【Fraulein Angriff und Panzer】えくすとら!:マニア向け(?)コラム【星条旗と鋼十字】
皆様、こんにちわ~♪
本日二度目のこんにちわな暮灘どす(;^_^A
今回は設定資料は資料なんですが、今までバラバラに書いてた
【42年までのPPG世界における戦車開発の流れ】
をプロイセンとアメリカに絞って、
【その時代に生きた人間のコラム】
風にまとめてみました(^_^;)
いや、お遊びと言われればそれまでなんですが、お遊びは本気で遊ばないと面白くない♪
ミコ
「へぇ~……ツィンメリット・コーティングって」
ユッタ
「ううっ……このアメリカ戦車とあの装備で殺り合った日本兵に同情するッス……」
サラ
「そりゃ、サイパンもテニアンも瞬時に陥ちるわけだわ」
ハンナ
「うふふ♪ アメリカン・パンツァーもワイルドで良いですわねぇ」
みたいな雰囲気で楽しんで頂ければ(^^;
特にRSBCファンの装甲同志の皆様にお勧めです♪
特にラストと後書きとか(えっ?)
さて、私がこうして筆を取ったのは、今は第一次大戦と呼ばれているあの戦いでプロイセンが計画倒産ならぬ計画降伏し、アメリカの属国化した後、様々な物を企画を統一化し、プロイセンが驚くべき短時間で軍事強国に返り咲いた事に、しがないとはいえ一人の戦史研究家として素直に感銘と驚嘆を覚えたからに他ならない。
本来なら陸海空全ての兵器を網羅したいとこだが、それではコラムのページがどれほどあっても足りないだろう。
なので、可能な限り陸戦兵器……それも戦車に絞って話を進めようと思う。
何故ならプロイセンは紛れもなく敗戦のその瞬間まで戦車先進国であり続け、そのプロイセンを属国として傘下に治めたからこそ、アメリカは刺激され必要な時期に必要な数を用意できた【新世代の兵器】なのだから。
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さて、ではサンプルとして以下の戦車を挙げよう。
プロイセン
III号戦車シリーズ(1933〜)
III号突撃砲シリーズ(1935〜)
IV号戦車シリーズ(1938〜)
アメリカ
M1928クリスティー戦車(1929年に技術デモンストレーターとしてプロイセンに輸出)
M3戦車シリーズ(1937〜)
M4戦車シリーズ(1939〜)
さて、わざわざ"シリーズ"としたのは、
III号戦車
37mm砲型(初期型1933〜1936)
50mm砲型(後期型1937〜1939:スペイン内乱後の改修強化型)
III号突撃砲は同じ75mm砲なれど、24口径長砲の【短砲身型】と、IV号戦車が48口径長砲のIV号戦車改型に切り替わった時に余剰となった43口径長砲を搭載した【長砲身型】が存在している。
IV号戦車は42年初頭でもIV号戦車とIV号改型があり、またM3もバリエーションがある。
極めつけはM4シャーマン・シリーズだ。
太平洋戦争(39〜41)で活躍した無印とA1の"戦中型"。
ディーゼルエンジンを搭載し太平洋戦争の末期に登場したが少数生産(海兵隊のみに配備)に終わったA2"ディーゼル・シャーマン"。
そして、車体から砲塔から再設計適正化し、シャーマンの決定版となった"戦後型"シャーマンのA3型が42年までに登場している。
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さて技術的なエポックメーキングとして、まずはIII号戦車/突撃砲に採用された【トーションバー式サスペンション】とクリスティー戦車がもたらし、その発展型がIV号戦車に採用された【クリスティー式サスペンション】を挙げたい。
プロイセン生まれのトーションバー式は画期的だがまだこの当時は技術熟成が必要だった。
しかし、様々な技術発展を得てプロイセンならパンター、アメリカならM4の後継戦車に採用、逆にクリスティー式も履帯脱着機能をオミットしスプリングを内蔵式から外装式に改められ、また履帯脱落防止や安定強化の為に上部支持転輪が追加された【発展型クリスティー式サスペンション】が、IV号戦車に大きなアドバンテージとなったのは面白い偶然だろう。
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時期から考えると1928年の【世界恐慌】の頃からプロイセンと米国は戦車開発に強固な協力関係を築いたようで、おそらくは開発期間の短縮や部品調達の簡易化などあらゆる意味での経費削減が理由として大きい筈だ。
そして、これを契機に両国の主砲/砲弾共用化が一気に進んだようだ。
順を追うと……
アメリカはプロイセンより早くフランスの【シャールB1】の存在を把握し、"取り敢えずの対抗"として似た主砲配置の【M3戦車】の開発を開始する(故に同じB1の対抗策として開発されたIV号よりロールアウトが早い)。
