FAP02:第01弾 "さまよえるポーランド人"
皆様、こんにちわ~♪
お久しぶりって程ではありませんが暮灘です(^^;
いや~、ようやくエピソードFAP02の開幕です♪
実は年表とかも作ろうとしたんですが、これが中々に大変で(^_^;)
間違いなく作ったら普通にエピソード書くより時間消費量がぁ~(笑)
ミコ
「と言っても、実はわたし達出てこないんだけどね(^^;」
サラ
「というか、"コイツ誰だよ?"って戦車乗りしか出てこないよな?」
いや、予想の斜め上のスタートを切ろうとしたら思ったより妙な事に(汗)
とにもかくにも新章スタート!
楽しんで頂ければ嬉しいッス♪
1942年、秋から冬にかけてのポーランドの国境には、とある都市伝説めいた物がまことしやかに囁かれていた。
曰く
【その甘美な歌声が聴こえた時、確実な死が訪れる】
曰く
【サバト帰りの魔女達が、帰りの駄賃に魂を狩ってゆく】
曰く
【最近の魔女はホウキではなく戦車に乗るらしい】
どれもかとるに足らない下らない噂だ。
多くの人間が、子供じみた噂話と失笑するだろう。
もちろん、【魔女の大釜】に放り込まれる当事者でなければ、だが。
☆☆☆
1942年11月。
例年より早い冬将軍の訪れの中、自由ポーランド軍中尉【カロル・アストナージ】は、おおよそこの世に生まれてから最大の不幸を味わっていた。
「バカな……」
何故なら、燃え上がる自分の装甲中隊を、ただ呆然と見ているしかなかったのだから……
**********
1941年12月24日、全ての十字教徒が安息と共に家族や仲間や愛しい人と過ごすであろうクリスマス・イヴの夜に、神殺しのソビエト赤軍がポーランドの国境を越え侵攻してきた。
世に言う【サタンクロース】である。
当時、士官学校を卒業してから1年も経ってない、軍人として始めて迎えたクリスマス……
その時に起きたポーランドという国家レベルでの不幸をどうにかできる力は、当然のようにアストナージには無かった。
☆☆☆
カロル・アストナージという男は、食いつめて士官学校の門を叩いた青年だ。
【"水晶の朝"事件】を代表するユダヤ人問題でプロイセンとの国際関係を大幅に悪化させていた当時のポーランド(ただし、結局は戦ったのはソ連だったが……)が、将来を見越した大々的に軍備増強を叫んだからこそ士官学校に入学できた……
まあ、そう言っても本人が納得できる程度のスコアしか士官学校では残してない。
良くも悪くも普通の存在……
無能と謗られる程でもなく、だが戦場の英雄になれる程でもない。
いや、あるいはロンドンの【亡命ポーランド政府】と合流できただけでも上出来とすべきだろう。
☆☆☆
では、なぜその【取り立てて有能ではない軍人】のアストナージが中尉に昇進し、装甲偵察中隊指揮を任されるまでになったのか?
理由はあまりに簡単だ。
彼の同期が次々と戦場の露と消え、残ったアストナージが出世した……
それだけの事だ。
少なくとも偵察小隊を率いて【バルバロッサ戦役】を生き抜いたのだから、武運はあったのだろう。
そう、今日この時までは……
「畜生……なんでこんな事に……」
彼の偵察装甲中隊は、良くも悪くも玉石混淆だった。
彼が座乗していたのはM4A2、通称"ディーゼル・シャーマン"であり、十分に世界水準の戦車だ。
この他に些か旧式化したM3グラント、英国系のクルセイダー巡航戦車やソミュアS35戦車等が戦力として考えられるところで、後はM2やチェコ35年式等のやや古くて脆い軽戦車ばかりだ。
中隊という名前は付いているが実質的戦力は、正規機甲部隊に直せばいいとこ精々2個装甲小隊というところだった。
しかし、彼らの任務……自分達がポーランド人である地の利を生かした、かつての故郷への浸透機甲偵察任務には十分とされた。
本来は、より脆弱な軽装甲部隊がやるような任務なのだからと。
☆☆☆
実を言えばアストナージ偵察中隊は、純軍事的な意味よりも政治的なウェイトのほうが重い任務を課せられていたのだ。
