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その後、アデリーナは治療のため騎士団基地に寝泊まりすることになった。黒い塊に手足をもがれることはなかったものの、足が上手く動かせなくなってしまったのだ。そういう者はアデリーナのみならず、たくさんいた。
原因があの黒い塊であることは確かだが、どうしてそうなってしまったのか、またどうしたら治るのかということは全く分からない。判明するまでは騎士団基地から出ることは出来なさそうだ。
最初の一年は、アデリーナはエミリアのこともあり、そんな暮らしを悲劇的に捉えていた。しかし、一年が経過すると、騎士団が育てることになったネロとブランテが成長していく様子に影響されたのか、徐々に明るさを取り戻していった。無邪気な子どもの手前、いつまでも悲しい顔をしているわけにはいかなかったのだろう。子どもはそういうことに敏感だ。そして慰めようとしてくる。そんな姿に自然と笑顔にさせられてしまうなんていうことはよくあることだ。
「おかーちゃ」
「おかーさん」
二人がアデリーナのことをそう呼び始めたのは、三年後のことだった。
「二人の面倒を見ていたらね、いつの間にかこう呼んでくれるようになったの」
半年ぶりにトリパエーゼに帰ってきたロドルフォに、アデリーナはそう言って微笑んだ。ロドルフォはそれを聞いて、嬉しいような寂しいような驚いたような悲しいような、複雑で曖昧な表情を浮かべる。ロドルフォの顔を見てアデリーナは苦笑した。
「おかえりなさい、あなた。お仕事、お疲れ様」
「ああ……ただいま」
アデリーナがまた微笑んで、つられたようにロドルフォが笑った。こうして夫婦で笑いあうのはいつぶりだろうか。三年という年月は、短いようで長い。
「俺がいない間、大丈夫だったか? 何か、変わったことなんかは……」
「大丈夫よ。変わったことがあるとしたら……そうね、ネロとブランテが好き嫌いをするようになったわ」
お野菜を食べてくれなくて困ってるの。とアデリーナは言った。困ったように笑うアデリーナにロドルフォの胸が痛む。実の娘を失った悲しみを、両親を失った子どもを代わりに育てることで埋めようとしているのだろうか。そんなことを思った。
「……そんな顔をしないで。確かに、私はあの子たちをエミリアの代わりにしているのかもしれない」
アデリーナは鋭い女だった。ロドルフォの表情を見て察知したのか、そう話し始めた。
「でもね、エミリアには悪いけれど、あの子たちと過ごしていて楽しいの。息子が二人できたみたいで……ネロなんて、女の子みたいなときがあるのよ。息子じゃなくて娘みたいだわ」
ロドルフォはアデリーナの言葉の続きを黙って待った。
それをみると、アデリーナは少し考えてからまた続ける。
「最近、『お母さん』って呼んでくれて、凄く嬉しいの。だからね、私……いつか、そう呼んでくれなくなる日が来ると思うけど、『お母さん』って呼んでくれている以上は、あの子たちの母親になってあげようと思ってるの」
それは、色々考えた末の結論だった。
「お前は、それで大丈夫なのか?」
「そうね……エミリアのことを思い出して悲しくなるときもあるかもしれないわ。でも、そういうときはあの子たちに癒してもらうから」
アデリーナはそう言ってにっこりと笑って見せた。決意した女は強い。
「敵わないな」と、ロドルフォもへにゃりと笑った。
「そうだ、あなた」それから少し流れた沈黙を破ってアデリーナはそう切り出した。「お願いがあるの」
「お願い?」
「そう、お願い。私の心配をしてくれるのなら、こっちのお願いを聞いてほしいんだけど……」
いいわよね? と、アデリーナは悪戯っぽく笑った。