スペイン内乱の後、プロイセンはIV号戦車の開発だけでなくIIIの強化で50mm60口径長砲への改修強化を進めるが、この時に余剰在庫となった37mm砲がアメリカに売却され、自国の生産が整うまでの間はM3戦車の"副砲"として装備されたのだ。
また、M3の"主砲"である75mm24口径長砲はIII号突撃砲"短砲身型"のアメリカ・ライセンス生産版であり、完全な互換性があった。
逆にIV号戦車で採用された【二重差動式スリーピース型コントロール・ディファレンシャル】操向装置は、M3のそれを輸入してほぼそのまま転用/移植されている。
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M3から始まりプロイセンで発展した物の中に1軸砲安定装置がある。
M3に登載されたそれは技術的に未成熟で扱い辛い物だったようだが、プロイセンで改良が重ねられて満足な性能を持つに至り、VI号戦車"ティーガー"に装備された。
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そして、両国の戦車が更に接近したのが、IV号戦車シリーズとM4シリーズだ。
この2戦車の初期型、IV号戦車とM4(無印)シャーマン最大の共通項はプロイセンで作られたかアメリカで作られたかの違いだけで、全く同じ【75mm43口径長砲】を主砲としていたのだ。
無論、砲弾も全く同じ。
実際、M4シャーマンの生産当初はアメリカ・メイドの75mm砲の供給が間に合わず、プロイセンが備蓄していた2000門程がPzGr39(APCBC-HE-T)砲弾込みでアメリカに輸出された。
また、この2車種は操向装置も共通(M4の操向装置はM3の改良型)であり、主砲共々に互換可能だった。
IV号戦車改型になると更に状況は進む。
IV号改型のエンジンがM4A2のディーゼル・エンジンを流用したのは有名だが、それ以外にも多くの共通部品がある。
操向装置は当然引き続き共通なのだが、本来は【V号戦車】用に開発され、IV号改型にコンバートされた
【流体リターダー付シンクロメッシュ・トランスミッション(前進4速/後進2速、クロスドライブ型)】
をアメリカは導入、M4A3"戦後型"シャーマン用のV8ガソリン・エンジン用にチューニングして採用している。
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IV号改型からM4A3にコンバートされた装備はまだある。
代表的なのは【ダブルピン・ダブルブロック】型の525mmワイド幅履帯だ。
また、砲架に内蔵される1軸ガンスタビライザーも全く同じ物が使われている。
ジャイロ2軸安定化照準器やオート・スレイブ同調撃発装置は、当時の米軍がプロイセンほどロングレンジ(アウトレンジ)砲撃を重視してなかった為に採用が見送られたようだ。
また、IV号改型のトレードマークとも言えるグリセリン溶液を満たした防爆仕様の"湿式弾薬庫"は、本来戦時中にシャーマン用に考案された物だが、日本軍の火力が弱すぎ不必要とされたが、強力なソ連戦車と戦わねばならないプロイセンは飛び付き、IV号改型に採用したのだ。
逆にプロイセンが開発したが、プロイセンが採用せずにアメリカに大々的に採用したデバイスがある。
それが【ツィンメリット・コーティング】だ。
【ツィンメリット・コーティング】はプロイセンが磁気吸着式対戦車地雷を配備していた為に敵国が同種の装備をした場合に備えて開発された磁気吸着を阻害する【非磁性体コーティング】の事だが、実際にはソビエトが同種の装備を持ってなかった為に採用されなかった装備だ。
だが、それを【九九式破甲爆雷】という兵器として保持していたのが、アメリカと敵対していた日本陸軍で、実際に太平洋戦争初頭にアメリカ陸軍が対戦車戦で撃破される事は皆無だったが、この九九式での歩兵による肉薄対戦車攻撃による被害はバカにしていい物では無かった。
それを聞き付けてアメリカに渡ったプロイセンのシンクタンク機関"ゲヒルン"の【ラプンツェル・トート博士】はツィンメリット・コーティングの技術を売り込み、渡りに船とばかりにアメリカ陸軍は技術パテントを買い取り、40年後半より配備されたM4A1型シャーマンから全面的に取り入れ、九九式の被害を激減させた。
このスリットの入った素焼き陶器のようなざらざらとした質感はシャーマンに奇妙な程の迫力を与え(特にパットン将軍が好んだという話が残っている)、当時の日本兵は九九式が上手く張り付かない【鎧シャーマン】と恐れ、アメリカ兵達は【セラミック・シャーマン】、あるいは【サンドブラスト】と呼び頼りにしたという。
このツィンメリット・コーティングはA3型の"戦後型シャーマン"にも受け継がれた。
更にA3からはアメリカでもゲルマニウム・トランジスタ通信機が採用され、製造元はGE等のアメリカ企業だが、心臓部のゲルマニウム・トランジスタ自体はほぼプロイセン・メイドだったという。