来年……1943年にCETO(欧州十字教条約機構)の【北部戦闘管区(ノルト・クリーグス・ガウ:NKG)】は、ポーランドに対する大規模反攻戦をしていた。
そして、ポーランド亡命政府は、今や赤色ロシア人の草狩り場と化した祖国を奪還する為に、主導的あるいは決定的な立場になりたいと願っていた。
気持ちは分かる。
しかし、現実的にはかなり無理があった。
元々、亡命政府に大規模な軍事力を展開できる力は無いし、何よりかつて国境を接していたプロイセン……CETO-NKG盟主との関係は、徹底的に悪化していた。
☆☆☆
前述の1938年11月に起きた【水晶の朝】事件……ユダヤ人嫌いの当時のポーランド政府が、宗旨国との兼ね合いで【ユダヤ人に寛容ならざるえない】プロイセン政府に在普ユダヤ人を押し付けた事がそもそもの原因だ。
簡単に言えば、プロイセン在住のユダヤ系ポーランド人のビザを無効として故国に帰れなくした為、キレた在普ポーランド人がプロイセンのポーランド大使館に暴徒化して押し入った事件だ。
1938年11月9日から10日にかけての出来事である。
政治的には色々と説明しなければならない事が他にもあるが……
暴徒化したユダヤ人が片っ端から叩き割ったポーランド大使館の窓ガラスの破片が朝日にキラキラと水晶のように輝いた事から【水晶の朝】と名付けられたこの事件は、プロイセンとポーランドの二国間に暗い影を落とした。
☆☆☆
47名の職員死傷者を出したポーランドは、暴動を止めなかったプロイセンを当然のように声高に非難した。
しかし、冗談ではないのがプロイセン政府だ。
何の事前協議もなしに、突然「お前の国にいるユダヤ人はポーランド人じゃないから。ポーランドに戻すな」と言われたのだ。
これじゃあ、いくらなんでも受け皿や救済案の設置など無理だ。
何より、2000年前同様に"流民"と化した国内60万人のポーランド系ユダヤ人の面倒を押し付けられたのは他ならぬプロイセンなのだ。
これで両国の関係が正常だったら、むしろ不気味だろう。
☆☆☆
もっとも、彼らの対立はこの時から始まった訳ではなく、遥か手前から始まっていたのだが。
例えば、第一次大戦の終了後、ポーランドは戦勝国としてロシアの後ろ楯を得て、悲願だった大西洋への抜け道……貿易都市"ダンツィヒ"を含むダンツィヒ回廊を"ポーランド回廊"として割譲するように要求した。
これに猛反発したのがプロイセンだ。
ポーランドの要求を飲めば、プロイセンは回廊で(史実通り)東西に分割されてしまう。
当時の皇帝ヴィルヘルム二世は、
「プロイセンはアメリカに単独降伏したのであって、断じて英仏、ましてやポーランドごときに降伏した訳ではない」
と拒絶。
それを後押ししたのは当然のようにプロイセンの宗旨国となったアメリカだ。
アメリカは一兵も失わずプロイセンを降伏させ(プロイセンはアメリカの参戦表明と同時に単独降伏している)た事により、
【その威光だけで古い帝国を屈伏させた民主主義国家】
としての自尊心と面子を満足させると同時に、プロイセンの持っていた海外権益(特に南米)の大半を得た。
その代償であるプロイセンの本国領土保障は当然の責務であり、また戦後を見越して【平和な時代の貿易戦争】に勝ち抜く為に、欧州へと打ち込む"楔"は大きければ大きい程よいと考え、プロイセンの領土を削る事を許す事は無かった。
つまり、ポーランド回廊はダンツィヒ回廊のままで東プロイセンが飛び地になることもなく、またアルザス=ロレーヌは【エルザス=ロートリンゲン】のままプロイセン領として残った。
**********
そんな歴史背景があればこそ、【サタンクロース】発動時には、プロイセンは保護国だったスロバキアや保護国に転がり落ちたチェコには、大規模な"防衛派兵"を行なったが、ポーランドは実質的に見殺しと相成った。
当然である。
宗旨国のアメリカがそうであるように、プロイセンもまたユダヤ勢力は強く、彼らのコミュニティはむしろポーランドが赤色に滅ぼされる様子をむしろ「ざまぁ!」と笑っていた。
