初めて背中にいたはずの二人の子どもがアドルフォの後ろにいる騎士の腕のなかに居ることに気付いた。
「だから」とアドルフォはロドルフォに近付き腕をつかむ。「だから、壊れるな。あと――一緒にいるべき相手を間違えないでくれ」
強い力で腕を引かれる。ロドルフォはその言葉の意味がいまいちよく分からなかったが、ここから移動した方が良さそうなのは確かだったので立ち上がることにした。
「行け。個室にしてある」ロドルフォの背中をおしながらアドルフォはそう言った。「こっちは大丈夫だから――一緒に泣いてこい」
誰と? とは思わなかった。代わりに、どうしてもっと早くにそうしなかったのだろう。と思った。娘が死んで悲しむのは自分だけではない。むしろ、彼女の方がその痛みは強いというのに。
「……っ、アデリーナ」
部屋の個室に入って一瞬、ロドルフォは彼女の名を呼ぶのを躊躇った。それほどまでに、アデリーナの様子が変わってしまっていたのだ。
憔悴しきった顔。その目には一切の光がなく、窓の外を見ているようだが焦点があっているかどうか怪しい。
「……アデリーナ」
一歩近付き、今度は優しく呼び掛けた。しかし彼女に反応はない。じっと窓の外を見つめたまま動かない。
「アデリーナ」
一歩。もう一歩と近付き、彼女に触れた。すると今度は過剰なまでに反応を見せた。
今まで呼び掛けても反応しなかったのが嘘のように勢いよく振り向き、触れたロドルフォの手を思い切り振り払い、目を見開いてロドルフォの顔を見る。そして、
「あっ……」
一気に顔をくしゃりと歪ませ崩れ落ちた。手で顔を覆い「ごめんなさい、ごめんなさい!」と泣き続ける。
「謝らなくていい」
ロドルフォはそう言ってアデリーナの身体を強く抱き締めた。
「ごめんなさい、私、エミリアを……ッ」
「守れなかった」そう言われる前にロドルフォはアデリーナの頭を自分の胸におしつけた。そして「守れなかったのは俺の方だ」と誰にも聞こえないほど小さく呟いた。
◆
開きっぱなしだった扉を静かに閉めるとアドルフォはため息をついた。涙は止まったものの目は真っ赤だ。
「……責任感って、怖いよな」
薄く笑いながらアドルフォは近くにいた騎士に話しかけた。騎士の腕には二人の子どもがおり、すやすやと寝息をたてている。騎士はそんな二人を見守りながら、しかし深刻そうな面持ちで「そうですね」と答えた。
「まさかあの状況でも子どものお守りしてるなんてな……自分の子どもが死んだってのに」
ロドルフォは脱け殻の状態だった。アデリーナと同じく、呼び掛けても何も反応をしなかった。顔は明らかに死んでしまっていた。ただ、アデリーナと違うのは、それでも預けられた子どもの面倒を見ていたという点だ。
ロドルフォは殴られたとき背中を気にしていたが、アドルフォがロドルフォを殴る前、騎士が二人を回収する前から二人はロドルフォの背中になんか居なかった。ロドルフォの膝の上にいたのだ。そして、二人が寝付くのをずっとみていた。
その時のロドルフォはどう見ても正気ではなかった。だから、アドルフォは正気に戻そうと殴ったのだった。それで戻ったからよかったものの、戻らなかったらどうするつもりだったのだろうか。今となっては関係のない話だが。
「その二人はここで育てよう。俺たち、全員で。……ロドルフォは『俺が頼まれたんだ』なんて言うだろうが、知ったこっちゃねえ」
「団長が説得してくれるのなら、自分はそれで構いませんよ」
二人は顔を見合わせると少しだけ笑った。