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余談ながら、シャーシから再設計適正化され、サスペンションがVVSSからHVSSに変更されたM4A3戦後型シャーマンの車体は、新型のフォードV8ガソリン・エンジンの登載をはじめ様々な追加装備や将来的な発展的余地をみこして11インチ(約28cm)原形より延長され、また車体正面は一枚板の傾斜構造に変更された。
資料によって"ストレッチ・シャーマン"とか"シャーマン・ロングボディ"と書かれているのは、その為だろう。
長くなり乗り心地も旧型よりよく、またエンジンもハイパワーになった為に米国陸軍は将兵を問わず、A3型シャーマンを【リムジン(あるいはリムジンの略称である"リモ")】と呼び愛したという。
逸話としても、戦後に日本に降りたマッカーサー将軍が、
「ウィロビー、アメリカの力を日本人に見せつけたい。パレードに私用のシャーマンを用意してくれたまえ。ああ、当然"リモ"で頼むよ」
という逸話や、あるいはパットン将軍の残した、
「戦場に欲しい物はいくつもあるが、まずは良く訓練された兵にガバメント、あとタバコと冷えたビールに"リモ"があれば文句はない」
などというコメントが残っている。
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さて、共通しているのはこのようなメイン・コンポーネントだけでない。
サブ・コンポーネントもかなり共通項がある。
例えば【Sマイン投射器】がそうだ。
【Sマイン投射器】はM4A1型より4発が標準装備され、前述の九九式破甲爆雷による近接肉弾戦を強行する日本歩兵に大きな効果を発揮した。
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またIV号戦車改型やVI号戦車のプロイセン戦車やアメリカ戦車と言えばM2ブローニング50口径(12.7mm)重機関銃だが、実は全てアメリカ・メイドなのをご存知だろうか?
実はこれ、アメリカが【レンドリース法】を制定する遥か前からプロイセンとの間に取り決めてあった【ウエポン・バーダー・トレード条約(武器物々交換条約)】の一つの成果で、M2ブローニングだけに限って言えば、M2の航空機用改造型の性能に不安(特に高G状態での動作不良)を持ったアメリカは、M2機関銃と同じ銃弾を使用するが、航空機専用として設計されてる分、適正が高い【MG131機関銃】に目をつけ(一説によれば前述のトート博士が売り込んだとも……)、ライセンス生産契約を結ぶと同時に輸入を開始、【M2-13(エムツー・サーティーン)】として採用した。
この時の代金として金代わりに支払われたのがM2ブローニングという訳だ。
トレード・レートはアメリカが大国らしい太っ腹な所をみせ、MG131を2丁につきM2(三脚付きフルセット)を3丁という物だったので、プロイセンは最終的に10万丁近いMG131を輸出し、15万丁近いM2を入手した計算になる。
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かくて、アメリカとプロイセンは75mm砲弾/37mm砲弾/12.7mm銃弾という砲銃弾の共用化を果たしたたけでなく、互いのコンポーネントの共用化を大幅に推進し、部品調達のしやすさ……いや、開発段階レベルからの資金や期間の圧縮に成功した。
こうして考えると、アメリカとプロイセンは奇跡を起こしたのではない事がよく理解できる。
戦車一つとってもアメリカとプロイセンの強力なタッグ……アメリカのチートじみた基礎工業力や資本力、プロイセンの桁外れの技術力や科学力が結合すれば、全てが"必然"であるという事が強く理解できる。
民銘書房刊
佐伯大祐著
軍事コラム集【星条旗と鋼十字】
より抜粋。一部改編
注釈:
この著作は後に佐伯御大自らが大幅な加筆修正が加え再編出版された【スターストライプ&バルケンクロイツ】のオリジナルと呼べる物である。
皆様、ご愛読ありがとうございましたm(__)m
プロイセンとアメリカの戦車物語は如何だったでしょうか?
しかも書いたのは、【突撃お嬢】では激レアな日本人、"佐伯大祐"……って誰だよ?
???
「及びとあらば即参上! 元大日本帝国陸軍"佐伯大祐"少尉である!」
おわっ!?
いきなり、現れるなっつーの!
佐伯
「いや、"警察予備隊(NRP)"が思いの外暇でな。これではせっかくウエストポイント(アメリカ陸軍士官学校)を卒業した意味が無いではないか」
いや、国防軍が再編されるまで休暇配置って事でしょ?(^^;
佐伯
「ふむ。だから暇に任せて軍事随筆等を書いてしまった」
あ~、はいはい。
国防大学に案内してあげるからまた今度ね(汗)
なんか後書きなのに濃いのが出てきましたが、まだまだエピソードFAP02がいつ始まるか不明ですが、お待ち頂ければ幸いですm(__)m
ではまた、皆様にお会いできる事を祈りつつ(__)