もう少し理智的な政府や軍部も、【ポーランド軍の主力が西国境に集中】していたからこその緒戦の大敗北であり、今はポーランド国内でロシア人を殺す為に使われている武器が、本来は誰に向ける為に準備されていたかをよく心得ていた為に、対応は冷ややかだった。
その対応は今も尾を引いていて、ポーランド人が避難する際にプロイセンへと入る事は人道的見地から許可したが、国内世論の反対を理由にプロイセンでの亡命政府樹立は拒否。
CETO-NKG盟主たるプロイセンがそういう態度である以上、他のNKG諸国に軒下を貸す謂れはなく、下手に援助すれば今度はプロイセンに睨まれそうなので容認する筈も無かった。
では、フランスやイタリア等のCETO南部戦闘管区諸国はどうかと言えば……
自分達の戦争準備に忙しい最中、CETOに加盟してない国に手を貸すほど酔狂かつ余力のある国……言い方を変えれば見返りなく"火中の栗"を進んで拾う物好きはおらず、同じくポーランド亡命政府は受け入れを拒否された。
☆☆☆
結局、ポーランド人は文字通り欧州本土の戦乱を【対岸の火事】として見られる英国はロンドンに亡命政府を開く事になった。
結果として英国は一時的にポーランド系住人が増えたが、さして気にはしていない。
事実、英国は戦乱の始まった欧州各国に、スピットファイアやハリケーンと言った戦闘機や17ポンド砲等の火砲、レーダーなどの機材と言ったあらゆる軍需品の売却で濡れ手に泡の"空前絶後の戦争特需"を満喫していたのだ。
太平洋戦争を完全勝利で終えたアメリカが、イギリスの"一人経済勝ち"を是正する為という意味をこっそり含めた【レンドリース(無償給与)法】を立ち上げたが、戦争の激化がそれすらスポイルしようとしていた……
☆☆☆
それはさておき、上記のような理由で、アストナージ偵察中隊にはプロイセンや北部戦闘管区諸国製の戦車は含まれていなかった。
あるのは順調に"死の商人"として存在感を増してるイギリスが売り付けてきた戦車やアメリカのレンドリース品(アメリカ世論は幾分ポーランドに対して柔らかい)がメインだ。
それでも亡命政府は拒絶しながら中古戦車を売り付けたフランスは、むしろ大した物かもしれない。
☆☆☆
しかし、そんな悪環境でも、アストナージは任務を遂行するしかない。
ポーランド奪還作戦において、なんの手柄も無ければ例え来年ポーランドが奪還できたとしても、ポーランド人は発言力を完全に失う。
それは避けねばならない。
少なくとも、祖国奪還において【ポーランド人は重要な役割を果たした】と"国内向けに喧伝"できる程度の実績は必要だったのだ。
それでも、間借りしていたプロイセンの野戦基地から寄せ集め感が拭えない戦車隊を率いていつものように進軍速度の違いに苦労しながら、旧ポーランドとプロイセンの国境を超えた辺りまでは順調だった。
何しろかつて知ったる我が庭だ。
しかも、都合が良いことに曇天……いつ雪が降りだすか分からない空模様ときてる。
これならソ連の偵察機も厄介極まりない"襲撃機"も簡単に飛んでこないだろう。
ならば、敵の最前線を見つかりにくいところから入ってちょこっと視察して帰ってくる事に問題はない……
少なくとも、アストナージはそう思っていた。
だが、雪が降り出し吹雪く気配が出だした頃……
"キュバッ!!"
雪の彼方から見えた幾つもの閃光が、彼の不幸の開幕を告げたのだった……
次回へと続く
皆様、ご愛読ありがとうございましたm(__)m
エピソードFAP02のスタートは如何だったでしょう?(^^;
実はかなり悲惨な経緯で史実と同じロンドンに亡命政府を開いたポーランド……
発言件を得ようとすれば色々と大変です(^^;
ハンナ
「なんか身につまされる話ですねぇ~」
ユッタ
「それにしても、アストナージは何に撃たれたんッスかね?」
んだね。
まあ、それは次回以降に明らかにってオチで(笑)
皆様、どうかこれからも【突撃お嬢】をよろしくお願いしますm(__)m
それでは、また次回にてお会いできる事を祈りつつ(__)